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第七章 無口
32 無口
 どっちにしようかな。この光沢のある紺色もいいし。こっちの深緑も燻し具合が渋くて捨てがたい。私はエイノから支給された報酬の一部を手に2区にある店に来ていた。装飾品を扱う店の前で、髪留めを選び始めてすでにかなりの時間が経過している。今日の警護担当であるライアンはまだ終わらないのかと言いたげな顔だ。女の買い物は長いんだよ。
 数ある候補の中から2択までは絞ったもののどちらにするかが決まらない。右手に紺色、左手に深緑の髪留めを持ち眉を寄せて考えていた。

「これなんかどうだい」

 頭上から声が掛けられたかと思うと、太い筋張った腕が私の直ぐ右側を通って商品の並んだ棚に伸ばされる。小さな黒い石が埋め込まれた銀色の髪留めを大きな手が拾いあげた。
 突然の腕の出現に驚き半歩左に飛びのき斜め後方を見上げれば、爽やかな笑みを湛えたユハがいた。

「サカキちゃんの黒髪に映えるよ」

 そういって手の中の髪留めを示す。
 それね。いいとは思っていたんだけど、少し高いんだよな。懐は暖かいがそれでも高々髪留めに出すにはちと勿体無い金額だ。

「これをもうらよ」

 悩む私を余所にユハはさっさと店主に告げて硬貨を手のひらに落とす。

「まいど。ごひいきに」

 店主は笑顔で答えた。

「他に見るものは?付き合うよ」
「いえ、今日は髪留めをみたら帰るつもりでしたから」
「そうか、それじゃあ送っていこう」

 紳士的に申し出られては特に断る理由も思いつかず、私はユハと並んで歩き出した。

「ユハさん、さっきのお金、自分で払います」

 ポケットに入れた袋から硬貨を取り出そうとすると、やんわりと手で止められる。

「俺が選んだんだ。払わせてくれないかい」
「でも」

 後々他の事で倍返しになりそうで嫌なんだよ。

「子供は遠慮するものじゃないよ」
「………はい。ありがとうございます」

 粘ったところでお金は受け取ってもらえそうにないな。私は諦めて好意に―――本当に好意なのだろうか―――甘える事にした。
 今日のユハは五分袖のシャツにユッタリとしたズボンという非常にラフな格好だ。顕になっている肘から先につい目がいってしまう。想像していたよりも幅のある頑強そうな腕は細かな傷が幾つもついていた。節の目立つ太く長い指に短く切られた爪。筋が浮いて見える手の甲はよく日に焼けていた。ふとエイノの白く滑らかな手を思い出す。同じ男性なのに随分と違うものだ。
 屋敷の前まで来るとユハは先ほどの髪留めを取り出した。

「ありがとうございます」

 手のひらを出して受け取ろうとすると、ユハは口の端をあげて悪戯っぽい笑みを見せる。

「後ろを向いて。つけてあげるよ」

 絶対にごめんだ!と、きっぱりはっきり言ってみたい。

「そんな。いいですよ。後で自分でしますから」
「贈った物を身につけている所を見たいと思う男心を汲んでほしいね」

 これだから自分に自信のある男は嫌なんだ。何を言おうが絶対に引かないな。せめてもの抵抗に嫌そうに引き攣った笑顔で応えるが、そんなものが通用する筈もなく、私は後ろを向かされていた。一見無骨そうな大きな手が妙に慣れた手つきで髪を掻き揚げる。硬い指先が、耳を、うなじを掠めて髪の中に差し入れられる度に体が緊張に強張った。この、猥褻スレスレ人間め。一回り以上も年下の少女に不道徳な行為を教えるな。心の中で悪態をついてみても、優しく繰り返される行為に次第に緊張がほぐれ体の芯に暖かく甘い痺れが燻りはじめる。それを悟られたくなくて、口を開いた。

「今日はどうしてあそこに?何時もなら剣の稽古の時間ですよね?」

 イサークとの。

「よく知っているね。その様子だと、俺の剣の相手が誰かも知っているのかな?」
「ええ、まあ」

 髪を撫でつけながらユハが小さく笑いをもらした。

「サカキちゃんの情報網もなかなかのものだね。殿下は新しく教師が増えてね。稽古の時間が減ったんだよ」

 それでユハが野放しになっていたのか。

「おかげでやっと時間が取れるようになったのさ。さぁ、出来た」

 髪留めをとめる小気味よい音がしてユハは手をおろした。

「いいね。似合っているよ」
「ありがとうございます」

 見なくても分かる。綺麗に纏まっているだろう。短髪のユハが何故長い髪の扱いに長けているかは考えるまでもなかった。

「ユハさんって、髪を纏めるのにとっても慣れていらっしゃるんですね」

 とってもの部分を強調しておいた。

「これは、手厳しいね」

 面白そうに唇をあげて、ユハは「けれど」と続ける。

「サカキちゃん程魅力的な髪の女性はいなかったよ」

 誰だよ。こんな危険人物を野放しにしたのは。

「では、私はこれで」

 急ぎ回れ右をして屋敷に逃げ込もうとして、ユハの碌でもない楽しげな笑顔に気付く。ああ、なんだか嫌な予感がする。

「ああ、そうだ。今日殿下が此方に来られるそうだよ」
「え?いつですか?」
「今だね」

 そう言って体をずらしたユハの後ろには、苦虫を噛み潰したような顔のイサークが同じく渋い顔をした近衛を引き連れて立っていた。ユハよ、いつから気付いていたんだ………。

「こんにちは。イサーク。えーと、勉強の時間じゃなかったんですか?新しく教師がついたと聞きましたが」

 間男との密会を見られた気分になってまうのは間違いなくユハのせい。

「早く終わったんだ。それで」

 言葉を切ったイサークはユハを睨みつける。

「剣の稽古をしようと思いユハを探していた」
「私ですか。よろしいのですか。彼女のもとをお訪ねになったのでは?」
「いや、ユハお前を探していたのだ。行くぞ」

 強い声で告げるとイサークは身を翻した。ユハとイサークの会話を無視してひたすらに近衛と目を合わせないように努力していると、背中越しに声をかけられた。

「サカキ、その髪留め。誰に貰ったか知らないが似合わんな。今度もっとお前に相応しいものを持ってくる」

 その言葉に、ユハは口もとを歪めた。屈辱からではなく、笑いをかみ殺して。イサークが見ていなくて良かった。お願いだから喧嘩ならよそでやってくれ。


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