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明石二種第一学校蹴球戦記 作者:豊住耕一
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第四種接近遭遇

「メイド喫茶だ」

岩崎という男は一年生のとき委員会で一緒になってからずっと嫌いだったし、今も嫌いだが、その一言には胸がときめいた。仁科真奈美の心の中に抑え付けられている少女趣味が呪縛を無視して「やろう」と口に出しそうになった。着たいし。フリフリ。

「みんな可愛いし、パスタとコーヒーなら利益率高いから、がっつり稼いでキーグロ代を稼ごう」

やっぱりこいつ嫌いだ。

明石二種第一学校女子蹴球部の財政難の原因は一に低く抑えられている部費だが、なにせ卒業後は就職が三分の一を占める二種学校のこと、家庭の経済水準も低いためこれを値上げすることは不可能である。そして仁科は認めたくないが原因の二はキーパグローブ代である。

仁科真奈美はロクなゴールキーパではない。しかし部には仁科真奈美以外のゴールキーパがこの一年半いない。したがって、仁科真奈美は正GKである。この正GKの守備能力を少しでも上げるために、部費から2試合毎に新品交換する最高級のプロ仕様キーパグローブ代が払い出されている。なお、昨年は失点率からこのグローブの性能は有意に確認されており、これを取りやめる選択肢は存在しない。ボールが手に吸い付くようで、値段と性能の比例を感じさせる。とはいえ、自分にダメ出しされているのも当然なのでおもしろくない。

もうひとつ気に入らないのは「みんな可愛いし」という一言である。このキモオタデブメガネはこの後に及んで早口でみんなにいい顔しようとするのである。練習の時のように率直に言ったらどうか。可愛いのは仁科真奈美である。みんなではない。

「先輩メイド服着ましょうよ」

「いや」

日村香苗が白瀬に言ったがにべもなく断られている。

「仁科とスカーレット、椛沢は当確として、萌絵に聡美、響子も着れば6人揃うから三交代制敷けるね」

栗原が言った。

「私嫌ですよ」

椛沢が拒否した。

「じゃあ真央ちゃん」

自分が勘定に入っているのは当然である。めちゃくちゃ背が高いが変化をつけるという意味でアリシアもいいだろう。強敵椛沢が消えるのは誠に好ましい。こいつの二つ装備したリッタータンクは自分が絶対勝てない強力な武器である。

「翔子なんで私も着ることになってるの」

「部長だから」

「椛沢は着ろ」

岩崎がノートから目をそらさず言い放った。何か計算してるみたいだ。

「金が必要なんだ。お前がいれば売り上げは上がる」

「いや」

そうだった。金が必要なんだった。実に認めたくないが、椛沢がいれば間違いなく稼げる。いやこの際ギャル代表名寄、ノーマルタイプ前原と色々なバリエーションを揃えてガンガン稼いだほうがいい。

家計を任されている貧乏人、仁科真奈美は金に厳しい。金のためには我を抑え込むことができる冷静さを持っている。

「いいよ」

真央が答える。真央の本体は月の周回軌道上にあって、地表の端末にダウンロードされていないプログラムが必要なときは通信を挟むから処理に時間がかかるのだ。

「私着ないからね」

優理絵はまだ抵抗している。監督!お前が「優理絵、お前のメイド服姿が見たい」と言えば優理絵は例えパンツが見えそうなミニスカのメイド服でも着るのだからなんとか言え!お前気づいてないわけないだろ!勝つために戦え!

心の中で直接語りかけたが、島津裕也は自動改札機の方がまだ表情があるだろうという無表情で推移を見守っていた。

「なんで嫌なの」

「安いメイド服スカート短いから」

「タイツ履けばいいだろ」

「そういう問題じゃない」

なんでそんなこと知ってんだ、と思ったが、そういうことなら話は早い。自分もパーティグッズの安いサテンのメイド服なんか着たくない。可愛いのがいい。

「わたし作るよ。岩崎くん。お金出して。生地買うから」

「いいぞ。いくらだ」

すんなり岩崎は承諾した。

「一着5桁くれたら全力を尽くす」

「俺のなけなしの全財産はたいても一着しか作れないだろ」

ダメか。岩崎が誰を好きなのかわかればそいつをダシにするんだが、マジで分かんねえ。キモいからそんなこと気にしたことがなかった。汐音か?汐音かな?

