ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
第七章 無口
33 無口 (2)
 世の中、そこへ至るまでの過程が分からなくて結果的に自分が置かれてしまった状況への理解に苦しむ事は間々ある事だ。しかし今回のこの状態は彼が何を思いこうなったかが手に取るように分かった。けれどあえて言わせてほしい。どうしてこうなったんだ、と。

 開いた窓から吹き込む風は外に咲く花の香りを存分に含み、少し気温の高い室内を冷ますと同時に心を安らげてくれる。雲ひとつない空に昇った太陽はまだ頂上には辿り着いておらず、これからの室温の上昇を予想させた。
 もう少し窓を開けたほうがいいかな。私は椅子から立ち上がると窓辺へと近寄った。背後で同じく席を立った人物が此方へと近づいてくるのを感じる。鍵に手を伸ばした私の後ろに寄り添う様にしてその人物は私より先に、長い腕を伸ばして鍵に辿り着いた。カチリと軽い音がして開錠された窓をその腕が片手で軽々と開けた。此方の窓は重い。ガラスが分厚いせいかサッシの問題なのかは知らないが、私ならば両手で、尚且つ体重をのせて踏ん張りやっと引く事ができるほどだ。なのに片手でいとも簡単に開けられては、力強さに感動するより、力の差への憤りが先にたつ。しかしその感情を押し殺し、私は背後に佇む人に感謝を述べた。

「ありがとうございます。イサーク」

 距離の無さに振り向く事も憚られ、前を向いたままのお礼になってしまった。近い。近過ぎるぞ。背後霊じゃないんだから………。

「いや、いい風だな」

 ようやく後ろから横へと立ち位置をずらすとイサークは髪を乱す風に目を細めた。私と違って細く柔らかな金色の毛が風に遊びもつれ合う。玉になったら解くのが大変そうだ。

「教師の方はまだですかね」
「ああ、間もなく来るだろう」

 ここは、いつぞやイサークと昼食を共にした西の庭園近くにある一室。私はここで、イサークと共に授業を受ける事になっていた。安全面の確保が難しく通えなくなった学院とかいう所で受けていた一般教養を、新しく教師を雇い城内で教えを請う事になったらしい。それに私も強制的に参加させられてしまったのだ。
 分かるよ。ユハが私にちょっかいを出すのを阻止したかったんだよね。それにはユハのフリーの時間を潰すか、私を拘束するかしかないと思ったんだよね。その気持ちはよく分かる。相手がユハだしね。歳の差を慮っても心配だったんだよね。
 ――――だからって、どうして10歳も年下の少年と一緒に今更授業をうけなければいけないのかな?こちとら脳の機能も衰え始めて久しい身だ。今から、何も知らないこちらの世界の歴史や地理や作法や諸々の一般教養を詰め込もうったって限界ってものがあるんだよ。一般常識的な事まで余りに何も知らないとボロが出るでしょうが。3日に2日、午前中だけとはいえ気が重い。
 独占欲というよりは保護欲に近いのではないかと思うイサークの行動に痛む頭を押さえた。

※※
「申し訳ありません。遅くなりました」

 慌しい足音と共にノックもなしに部屋へと入ってきたその人は、入り口の段差に躓き転んだ。手に教材を持っている為か単にどん臭い為か、恐らく後者のような気がするが、見事に顔面から着地する。
 あまりな登場の仕方に呆気に取られる私の横でイサークがため息をもらす。ひょっとしていつもこんな感じなのか?

「すすす、すみませんっ。遅れた上にこんな醜態を曝してしまって。ほ、本当に申しわけありません。ああっ眼鏡がないっ。すみませんすみません」

 転んだ弾みで飛んでいった眼鏡を手でまさぐり探しながらその人は忙しなく謝り続ける。ようやく手にした眼鏡をかけ立ち上がると、すました素振りで軽く握った拳を口元に、コホンと喉を鳴らした。もう遅いと思うんだけど。

「殿下、遅くなりまして申し訳ありません。早速授業を始めさせて頂きます。あれっ?ああっ!そ、そういえば今日からでしたね」

 ようやく私が眼に入ったらしい。パタパタと足音を立てて私の前にやってくると、笑顔を浮かべて手を出した。つられて右手を差し出せば、握手をした手を軽く上下にふられる。

「はっ、はじめまして、僕はレーヴィ=カヤン。サカキさん……ですね?殿下からお話は伺っています」
「榊恵子です。よろしくお願いします」

 手を握られながら、私は彼から目が外せなくなっていた。肩ほどまでの茶色い髪を左耳の下で一つに纏め、眼鏡の奥で優しく私を見つめる瞳は深い青。年の頃は20代前半だろうか。控えめな笑顔に少しおどおどとした喋り口調。乾いた手はヒヤリと冷たく心地よい。握られた手が離れていくのが哀しくて、私は小さくため息を漏らした。
 レーヴィ=カヤン、彼を著す言葉はズバリ、普通。中肉中背で、美しくも醜くも無いありふれた顔立ちに、ありふれた声音。街なかですれ違っても気付かないだろう存在感の薄さ。村人Aに相応しい善人で臆病そうな性格。
 すなわち―――超好みだった。長身のイサークやエイノ、ユハやその他兵士と違い顔を見るのに首も疲れないし、教師という危険や策謀とは無縁の平穏な職もいい。少々そそっかしい所があるようだが、まだ若いしきっとこれから落ち着くだろう。欲をいえば年上の方が良かったが、彼は結婚するならこんな人、と常々考えていた人物像にすこぶる近かった。
 恵子=カヤン。うん。いい。文化の違いはあるだろが彼ならば不味い料理を出しても嫌な顔をすまい。

「ごめんなさい、あなた。今日の料理少し失敗しちゃったの。こっちの食材の扱いは難しくて………。どうかしら?」
「美味しいよ。慣れない生活で大変だろうによくやってくれているね」
 
 うへへ。いい。………いや、良くない。大丈夫か自分。気が早いにも程がある。我にかえると阿呆な妄想に頬に熱が上がるのが分かった。最近接するのが灰汁の濃い面々ばかりできっと疲れていたんだな。思わず夢想せずにはおれぬ程好みな普通の青年レーヴィ。けれど、ユハの例もある、一見いい人そうでも騙されてはいけない。でも、もしこのままの人物なら。勿論ゴーだ!

「おい。サカキ。サカキー?」

 密かに決意を固める私にイサークが心配そうに声をかけた。


+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。