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麻耶雄嵩を読んだ男 密室荘

作者: 二丁

麻耶雄嵩「メルカトルかく語りき」収録作、「密室荘」のパロディです。

「密室荘」読了の上で読まれることを強く推奨します。

麻耶雄嵩を読んだ男 密室荘


 こんな状況だが、私は暢気に本を読みふけっていた。慌てたところで何かが変わるわけでもない。最後のページをめくり、溜息を吐く。カフェインが欲しい、カップを手に取ってから中身が空になっていることに気づいた。

 あいにくここには世話を焼いてくれる使用人などいない。仕方なく、私はソファを離れた。読み終わった新書をローテーブルに放り出す。麻耶雄嵩の「メルカトルかく語りき」だ。

 湯を沸かしながら、私は思考する。何とも奇妙な偶然だが、私は今先ほど読み終わった小説と似たような状況下に置かれていた。けれどもそこに見立てや何かの意図が介入しているとは思えない。あの小説は今日出版されたばかりのものである。

 私は二丁健司という。T県警捜査一課所属の警部だが、ここ数日は久しぶりに休暇を取っている。大きな事件に片がついたのでゆっくりと羽を伸ばそうというわけだ。課長もこころよく書類に判を押し、送り出してくれた。

 今私が滞在しているのは、二丁秋保が所持している別荘だ。名前を“密室荘”という。奇妙な偶然だ。

 二丁秋保は私の年の離れた弟だ。年は先日二十歳になったばかり。一応T大学に籍をおいているのだが、現在は休学中だ。不動産やだった両親の残した遺産を一人で相続しているので(私は両親と折り合いが悪く、雀の涙ほどの遺産も受け取ることができなかった)ふらふらと高等遊民のような生活を送っている。この“密室荘”も相続した遺産の一つだ。頭は悪くなく、むしろかなり切れ者なのだけれど、性格が悪いのが難点だ。おまけに自意識過剰で自ら“名探偵”などと名乗っている。

「言うじゃないか、僕がいなけりゃ自分の尻も拭けないくせに」

 気がつくと、秋保が背後に立っていた。私は鼻を鳴らす。

 長身の私に似ず、百五十センチほどの小柄な体型。黒い髪を女の子のように肩まで伸ばしていて、ワイヤーのように堅そうだ。ぼろぼろのジーパンに黒いYシャツを合わせて、丈の長いコートを前を留めずに羽織っていた。彫りが深く、日本人離れしている。綺麗顔立ちだとは思うるのだが、どこか不均等でバランスが悪く、刃物でぐちゃぐちゃにしてやりたくなる。

 あまり大きな声で言えないことであるけれど、私は自分の手に余る事件が起きると秋保を捜査に引っ張り込み演算資源を有効活用させていた。そのおかげで幾つかの事件を解決させることができている。私はプロセスをあまり重視しない人間なので、あまり後ろめたさは感じない。規則やプライドよりも自分の睡眠時間の方が大切だ。

「ちょうどいい。僕にも淹れてくれ」

 秋保は言いながら、隅の冷蔵庫を覗いた。ブラックで、とこちらを見ずにつけ加える。

「淹れるのはいいが」と私。「何か考えは浮かんだのか?」

 さてね、秋保はそう言いながら果物を囓った。



 私たちが死体を見つけたのは、三時間ほど前の話だ。前夜深酒をしていたせいもあり、目を覚ましたのは正午少し前だった。痛む頭をいたわりながら、ベッドを降りる。寝間着のまま居間へ降りた。

「おはよう、健司君」

 秋保は既に起きていて、アームチェアを激しく揺り動かしてた。どうしてこうも落ち着きがないのだろう。

「宿酔いのようだね」

 そうらしい、と答えて私は玄関口に向かう。郵便受けを確認すると注文しておいた本が届いていた。笑みを浮かべながら居間へ戻ると、包みをいそいそと開ける。

「ああ、そうだ健司君」秋保は椅子から飛び降りる。「きみが寝ている間に面白いものを見つけたよ」

 なんだ、と聞き返しながら包装を破く。手についた粘着テープを丸めてゴミ箱へ投げた。

「死体だよ」

 ああそう、どうでもいい。今忙しいんだ。

 と言いたいところだが、そうもいかない。

「死体って。人間のか?」

「当たり前だ」

 秋保は小さな胸を張った。「首にロープが巻きついていた。どう見ても他殺だね、あれは」

 おあずけを食らった形になったが、しぶしぶ腰を浮かせた。案内するように秋保に言う。どうしてこうも魔が悪いのか、自分の不運を呪う。せっかくの休暇だというのに。

 てっきり屋外につれて行かれると思っていたのだが、秋保はキッチンへ私を導いた。キッチンの隅の床板は外せるようになっていて、開けると地下室への階段が現れる。

「おい、外じゃないのか」

 秋保は答えずに、階段を下りた。私も慌てて後に続く。地下室は湿気が溜まっていて、何とも言えない温い空気が充満している。もともとは倉庫のようだが、今は何も入れられていない。

 天井からは裸電球がタッタ一つぶら下がっていて、狭い室内を照らしていた。秋保が黙って指を差す。その男は、部屋の中央に仰向けになって転がっていた。年は二十代半ばくらいだろうか、背は百七十センチ程度。太ってはいないが、極端に痩せているわけでもない。面長で尖った顎に細い眉。その他のパーツは苦悶の表情のためはっきり判らない。失禁しているらしく、股間の辺りの床が濡れている。階段には垂れた跡もなかったので、ここで殺されてことは間違いなさそうだった。

「死んでいるのか?」

 そう口にして、妙な既視感を味わった。気のせいか?

