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明石二種第一学校蹴球戦記 作者:豊住耕一
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野良犬の日

岩崎高成の仕事は多岐にわたるが、その一つが練習メニューを考えることだ。前原に監督を打診された時にコーチなら引き受けると言ったその少年は、島津が監督を引き受けたその日の放課後にコーチを約束通り引き受けた。その後島津と二人で話し合い、意向を受け止めると、深夜までパソコンに向かってメニューを作った。朝のコンビニで打ち出して登校し、昇降口で出会った前原にそれを預ける。島津に渡すよう頼んでおくと、前原は快く引き受けてくれた。自分で渡しに行かなかったのは、他のクラスに行くのが嫌いだからだ。

岩崎に対する島津の注文ははっきりしていた。「初戦で勝ちたいが、点を取れる見込みがあるのは白瀬しかいない。したがって白瀬のシュート本数を多くしたい。長期的にやりたいこともあるが、今はとにかく週末の開幕戦に勝つことを優先する」。二学が同じだった岩崎は白瀬のシュートの恐ろしさをよく知っている。男子のゴールキーパが白瀬を練習に呼んでいたほどだ。白瀬が人に当てやすい性質を知り尽くしたそのキーパは、2人を立てて、ボールが来たら躱させることでブラインドコースへの対処を練習していた。

したがって白瀬に点を取らせるためには、人に当てないでもらえるようにするしかない。ゴールを無人にすることが理想だが、それは不可能であるから、とにかくボールを彼女に集めることを優先する。数を打たせて点をもぎ取ろうということだ。

その明快な方針と「長期的にやりたいこともあるが」の一言から意図を汲んだ岩崎はやりとりを続け、練習メニューの骨格を作りあげていった。

完成した練習メニューでは、とにかくパスとそのカットに重点が置かれた。だが、ティキ・タカではない。よくあるティキ・タカを目指すチームでは、ワンタッチでボールを回す円を作り、中にカット担当の選手が入る練習を行ったりするが、岩崎はそれを最初から考えなかった。行うべきは白瀬美波にパスを集中させること、そして白瀬美波にシュートを打たせることだからだ。華麗なパス回しでスペクタクルなフットボールを見せることではない。

精度の高いパスであることも大事だし、速いパスであることも重要だが、それは最重要事項である白瀬美波に渡せることに比べれば低い。もちろん何でもかんでも白瀬に向かって蹴ればいいというものではなく、どう経由して白瀬に繋いでいくかを考えなくてはならない。しかしいきなりそんなことを言っても練習にはならない。

同時に考えなくてはならないのは守り方だ。比喩表現を除けば点が取れなかったから負ける、ということはない。点を取られたから負けるのだ。守備の要たる椛沢優理絵に絶大な信頼を寄せているらしい島津も、手を打たなければならないことを理解している。

センタバックである椛沢の仕事は色々あるが、もっとも大切な仕事は「シュートを打たせないこと、打たれたとしてもそれがキーパに行く前に阻止すること、そして阻止できないのであればキーパが捕球可能な種類に収めること」である。この点について椛沢の仕事は信用でき、それでも失点しているのだから、問題は椛沢以外の守備にあるとみて良いだろう。なお、部長である朝長響子はさすがに上手く、椛沢に比べればあらゆる意味で見劣りするが、他と比べればかなり良いので問題ない。

さらに島津は先日のプレーオフを見た感想として、ゴールキーパである仁科真奈美が致命的に下手であること、ドブレピヴォーテを形成する前原汐音が対人守備に弱く身体の当て方が下手で、おまけに運動量が足りないことを述べた。岩崎も二学からよく知る前原のことなのでこれはすぐに理解した。とはいえ前原には白瀬からプレースキッカの座を実力で奪った努力の可能性がある。他はもっとひどいそうだし、そういう期待が持てるほど知らないどころか、岩崎には顔もわからない。

