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11.懇願
 中庭を抜け、王宮の裏手へとフィオンとコレットは足を進めていく。
 散歩道として白い石が敷かれた道のまわりに植えられた木々は、心地よい風をうけさわさわと涼しげな音を立てていた。それに合わせ、木漏れ日が石畳の上でちらちら揺れる。
 フィオンの腕に手を添える形で、コレットは彼の隣を歩く。
 これではまるで恋人同士の距離だと、コレットは小さくため息をついた。
 しかし、一度フィオンにとられた手を無理やりはなすことは、さすがにためらわれた。

 それにしてもと、コレットは先ほどのことを思い返す。
 いくらなんでもおかしくはないだろうか。
 どうして、誰もフィオンとコレットが一緒にいることに疑問を持ってくれないのか。
 もちろんそれは、王妃がそういう人をこのお茶会に招待しなかったというのが一番の理由であるのだが、コレットはそこまでの社交界での勢力図などは知るべくもない。
 コレットはちらりとフィオンの横顔を見る。
 コレットの歩調に合わせてゆっくりと歩きながら、にこやかに王宮を案内しているフィオンがコレットには一番わからない。
 コレットに知らされたくらいである。『惚れ薬』のことを当事者であるフィオンが知らないはずはないと思う。
 それなのに、どうして自分から進んでコレットに近づいてくるのだろうか。
 バード公爵位をもち王弟でもある彼は、いわば『選べる』立場の人間である。あえて『惚れ薬』で好きになってしまったような女性を選ぶ必要もないし、なんといってもバード公爵家とマカリスター男爵家とでは身分がつりあわない。
 それだけ薬の効果が強いのであればまわりの人間が止めるだろうに、王妃を始めとして彼の行動を強く制止する人がいないのは、どう考えてもおかしいと思う。
 考えれば考えるだけ、なんだかコレットは腹が立ってきた。
 どうしてみんな平気な顔でいられるのだろう。
 王弟に薬が盛られた。その事実だけでも大変なことなのに、どうしてここでは当事者であるフィオンを筆頭に、そんなことを気にする様子さえないのだろう。
 庭を案内されていたコレットの歩調が遅くなったのに気づき、フィオンはおやっと振り返る。
 可愛らしい眉根を寄せ、コレットは何か考えているようだ。
「どうしたの?難しい顔をして」
 フィオンの問いにはっとしてコレットは顔を上げた。
 やはりここははっきりしておいたほうがいいと思う。
「公爵。あの……」
「フィオン」
「えっ?」
「そう呼んでといったよね」
「それは……」
 確かに聞いたけれど、そんなおいそれと呼べるものではない。
「……公爵?」
「……」
「バード公爵」
「……」
 どうあっても返事をしてくれないらしい。
 全然聞こえてないように視線をはずすフィオンに、コレットは困ってしまう。
 名前を、やはり呼ばなくてはいけないのだろうか。
 大きく息を吸って、覚悟を決める。
「フィオン……さま」
「なに」
 にっこりと微笑んで、フィオンはコレットを見た。
「お話があります」
「話?」
「はい」
 真剣な表情のコレットに、フィオンは少し考えたような表情をした後、裏庭の方に視線を動かした。
「それじゃ、少し座ろうか」
 そういうと、フィオンは視線の先にある東屋へとコレットを促した。
 背中に手をあて、フィオンはコレットを裏庭の東屋へといざなう。
 東屋は、王宮の裏に広がる花の庭園をちょうど見渡せる場所にあった。白亜色の石作りの東屋にはまわりに壁はなく、庭を楽しむためにつくられたものだ。
 東屋のなかにあるベンチに、二人は腰を下ろした。
 やわらかな春の風が、東屋の中まで花の甘い香りを運んでくる。
 
「フィオンさまは、お嫌ではないのですか?」
「何が?」
「何がって、薬のことはご存知なんですよね?」
 自分が惚れ薬を飲まされたことを。
「ああ、そのこと」
 あまり気にしている様子もない。
「平気なんですか?」
「まあ、びっくりはしたよね。いきなりだったし」
 びっくりって、そういうレベルの問題ではないと思うが。
「いいんですか?私と一緒にいても。私、すっごく嫌な女かもしれませんよ?」
「どんなふうに?」
「えっ?」
 そう切り返されると思っていなかったので、口ごもる。
 例えば……。
「薬の効果をいいことに、フィオンさまのこと独り占めにしたり……とか?」
 フィオンには婚約者候補がたくさんいる。それなのに、身分の低い女性がフィオンを独占することは、バード公爵家としてはよくないのではないだろうか。
 もちろんマカリスター男爵家も貴族の一員である。庶民というわけではないのだから、公爵家との縁談もまったくありえない話ではない。だが、王弟である彼には他にふさわしい女性がたくさんいるのは確かなのだ。
「困るようなわがままをたくさん言ったりとか」
 惚れた弱みに付け込むことなど、この状況では難しくない。
「嬉しいよ」
「えっ?」
「君が僕を独り占めして、そしていろんなわがままで僕を振り回す。そうなってくれたら嬉しい」
 本当に嬉しそうに微笑まれそんなことを言われたら、いったいどうすればいいのか。
「で、でも、私が薬を飲ませた張本人だったらどうするんですか。犯人の思惑通りになってしまいますよ?」
「そうなの?」
 コレットの顔を覗き込むように見つめる。
 なんだか目が楽しそうなのは気のせいだろうか。
「……違いますけど」
 くすくすとフィオンは笑う。
 もちろんフィオンには、まわりから言われる前からコレットが犯人でないことはわかっている。 
 いくらなんでも、人を見る目はそれなりにあるつもりだ。
 自分の敵となるか味方となるか。
 それが分からなければ、この貴族社会を乗り越えていくことなどできない。
 味方のような顔をして、その実その人物が一番気をつけなければいけないことなど珍しくない。
 そう、フィオンが望むと望まざるとに関わらず、彼を担ぎ上げ王へと望む者たちのように。
「君でよかった」
 つぶやくように言われた言葉。
 その言葉の意味に、コレットはえっ?とフィオンを見る。
 フィオンのまっすぐな瞳がそこにはあった。
 
