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この作品には 〔残酷描写〕 が含まれています。

白骨覗くその過去は

作者:多軌トヲル
 

 かんかんかんかん。

 重い足取りで階段を昇る。あちこちが錆び付いた金属の音、軋む金板。手すりの塗装は白いペンキが剥がれて中がむき出しだ。
 こんな状態で放置されている階段の強度は大丈夫なのだろうか。いささか不安になるが、大家が知らぬ道理がないのだから、あえて知らぬふりをしているのだろう。
 なにしろ大家は、月に二度は趣味の家庭菜園の成果を店子に配りに来るのだ。見ていないわけがない。
 くすんだ臙脂色のトタン屋根を見上げて、私はため息をついた。築三十年越えの二階建て、おんぼろがついてもおかしくないアパートは私の住処でもある。
 へこみや足跡がある床のコンクリート。雨風にさらされて染みや変色を起こしている壁。引けば仰々しく鳴りながら開くドアは、足元に近い部分の色が剥げている。
 当初はもっとまともな部屋を探していたが、いかんせん懐事情と言うのっぴきならない事態によって決めたここ。すぐにでも出ていくつもりでいたのに、居心地がよく三年が経ってしまった。
 このアパートの六室すべてに借り手がついている。やはりどんな建物であれ、安ければ借りる者は多いのだろう。その中の一人はもちろん私だ。以前住んでいたマンションとは大違いだ。木目調のフローリング、システムキッチンから見えるリビングに夫婦の部屋と子供部屋。それが今では1K。
 すべてが変わった。
  マンションは家族世帯が多かったせいか朝と夕方が賑やかだったが、ここは日がな一日静かである。せいぜい住人が出入りをする音ぐらいだ。良く言えば閑静な場所である、悪く言えば、ひとの気がない場所だ。だが、静かなここを私は気に入っている。誰にも干渉されない生活は、解放感に満たされる。
 何度か、離婚届の判を捺せと迫ってきた妻が言うには、

――気味が悪い。

 だそうだ。端整な顔をしかめ、部屋に案内するまで不満を小さく呟いていた。ぼろアパート、足元が悪い、陰気な感じ、なんだってこんなところに。艶やかに彩る朱色で飾った唇が、そんな言葉をこぼしていたのが印象に残っている。
 私が家を出ても、妻は変わっていないようだ。そのことにほっとしたのか、落胆したのか、今の私は覚えていない。
 恋愛結婚だったが、いったいどこからずれてしまったのだろう。互いに進む道は重なりあっていたはずなのに、いつの間にやら離れ、平行になっていた。それも、よく見れば先に向かうほど距離が開く。

  かんかんかんかん。

 ああ、そうだった。妻が歩いていたときは音が違ったな。

 か、かん!

 と、鳴っていた。高圧的に踏み鳴らし、背後からくる威圧感。妻はヒールを履いていた。黒色の、踵が高いヒール。爪先から足を落とし、それから踵を降ろすものだから音が響く。翌日階下の一人から苦情が来た、夜勤明けには堪えた音らしい。
 あの靴はなんだったか。覚えているのは、子供が一緒の時は履かない靴だった。ヒールが高いと、子供がいる時は困ると笑っていたのが遠い昔のことのようだ。
 ころころと笑う姿が頭をよぎるも、どれもこれもすでに過去のものとなっている。妻は平均的な女性より背が高かったせいか、声は少し低めだった。その声が子供を叱るときは甲高くなるものだから、子供と一緒に私も肩を震わせたことがあった。男同士だったためか、なにか通づるものがあったらしく、こっそりと目を合わせて笑ったものだ。
 そしてそのときの声で、私は離婚を言い渡された。

 差し込みの悪い鍵穴は、ほんの少しコツがいる。最初のひと月は苦戦しながらドアを開けていた。いつもの通り、ドア横の白いプラスチック製のポストを覗く。入っていたのは相変わらずダイレクトメールの類いだが、……その単色刷の広告の間に、一通の茶色い封筒が入っていた。
 思わず顔をしかめる。いよいよ裁判所からの出廷命令だろうか。妻のことだ、離婚を突っぱねる私に実力行使に出たか。嫌々その封筒を取り出してみれば、差出人は妻の実家だ。ついに実家まで巻き込んだのか。夫婦間の問題だというのに辟易してくる。
 そもそも私は離婚をしないとは言っていない。私が判を捺さないのは、ただ単に金銭的な問題だった。
 慰謝料としてマンションと幾ばくかのまとまった金を渡すことは予てより決まっていた。その他に養育費だ。その養育費の桁が世間一般からほど遠い金額だったのだから、おいそれと頷けるわけがない。
 離婚をしないとも、金を渡さないとも、養育費を支払わないとも言っていない。親権すらも諦めた。なのに妻は強欲さとも思える強かさをもってして、要求してきた。
 共働きで、結婚をし子供が生まれてもお互い職は辞していないし変わってもいない。子供の預け先で困るような歳はとうに過ぎた。鍵っ子にさせてしまうのは子供に申し訳なさを感じてしまうが、生活に苦慮しない減額を申し入れても悪くないだろうに。こちらにだってこれから先の生活があるのだ。一人暮らしの支度金に慰謝料はけして小さな額ではないのだから。
 いったい、妻は何が気に入らないのか……。