ともあれ、仁科と前原、この2人をなんとかしないことにはチームの芯の部分が固まらず、守備の崩壊を免れないということで2人の意見は合致した。

ゴールキーパ、仁科真奈美に関してはキーパコーチをつけて基礎からやり直させることにして、前原ほかフィールドプレイヤには白瀬に確実にパスを供給し続けること、同時に椛沢と朝長を最大に支援することーーつまりフィニッシャたる敵フォワードへのアタッキングサードにおけるボール供給を阻止すること、この2点を実現する練習を行わなくてはならない。試合までの二日間で。そして前日にキツい練習をさせて体力不足に陥ることは避けたかった。

練習の目的が点を取って勝つことならこの2点を実現する練習、というのは目標である。この目標のいいところは、二つの小目標がうまく矛盾していることだ。つまり、攻め手と守り手に分かれて練習するとどちらも自動的に達成できるため、時間資源を有効活用できる。片方はアタッキングサードのフォワードにボールを集め、もう片方はそれを阻止すれば良い。あとは、具体的にどう練習を作っていくかだ。

前原から監督の打診を受けていたから、突然降って湧いた話でもなかったので岩崎は帰宅すると2時間の練習のプランを考えた。これは島津が「練習は45分集中してやって、15分の休憩の間にフィードバックを行い、もう一度45分やって解散にしたい」という意向を示したからだ。試合時間と同じだけなので短い気もするが、島津はまだ暑い日が続くので無理をさせたくないと言う。走らなくても勝てるほどこのチームは強くないからだ。それは理にかなった意向だったので汲んだが、実現すべき目標のために強度の高い計画を練った。

さらに、自分たちが選手の資質を見極め、開幕戦の作戦立案に有効なデータを取得できるように目論んだ。先日のプレーオフを自分は見ておらず、控えの選手は島津も見ていない。この練習の中で選手達の資質を見抜けるはずだ、岩崎はそう考えた。



その努力の結晶を一瞥して島津は決めた。「このままだと岩崎が選手に嫌われて終わる」。前原に預けたのはかなり危険な行為だった。内容が先に漏れるとかなりよくない。現に前原は怯えた様子だったので「見た?」と訊ねると「少し」と答えるので、「秘密ね」と言っておいた。それから、練習は準備があるから16時半から2時間やると伝えておいた。

改めてメニューを見て、これはなんとかしなくてはならないと気を引き締め直す。昨日初めて話した時からキレる男だと思ったが、この斬れ味は抜き身の刀だ。守るべきものも斬ってしまう、という人間をはじめて見た。が、問題に対してそれを発揮すれば見事に斬れるとも思えた。自分が理想を伝えたら一晩で細かく詰めてある。何かをさせるだけでなく、どこを評価してどう変化させるかも考えている。もちろん全てのプランが事前に用意されている、というわけではないが、全体的に高い水準で、見事なものだ。

とにかく準備が昨日の予告通り大変そうなので、ホームルームが終わったところで汐音に話しかけ、部長と話したいから部長だけ早めに来てもらうことはできるかときいたら、引き受けてくれた。

昼休みに島津は岩崎と相談した。見事なプランだが、これをいきなり素人に言われたら皆キレる。だから俺が深川選抜でやっていた基礎トレーニングとして始めるのはどうか、週末勝ったら種明かしをすると岩崎に言うと、岩崎はすんなり頷いた。それから、いくつか細かいところを調節した。

放課後、汐音に指定された西昇降口に行くと、黒い髪をセミロングに伸ばした三年生が待っていた。「島津君と、岩崎君だよね。よろしくお願いします。部長の朝長です」とその三年生が頭を下げる。そこに汐音がやって来て自己紹介を済ませると、練習場に向かった。明石二種のホームスタジアム兼練習場である明石蹴球場は、首都高速道路都心環状線沿いにあって、学校からはかなり距離がある。一度戻るもの面倒なので、帰り支度をして四人は学校を出た。