 フィオンにも、コレットが不安になる気持ちはわからなくはない。いや、良識ある令嬢あるのならばそれは当然のことなのだろう。
 彼女のことを思えば、一緒にいないほうがいいのかもしれない。
 それでも、彼女を欲しいと思ってしまった。
 それは自分のわがままだ。
 今日の茶会は、自分がコレットに言い寄っているのだとはっきりとさせるためだった。
 一緒にいても、それはバード公爵であり王弟でもある自分のわがままなのだと知らしめるためのものだ。
 それによって、コレットがフィオンにまとわり付いているのではないことをはっきりさせ、彼女の立場が悪くならないようにとの配慮だった。
 義姉もにこやかに協力してくれたが、それが何か裏があってのことだとフィオンにはわかっている。
 いとこでもあるディアナとは長い付き合いである。
 祖父である前バード公爵の計らいにより、ある意味本当の兄弟である兄よりも一緒にすごした時間は長いかもしれない。
 そんな義姉が、コレットを何がしかに利用しようとしていることは分かっているが、それでも王妃である彼女がコレットの後ろにつくことには大きな意味があった。
 
「僕が好きになったのが、コレット、君でよかったと思ってる」
 コレットの手をとり、今度ははっきりとフィオンが言った。
「僕のことが嫌いかな」
「えっ?」
 急にそんなことを言われても。
 困ったことになったとは思ったが、コレットはまだフィオンを好きだ嫌いだというほど、彼のことをよく知っているわけではない。
「君のことが好きなんだ」
 真剣な表情で熱っぽく見つめながら、そっとコレットの指先に口付けを落とす。
「僕のことが嫌いでないのなら、君を好きでいることを許して欲しい」

 だめだと言えばよかったのかもしれない。
 エリサが言っていたように、一緒にいることはお互いのためにならないとはっきり言えればよかったのかもしれない。
 でも……。
 自分をまっすぐに見つめるエメラルドの瞳は、切ないほどに一途な目で自分を見ていた。
 きっと自分よりも、フィオンの方が苦しい表情をしている。
(そう……なんだ……)
 本当に苦しいのは、自分の方ではない。
 薬を飲まされたことにより、一番辛いのはフィオンではないのだろうか。
 たとえ、自分から進んでコレットを口説いているようでも、あふれるほどの好意を向けているとしても、それは本来彼が望んでいたことなのだろうか。
 今、それを彼に尋ねたのなら、きっと自分の意思だと答えるだろう。
 でも、それは薬のせい。
 やはりそうなのだと思う。
 薬のせいだと割り切って、ここで拒絶の言葉を言うことができればどれだけ楽なのだろう。
 『恋』という魔法にとらわれてしまった彼は、例えどんな拒絶の言葉を吐いたとしても、コレットを責めたり、マカリスター男爵家に圧力をかけたりはしないのだろう。
 コレットがどんなことを言っても、アンリのいうような不興を買うようなことはないかもしれない。
 会わない、ただそれだけでコレットはここから逃げることができる。
 でも、本当にいいのだろうか?
 コレットの拒絶の言葉は、どれだけ鋭い刃となって彼を傷つけることだろう。
 それは逃げる場所のない彼に、本来負う必要のない痛みを与えることになる。
 それはきっと、自分が婚約を解消されたときのような、いやそれ以上の痛みを。
 そうなることを、彼が望んだわけでもないのに……。
 お互いのことを冷静に考えれば、ここで断ることが正解なのだと思う。
 でも……。
 真剣な表情で自分を見つめるフィオンに、コレットは首を横に振ることができなかった。

 困ったように自分を見ながらも、拒絶の言葉を口にしないコレットにフィオンは再度請う。
「僕が君の側にいることを、どうか許して」
 フィオンの言葉に、コレットは促されるようにこくりと頷いた。
 その反応に、フィオンは嬉しそうに微笑む。
(なんだか、子供みたい)
 今をときめく王弟殿下は、物腰柔らかで、人当たりもよくて。バード公爵位を継いでからは、その華やかな容姿もあいまって女性たちの間ではかなりの人気をはくしているという。
 パーティーなどで見る彼とはまったく違う、少年のような表情を見せるフィオンに、コレットはしかたないなといった風に微笑み返した。
 王弟に薬が盛られた。
 それだけでもとても大変なことなのに、まるで本当に好きな人が側にいるかのように幸せそうに微笑むフィオン。
 どうせいつかは薬の効果は消えるのだろう。
 惚れ薬が本当にあったのなら、王家の力をもって解毒薬をつくるのもそう大変なことなのではないかもしれない。
 それまでは、どうやらもうしばらくフィオンのわがままに付き合うしかないようだ。
 微笑んだコレットを見て、フィオンはまぶしそうに目を細めた。






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