「見れば判るだろう」

 秋保は死体に近づいた。「簡単に調べてみたが、死亡推定時刻は昨夜の二時から三時、というところだろう」

 私も近づいて、死体を検める。まず脈をとり、瞳孔を確認。それから死斑や硬直の具合を調べてみる。秋保の見立てに大きな狂いはなさそうだ。司法解剖をすればもっとはっきりするだろう。

「お前が殺したのか?」と言うだけ言ってみる。

「まさか」秋保が肩をすくめる。「それは言いがかりですよ。刑事さん。証拠はあるんですか」

「こいつは誰だ?」

「さてね、僕も知らない」

 私は記憶を検索したが、該当する知り合いないし業務上の関係者がいないように思えた。

「身元不明か、面倒だな」

 私は天を仰いだ。「何か身分を確認する物は持っていたか?」

「あいにく。携帯電話も財布も、ないね。強いて言うならその腕時計くらいか」

 被害者は右手に腕時計をつけていた。高価なブランド物ならまだ望みがあるが、大量生産の安物。これでは辿りようがない。

「泥棒か、強盗の類だったのかもしれんな」

 それはどうかな、と秋保。

「健司君の部屋以外の場所はすべて確認してみたが、どこも物色された形跡はなかった。きみの部屋はどうだった」

 私は記憶をほじくる。

「いや、俺の部屋も無事だと思う」

 となると、どう考えるべきか。

 秋保がすでにやったようだが、私は今一度地下室を検めた。薄く床に埃が積もっているが、軽暖から死体までの間は乱されていて有意の足跡は検出できそうもない。これといった遺留品も見つからず、私たちは一度地下室を出ることにした。

「とりあえず、コーヒーを淹れてくれ」

 秋保は図々しく私を使う。逆らっても疲れるだけなので、私はやかんに火をかけた。それぞれのカップを手に今に戻る。

「状況を整理しようか」

 秋保は一口啜る。「僕が起きたのは、健司君より一時間ばかり前だ。何か飲もうとキッチンに行くと、地下室の明かりが点いていることに気がついてね」

 地下室の明かりはキッチンからも操作できるようになっている。スイッチの上にLEDがあり、明かりが点いているときは光る仕組みになっていた。

「気になって、降りてみたんだ。そして死体を見つけた。流石の僕も驚いたものだ」

 それでも僕はまがりながりにも名探偵だから、と要らない枕を置いて、

「すぐに死体と現場を検めてみた。結果は健司君にも教えてあげた通りだ」

 “教えてあげた”と強調する。一々気分を害していてもキリがないので受け流す。

「盗まれた物がないか調べながら、戸締まりも確認しておいた。表裏両方の入り口にはしっかりと鍵がかかっているね。ピッキングに強いシリンダー錠が二つに、遊びのないチェーンが二つ。細工をしたあともなかった。窓も同様だ。すべての窓はきっちりかかっていて何らかの細工をほどこす余地は見られなかったね」

