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第七章 無口
35 無口 (4)
 風呂上がりは冷たいサルミに限る。湿った髪が夜着を濡らさぬよう肩にタオルをかけ、風呂場から自室までの廊下を炊事場で失敬したサルミを飲みながら歩く。エイノがいたら到底出来ない行儀の悪さだ。今夜はエイノは帰らないし、アイラやセバスチャンも私が風呂に入る前には帰った。今私はこの広い屋敷に独りきりだ。屋敷が広すぎて少し寂しい気もするが、元々が気ままな1人暮らしの身だ。久々に味わう気楽さに自然と口元が綻ぶ。タオルで髪を拭きつつサルミをちびちびとやりながら、エントランスまで来た所で扉に目がいった。コンビニがあればなぁ。ポテチが食べたい。夜の早いシルヴァンティエでは当然店は閉まっているし、そもそもエイノの術で外には出られない。扉や窓といった外部に通じる場所には初日に私が引っかかった術がかけられているらしい。警備の兵を嫌うエイノが外からの侵入者を防ぐ為に私が来てからは夜間のみかけているというが、私を外に出さない為なのではないかとも思えた。呪術師とは疑われていなくても信用されているわけではない。それに13歳には夜遊びなど厳禁だろうしな。仕方がないが………たまには夜の外出もしてみたい。ため息一つ、扉から目を逸らすと自分の部屋へと向かった。
 部屋の扉を開けると夜気を含んだ風が濡れた髪に冷やりと纏わりついた。外気に晒された部屋に疑問を抱く前に部屋に佇む人物が目に入る。
 どうしているんだ。こんな時間に人の部屋に。しかもまた近衛をまいてきたな。
 月明かりに緩いカーブを描く金の髪が淡く映し出されて、日の光の下では明るく澄んでいる青い瞳が、おぼろげな光しか届かぬ今は深く陰りを帯びて見えた。明かりも点けずにイサークは部屋の中に立っていた。扉が開いた事に気づいているはずなのに、その目はぼんやりと遠くを眺めている。

「イサーク」
 
 部屋に入り手近な台にサルミの入ったカップを置いて声をかけると、今やっと気づいたというように、ゆっくりと顔をもたげてこちらを見た。
 部屋を訪れた訳を問おうとして気付く。

「どうやって入ったんですか?エイノさんが術をかけていたはずでは………」

 それに窓の鍵を開けた覚えもない。夜風に吹かれて揺れるカーテンを見て立ちすくむ。窓の枠には僅かに土が付いている。ここから侵入したのは間違いないだろう。

「俺にはエイノの術は効かん。王家の血は特別でな。神官の使う術など容易く解除できる」

 答えるイサークの声は心なしか掠れていた。そういえば、街で出会ったときにサリの術を一撫でで消し去っていたっけ。思わず首の後ろを撫でさすると、イサークは口の端を上げた。

「そうだ。サリの術も解除しただろ?………サカキは知らんだろうが、神官長たるエイノが10日を過ぎれば継続の難しいサリの術も、俺ならば一月でも一年でもかけ続けられる。それも対象への強い制約付でな」

 言いながら悠然と広い歩幅で歩みよったイサークにあっという間に距離をつめられる。伸ばされた右手が冷たく濡れた髪を潜り首筋に触れた。解除された時と同様に首の後ろを撫でられて、今度は声が出なかった。ただ喉が引き攣り体が震える。

 ―――――何を!?

 反射的にその手を叩き落とそうとするが叶わない。少年とはいえ大柄で完成されつつある肉体の持ち主であるイサークの腕は私の力でどうにか出来るものではなかった。逆に弾かれた手の甲が痛む。 私を見下ろす瞳を力を込めて見つめ返した。イサークに抱いた怯えを気取られぬように。イサークが間違わぬように。

「くっ、そんな顔をするな。冗談だ。力はあっても制御がきかんのだ。技術のいる術はほとんど使えん」

 こんなに歪んだ苦しげな顔をして笑う少年だっただろうか。何が彼を追い詰めた?
 イサークは首筋から手を抜くと濡れた髪を一すじ摘む。

「冷たいな。風邪をひくぞ」

 誰のせいだと思っているんだ。手から髪が零れ落ちいつもの口調で軽く言われて気を緩めかけた。その隙をつくように震えが走るほどに色気を含んだ掠れた声で囁くように問われる。

「あいつの、どこに惹かれた?」

 ―――――レーヴィの事か。
 イサークの前では気をつけていたのに。いつ気付いたのだろうか。それとも誰かがチクッた?アイラ達かライアンやクリフト?まさかなぁ。

「あの男が好きなんだろう?」

 是と言えばどうするのか。イサークの纏うけだるく艶めいた空気が部屋を満たしていくようで息苦しい。薄い月の明かりが心を惑わすように思えて何気ない素振りを装いランタンに火をつける為に動いた。

「何の話ですか?」

 すげない口調ではぐらかすが心臓は早鐘を打っていた。早く、点け。

「まぁいい」

 火が灯るのと同時にあたかも明かりから逃げるようにイサークは窓辺へと向かう。窓枠に腰と片足をかけると私ではなく、扉へと顔を向けた。

「案じずとももう戻る。風邪を引かんようにな」

 続けて私を見ると、一言告げてイサークは窓の外へと身を翻した。月明かりに照らされた背中が暗闇に溶け込むと私は扉に向かいノブを回す。予想通りの顔を見つけてほっと息を吐いた。

「エイノさん」

 と、ユハまで。明かりを掲げ凝然と立つエイノと、腕を組み壁に背をもたせかけたユハがいた。


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