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第七章 無口
43 無口 (12)
あくる日、朝は晴れていた空に昼過ぎから雲が流れ込み、日が沈もうとする今は見事な曇天となっていた。心をうつしたように厚く空を覆う雲に不安を掻き立てられる。決意を固めたのに、今になってすっきりしない嫌な気持ちが纏わりつく。上手く、いくかな。それに、レーヴィを信用して本当に大丈夫だろうか。ふと心を過ぎった疑念に頭を振った。惚れた男ぐらい信じよう。そう己に言い聞かせると、手元の資料に目を落とした。
 手にしているのは古文書の一節を写し取った紙だ。エイノへのせめてもの手向けに少しだけ解読を進めていこうと思ったのだ。白髪、フォルセル、従者、末姫、魔。頻繁に使われている単語を5つ抜粋すると、その上に訳を記しておく。結局これも殆ど進まぬままになってしまったな。ごめんね、エイノ。色んな意味で。怨むのはくれぐれも賢者にしてください。
 テーブルの上に資料を置くと、一眠りするためにベッドに横になった。目覚まし時計なんて便利なものはないが、今から眠れば深夜には目が覚めるだろう。不安と期待を抱いたまま私は眠りについた。

 目を覚ますと、部屋の中は一寸先も見えない闇に包まれていた。手をかざしながら窓辺に近寄るとそっとカーテンを摘み、隙間から外を眺めた。普段よりも暗い夜の色に月が出ていない事を知る。好都合だ。このまま月明かりが差さなければいいが。私は足音を立てぬようこっそりと移動しながらフードのついたローブを引っ張り出した。荷物は最小限と言われたが、このローブくらいはいいだろう。雨が降ってきたら困るしな。
 何時でも行動を起こせるようにローブを身にまとうとベッドに座り時が過ぎるのを待った。どのような状況でもただ待つ時間というは時の流れが遅く感じるものだが、今は格別だ。一秒さえ長く感じる。あるはずも無い秒針の音が部屋に響いているようで、時が刻まれる度に迷いが積み重なり増えていく。その時間に耐え切れなくて枕を腕に抱えるときつく抱きしめ顔を埋めた。
 その姿勢のままどれくらいの時間がすきたのだろうか。ふいに窓を叩くごく小さな音が聞こえた。慌てて窓辺に寄り慎重にカーテンを開け、がっかりする。雨がパラパラと降り出していた。どうやら今の音は雨粒が窓に当たった音らしい。ガラスに貼りつき流れ落ちる水滴を辿っていると

「火事だ」

 と叫ぶ声が聞こえた。
 屋敷の扉の前に視線を向ければ、兵士達が戸惑っている姿が目に入る。

「誰か!来てくれ。早く!誰かいないのか!」

 焦りの滲むその声に兵士達は顔を見合わせると駆け出した。一人だけ。ええー。二人共行ってくれよ。ほれ、行った行った。念じてみても兵士は動かない。
 ………仕方ない。私は外を伺っていた窓を離れると、部屋のもう一片にある小さな窓へと向かった。この位置ならば兵士からは死角になるはずだ。角部屋でよかった。今兵士は一人しかいないし、きっとあそこから動かないだろう。
 音が立たぬように慎重にゆっくりと窓を開けると、足から順に通り抜け………う、きつい。ずりずりとお腹を引き摺りながらなんとか外に降り立った。何かもうこれだけで疲れたわ。
 さてと、まずはレーヴィを探さねば。暗闇に目を凝らし辺りを見回すが彼の姿は見えない。どうしよう。とりあえずここを離れるべきだろうか?考えあぐねていると

「サカキさん。こちらです」

 木々の間から小さく呼ぶ声が聞こえた。

「レーヴィさん?」

 足音を立てぬよう静かに近づき呼びかけると、レーヴィがひょこりと顔を出した。

「静かに、慌てずついてきてください」

 レーヴィは厳しい顔で言うが、木の枝にフードを取られ、頭に葉をつけた彼の愛嬌ある姿に知らず緊張がほぐれる。思わず笑みがこぼれそうになるのをぐっと我慢して神妙な面持ちで頷いた。
 レーヴィの後に続き木の枝を潜り抜け薮の中を進む。雨がフードを叩き耳のすぐ側で軽やかにはねる音が絶え間なく聞こえた。本降りになってきたようだ。身を隠すには丁度いいのだろうが足元は悪いし体力の低下も心配だな。フードを目深に被りなおし、しっかりとローブの前を合わせた。
 さほど距離を歩いてはいないだろうが、暗闇の中を進んでいる為距離感がさっぱりつかめない。しばしの後レーヴィと私は背の高い薮に囲まれた大きな木の下へとやってきた。

「ここで、馬車が来るのを待ちましょう」

 そう言うとレーヴィは木の根元に屈みこむ。隣にしゃがむと、青々としげる葉のおかげで土が濡れていない事に気づいてその場に座り込んだ。ローブを通してはいないものの表面についた雨が嫌でも体温を奪っていく。身を縮こまらせていると気遣わしげなレーヴィの声が聞こえた。

「寒いですか?」

 ローブの下から伸びた手が私のフードを落とし、濡れて顔に張り付いていた髪を優しくすくい取る。そのままそっと頬に手が触れた。

「冷たい」

 ぽつりと呟いたレーヴィの顔に浮かぶ物悲しい笑顔に、胸が苦しくなり心配をかけぬように精一杯の笑顔で答えた。

「大丈夫です」

 触れるレーヴィの指先のほうが余程冷たいよ。

「サカキさん………」

 顔を歪めて目を伏せたレーヴィは、僅かの時の後、再び顔を上げると同時に肩を掴んで私を胸の中へと引き寄せた。
 え?
 頬に当たる固い感触と、体温と、快い鼓動に思考が止まる。えーと、どうしよう?戸惑いに目を閉じて身を任せれば頭上からレーヴィの声が吐息に含まれる熱と共に降りてきた。

「サカキさん………僕は………」

 え?僕は?僕は何!?レーヴィの言葉に年甲斐もなく胸が高鳴る。これって、これってひょっとしていい感じ!?しかし、なかなか次の言葉を継がないレーヴィにはがゆい思いをしていると、体が急激に回転した。

「うああっつ」

 腕に走った熱に悲鳴とも呻きともつかない声が口をつく。
 乱暴に腕を引かれて立ち上がらされ、急な動作にふら付く頭に耐えて目を開ければ、私の腕を掴み前方を睨み付けているレーヴィの姿が目に入る。その視線の先に目をやれば、雨の中、ナイフを手に銀色の仮面を被った男が立っていた。


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