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第二章 偽り
04 偽り (2)
 いくら夜とはいえ、こうも至近距離ではやはり気づかれてしまう危険性は捨てきれない。私は硬い感触を返す胸板に額を押し付けると、素早く袖で頬をぬぐった。赤みがさすであろうぐらいに強く擦っていると、抱える腕に力がこもる。

「手荒な真似をして済まなかったね。てっきり不届き者が侵入したと思ったものだから」

いえいえ私は真っ当な一市民ですよ。不届き者がいるとすれば、それはパッパラ賢者の方です。――――なんと返したものか。胸中で奴を罵りながら、ひりひりと痛む顔を上げて、困ったように微笑んで見せた。

「俺はユハ=サリオラ。サカキちゃんといったか、不思議な趣の名だね。けど、美しい響きだ」

私の笑みに呼応するように浮かべられた笑顔のなんと人好きのすることか。若干気障ったらしい感がしないでもないが、近所にこんな兄ちゃんがいたら、おば様方に大人気間違いなしだろう。
結構な重量のはずなのに、ユハの足取りは重さを全く感じさせない軽快なもので、回された腕は頼もしく安心感がある。
 鍛えているのだろうな。いや、そもそも人体の構造が違うのかもしれない。外見は同じようだけれども、血は緑とか、実は変温動物だとか。………舌が二又に分かれていたらどうしよう、などと阿呆な考えに浸っている間に、庭園を抜け、城へと続く階段に差し掛かっていた。
 磨きぬかれた、光沢のある乳白色の石造りの廊下は、中央に臙脂色の絨毯が敷かれ、床と同材の壁には、等間隔に揺らぎのない煌々とした灯りが灯されている。松明やランタンなどが似合いそうな建物なのに、その灯りはまるで蛍光灯の様で違和感があった。
 長い長い廊下の幾度目かの角をまがり、右手に現れた扉の前でユハは立ち止まった。扉には文字が彫られ、金色の墨が流し込まれている。
 「第二医務室」全く見た事もない、唐草模様を彷彿とさせる文字の意味が、何故かすんなりと理解出来た。へっぽこ賢者のいう言語能力には、文字も含まれているらしい。
 ユハは私を抱いたまま、背中に廻した手で器用に扉を叩く。程なくして中から扉が開かれた。
 顔を出したのは、白衣には違いないが少々袖や丈に余剰のある衣服―――――僧衣を真っ白にしたような衣装に身を包んだ、怜悧な顔つきの中年の男だった。
 ユハの腕の中にいる私を認めると、「あちらへ」と奥に並べられたベッドの一つを示す。シーツの白が目に付く室内は、診察室というより保健室を彷彿とさせるつくりで、手前に向かい合わせに配置された椅子が2セット、窓側には天井からカーテンを吊り下げて独立させる事が出来るつくりのベッドが4台設えてある。壁一面を占める薬品棚には茶色いビンがずらりと収められていた。
 丁寧にベッドに横たえられ、居心地の悪さを感じて身を起こそうとすると、ユハに目で制された。

「大丈夫だよ。彼は優秀な医術師だ。見た目は怖いけどね」

 茶目っ気たっぷりに言われても、本人を前になんと返せばいいのか分からない。言われた当の本人はユハの軽口など少しも気にするそぶりも見せず、手際よくベッド脇の台に医療品らしきものを並べている。
 準備を終えた男は、私の様子を一瞥して、僅かに頭を下げた。

「サウル=クラウゼと申します。見たところ重篤な傷はないようですが、全身に細かな傷があるご様子。衣服を脱いで頂きたいのですが宜しいですか?」

 医者の前で裸になるのに抵抗を感じる歳でもないが、関係のない人間にその様子を眺められるのは気持ちのいいものではない。頷くのを躊躇っていると、私の胸中に気づいたのかサウルがカーテンの端に手をかけて背後を振り返った。

「ユハ様、カーテンを閉めさせていただきます」
「ああ、これは失礼。よろしく頼むよ―――――っと、すまない。サウル、ちょっと来てくれないか」

 踵を返しかけたユハが、何かを思い出したようにサウルに声をかける。ちらりと怪訝な色を覗かせてユハに視線を送ったサウルは、自身の身も外側に置いてからカーテンを引いた。
象牙色のカーテンに二人の影が映し出される。視界の遮られたベッドの上に寝かされて、私は急に広い空間に取り残されたような心細さに囚われた。
―――――何を話しているのだろう? ぼそぼそと交わされる声は小さく、内容を聞き取ることはできない。
ややして、カーテンの合せ目を潜って姿を見せたサウルの眉間には深い皺が寄せられていた。