 ぎいぎいと耳障りに鳴かせながらドアを開けた。遅れて少しカビ臭い風が鼻に来た。妻が脱ぎ捨てた、黒色の踵の高いヒールのわきに自分の革靴を並べる。このヒールを彼女の自宅に送るべきか、それともまた押しかけてきたときに返すべきか悩み、大事ならばそのうち返せと乗り込んでくるだろうと見当をつけて、結局そのまま放置している。
 板の間の狭いキッチンを占拠する横長のテーブルの上に、広告と一緒に封筒を投げる。ガラス障子を引けば、色褪せた畳が出迎えた。隅に朝に畳んだ布団が座布団と一緒にあり、向かいには引っ越した当初からそのままの状態の段ボールが重なっている。困ったことに一人暮らし時代の無精が再発したらしく、服を入れるラックを買う気にもならずそのまま利用してしまっている。それがまた妻の気に入らないことでもあるらしい。
 しかも、その段ボールの置いてある壁に貼ってあった世界地図は特にお気に召さなかったらしい。大きな、それこそ学校の授業で黒板に貼るような特大サイズの世界地図は私のお気に入りなのに。
 中央にミニテーブルを置いて、その壁を眺めながら晩酌をするのが密かな私の楽しみなのだ。
 だと言うのに、あくる日訪れたとき、妻はあろうことかその地図を無理矢理剥がそうとしたのだ。少しざらついた塗装が屑となって床に落ちる壁に、爪を立て剥がそうと躍起になっていた。ちゃんと、真っ正面から、きちんと目を合わせて、眺められるように、苦労して貼ったのに。
 とっさに妻の肩を掴んだ。妻の急な行動に加減なんてできなかったが、指先が、食い込む肉の感触を伝えた。あたたかく、やわらかいその肉体はあっけなく傾いた。勢い余って床に倒してしまった気まずさに一瞬体がすくんだが、小さな悲鳴と共に痛いと訴えた妻の目は、私を苛烈に責めるものだった。畳の上に投げ出された妻のしたい。爪先、そこから続く細い足首、すらりと伸びた足。細皮のベルトの時計がはまる腕は生白い。あの子はもっと黄色くくすんでいた、黄色の混じったオフホワイトの白さ。
 後はもう、どうにでもなれという心境だった。お互いの不満が爆発して、小さな六畳一間の部屋にヒステリックな罵りあいが響いた。きっと右隣と階下には丸聞こえだっただろう。角部屋だったことだけが幸運だった。
 やがて妻は吐き出すだけ吐き出したのか、真っ赤に(、、、、)なった顔に、肩をいからせ、来るときに被っていたグレーのボーラーハットを引っ付かんで駆け出した。後を追う気にはならなかった。足音が聞こえなかったことに首を傾げてみれば、妻はヒールを履くのももどかしかったのか、それともそこまで気が回らなかったのか、どうやら素足のまま表へ出てしまったらしい。
 それ以来、妻はここに来ていない。あれから二年は経っている。

 倒れた妻の姿は、未だもってして鮮やかな幻影で目の前に現れ私を悩ませる。見開かれた目、投げ出されたしたい(、、、)、細い足首、生白い腕。腕時計は止まっていた。
 子供はどうしているだろうか? ちゃんと食事を摂っているだろうか? 学校ではうまくやっているだろうか……。気にしたところで、私にはもう関わることなどできないのだ。
 そうっと深く息を吐いて、私はのろのろと晩酌の準備を始めた。買ってきた惣菜に酒の缶、場所を整えた居間のミニテーブルの上に置く。
 そして静かに、あの世界地図を捲るように外していく。ゆっくりと、仰々しく、それはある種儀式のように神聖な行いだ。接着面からぱらぱらとこぼれ落ちる壁材が、妻のことを思い出しささくれだった私の心のようだ。きれいに丸めた地図を脇に立て掛け、儀式がつつがなく終わったことに満足げに頷く。台所から妻の実家の手紙を持ってきて座る。酒を飲みながらは行儀が悪いだろうが、ここには妻も義実家の人間もいないのだからいいだろう。
 ふと、壁に目を向けると、あの子が不満そうにこちらを見ていた。すまないと言うように視線を向けて、私は苦笑する。あの子はいつもそうだ。食事の時も晩酌の時も、自分以外に気が向けられるのが気に入らないらしい。だからといって声を荒げることもない、いじらしい、しおらしい意思表示。
 すぐに終わらせるよと短く言って、手早く手紙に目を通す。当たり前のような挨拶から始まった手紙、しかしすぐに切り替わった内容に私は目を瞠る。

