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37.繋ぎ
 馬車を降りるために、フィオンが差し出した手にコレットはそっと自分の手を重ねた。透けるほどに薄い絹に、レースで花の模様があしらわれた手袋をした彼女の手をとると、フィオンはそのままぎゅっと握り締める。
 スティルス湖畔のクリプトンホテル。
 夕暮れ時、あたりを包むオレンジ色の光が、ホテルの白い外観を美しく染め上げている。
 馬車から降りたコレットは、そのホテルの建物を見上げるように顔を上げた。
 ふいっとその間にフィオンが顔をのぞかせる。じっと見つめられて、コレットはぱちぱちとまばたきをした。
「フィオンさま?」
「ここ」
 フィオンはそっとコレットの眉間のあたりに指先で触れる。
「難しい顔になってる」
 言われて、コレットは慌てて手でその場所を押さえた。
 夜会は貴族にとって社交の場である。そこで難しい顔をしていることは好ましくない。
 眉間を一生懸命に押さえているコレットに、フィオンはくすりと笑う。
「そんなに緊張する必要なんてないよ。いつものままで大丈夫だから」
「は、はい」
「昨日みたいに、楽しそうにしてればいい」
 昨日は、フィオンとともにスティルス湖をボートに乗って楽しんだ。
 上着を脱いで腕まくりをしたフィオンがオールを握れば、ボートの上では二人きりで、これからのことも、まわりからどう見られているのかも考える必要のない時間が、湖面の上でゆるやかに流れていた。
 だから、コレットもいろいろと難しいこと考えることもなく、穏やかに笑うことができた。
 とても楽しそうにコレットを見つめてくるフィオンに、二人乗りのボートの上で頬の熱さを隠すことは少し難しかったけれど。
「そうですわ。臆することなどなにもありません。私の隣で堂々としていらっしゃい」
 ホテルの入り口、本日の貴賓でもある王妃は、くるりと振り向いて自信たっぷりにコレットに笑いかけた。



 コレットをエスコートし、フィオンは人の波から少し離れたバルコニーへと移動した。夜風がするりと通り抜け、心地よく体の熱を冷ましていく。
 少し落ち着いてコレットはあたりを見わたした。
 夜空には星が綺麗に輝き始め、人々の楽しげな声とダンスの曲がホールに響いているのが、バルコニーにいても十分に聞こえてくる。 
 広間の中では、まだ王妃がたくさんの貴族たちに囲まれて会話を続けていた。その中の数人にダンスを申し込まれたようで、王妃はゆっくりとその中の一人に手を差し伸べた。
 王が参加していないパーティーならではの光景である。
「王妃さまはみなさんにとても慕われているのですね」
 そう言うと、コレットは隣にいるフィオンを見上げた。
 先ほどまで王妃の隣にいたコレットは、王妃自らまわりの人たちへの紹介をうけた。王妃がコレットをそばに置き友人だと紹介すれば、内心どう思っていようともまわりの人間はそれを受け入れるしかない。納得などできなくても、表立ってコレットを非難することはできなくなった。
 それでも、みなが入れかわり立ちかわり王妃のまわりに集まる。王妃である彼女に敬意を表すのは当然のことなのだが、いろいろな立場の人が彼女にあいさつをするその姿は、王妃の影響力の大きさをうかがわせた。
 フィオンもホールの中の王妃へと視線をむけると、小さく肩をそびやかした。
「まあ、性格もあるだろうけどね」
 もともとが社交的な性格である。たくさんの人に囲まれても、それを楽しむだけの余裕が王妃にはある。
 それに……。
「義姉上はこの国の要だから」
 つぶやくようにフィオンが言った言葉が、コレットの耳に残った。
 広間の中に視線を送っているフィオンの横顔をじっと見つめながら、コレットは以前みた王家の系図を思い出す。
 現王の妻である王妃ディアナは、バード公爵フィオン・アルファードの母方のいとこである。
 王である兄の妻である彼女は、現在この国にとって重要な位置をしめる。
 しかしそれ以上に、フィオンと兄である王をつなげる大切な役割があるようにコレットには感じられた。
「とても素敵な方ですよね」
 王妃としての役割を十分すぎるほどにはたし、この国を安定に導いている。それは王さまにとっても、フィオンにとってもどれだけの助けとなっているだろうか。
