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32.戸惑い
 自覚をしてしまえば、どうしていいのかわからなくなる。
 今までと状況は変わらなくても、同じでなんていられない。



 湖を渡る風が木々の葉をさらさらと揺らすと、白いパラソルにかかる木漏れ日がそれをなでるように動いた。肌に感じる風の心地よさに目を細めると、コレットはキラキラと輝く湖面に視線を向ける。
 王都の西に位置するスティルス湖では、夏も本番になろうというこの季節、避暑のために訪れている人も多い。湖には、遠くでボート遊びをしている人もちらほらと見られた。
 王都での社交シーズンは終息となってきたが、今度は避暑地としてこの湖のほとりが夏の社交場となっているようだ。夏はいつもマカリスター男爵領ですごしていたコレットにとっては、はじめての経験である。
 湖面から少し視線をあげれば、視界をかすめたそれにコレットの心臓がとくんと跳ねた。
「あら、どうかなさいました?」
 急に歩く速度を落としたコレットに、一緒に散策を楽しんでいた王妃が足を止めた。
 はっとしてコレットは視線を戻す。
 そんなコレットに王妃が歩み寄った。少し首をかしげて、覗き込む様にコレットを見る。
「疲れました?」
「い、いえ。綺麗な景色に目を奪われてしまって……。申し訳ありません」
「謝ることなんてありませんわ。気に入っていただけたのなら、お誘いしたかいがありますもの」
 にっこりと王妃が笑う。それにつられるようにコレットも微笑んだ。
「足の具合はいかが? 痛んだりしていません?」
「はい、大丈夫です」
「そう? でも痛みを感じなくても、まだ怪我をする前と同じというわけにもいきませんでしょう。あまり無理はしないようにね」
「はい」
「それにしても……」
 小さくため息をつきながら、王妃は続ける。
「先日は本当にごめんなさいね。不肖の義弟がついていながら、あなたにお怪我をさせてしまって」
 王妃がいっているのは、先日の夏至祭。コレットが怪我をした事件のことである。
「いえ、とんでもありません。私の方こそご迷惑をおかけしてばかりで、本当に申し訳ありませんでした」
 はぐれてしまって、転んで怪我をしたのは自分である。
 フィオンは何も悪くないと、コレットはあわてて首を振った。 
「王妃さまにはお見舞いのお花もいただきまして、本当にその節はご心配をおかけいたしました」
「あら、そんなことは気になさらないで。お詫びといっては何ですけれど、この夏を楽しんでいってくださいね」
「はい。ありがとうございます」
 夏至祭のときに、義弟であるフィオンが付いていながら怪我をしてしまったコレットへのお詫びもかねて、この夏、スティルス湖畔の王家の別荘へとコレットは招待を受けた。
 王妃の名のもとでの正式なる招待である。
 いまや一男爵令嬢のコレットは、王妃の賓客扱いである。

 夏とはいえ、湖を渡る風はひんやりとしていて心地よく、パラソルをするりとすりぬけコレットの髪を優しく揺らした。
 それを受けながら、コレットは先ほど視界に入ってきたものをちらりと見る。
 そこに見えるのは、以前招待を受けたことのあるバード公爵家の別荘である。
 湖面を隔てた向こう側にあるそれは、距離があるにも関わらず木々の合間からその白い姿をのぞかせていた。
 フィオンとつながりのあるその場所を見ているだけで、コレットの胸はドキドキと早鐘を打ちはじめる。バード公爵家の別荘に招待されたときのことを思い出せば、それだけで頬が熱くなってくるのをとめることができない。
 再び何かを気にしているようなコレットのそぶりに、王妃はその視線の先をたどった。
 そこにあったものを確認し、にっこりと微笑む。
「フィオンは」
「えっ!?」
 自分が考えていた人物の名が急に上げられ、コレットは驚いて振り返り王妃を見た。
 コレットは何も訊いていないのに、王妃はにこにこと言葉を続ける。
「フィオンは後から来ますわ。仕事が終わり次第、こちらに向かうとのことですから」
 自分が何に気をとられていたのかを見透かされたようで、コレットの顔が赤く染まった。なんと答えていいのかわからず、視線がさまよう。
「うふふ。せっかくの夏の保養ですもの。恋人同士は一緒にすごさなくてはね」
「いえ、あの……」
 恋人の言葉に、コレットの顔は耳まで赤くなる。
 そうではないのに、嬉しそうに微笑みかけてくる王妃に否定の言葉もうまくでてこない。
 恋人という前に、好きになってはいけない人なのに……。
「すみません」
 赤く染まった頬を隠すように手をあてると、コレットは少しうつむきながら謝罪の言葉を口にした。
「どうして謝りますの?」
「それは」
 王妃の問いに、コレットは口ごもる。
 フィオンに恋をしてはいけないと分かっていた。まわりでそれを直接的に反対する人物がいないとしても、事態が事態である。
 それでも、好きだと思ってしまった。
 これからどうしたいのか、どうすればいいのかなんてわからない。
 今までどおり、協力者として王妃の求めに応じながらフィオンのそばにいることが一番の方法なのだろうと思う。
 でも、自分の気持ちを自覚してしまっては、フィオンと一緒にいて今までと同じでいられる自信がない。