「お待たせいたしました。衣服を脱いで傷を見せて下さい」

その目が何か問いたげに、私を見る。一体どうしたというのだろう。
上着を脱ぎ、のろのろとシャツのボタンをはずしていると、顕になった胸元にサウルの視線が向けられる。
そうして、漸く理解した。疑われているのだと。
考えてみれば当然のことだ。いくら非力な子供でも、警備の厳しい城の庭園にポッと現れたら怪しいことこの上ない。むしろ子供の方が奇怪に過ぎるというものか。
 傷の手当てとは建前半分、身体の検分が目的だったのだ。危険物の所持を疑われているのか、年齢を疑われているのかは分からないが、さすがに医者に体を見られては歳もバレよう。下手な嘘で自分の首を絞めることになってしまった。
 どう言い繕おうかと考えながら、袖から腕を抜き、ボロボロになったストッキングをおろした所で、それで結構ですと、手を止められる。
 下着姿になった頃にはサウルの顔は元通りの無表情に戻っていた。
男は淡々と傷の様子を確認しながら、ベッドサイドに置かれた瓶を手にとると、箸のような棒で、中からひとつまみの真っ白い綿を取り出す。
 薬液を染み込ませてあるのだろうそれは、冷たく湿り気を帯びており、傷に触れると軽くしみた。傷は主にストッキング一枚で露出していた足に集中しており、他は顔、首筋、腕に少々。顔以外の全ての傷に薬を塗り終えると、サウルは器具を置いた。
 
「肋もみてくれないか、痛めたかもしれない」

 カーテンの向こうからユハが声をかける。取り押さえた時のことを言っているのだろう。あの時から体を捻る度に鈍い痛みがあった。
 ユハの言葉に「分かりました」と頷いて、サウルは私の腹部に掌をあてる。と、軽く力を加えた。途端に痛みがはしるが、我慢できない程でもない。

「僅かですがひびが入っているやもしれませんね。念の為術をかけておきましょう」

 痛みに眉をしかめた私を見て、サウルは掌をかざす。
何をするつもりなのか、とんと見当がつかずに、ただぼうっとその手を見つめていると、驚いた事に、ぼんやりと淡い光が漏れ始めた。胸にじんわりと熱が広がり、吸い取られるように痛みが引いていく。
私は目を見張った。今、目の前で繰り広げられている現象が、理解できない。あの光は何で、私の体にどんな変化が起こっているというのだろう。彼は魔法使いなのだろうか? この世界には魔法が存在するのだろうか? 二つの世界を行き来するという賢者の力には驚倒させられたが、これにも十分びっくりだ。
麻酔のように痛みを麻痺させているだけなのか、傷を癒しているのか、何にしろ便利な事に変わりはないが、どこか空恐ろしいような気もする。光を湛えた手を顔に伸ばされて、思わず仰け反ってしまった。

「ご安心を」

顔を強張らせた私を見て、極々小さな声を落とすと、サウルはかさついた掌で軽く顔を撫でさする。彼なりの気遣いらしいその言葉に、私は不思議と安堵して力を抜いた。

「終わりました」
 
 そう告げられて、確かめるように頬に手をあてる。つるりとした質感を返す肌に驚いた。さっきまで確かにあったはずの細かな切り傷がなくなっている。どうやら痛みをとるだけではなく傷そのものを治してくれたらしい。どうせなら手足の傷も治してくれればいいのに、という無遠慮な考えが頭を過ぎったが、注文をつけられる立場でもないので口には出さなかった。
 私が服を着終わるのを待って、サウルがカーテンを開けた。

「どうだ?」

 待ちかねたように聞くユハ。

「腹部と顔の傷に癒しの術をかけましたので、1日2日倦怠感があるかもしれません」

 よく分からないが二人の会話から察するに、魔法は万能ではないようだ。軽い傷は自力で治した方がデメリットが少ないという事なのだろうか。

「他は問題ないかと存じます」
「そうか。世話をかけたな」

 サウルの言葉を聞いて、ユハはほっとしたような、それでいてどこか拍子抜けしたような表情を浮かべて私を見た。
 ゴミとなったストッキングを丸めて握り締め、沙汰を待っていた私は、ぽかんと開けそうになった口を歪めて作った笑顔で、二人の男の顔を眺めていた。
―――――え? 問題、……………ないの?


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