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明石二種第一学校蹴球戦記 作者:豊住耕一
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イスタンブールを忘れるな

15歳の夏、島津裕也は優秀なピヴォーテだった。ピッチ上の監督として、俯瞰する視点を持っているかのようなプレィを武器に、深川選抜を都大会準決勝まで導いた。だが、その少年は決勝に駒を進めた後、第一のフットボール人生を終わらせることになった。

少年は準決勝の帰り道に意識を失い、それから雪のちらつく自己推薦選抜資質検定の前日まで、病室に閉じこめられることになった。

夏の終わり、医師が「もうフットボールはやめなさい」と言ったときのことはよく覚えていない。冷静なプレィで名を馳せた少年が取り乱すことも荒れることもなかったが、塞ぎ込み、原因不明の発熱が何日も続いた。幼馴染の椛沢優理絵は面会を断られる日が続いた。様子の良い彼のもとには他にも何人もの少女達が訪れ、そして断られて去っていった。しかし、椛沢は根気よく通い続けた。

秋が深まったころから、リハビリをはじめ、初期化された体躯の再起動に取りかかった。島津はひたすらリハビリに励んだ。リハビリを描写するときにつきものの、血の滲むような努力という言葉がふさわしいものだった。脚を再整備して、日常生活に復帰させることがこれほど大変だとは思わなかった。医師は若いからすぐ回復すると言ったが、少年にとってはすぐではなかった。その苦痛は少年にフットボールの道が閉ざされたことを強制的に理解させ、眠れない夜が続いた。眠れない夜は、発熱の昼を引き起こし、せっかく戻りかけた筋肉は、ちょうちょむすびにした紐を引いたときのように簡単に解けた。

そうして一進一退を繰り返す島津のところに椛沢は通った。椛沢は島津の話を聞き、きかれたことに答えた。フットボールの話はしなかった。島津はよく読んだ本の話をした。その内容はほとんどが外国に出て活躍した日本人の話だった。警察官でありながら領事として家族とともに香港に赴任した男。その香港を経由してインドに渡り、インドからロンドンまでバスを乗り継いで行こうとした青年。アフリカの地に一人趣き、その地で中央銀行の総裁として活躍した元軍人。そこにはフットボーラとして海外に渡りたかったという心があるのかもしれないと思い、椛沢はその話を静かに聞いた。それは悲しい時間でもあり、椛沢にとっては認めたくはなかったが、喜ばしい時間でもあった。深まる秋の中、二人きりで彼の話を聞いていることは幸せなことだった。

椛沢は受検勉強と称して一教科につきノートを四冊作った。一冊は予習をして授業中に板書を写し、先生の発した細かい言葉を書き取った。二冊目はそれを整理して整えた。三冊目と四冊目にはそれを写した。二冊あるのは島津にノートを渡すと、連続性が保てなくなるからだ。完全なノートが二冊作られた。

何度かノートを忘れて困ったことがあり、椛沢は修学旅行の時に使ったボストンバッグにすべてのノートと教科書を詰めて登校するようになった。それを担いで毎日走って登校したので、もともと健脚だった椛沢は身体の成長に伴う不利を押しつぶしてさらに俊足になった。

島津は一学を卒業したら就職すると決めた。島津裕也はフットボールに人生を賭けていた。私立の学校に進むことも、遠くのクラブチームに行くこともなかったが、今までの島津には金がかけられていた。父とは大学に行かないことを前提に投資して貰っていた。約束は守らなければならない。もちろん一学三年間分の投資資金はあったし、賠償金と保険金が懐に転がり込んだが、それを大学に行くために使う気にはなれなかった。いつか歩けなくなるその日がくることを恐れていたからだ。

椛沢はクリスマスイブの病室で、島津から決意を聞いた。初めて事故に触れたその会話の中で、島津は足を自ら取り戻すために手に職をつけたいと語った。それは医療の道ではなく、工学の道であった。今となって思えば、それは島津の気質、つまり正当さを問わないというところの表れだったのかもしれない。

師走の黄昏に包まれた病室で、二人は明石二種への進学を決めた。そもそも以前から椛沢はそこに進学するつもりだったし、それを島津に伝えていたが、「お前が進学するから」と言ってくれないことに不満を感じはしなかった。