――どうかしたの?

 隣から、気遣わしげな幼い声が聞こえた気がする(、、、、)
 私は眉尻を下げて、困ったような表情でそちらを向いた。壁の向こうから、少し黄ばんだブラウスに、胸元の色褪せた赤いリボンが見える。どちらも痛み、砂埃にまみれ、ほつれや破れが目立っていた。心配そうに少し傾いた頭には、綺麗に咲いた桃色の花飾り。私が贈ったそれは、この()のお気に入りだ。
 その花飾りの下に隠れるように、娘の頭蓋骨には穴が開いていた。それも綺麗な円形ではなく、大小様々な尖りが縁取る小さな円。まるで、何かで殴られたかのように歪な穴。その中身は存在せず、ぽっかりと空洞が広がっている。
 地肌はざらつき、くすんだ黄色が混じったオフホワイト。まっすぐに私を見つめる真っ黒な二つの空洞。永久歯にはえ変わっているであろう口の、小さな歯並びが規則正しい。
 この部屋の同居人であり、私の新しい (こども)

 娘に気がついたのは、偶然の産物だった。この建物の年数、経年劣化した壁、そして地震。
 帰宅したとき気がついた壁のヒビ。割れた隙間の暗闇。その薄暗い向こう側から見えたのは、黄色く変色した()だった。
 好奇心から壁を少し崩してみれば、大きさと服装から、子供とおぼしき白骨死体がそこに現れた。
 砂埃にまみれざらついた表面に手を触れてみれば、それはひやりと冷たくて。
 そっと頭蓋骨を抱き寄せてみれば、何かが欠けてぽっかりと広がった心が満たされていく気がして。
 表面を滑らせた指の先は、かつて人であった痕跡は何一つ残っていない。
 ぴたりと、手に吸い付いてくる感触。その、今まで直に触れたことのない感触に、我を忘れて撫でていた。

 なぜ埋まっているのか。
 この子はいったい誰なのか。
 どうして骨になっているのか。
 私はどの疑問にも答えがでなかった。

 そして私がしたことは、警察に届けることではなく――娘を、綺麗にしてやることだった。
 表面の汚れを払い、布で丁寧に拭きあげる。それが本来の色に戻ったときには、日付が変わっていた。
 それから私は娘の回りの壁を綺麗に整えて、普段はその姿を誰にも見せないように地図で隠した。捲ればすぐに、娘の上半身が私を出迎えるようにして。
 かいがいしく娘の世話をやきながら過ごすうちに、妻のことはどうでもよくなってしまった。子供にはどうしているだろうかと気になることがあるが、それでも以前のような、父親としての義務感は驚くほど薄くなった。

「ああ、たいしたことじゃないんだよ。ただね、お父さんの奥さん……妻がね、子供と一緒に行方不明らしくてね。その妻のご両親から、何か知らないかって連絡だよ」

 困ったねえ、と呟けば娘の機嫌が直った。かわりに、()の機嫌が悪くなる。
 娘のとなりに、娘と同じように上半身だけを露出して埋まっている、大きな大人の白骨が、カタリと動いた気がした。

「ここに住みはじめてから、私は妻と連絡を取っていないのに……どうしたものか」

 私は新しく生まれ変わった妻に、困ったように視線を向けた。

 黒い二つの空洞。
 瞳のない小さな穴。
 綺麗に並んだ小さな歯。
 娘より一回り以上大きい頭。
 後頭部の小さな穴を隠すボーラー。
 私を責めるように睨み付ける二つの穴。
 壁に埋まっている腕の、時計は止まっている。

 最近になってようやく(、、、、)表に出られるようになった妻は、酷い癇癪持ちだ。
 私は娘と、新しくなった妻を見つめてうっそりと微笑む。

――君が悪い。

 あの黒々とした空洞を向けながら、妻はそう言っているようだった。

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■□■□■

 元々は短編の連作として考えていたものなので、回収されていない部分があります。
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