「まあ、否定はしないけれど、あまり見習いすぎないようにね」
「そうなのですか?」
「あんなに精力的に社交にいそしまれたら、僕とこうやって二人きりになる機会が減ってしまうから」
 甘い言葉にコレットは頬が染まるのを止められないまま、フィオンを見上げた。それでも、その言葉がまだ社交場になれないコレットへの気づかいだと分かるから、フィオンの優しさがじんと心にしみてくる。
 先ほど王妃に伴っていたコレットを、フィオンがその場からそっと連れ出してくれたのも、彼が頃合を見計らって人波から引き離してくれたのはあきらかだった。
 守られてばかりでは、フィオンの役に立つどころの話ではない。
 まっすぐにフィオンを見つめると、コレットはにっこりと微笑んだ。それを見たフィオンの目がまぶしそうに細められる。
「こうみえても、私も貴族の娘です。社交は大切なお仕事ですよ?フィオンさま」
「僕よりも?」
「まあ」
 フィオンの言葉に、コレットは目を丸くするとくすくすと笑い出した。
 さきほども年配の重鎮たちと同等に渡り歩いていたばかりのフィオンが、ちょっとすねたように訊ねてくる姿がなんだか可愛らしい。
「そんなの、比べられません」
 コレットの答えに、フィオンは楽しそうに微笑んだ。笑いながら問いかける。
「疲れてない?」 
「平気です」
「本当に?」
 そう言って顔をのぞきこんでくるフィオンに、頬を赤らめながらコレットは口ごもる。
 そんなに自分は疲れていたように見えたのだろうかと、コレットは自分の頬をそっと押さえた。
 今年社交界にデビューしたばかりのコレットである。
 フィオンや王妃のように、社交界の中心となって普段から生活しているものとは違い、まだまだ不慣れな点も多い。
 王妃やフィオンのおかげで以前ほどの居心地の悪さはないものの、まわりの自分を見る目がすべて変わったわけではない。多少の疲労を感じるのは仕方がないことだ。
「……それは、ちょっとは。でも、大丈夫です!本当ですよ」
 自分を奮起させるように胸の前でこぶしを握ると、コレットは笑いながら答える。
「ふふ、頼もしいね」
 近くを通りかかったホテルの従業員からフィオンは飲み物を受け取ると、その一つをコレットに渡す。フィオンがコレットのグラスに自分のを軽くあわせると、カチンと澄んだ音が響いた。
 フィオンがそれを口に運ぶと、コレットもそれにならうように受け取ったグラスに口をつける。
 さわやかな香りと甘さが口の中に広がっていく。
 自分が思っていたより緊張していたのだろうか。喉を潤せばほっと肩から力が抜けた。
「まだ不慣れなところもありますけれど、でもすぐ慣れますね」
 どういう状況であろうとも、コレットは貴族の娘である。社交の場での対応は、貴族にとって一生ついてまわることなのだから、いつまでも甘えてばかりはいられない。
 そっとコレットの持っているグラスを取り上げると、バルコニーの手すり部分、平らになっている場所にフィオンはそれをおいた。コレットの空いた手をしっかりと握り締める。
 急に距離を縮められて、コレットの頬が熱くなっていく。
「あんまり無理をしないように。僕がそばにいるんだからね」
 握ったコレットの手にそっと口付けをおとす。と、何か思い出したよう顔をあげて、フィオンはいたずらっぽく唇をあげて笑った。
「でも、そうだな。やっぱりちょっとだけ、コレットにはがんばってもらおうかな」
「はい」
 がんばりますと答えようとしたコレットは、まっすぐに自分を見つめるフィオンの真剣な瞳に言葉をとめた。握られた手の力が強くなったことを感じる。
 もうフィオンは笑ってはいなかった。
「これからずっと、ここが君の場所だから」
 フィオンの手が腰に回ったのを感じる。
 この場所、フィオンの隣にずっというということは、これからの長い時間を社交界の中心の一人として生きていくことを意味している。
 その言葉の意味にコレットは驚いて目を見開いた。
 本気、なのだろうか。
 いや、いつものフィオンの言葉に偽りはないのは感じている。
 でも、本気でフィオンはコレットをずっとそばにと思ってくれているのだろうか。薬の効果だけではなく、それを望んでくれているとすれば……。