「あのね、練習の間は三年生も呼び捨てでいいからね。敬語も使わなくていいから。三年生には昨日のうちに言い聞かせてある」

いきなり朝長が口にしたので驚いたが、助かった。これは引き受けたものの大きな懸念点だったからだ。

実際に部員が揃うと島津は端的に自分と岩崎、それから急遽キーパコーチとして呼び出した堀場真也という男を紹介した。

ゴールキーパコーチに誰かいないかと考えたとき、堀場はすぐに候補になった。堀場はあらゆるスポーツに精通していて、特に武道に詳しい。皆がなんとか武道の授業に島津が参加できるようにするために試行錯誤していた去年、寝技主体の高専柔道の導入を提案したのが堀場だった。その人間の身体構造を理解している知識は、ゴールキーパコーチとしても役立つのではないかと考えたのだ。

一昨日の夜、堀場家に電話をかけると今から来いと言われたので、町工場である堀場家に出向いて事情を説明した。堀場は話を聞き、言われたことをやることはできると返し、とりあえずのキーパコーチを引き受けてくれた。 堀場は家柄、他人に対する態度には安心できるし、仁科は我慢が効くような性分ではないとクラスメイトとして知っていたので、しばらく二人でやっていてもらおうと決めた。

堀場が仁科とともに立ち去ると、すぐに島津は説明を始めた。「俺はまだひと試合しか観ていないからまだわからないこともあるから、まずはどんなものかはみたいけど、一方ですぐに試合があるので、それを踏まえて練習をしていきたい。先日の試合では守備はよくできていたと思うが、やはり早い時間帯に点が取れて、ああいう締まった守備ができるのが理想だ。なぜ点が取れないかというと、それはストライカが打ちやすい位置でボールをもらえないことにあるように見えるから、そこをまず改善していきたい。自分の経験から、パスを上手く出していく練習と、逆に効果的にそれを遮断する練習を小さなところから始める。それから、少しづつ大きなところへ広げていきたい。45分やってフィードバックを行い、もう45分やる中でミニゲームに結果的になっていくと思う」。

島津は岩崎と手分けしてビブスと昨晩堀場が作ってくれた腕章を事前の予定通りに渡した。これが練習の鍵となる。

準備運動を済ませると、すぐにボールを使ったトレーニングに移った。最初はビブスも腕章も関係なくパスを回すだけだが、回す順序や回した後の動きが重要だった。基礎技術がない部員はちょっと妙な動きをしているとすぐにパスの精度が落ちるから、これをあぶり出そうというのだ。

途中からビブスを活用したりすると45分。ほぼノンストップで走り続けた部員を休ませながら、15分の休憩時間に岩崎と自分のメモを見ながら修正ポイントを指摘していく。足先の技術をどうこうを責めても無駄なので、どこを見るべきか、どう身体を振るべきかを抑えていった。

次の45分では、ビブスと背番号、腕章を使って、複雑にターゲットを変えつつボールを集中させたり、それをカットする練習を取り入れ、最後は10分ハーフのミニゲームを行なった。1軍のGKは岩崎にやらせて、戦力の均衡を図る。頼んだら「デブはGKと相場が決まってるからよ」とすぐに引き受けた。105分にわたる練習が終わると、部員は全員疲れ果てていた。

次の日は軽くボールを回してゲームして終えるだけだったが、前日の夜は岩崎から要求された全選手の所見を書きまとめる事に費やした。その日の夜は試合のプランの作成と岩崎および堀場から上げられた所見を確認するのに追われた。

リーグ開幕戦はホームで18:00から始まった。白瀬をワントップに置いて、左右に日村と佐原を置いた。中盤の底には前原と木村、そしてアンカに有賀を配した。怪我から回復した三河と栗原を左右に、中央は椛沢朝長の黄金コンビ、ゴールキーパは他に人がいないので仁科である。

かなり守備に偏っていることは認めなくてはならないが、島津にはこれが最善と感じた。プレーオフでワントップを張っていたアリシアはワントップに求められる動きがほぼできず、高さで勝負するにも拙かったからだ。ベストメンバを揃えて守備的になるのなら致し方ない。正直満足な体制ではなかったし、これほど逃げ腰で良いのかと思ったが、終わって見れば降格組を2-0で打ち破っており、白瀬は得点ランキングで単独トップに立っていた。
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