「汐音のちょー可愛いくてスカート短いちょっとえっちなメイド服姿みたいと思わないの?」

「え?」

「スカート短いなら着ない」

汐音がなんか変な声を出して、ゆりーが拒否する。

「俺を風俗に金をつぎ込む男扱いするな」

「ちょちょちょちょ……二人とも、ストップ。ストップ」

部長に止められた。

「真面目に考えよう?」

「真面目に考えてますよー」

小学生みたいに岩崎が反論する。

「メイド喫茶ならパスタ500円コーヒー100円で暴利を貪っても行けますね。客単価600円です。部屋にぎっちり卓詰めて36人を1時間3回転。4時間で25万9千円」

「25万」

「きうせんえん……」

部長が目を丸くして、汐音の魂が抜けていくのが見えた。

シーズンで約50試合に出ることになるが、2週間に一回の交換ペースならここ一番というときに緊急で新品を投入することを考えても楽勝で年間のグローブ代が稼げる。

なんて素晴らしいんだ。

「でも600円は足が出ますから、ひとつ200円のおやつをなんか二種類作って売りつける」

「43万2000円だね」

思わず口に出してしまった。岩崎、やはり天才ではないか。きっちり払いたいという人間の欲望を突いている。200円を二種類というのも心憎い。

「が、これは所詮机上の空論。全員が1000円を払い高回転を維持できるわけじゃねえからな。おみやげとして500円のおやつも用意すればいいだろ」



岩崎という男はバカである。そう評価されても仕方ないと思う。まず、とにかく周りを考えない。思いつきをそのまま口にする。そして無視できない反発があると、それをブルドーザのように踏み潰して相手が嫌になるまで執拗に攻め立てて合意か離反をもぎ取り、やりたいことをやっていく。

端的に言って、異常である。堀場真也はコーチの岩崎をそう評価していた。

が、問題はその岩崎が言い出したことがたまに本当に上手くいくことである。顕著な例として、自分がゴールキーパコーチを務めるこの部には「ノック」と呼ばれる練習が存在する。選手の中には「連投になるから肩を休ませよう」という理由でスタメンから外される者がいる。念のため記すと、フットボールを行う蹴球部である。

此度の高尚な提案がどう転ぶかわからなかったが、自分の相棒である少女、仁科真奈美はいたく嬉しそうにしていた。本人は隠しているつもりのようだが、丸わかりである。初めて会った時はこんな女の面倒を見なきゃならないのかすぐに辞めようと思っていたが、上手くなることに喜びを覚えるらしく、その機微を掴むことに成功したので、もう数ヶ月この仕事を続けていた。

自分はフットボールの経験者ではない。どちらかというと武道が専門だ。でもまあ、大勢が出入りする家の都合上、いろんなスポーツがテレビで観戦されていたのでフットボールも一通り見ている。

仁科真奈美という少女は端的に申し上げて、お笑いゴールキーパである。が、堀場には一つだけ彼女の長所が見える。

重心がぶれない。これは心も身体もだ。どんな時でも平静、というわけではない。だが上下に揺れても前後左右には決してぶれない。だから自分の飛びたい時に飛びたいように跳ぶことができる。それだけが信じられる。

だから堀場はそこを頼りに彼女を育てていた。些細なテクニックが足りないし、ポジショニングが悪い、コーチングも下手だ。この三点を重点的に修正している。

彼女の家の事情は知らなかったが、貧しい上に三人の弟がいる。そして、彼女は家事を任されている。だからバイトにも出られない。けれども大学に行きたいらしく、勉強もしている。そんな少女に「家で調べたり学んだりしろ」と言うことはできないので、自分が学んで噛み砕いてそれを伝え、練習台になった。ビデオカメラを家から持ち出してプレイを撮影し、ビデオを作って渡した。彼女にはプレィの良し悪しがわからない。自分にもわからなかった。だから少しずつ理解して、少しずつそれを伝え、少しずつ良い方向に動かしてきたつもりだ。数ヶ月で劇的に上手くなるものではない。それでも、くだらないファンブルや取りこぼし、自分で自分の視界を奪ってしまうようなコーチングはなくなってきたように思える。

そんな仁科が練習を終えたとき言ってきたことには驚いた。

「堀場くん、このあと予定ある?」

そもそも、予定を聞かれたことがない。お疲れ様ありがとうさようならがデフォルトだ。ウチに帰ってメシ食うが、と言ったら、さらに驚くべきことを言った。

「わたしの家で食べない?というか、ご飯作ってくれない?」

事務室前のピンク色公衆電話で家に電話をかけて待っていると着替えた仁科がやってきた。いつもは結い上げている髪を解いたら、腰まではあるかという長さになっているので驚いた。自転車の車輪に巻き込まないのかと思ったが、鮮やかにまとめてバカでかいクリップで止める。なんで最初からそうしなかったのかと思う。