京橋区立明石二種第一学校は、商業科、通信科、情報科、電気科そして機械科を擁する二種学校である。島津は、その機械科で機械と制御を学ぼうというのだった。椛沢はその想いを受け止めたが、それなら大学に進学すべきだと考えた。だから、フットボール尽くしで学力の足りない二人だから明石二種で実績を作り自己推薦で大学進学する、という見せかけの案を作り出した。12月26日生まれの彼女は誕生日プレゼントにその承諾を要求し、島津はそれを飲んだ。だが、彼女の本当の計画はずっと前に動き出していた。

島津が退院すると、椛沢は努めて知らないフリをして過ごした。挨拶は交わしたし、無視もしなかったが、連れ立つこともしなかった。自分に頼っているという構図を島津が望むとは思えなかったし、自分もそう思ったからだ。

それから一年以上、椛沢はそうして過ごした。もちろん、互いの誕生日は祝ったし、ヴァレンタインディやホワイトディは、窓越しに交わした。けれども、病室にいた頃のような支え方はしなかった。そうすることでかつての状況に、島津裕也が輝いていたころに環境を近づけていった。それは島津自身が望んでいるはずのことであり、椛沢の目的のためにも必要なことだったからだ。

ただ一度だけ、椛沢は想いを抑えられなくなったことがある。卒業式が終わったあとのことだ。亀戸四番第二学校の正面入口にあるトロフィーケースの前で、島津が泣いていた。堪えていた涙が溢れ出した、という具合だった。そういうことをしてはいけないと、何度も自分に言い聞かせて来たはずなのに、後でどう思われるかとかそういう歯止めが、その時の椛沢優理絵にはまったく効かなかった。幼いころに手を繋いだり鬼ごっこをしたりして以後、ほとんど手を触れたことのない島津の身体に触れ、胸元に収めた。顎を柔らかな髪の上に載せ、自らの心臓の鼓動を彼に聞かせた。そしてまだ残っていた詰襟の第二ボタンを問答無用に奪った。そのボタンは、今も椛沢の勉強机の引き出しにある。



背番号が4になったのに特に理由はない。空いている一桁の番号が4と8しかなくて、8は好きではないし、一桁が欲しかったので4をもらっていいかと聞いた。誰も意を唱えず、朝長響子の明石二種における背番号は4になった。

朝長は幼稚園の頃からフットボールに親しんでいる。二人の兄の影響で自分も始め、幼い頃は男子の中で戦ってきた。あまり自己主張が強くないのでセンタバックにされたが、それを楽しんでいた。所属していた地域のクラブチームは強くなかったから、防戦一方になることが多く、それが朝長のディフェンダとしての素質を磨いた。

三学の時に祭り上げられ生徒会長になり、二学でもやった。あまりおもしろくなかったので一学ではやらないと決めていたが、一年の夏に今度は女子蹴球部の副部長にされ、三年の春には部長になっていた。

最初のシーズンは冬移籍だった。二学の部活は完全にやる気がなかったので、さっさと一学に上がりたかった。3部から2部に上がったばかりの明石二種に入ると、すぐにレギュラになった。それぐらいプレーオフでまぐれ上がりした明石二種は弱かった。朝長は必死に守った。最初のシーズンは命からがら2部に残留成功して、夏移籍で上がってきた同期の出来にも絶望した。

センタバックの栗原翔子とウィンガ河野優奈はまだなんとかなったが、サイドバック三本聡美も当初は悲惨な出来だったし、同じサイドバックの北嶺優香里、そしてウィンガ佐原恵は今でも悲惨だ。部活の良くないところは下手だと出られないため、向上心のない人間は下手なままで、そして前にそのポジションが収まっていた人間がいなくなると、自動的に下手なまま出られてしまう。別に佐原も北嶺も人間としては悪くない、大事な友達だがプレィは別だ。こりゃ来年は3部だぞと覚悟していた冬、化け物じみた後輩が入ってきた。椛沢優理絵である。

