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最終章に入りました。
若干の性的表現があります。
終章 賢者と呪術師
88 賢者と呪術師 前編 (上)
ユハは手にした刃物を見せ付けるように目線まであげると、ゆっくりとした動きで私の喉元にそわせた。
 しかし、痛みもなければ、刃物の冷たい感触もしない。レーヴィの時とは違う。刃を皮膚に密着はさせていないようだ。脅すように刃をちらつかせたくせに、ユハの手つきはやけに丁寧に感じた。ひょっとして、私に傷をつけるのを恐れているのではないだろうか? もし、そうなら、なんとかなるかもしれない。

「ユハさん………どうしたんですか? いったい何の話ですか?」

 必死に絞りだした声は、滑稽なほどに震えていた。

「私、呪術師なんかじゃありません」
「呪術師でなかったら、君は何者だというんだ?」

 笑顔の奥に潜んでいた獣が、そのするどい牙を剥き出しにしている。冷たい緑の瞳は、目を合わせるだけで、恐ろしく精神を消耗させた。

「ユハさん、言っていたじゃないですか。私が呪術師なら、街でいくらでも好機があったはずだって。あの時私はイサークと二人きりだったし、イサークは剣も持ってはいなかった。私が呪術師なら、そんなチャンスを逃すはずがないでしょう!?」
「そうだね。黒髪の呪術師が殿下のお命のみを狙っているのだとすれば、みすみす絶好の機会を逃すことはないだろう。だが、呪術師の狙いはそれだけではなかったとしたら?」

 抗いもせずに大人しく身をまかせているというのに、手首をしめつけるユハの力は些かも緩められることもなく、その顔には情けのかけらも見出すことはできない。

「呪術師の狙いがシルヴァンティエという国そのものだとしたら?」

 問うユハの声はあまりに静かで、逆に恐怖をかきたてる。私は無言で、ただユハの瞳を見つめ返していた。私の答えなどはなから期待していなかったのか、ユハはかまわずに言葉を続ける。

「呪術師は子供の姿を得て侵入し、わざと囚われ哀れみを誘った。城内に居場所を確保し頃合をみて殿下と接触。そして篭絡。あとは掻き回せるだけ掻き回し、貴族達の離反を招き、国を混乱させた」

 ユハは唇を吊り上げて笑みを浮かべる。爽やかさをどこに落としてきたのかと、問い詰めたくなるような、蔑みしか感じられないその表情に目を疑った。恐ろしさに溢れそうになる涙を、こいつの前で絶対に見せるものかと唇をかみ締めて耐える私の耳元に、ユハは首を傾けてゆっくりと唇を近づける。

「見事な手腕だったね。呪術師殿」

 ぞっとするような冷たい声だった。
 違う………。

「さあ、話してもらおうか。君は誰と手を組んでいるんだ? この国を欲しているのはどこだ?」

 違う………違う………。

「バジェか? キュイか? ツィメンか?」

 違う………違う………違う………

「それともフォルセルか?」

 違う!
 その言葉が耳に届いたとき、私の中で何かが音を立てた。フォルセル、フォルセル、まーたフォルセルか! フォルセルの呪術師なんてのは千年以上前に死んでいるんだよ!

「違うっていってるじゃないですか!」

 逸らさずに見つめていた緑の瞳から視線をはずして俯くと、私は叫ぶように答えた。顎をひいた瞬間に、一瞬、冷たい刃物が皮膚を掠める。しかしそれは素早く退かれて、また一定の距離を保って添えられた。やっぱり………。私は確信した。ユハは私を傷つける事を恐れている。

「いい加減にしてください。大の男が女子供に刃物をちらつかせて。それでも軍人なんですか。貴人を守るはずの近衛が無抵抗の人間を組み敷いて、丸腰の相手に刃を向けるなんて恥ずかしくないんですか!?」

 言いたい事を言うと、私は顔を上げて再びユハを見た。俯いたまま捲くし立てたのは、もちろん顔を見たまま告げる勇気がなかったからだ。
 少し驚いたように方眉をあげて、けれど静かに私を見つめたままのユハに、私は笑みを向ける。

「こんな事をして、イサークに知られたら困るのはどっちでしょうね」

 怖くて少々歪な笑みになってしまったが、仕方がない。
 ユハの話は全てが憶測だ。何の証拠もない。私は呪術師ではないし、ましてや国の転覆など狙うわけがない。証拠などあるはずがないのだから。
 一転して強気に出た私に、ユハは目を細めるとふっと鼻で笑う。

「どうやら、俺はこの剣を使う気がないと思われているらしい」

 え? 違うんですか?
 頬が一気に引きつった。

「使わせないようにしてもらえると、ありがたいがね」

 そう言うとユハは首元から剣を離し、組み敷かれた私の頭の横へと置いた。鈍い光を放つ鋭い刃をチラリと横目で見やってごくりと唾を飲む。

「少し趣向をかえようか」
「えっ?」

 ユハの言葉に、短剣に向けていた視線を戻した時には、緑の瞳が間近に迫っていた。深い森の奥の濃い緑、初夏の新緑の鮮やかな緑、様々な色合いが交じり合った不思議な色彩の瞳に吸い込まれるように見入ってしまう。ゆっくりと近づいてくるそれの中に、惚けたように薄く唇を開けた自分の姿を見つけた時、ハッとして首を捻った。間一髪頬を掠る唇の感触に、ほうと息を吐く。
 危なかった………。

「おや、随分と嫌われたものだ」

 くっくっと喉を鳴らしたユハの呼吸が耳をくすぐったかと思うと、柔らかいものが耳朶をはむ。
 背筋に震えがはしった。
 小さく濡れた音を立てながら首筋におりてきたユハの唇が鎖骨の上の窪みに埋まる。暖かい舌がぬるりと肌の上を這う感触に、嫌悪と屈辱を覚えると同時に、ほんの僅かに快楽を得た気がして、それを否定するために私は激しく頭をふった。ぐるぐると視界が回る。どうしよう。どうしよう。本気ですか? 女に不自由などしてないくせに。口を割らないなら身体にきいてやるってか。そんなことされたら処女じゃないと感づかれるじゃないか。………いやいや、何を考えているんだ私は。今となっては経験があるかどうかなどは瑣末な嘘だ。心配すべきはそこじゃないだろ!

「………っう」

 繰り返し首筋を上下する唇が耳の付け根の辺りを強く吸ったとき、思わず小さく声がもれた。音もなくユハがもらした笑みが吐息となって耳にかかり、かあと顔に血がのぼる。違いますから! 今のは感じたんじゃないからな! こんな状況で感じるようなマゾではないはずなんだ。違うから、勘違いするなよ。このエロ狸。
 かりっと耳をかじり、身体を浮かしてほんの少し距離をとったユハは自身の体重を支えるために使っていた腕を、私の胸元へと移動させる。
 ―――――やはり手馴れている。
 骨ばった長い指が些かのためらいもみせずに器用にボタンをはずしていくのを何故か感心して眺めていた。
 瞬く間に臍上までのボタンをはずし終えたユハの指が無遠慮にシャツの内側に潜りこむ。

「あのっ」

 硬い指先が胸の内側の膨らみをなぞったとき、私は声をあげた。


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