 そう思えば、コレットはその場から動くことができない。そんなコレットをフィオンはゆっくりと抱きしめた。
 バルコニーは明るいホールからは軽い死角になっているとはいえ、まわりからまったく見えないわけではない。頭では分かっているのに、体が動かない。
 背中にまわされた手に力がはいるのを感じながら、コレットはフィオンのぬくもりに包まれていった。
 抱きしめられるだけで、鼓動が激しく胸を打ち付ける。苦しいほどに胸が痛い。
(好き……)
 まだ口にすることのできないその言葉を、コレットはそっと心の中でつぶやいた。
 
 


「バード公爵」
 声をかけられ、抱きしめられる形になっていたコレットは慌ててフィオンからはなれた。
 残念そうにコレットから手を離すと、フィオンは声のした方へと振り返る。
「これはマカリスター男爵」
 そこにはコレットの父親であるマカリスター男爵が、少し視線を泳がせながら立っていた。
 急に現れた父親に、コレットは驚いたように目を瞬かせた。
 父親の顔を見た後、フィオンを見上げる。父親であるマカリスター男爵が来ることなど、誰にも聞かされていない。
 自分を見上げるコレットに気がつくと、フィオンは優しく微笑んだ。
「大切なお嬢さんをおあずかりしているんだから、きちんとご報告はしないとね」
 いくら王妃から招待されたとはいえ、現在微妙な立場にいる娘を心配しない親などいない。少しでも娘の顔をみることができれば安心するだろうという判断のもと、王家からマカリスター男爵にこの夜会の招待状が送られた。
 さきほどの場面を父親に見られたのかと思うと、コレットの顔が一気に赤く染まる。耳まで赤くなったコレットとは反対に、フィオンはマカリスター男爵の前でも涼しい顔である。まるでこれでは、さっきまでのことが当たり前におこなわれているようにとられそうで、コレットは居たたまれなくなる。
 再びフィオンがマカリスター男爵に視線を戻すと、男爵は深く頭をさげた。
「娘が大変お世話になり、恐悦にございます。何か粗相をしてはいないかと心配しておりましたが……」
「とんでもない、彼女は大事な客人です。こちらこそ令嬢を長くおかりしていることに礼を言わなくてはなりません。義姉上もとても満足していらっしゃいますよ」
「もったいないお言葉でございます」
 頭をあげたマカリスター男爵とコレットの目が合った。と思うと、すぐに男爵はコレットからフィオンへ視線を戻す。
「ときに公爵。申し訳ありませんが、娘を少しおかりできますでしょうか」
 娘とはいえ、今日はフィオンのパートナーであり、王家の客としての立場である。
 父親といえども、王弟でもあるフィオンの許可なく勝手にコレットを連れて行くわけにはいかない。
「コレットをですか」
「ええ、久しぶりでもありますし、できれば親子での会話の時間を少しだけお許しいただきたいのですが」
 夜会という社交の時間に親子の会話とは微妙なところだが、現在王家に娘をあずけているマカリスター男爵としては、こんなときでもなければコレットと話もできない。
 マカリスター男爵を見たまま、フィオンは自分の腕に添えられたコレットの手に、そっと自分の手を重ねた。
 そのまま、ぎゅっと握る。
「お父上の希望なら、かなえないわけにはいかないよね」
 ちらりとコレットと目を合わせると、フィオンは薄く笑った。
 離したくないというようにコレットの手を握りながらも、フィオンは涼やかな顔でマカリスター男爵に向き合う。
「もちろんです、男爵。親子が会話をするのに、何の問題がありますか」
 名残惜しそうにコレットの手をもう一度握ると、フィオンはそっと彼女の手を離し、彼女の父親へとあずける。
 フィオンの瞳に一瞬寂しそうな光がやどれば、コレットの胸がぎゅっとつかまれたように痛んだ。
「フィオンさま」
 父親の手をとったコレットは、名残惜しそうにフィオンの名を呼んだ。
 父親と話すのが嫌なわけではない。でも、フィオンと離れがたいのも事実である。
 コレットに名を呼ばれ、フィオンはあわく微笑む。
「また後で」








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