「私、本当にあなたのことが気に入りましたのよ。フィオンのお相手としても」
「ですが。その、薬のことが……」
「そうね。気にするなといっても無理なのかもしれないわね」
 コレットの隣にたち、王妃は静かな口調で言葉を続けた。
「あなたのお相手としてフィオンでは駄目だというのなら、それも仕方ありませんわ。でもね、それを薬のせいにはしないでほしいの。薬のことをなしにしてあのこのことを考えていただけないかしら」
 いつか薬の効果がなくなるかもしれない。
 それを知った上で、フィオンを好きになって欲しいという王妃の願いは、コレットのこれからにとっての負担があまりにも大きい。
「あなたには、ひどいことを言っているわね。でも例え薬の効果がなくなったとしても、私はいつでもあなたの味方になりましてよ」
(どうして……?)
 コレットの口から、思わず疑問がこぼれそうになった。
 どうして王妃はここまで自分のことを気にかけてくれるのだろうか。
 その疑問を口にする前に、王妃の視線がコレットの後ろへと流れた。コレットを気づかっていた優しい瞳の色が一瞬消えたと思った刹那、王妃はそちらに体をむけてにっこりと微笑む。
「あら、ランデル子爵のお嬢さんですわね」
 王妃の言葉に促されるように、コレットも後ろを振り返った。
 王妃にあいさつするために、ランデル子爵家のジェシカは二人に近付くとふかぶかと頭を下げる。
「王妃さま、お久しぶりでございます。こちらでお会いできるなんて、この偶然に感謝いたします」
「……そうですわね。ここでお会いするなんて初めてですわね、ミス・ランデル。お顔をおあげになって」
「はい。ありがとうございます」
 そういうと、ジェシカはまっすぐに顔をあげた。
 すっとした鼻筋に、大きな黒い瞳。なかなかに美しい少女であるが、コレットはその少女との面識はなかった。
 もともとマカリスター男爵家は、あまり他の貴族との交流が少ない上に、王都での仕事を中心に動いているランデル子爵家とはさらに接点がない。パーティーなどでちらりと見たことがあったとしても、まだ社交界にデビューしたばかりのコレットではそこまでの認識はなかった。
「ランデル子爵は、夏はいつも東海岸の別荘に行かれていたと思いましたけれど、今年はこの近くに滞在されていらっしゃるのかしら?」
「はい、この湖畔のホテルに。今年はいろいろありまして、いつもの別荘ではなくこちらで夏を過ごすことになりました」
「そうですわね。お父上も、ご親族も、今はとても忙しいでしょうから」
 ジェシカの父、ランデル子爵やその親族は、フィオンに惚れ薬を盛った人物を目下捜索中の身。王都から離れるわけにはいかない立場である。
 さらに、今年は王妃がスティスル湖畔の別荘に滞在するとなれば、下手に別の場所へと避暑へ行くよりも何かと都合がいい。偶然でも出会うことができれば、王妃やさらには今噂のバード公爵の目にとまる可能性も期待できると、今年のスティルス湖一帯はそんな貴族たちであふれていた。


