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第二章 偽り
05 偽り (3)
 かくして、年齢詐称はバレていなかった。
 傷の手当てを終えた後、今日は時間も遅いことだし疲れただろう、話は明日にでも、と客間らしい部屋に通された。桶に張られた湯で顔を洗い、タオルを絞って簡単に体の汚れを落とすと、肌触りのいいワンピースのような寝間着を渡される。
 こんな状況で眠れるか! と思っていたのに、ベッドに横になった途端熟睡していたらしい。小鳥の鳴き声に目を覚ましてみれば、空はすっかり白んでいた。自分で思っていたより肝が太かったようだ。

 昼下がりの穏やかな一時、ベッドの上でプリンのような口当たりのいいお菓子を噛みこなして味わっていた。鮮やかな青い色が食欲を削ぐが、味は良い。豪華な部屋に美味しい食事。待遇はとても良い。
 ユハとサウルの意思の疎通が不十分で両者の間に齟齬が生じている。という事態も考えてみたのだが、目覚めてから間をおかずして診察にやってきたサウルが、土産にと持ってきた可愛らしい絵本をみてそうではないと思い知る。いや、幼児じゃないんですけど。それともこの世界では、13才の少女は絵本を読むのが当たり前なのだろうか?
 願ったりの展開なのだろうが、心中は複雑だった。全くモテなかった訳じゃないし、それなりの経験もあるつもりだ。若干凹凸に欠けるとは思っていたが、キャミソール姿を見られて気付かれないなんて、女としてのプライドはもはや粉々だ。
 空になった器に匙を置くと、息を吐いて天上を仰ぎ見た。尋問をされるでもなし、ただぼんやりとベッドで過ごして無為に時間が過ぎていく。これからどうしよう。昨日サウルが言ったように、何をするにも億劫だ。匙を指ではじくと、からんと空しい音がした。

 扉を叩く音に、ふと意識が浮上した。いつの間にか眠ってしまったらしい。窓の外は赤みを帯びた夕刻特有の色に変わっていた。

―――――コンコン―――――コンコン

「………はい」

 一定の間をおいて鳴らされる音に寝ぼけた頭で返事をする。

「サウルです。診察にまいりました」

 男の内面を表わすような静かな声が聞こえた。

「どうぞ」

 寝起きのせいか、術の影響か、随分と体が重い。私が大儀そうに体を起こす間に、サウルは扉をあけて室内へ入ると、ベッドのそばの椅子へと腰掛ける。

「体調はいかがですか?」
「少しだるいです」

 本当はすごくだるいんです。

「そうですか。今しばらく我慢なさって下さい。明日には楽になるでしょう。」

 そう言うとサウルは手際良く脈をとり、傷に薬を塗りながら話しを続ける。

「神官長殿が話を伺いたいと仰っているのですが、よろしいですか? お辛いようでしたら明日にしていただきますが」

 神官長………って何故? 私は初めて耳にする言葉に眉を寄せた。賢者のおかげでもちろん意味は分かる。神職に就いている者達を取り纏める長だ。分からないのは、私に会いに来る理由だ。城を警備している兵達の長が会いに来るならまだ分かる。しかし、神に仕える人間が、私のような不審人物になんの用があるというのだろう。ここの宗教的理由から、御祓いにくるとか、入信を勧めにくるとかならまだいいが、神妙な顔で「最後のお祈りに参りました」なんて言われた日にはたまったものではない。腕をすべる冷たい綿の感触も相まってぶるりと身震いした。
 サウルはみるみる青ざめる私の顔を目にしても、何事もないように、すぐに視線を傷へと移す。

「ご心配なさる事はありません。こちらにいらっしゃるに至った経緯を聞かれるだけでしょう」

 サウルの言葉を信じるならば、最悪の想像は外れているようだが、経緯の説明と言われてもな。その経緯がとんでもないから困っているんじゃないか。私はがくりと項垂れた。
 嫌だなあ。何て言ってはぐらかそう。是非とも先延ばしにしたいものだが、体調万全の時より今の方が好都合かもしれない。話の流れが悪くなれば、具合が悪い振りをして逃げるという手が打てる。
 
「わかりました。お会いします」

 内心の打算をおくびにもださず私は努めて弱々しく頷いた。せいぜい健気な少女を演じるとするか。


 サウルが出て行きしばらくすると2人の男がやってきた。1人はよく覚えている。一際高い長身と派手な緑の瞳の持ち主―――――ユハだ。

「やあ。具合はどうだい? ああ、そのままでいいよ」

 ベッドから降りて、挨拶をしようとした私を、笑顔で押し留める。相変わらずの好青年ぶりだ。
爽やかなユハの隣に立つのは、純白の衣服に身を包んだ、長い金茶の髪に濃い茶色の瞳をもつ男だった。地味な色合いなのに、全くもって地味に見えないのは、その美しい容貌のせいだろう。
 ユハが暖かな春の日差しを思わせる人物なら、彼は厳しい冬の朝を思わせる。澄んだ空気は非情なまでに冷え切り、吐いた息さえ白く凍らせる。訪れを無視して、暖かな布団に包まりやり過ごしたい。そんな、容赦のない雰囲気を纏った人物だった。