 秋保はぎょろりと私に目線をくれる。「後はきみの部屋だけなんだが、確認させてもらうよ」

 返事を言う前に、秋保はさっさと私の部屋に向かってしまった。頭を掻きながら後を追う。別に見られて困る物はないのだが。

「鍵に問題はなさそうだ」

 秋保は腕組みをしながら言う。機嫌の悪い子供のように見える。

「初めて来たとき調べてみたが、“密室荘”には秘密の通路の類はない。これは疑いようのない事実だ」

「いわゆる密室か」と私。ミステリは嫌いではない。

「何言ってるんだ。これだからきみは」秋保は大げさに天を仰ぐ。「いったいどこが密室なんだ? “閉ざされた環”の中に容疑者が二人もいるじゃないか」

 それは。

「つまり」

 お前か。

「きみか」

 秋保は欠伸一つする。「どちらかが、殺した。そう考えるべき状況だ」



 私は密室荘の内部を徹底的に探索した。けれども残念ながら空振りで、第三者が隠れている痕跡を発見することはできなかった。

「通報は、しばらくしない方がいい」

 提案したのは私だった。

「今通報するのは自殺行為だ。俺たち以外の第三者が関与証拠を見つけてからでなければ」

「そんなもの、出てこない」

 秋保は私を小馬鹿にするように言う。「すべての出入り口には鍵がかかっていて、細工の余地はなかったんだ。僕か、健司君か。この二択だよ」

「お前が殺したのか?」

 違うよ、と秋保は平気で言ってのける。「きみが殺したんじゃないか、健司君」

 私は殺していない。語り手は読者に嘘をつかない。

「俺は殺していない。それは自分でよく判っている」

「僕も以下同文だ」

 コーヒーくれ、秋保はカップを投げて寄越した。

「お前が殺していないと、証明できるのか」

 さてね、と秋保は困った表情を見せる。「きみの方は?」

「さてね、だ」残念ながら、難しい。「自殺ということは考えられないのか」

「自分で絞めた痕とは思えないね。きみもそれには同意しただろう?」

 それはそうだが。

「では事故死は?」「もっとない。いったいどんな状況だ? どうやって彼は中に入ったんだ?」

 秋保はむっつりと考え込んだ。私は、どうにも秋保の思考が読めなかった。自殺と事故が否定され、密室状況がある以上、私にとって犯人は自明である。秋保以外にありえない。けれども秋保の行動は、自ら自分の首を絞めるものばかりだ。

 何を企んでやがる。私は考えることに疲れ、届いた本を何気なく読み始めた。



 居間に戻ると、秋保は椅子に座らないまま、一息にコーヒーを飲み干した。

「“さて”、だ。健司君。解決編といこう」

 秋保はカップを乱暴に置いた。

「自白するのか?」

「そうじゃない。僕は殺していないからね」

「どうとでも言えるさ。必要なのは弁解じゃなく証明だ」

 私も自分のコーヒーに口をつける。「俺を犯人だと指摘するつもりなら、クイーンばりの論理を見せてくれるんだろうな」

「期待に添えないようで悪いが」と秋保。「僕は健司君を犯人だと言うつもりもない」

 その心は?

「まず僕ときみが無実だと証明するところから始めよう」

 できればこれは使いたくなかったんだが、と前置きしてから、秋保はぱちんと指を鳴らした。すると天井から静かに大型モニタがするすると降りてきた。電源が入り、いくつもの分割された画像が映る。密室荘の内部映像だった。

「なんだ、この御都合主義は」私はカップ投げつけたい衝動に駆られた。「こんなものがあるなんて、聞いてないぞ。どこにカメラなんぞ仕込んであるんだ」

 そことあそこ、と秋保が指を差す。慌てて目をやったがよく判らない。

「これは密室荘内部のカメラの映像だ。死角になっているのは地下室だけだ」

「馬鹿にしているのか、こんなもの」

 アンフェアだ。

 だからなんだよ、秋保は不遜に言った。

「ま、ともかく。お互いの潔白が証明できるんだからいいじゃないか。昨夜の映像はきっちり録画されている。現場と死体の状況から見て、死亡時刻は昨日深夜二時から三時、現場はあの地下で間違いがない。これはいいね? じゃ、録画を見ようか」

 ぱちんと再び指を鳴らす。

 昨夜の映像が早送りで流れる。夕食を取ってから、私と秋保は夜十一頃まで居間で過ごした。酒をしこたま飲み、私は部屋に戻り、そのまま眠る。個人の部屋にもカメラがあるので、その様子が確認できる。秋保もそれからすぐに部屋に戻って就寝。翌朝まで変化はない。昼前になって秋保が起きる。証言したとおりの行動を取り、居間に戻った。そこに私がやってくる。

 私にも秋保にも、アリバイは成立するようだった。どちらも問題の時間帯、地下には行っていない。そして被害者を含めた第三者が出入りもなかった。

「さて、これでお互いの潔白は立証できた」

 秋保はいけしゃあしゃあといってのけると、現場に行こう、と言いキッチンへ向かった。

 死体は発見時のまま、地下に残されている。

「結局、どういうことになるんだ」

 私は歯ぎしりをした。「俺でもお前でもない、第三者でもない。自殺でも他殺でもない」

 つまり…………。

「犯人はいない。それが論理の帰結だ」

「じゃあどうして死んでるんだよ。自殺でも事故でもないんだろうがっ!」

 私は思わず死体を蹴った。

「そう熱くなるなよ。論理が答えを示してる」

 秋保は不敵に笑った。「誰もが犯人ではなく、自殺でも事故でもない。これはもう公理だ。世界はこの規則から逃げられない。誰も犯人であってはならないし、自殺や事故であってもならない」

 だから、結論は?

「その規則が絶対なら、死体なんか見つかるわけがない」

「冴えてきたじゃないか、その通りだよ健司君」

 死体などない、それが論理が示す唯一の答えだ。

「あるだろうが、ここにっ!」

 私はまた死体の腹を蹴った。

「そうだね、確かにあるように見える」と秋保。「それだけだ。僕らにあるように見えているに過ぎない。論理は存在を否定している。ここに死体があることは許されない」

 だから、死体などない。証明終わり。


 

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