「あら、王妃さま。お散歩ですか?」
 声をかけられ、王妃が振り向くと、そこには彼女の友人でもあるバークリー侯爵夫人が侍女をともなって馬車から降りたところだった。
 王妃を見かけて、馬車を止めたところらしい。
 親しい友人の登場に、王妃の表情に明るい笑顔が宿る。
「それでは、ミス・ランデル。楽しい休暇をお過ごしくださいね」
 近くにいたジェシカに短く言葉をかけると、王妃は友人でもあるバークリー侯爵夫人のそばに歩みよった。
 バークリー侯爵夫人は、王妃のお茶会で紹介をされたこともあり、コレットもあいさつをするために王妃に続いてそちらへと歩を進めようと、失礼にならないようにジェシカに軽く頭を下げてその場を去ろうとした。
 近くにいて口をきかないのもあれなのだが、相手を知っている王妃がジェシカをコレットに紹介しなかった以上、紹介もなしにマカリスター男爵家よりも爵位の高い子爵家の令嬢であるジェシカに、コレットから声をかけるわけにもいかない。
「いい身分ですわね」
 ジェシカの横を通り抜ける前にかけられた言葉に、コレットは驚いて肩を震わせる。
 声の主を見れば、先ほどまで王妃を見送っていたと思っていたジェシカは、まっすぐにコレットを見据えている。
 鋭い眼差しがコレットを貫いていたかと思うと、ふっと口元だけをゆるめた。
「今回の件、あなたがうらやましいわ。『惚れ薬』のおかげで、今の立場があるわけですものね」
 それがなければ、コレットがこうして王家の別荘に招待され、王妃と散策を楽しむなどということはありえないと、ジェシカは言外に匂わせた。
「薬の力がなければ、バード公爵はあなたのことを見向きもしなかったでしょうに」
「それは……」
「自分が本当に選ばれたなんて、そんな勘違いをされているのかしら」
 ずきんと、コレットの胸が痛んだ。
 それは、コレットの中にいつもあったことだった。
 フィオンを信じたいと思っていた心が揺らぐと、彼を好きだと思う気持ちが悲鳴をあげる。ギュッと胸を締め付けられるような痛みがコレットを襲った。

 信じている。
 信じていたい。
 フィオンの言葉すべてが、薬のせいだなんて思いたくない。
 でも……。

「コレット」

 名を呼ばれ、コレットははっと声のした方視線をむけた。
 バークリー侯爵夫人と話をしていた王妃が、コレットを呼んでいる。
「……失礼、します」
 ジェシカに頭を下げると、コレットはその場から逃げるように王妃の元へと急いだ。そんなコレットを、ジェシカは今度は何も言わずに見送る。
「まあ、どうしましたの? お顔が真っ青でしてよ」
 近付いてきたコレットに、王妃は驚いたように声をかけると、コレットの顔を優しく両手で包んだ。
 涙が出そうになり、うまく声がでないコレットに、王妃は優しく微笑む。
「やはり疲れさせてしまったのですね。彼女も一緒に私の別荘へ行きますから、一緒に馬車に乗って行きましょう」
「体調が悪いときには馬車の少しのゆれも気になりますでしょうけれど、すぐにつきますから少しだけ我慢してくださいね」
「はい。ありがとうございます」
 王妃とバークリー侯爵夫人に促されて、コレットは馬車へと乗り込んだ。
 少し離れたとはいえ、じっとこちらを見ているジェシカの気配が感じられ、コレットはそれだけで落ち着かない気持ちになる。
 
 馬車が通りすぎてその姿が見えなくなると、ジェシカはふいっと視線をそむけてもと来た道を歩き出した。
 誰もいなくなったその場所。
 そこから少し離れた茂みの中から、一人の男が姿をあらわした。
 体についた草を払うと、今ほど馬車が通り過ぎていった方向を見つめる。

「あれが、コレット・マカリスターか」






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