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第七章 無口
44 無口 (13)
 お面男の持つナイフには赤いものが微かに付着していて、それが私の腕から出たものだとすぐに気がついた。弓を射られたと思ったら今度はナイフで斬りつけられるとは、どうなっているんだ。あの弓もこの男の仕業だったのだろうか?呆然として動けぬ私の腕をレーヴィが強く引いた。腕を回して胸の中に納められる。

「逃げます。合図をしたら走ってください」

 耳元で小さく囁かれ、返事の代わりにレーヴィの服を掴んだ。

「行って」

 いつの間に手にしていたのか。小石のような小さな物体をレーヴィはお面男めがけて投げつける。キンッと弾かれる音がした時には、私は後ろを向いて走り出していた。薮を掻き分けがむしゃらに進む。肌蹴たローブから薮に着いた水滴が入り込み服を濡らしていった。水を含んだ服が体に纏わり動きを阻む。重い。けど、膝丈で良かった。私はこの時心底子供服に感謝した。これが足首まであるスカートならもうとっくに動けなくなっているだろう。
 むき出しの足を、薄く鋭い葉が引掻き、低木の枝が容赦なく肌を裂いていく。斬られた腕は熱く痺れ、もう痛いのかも分からなかった。進む内に背後から薮が擦れ合う音がして、徐々に近づくその気配に恐怖に駆られて振り返れば、レーヴィの顔を見つけて安堵のあまり涙が滲んだ。しかし直ぐにレーヴィの顔に浮かぶ焦りを感じ、振り返ってしまった自分の失敗を悔やんだ。

「振り返らずに走って」

 そう、レーヴィが叫んだ時にはレーヴィの背後の薮から銀色のお面が、そのある意味不気味な姿をあらわしていた。

「レーヴィさん。後ろ」

 レーヴィが素早い動きで体を反転させるのと、お面の男がナイフを振りかざすのは、ほぼ同時の事で、

「レーヴィさん!」

 私の悲鳴に重なり、金属と金属が交錯する耳障りな音が響いた。
 レーヴィの死を予感させたお面男の一刀は、間一髪レーヴィが掲げた掌に弾かれていた。何が起こったのか瞬時には理解出来なかった。掌が鋼鉄な訳はないし、私からは見えないが中に何かを持っているのだろうか。
 良かった。呼吸も忘れて凝視していた私はそっと息を吐き出したのも束の間で、またすぐに息を呑む事となる。お面男がちらりとこちらを見たような気がしたのだ。タロウの面と暗さで確証はなかったが微かに傾けられた面の動きに体が強張る。お面男と対峙したまま、その視線を遮るように、レーヴィはじわりと私の側へと後退を始めた。
 勢いを増した雨の中、睨み合いが続いた。危うい均衡を破り先に動いたのはお面男だった。ぬかるんだ土を蹴りナイフを突き出そうと腕を引く。レーヴィが更に数歩後ろへ下がる。
 ―――――今度こそ万事休すだ。お面男が勢い良くナイフを突き出すのを絶望的な気持ちで眺めた。しかし、そのナイフはレーヴィを襲うことなく突如引っ込められる。ナイフを繰り出そうとしたその動きでお面がずれ落ち、かろうじて男の眉下で止まっていたのだ。慌てて後方へ飛び退り面を抑える男。
 何だそれ。馬鹿でしょ。間違いなく。この雨のなか、面を支える細く頼りないゴム紐が持ちこたえるはずないのが何故分からないんだろうな。そんなに顔を見られたくないのなら他の手段をとろうよ。
 如実に焦りを滲ませて、お面男はあとずさる。今度はお面男が後退する番だった。今ならば逃げられるのでは?どうやらお面男はどうあっても顔を見られたくないようだし。後ろ手に私を庇うレーヴィの袖を僅かに引いて逃走を促そうとした時、鎧が擦れる音と、掛けてくる重たい足音が聞こえた。耳を凝らせば「こっちだ。急げ」と話し声もする。先ほどからの騒ぎに兵士が気付いたのだろう。2回も叫んでいたしな。
 雨の音に混じって微かに舌打の音がした。と同時にお面男が大きく後ろに飛び薮の中へと姿を消していた。相変わらず逃げ足の速い奴。
 とりあえず、助かった。極度の緊張が解けた私はその場にへたり込んだ。本当の恐怖というのはどうして後からやってくるんだろうな。もはや使い物にならないであろう力の抜けた膝に手を置き、目を閉じて息を吐いた。
 足音が間近に迫ったかと思うとすぐ側の薮が動きびくりとする。

「大丈夫か?」

 お面の男と入れ替わりにやってきたのは二人の兵士だった。

「賊が逃げました。早く追って下さい!向こうです」

 レーヴィはお面男が逃げた方向を指し示して兵士に訴える。
 兵士達は顔を見合わせ頷き合うと、一人が示された方角へと進んだ。

「もう大丈夫です。ご安心を。お怪我は?」

 残った兵に尋ねられてレーヴィが慌てて答える。

「この方が切り傷を。至急サウル殿を呼んできて下さい」
「しかし、あなた方を残しては………」
「何を言っているのですか!一刻を争うのですよ。賊は先日の襲撃犯かもしれないのです。もし、剣に毒が塗られていては………はやく、呼びにいきなさい」