179cmの高さに、速い脚、そして量も質も明石二種の基準を凌駕するその後輩に朝長は文字通り度肝を抜かれた。特にタックルの切れ味は抜群で、後ろからスライディングして、ノーファウルでボールを奪い取るその技術には舌を巻いた。この子と二人でやれば守れる。そう思い、守って守って守り抜いた。元々自己主張しない気質はここで役に立った。椛沢の指示に従うと決め、彼女を助けるために走った。練習を教えてもらい、身体の入れかたや、タックルのやりかたを教わった。小柄でも空中戦の勝率を上げる術も教わった。その甲斐あって、2部での残留に成功した。

二年の夏が来ると、椛沢を化け物じみたと表現するなら怪物そのものの後輩が登場した。当然すでに入学しているわけで、待っていた移籍だったが、一緒にプレィするとその強さが何倍にも感じられた。白瀬美波である。問答無用で背番号7を獲得した彼女は、守るしか能のない明石二種に、点を取るという重大な機能を追加した。

原付を追い抜くとまことしやかに語られる速度と、鍛え上げられた肉体から放たれる強烈なミドルシュートで、文字通り相手のゴールキーパやディフェンダを打ち倒した。相手がその直撃を恐れて逃げ腰になった無人のゴールに余裕でボールを入れるという極悪非道の攻撃戦法で明石二種は二部の中位を維持した。あまりの恐怖に3部の下位チームなど総崩れになり、都知事杯の5回戦までは大量得点で勝ち上がった。白瀬と椛沢の他にも何人もいい子が入ってくれたのが大きかった。

2部の上位とは歴然とした差があり、昇格は望めなかったが、都知事杯ならまだ希望はあると田坂監督は的を都知事杯に絞った。結果、準々決勝で敗退はしたが来季のガールズリーグ、関東の第2集団とも言える学校が雌雄を決する戦いに繋がるプレィオフへの参戦権を手に入れ、これも怪物の一撃と化け物じみた後輩の奮戦で勝利した。

来シーズンは三大会に参戦することが確定した喜びもつかの間、卒業生たちが引退し、名実共に最上級生となった朝長は最大の問題に立ち向かうことを余儀なくされる。

監督がいない。

前任の田坂は定年退職後長年明石二種の監督をしてきたが、家庭の事情で前シーズン終了後、福島の実家に帰ってしまった。

新しい監督のツテはなく、そもそも趣味でやってくれていた田坂監督は無給でたまに激安店で焼肉を奢ってくれる聖者だった。顧問の笹本友梨は黄色と黒の縦縞をこよなく愛しており、オフサイドがわからない英語教諭である。残念ながら監督にするなら朝長の弟の方がまだ役に立つという水準だ。体育教諭はすべて他の部活にかかっており、男子蹴球部の三島監督には日程が被るので頼めない。

カネもなければコネもない。なにせ部の保有する公式球が一つもないので、朝長と白瀬、椛沢そして新一年生有賀の私物、しかも旧版を使っているような財政状況なのだ。監督料など出やしない。万事休す、最悪わたしか優理絵ちゃんにプレイングマネージャを、と思っていた時、その椛沢が言い出した。

「島津なら監督ができるかもしれません」

島津裕也という名前は知らなかったが、それなりに有名らしい。一つ下の学年に足が悪い子がいるのは知っていたが、その子がまさかフットボーラだったとは思わなかった。

もちろん資質は疑問だった。だが他ならぬ椛沢が言い出したことでもある。一方家が向かいの幼馴染という80年代のマンガみたいな設定の二人でもある。まさかとは思うが、単に自分の男を部活に連れ込みたいだけということもありえる。

けれども怪物も「あ、島津くんか。プレィ見たことあるけど、上手いよね」と言い、おそらく一番のフットボールオタクであるゴールキーパ仁科真奈美も「あたまよさそ」と言う。上手さと監督としての資質は別なのではないか、とも思ったが、ドイツ代表はフォワードに率いられて三位になったという事実もある。

ポストとクロスバーに精度の高いフリーキックを蹴る中盤の底の二年生、前原汐音が持ってきた「村上くん」という案も気になったが、もうなんだか二年生のコネがすごいのはわかったので任せた。ダメそうなら自分がお引き取り願うからあとは任せるよ、と言って、結論を受け入れることにした。

次の週、後輩たちは昼休みに彼と交渉し、了解を得てきた。後輩の指揮下に収まり、新シーズン、朝長響子の最後のシーズンは始まった。
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