暗くなった道を自転車で駆け抜けて、御徒町の「すべてが揃う安売り店」初芽屋に着いた。買うものはカゴに入れて待ってて、絶対お会計しないでね、と言われたのでメモに従いその通りにして待っていると、別の店で手芸用品を買い込んだらしい仁科がやってきた。お互いの持ち物を交換すると、クレジットカードで決済したので驚いた。

「ポイント貯まるから」

まだ自転車で少し走って19時に仁科家についた。ものすごく揺れて怖いエレベータで7階に上がり扉を開けると「姉ちゃんご飯まだ」の声が響いたが、自分の姿を認めると即座に不平が消えた。

「ここ台所。どう使ってもいいから。わたし片付けるから。食材も好きに使っていいから。なんかわかんなかったら弟に訊いて。デカイのがヒロキに小さいのがタカキ、もう一人ユウキが帰ってくると思うごめんあとよろしくあ、6人分ね」

そう言って仁科は襖を閉めてしまい、取り残された堀場は仕方ないので買ったものを拭いて冷蔵庫に入れ始める。呆然と二人が見ているので「ヒロキコメを研げ、タカキ俺と同じようにしろ」と言ったら、黙って動き始めたのでやれ一安心と思ったら仁科が再び現れた。

ハイネックのセータにショートパンツという出で立ちだったが、そんなことより妙に透けたタイツが気になり目のやり場に困ったのでハイネックを見つめることにした。すると「自分で編んだの。だからメイド服ぐらいへいきよ。基本ワンピースとエプロンだから。安心して。タカキに火と包丁はダメ」と言うので、そういうものかと思い、晩飯の支度を進めてしばらく経った頃、事件は起きた。

「ただいま」

断じて仁科の弟のものではない声がした。6人とはやはりそういう意味かと思い、次にいやすでに話を通してあるのかも、と思ったが、その男が現れ目が合うに至ってその予測が願望に過ぎないことを思い知った。

身長は自分と然程変わらない。体重も自分の方があるだろう。だが、逆立った髪の毛と太い眉毛、殺気立った目、真一文字に結ばれた口とその上に蓄えられた口髭、何よりも隙が微塵も感じられない佇まいを前に戦慄した。牛島辰熊の再来かと思えるその男は、仁科真奈美の父であった。

仁科正行はまず真奈美を呼びつけて「どんな理由があってもお客さんに晩御飯の支度をさせてはいけない」と窘めた。それから、弟二人に向かって「こういうときにはもうふたりとも子どもではないのだから、飯を炊いて魚を焼き、味噌汁を作ってお新香を切るぐらいのことはしなさい」と説いた。最後に、堀場の方を見て「娘が大変失礼しました。狭いところですがゆっくりしてください。真奈美の父の正行です。大変申し訳無いのですが仕事帰りなのでシャワーを浴びさせてもらいます」と謝り風呂場に去っていった。

その後、帰ってきた「ユウキ」を交えて6人で晩飯を食べてさっさと撤退することにした。仁科正行は大変気さくな人柄で、真奈美のつけた熱燗を手酌で呷りながら話しかけてくれた。無言のままだったらどうしようかと思ったがそうではなく、酒飲みの相手は慣れているので世間話をした。

が、笑顔と鋭い眼光と共に質問されたときは背筋が凍りついた。

「真奈美はどうですか。父親の私からしても良いゴールキーパではないと思うのですが、少しは良くなりましたか」

岩崎のように舌先三寸で世渡りする能力があればどんなに良かったろうと思った。

「仁科は、教えたことに忠実なので、良くなっていなかったら自分の責任だと思います」

ここでいい、と言ったのだが、仁科が下まで送ると言い張るので共に家を出た。ドアが閉まるとき、仁科に見えないように「牛島辰熊」が手刀を切る様子が妙に印象に残った。それから、街灯に輝くハイネックの白さも。

結局、その甲斐があったのかなかったのかよくわからないが、ともかくメイド服は完成し、その出来に仁科は満足した様子だったので良かったと思う。自分から見ても良い出来だった。

他にもいろいろあったが、文化祭が終わったときに、岩崎が嬉しそうに公式球を増やせること、それからもうキーパグローブ代の心配がいらないことを告げた。その時の仁科の表情は、今までのどの表情よりも、特別に見えた。
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