 レーヴィの剣幕に兵士は息を呑んで私を見た。そして「分かりました。くれぐれもお気をつけて」と言い残すと身を翻して駆けてゆく。
 毒って、まじですか。

「傷を見せて」

 傍らに膝をついたレーヴィは、斬られた袖を裂き傷口を確かめるようにそっとなぞる。

「うっ」

 痛みに小さく呻くと、レーヴィは悔しげに息を吐いた。

「申し訳ありません。僕は、貴方をお護り出来なかった」
「そんな事、ないです」

 ちゃんと護ってくれたじゃないか。しかしレーヴィは首を静かに振った。

「貴方を逃がしてあげられませんでした」

あ、そうだった。逃げないと不味いよね。いや、でも毒が………………ああ、もう!

「逃げましょう!今のうちに」

 毒も気になるけど捕まったら終わりだ。街にも医者はいるだろうし、そもそも毒が塗られていると決まったわけでもないし。

「いいえ、無理です。直ぐにこの2区も厳戒態勢が敷かれるでしょう。もう、逃げられません。それに傷の手当ても受けなければ」

 そんな………逃げようとしたのがばれたらどうなるのだろうか。想像したくもない。
レーヴィは私の肩を掴むと、眼鏡の奥から決意を込めた眼差しを送る。

「僕に強引に連れ出されたと、そうおっしゃってください」

 レーヴィの声は、僅かに震えていた。雨に打ちつけられて暗く濃さを増した茶色い髪から水滴が滴り落ちる。その雫が既に濡れそぼっている服に新たに染み込むのを目の端で捕らえてから、おののいた。自分の身に降りかかるだろう辛酸を覚悟しての言葉なのだと理解させられて。
そんな事はさせない。私はレーヴィの目を力を込めて見つめ返した。

「私は、今の仮面の男に攫われた。それを偶然見かけたレーヴィさんが救ってくれたんです。そういう事にしましょう。大丈夫、私がレーヴィさんを守ります」

 守られてばかりじゃ女がすたるわ。舌先三寸と涙で乗り切ってみせようじゃないか。

「サカキさん………」

 苦しげに、けれどどこか愉悦の混じった呟きがこぼれて、肩を握る手に力が込められたかと思うと、固く抱きしめられていた。

「サカキさん」

 雨に濡れて冷たくなった髪にレーヴィの熱い吐息がかかる。唇が、髪から耳に、そして頬に熱をうつして、最後に息が絡まりあった。
 はい?
 優しく重ねられたそれは、すぐに強く押し付けられて、呆然としている間に温かいものが唇を割って入る。
 んん?ん?
 混乱する私をよそに、口の中を遠慮なくはいまわりはじめたそれに、息を奪われ、さらに思考が遠のいた。息苦しさに、手近にあったレーヴィの服を握れば、了解ととられたのか、強引に舌を絡めとられ、唇を噛まれ、なぞられて、僅かな隙に酸素を吸い込みあがった息を整える。
 えーと、今更ですが、キスされてますよね。レーヴィに。しかし初めてのキスで舌いれちゃうか?まぁお互いいい歳だしいいか。こういう時ってどうするんだっけ。久しぶりすぎて分からない。酸欠でくらくらと揺れる頭を働かせ、キスの感触を思い出しながらおずおずと応えた。
 ………ちょっと待て。何か引っかかったぞ。いい歳?確かに実際はその通りなんだけど、私は13歳って事になっていて当然レーヴィもそう思っているはずで、13歳の少女にこういう事をしちゃうってのは、つまり。いやいや、でも想いが通じ合ったわけだし、命懸けで逃がそうとするほど想ってくれていたんだし――――――うん、やっぱり無理。バイでもゲイでもマゾでもいいけど、スカとロリは無理!
 レーヴィの胸に腕をつっぱって押し返そうとするが、背中に回された腕は思いのほか力強くビクともしない。一層激しさをます口付けに、息を継ぐのが精一杯で、どちらのものともつかない唾液が喉を通っていく。
 はーなーせー。
 両腕とも胸の中に囚われているのが悔やまれる。押しても押しても動かなかったレーヴィが、ようやく腕を緩めると遠くから兵士の声が聞こえてきた。

「こちらです!お早く!」

 どうやらサウルを連れてきたようだ。
 肩で息をしながらレーヴィから視線をそらしてサウルの到着を待っていると、頭に妙なしびれが走った。痺れは瞬く間に体を駆け抜け手足の感覚がおぼろげになる。背筋を立てていられなくて、後ろに体が傾いた。

「サカキさん!?」

 手を伸ばし、後ろから抱え込むように私を支えたレーヴィが驚いた声をあげる。

「どうしたのです?しっかりしてください!まさか………本当に毒が」

 嘘でしょ。もう少しでサウルも来るのに。死ぬのかな。私。

「サカキさん、しっかり!喋れますか?」

 答えようと力を振り絞った。微かに唇は動いたが舌に力が入らない。視界が徐々に光を失い、レーヴィの顔も分からない。

「……………」

 意識を失う寸前にレーヴィの声が聞こえたけれど、聞き取る事が出来なかった。とても大事な事を言われた気がしたのに。


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