「この方は、エイノ=ギルデン神官長だよ」

 ―――――この男が。

「話をききたい」

 そう言って一歩前へ進み出たのは、昨夜、庭園で出会った美声の主だった。夜空の下、ゆらゆらと形を変える松明の明かりで垣間見ただけだが、その美貌は見間違いようがない。
 彼が神官長なのか。勝手に厳めしい老齢の男を想像していた私は驚いた。随分と若い。寿命が短いとか、切実な人材不足とか、実は神官長というのが想像したような地位ではないのかもしれないが、この世界が超実力主義という可能性もある。
 ここは褌を締めてかからなければならないだろう。私は深く呼吸をするとぺこりと頭を下げた。

「………はい。あの………いえ、なんでもありません。よろしくお願いします。」

 怯えてみえるようにと、無力であると分かるようにと、出した声はか細く震えを帯びていた。

「まずは今一度名を確認したい」
「榊恵子………です」
「歳は?」
「………13歳」
「生まれは?」
「………日本です」

 矢継ぎ早に繰り出される質問に間を置いてゆっくりと答える。
 不慣れな発音は難しく、頭の中で言語を変換しなければならない為にただでさえ時間がかかる。そのうえ、迂闊な発言も出来ないとあっては、どうしても返答には手間取った。

 「国名をきいている」

 人の苦労を露知らず、冷たい声が降ってきた。辺境の村の名だとでも思ったのだろうか。
 彼らの来訪を知らされてから、私は迷いに迷っていた。どこまで真実を話し、どこから出たら目で通すべきかを。あまりに嘘八百を並び立てては後々矛盾が生じない自信もなく、13にもなってあれもこれも分からないではおかしい。いっその事、記憶喪失という事にしておけば良かったとも思ったが、万が一記憶を取り戻す魔法があるとお手上げだ。

「国の名前、です。とても………小さな、島国だから」

 あんたが知らないだけよと、言外に滲ませる。

「ほう。それは失礼した」

 すうっと瞼を下げ、皮肉げに口元を歪めたエイノの態度は、誰がどう見ても非礼を詫びている様には見えないだろう。どうやら、お綺麗なのは顔だけらしい。

「何故、昨晩城の中庭にいた?」
「………」

 エイノは早々に核心の質問を投げかける。

「どうやって侵入した?」

 続けざまに質され、私は目を伏せた。室内を重い沈黙が満たす。ユハからも助け舟はやってこない。私は小さく息を吸い込むと、とつとつと話し出した。

「わから………ないんです。どう………して、あんな所に………いたのか。ここがどこなのか。私………何もわからないんです」

 掛布を手繰り寄せて、きつく握りしめる。深く俯き、大急ぎで最後に目にした通帳の残高を思い出した。とうとう6桁を切ってしまった悲しい通帳を。今日の夕食はモヤシ、明日もモヤシ。明後日ももちろんモヤシだよ。食卓を彩る白一食の膳がまざまざと目に浮かぶ。出てこい涙。目頭が熱くなり目が潤みはじめる。よし、今だ! 私はそっと顔を上げると、男を見つめた。

「ここは………何処なんですか? 家に………帰り………たい」

 頭の中で流れる物悲しいBGM。頬を伝う涙。決まった。

「解せぬな」

 しかしエイノは表情一つ変えず冷たく吐き捨てる。目の前の男が一瞬にして白衣の悪魔にしか見えなくなった。お前に人の心はないのか? やはり同じなのは外見だけで、緑色の血が流れているのか?

「………本当なんです! いつも通り、過ごしていただけなのに、私だって、………何が何だかわからない!」

 実際、そうだ。ただ面接に訪れただけだというのに、何故こんな目に遭わねばならないのか。上手い言い逃れは思いつかないし、泣き落としは効かないし、スッピンだし、プリンは青いし! もう散々だ!
 苦心して流した涙は止まる事を知らず、後から後から滲み出ては頬を濡らす。ヒステリックに喚き立てて号泣する様に怯んだのか、エイノは視線を逸らすと、額を押さえてため息をついた。

「埒があかぬ。ニホンといったか。地図を持って来させよう。ニホンとやらが何処か示せ」

 私はしゃくり上げながら頷いた。……………精密な世界地図を持ってこられたらどうしよう。


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