抵抗を恐れての事なのだろうが、容赦なく地面に押し付けられた背中の重みのお陰で、息もままならず声も出せない。乱れた髪が顔を覆い目配せも不可だ。
反抗の意志無しってどうやって伝えりゃいいの?地面を叩けばレフェリーストップでも入るのかい?
窒息という予定外の方法により生命の危機に晒されていると、首の後ろに何かが触れ、僅かな痛みが走った。
「術は封じた。少し弛めてやれ」
美声の主の言葉に、かかる力が僅かに緩んだ。
「ゲホッゲホ、ヒュー」
待ち焦がれた酸素に喉がおかしな音を出す。何時か苦しい呼吸を繰り返し落ち着いた所で、私はそっと顔を上げた。
目に飛び込んだのは、金に近い薄い茶の長い髪を持つ、その低い声にはやや不釣り合いな中性的な美貌の男だった。目が合った瞬間、男の顔に驚きと当惑が広がる。
「子供ではないか………ユハ、離してやれ」
子供? 誰が? ―――――まさか、
眉根を寄せた男の茶色い瞳を呆然と見つめていると、首筋に当てられていた鋭利な刃物がひかれ、次いで、背後の人間―――恐らくユハと呼ばれた人物だろう―――の手が、肩から腰、更にはスカートに包まれた足を軽く叩くように移動していく。
どうやらボディーチェックらしいと気がついたときには、一通り調べ終えて満足したらしい大きな掌が、脇に差し入れられていた。そのまま、ぐっと強引に抱き起こされる。反射的に、振り向こうとして、全く力が入らない事に気づかされた。四肢どころか体幹のそれさえ失った体は、空気の抜けたバルーン人形のようにくたくたと崩れ落ちそうになる。
「参ったな」
慌てて肩を抱きこみ、背後から覗き込んできたのは、はっとするほど鮮やかな一対の緑の瞳だった。
「大丈夫かい? お嬢ちゃん」
そう、こちらの様子を問う声は、押さえつけられていた時の冷たいものと同一人物とは到底思えない、暖かく気さくなものだ。
先ほどまで噂話に興じていた兵士の一人が、松明を掲げた手を寄せてしゃがみこむと、緑眼の男の顔が炎に照らされる。精悍な造りをした男の、右の耳は潰れ引き締まった右頬には斜めに走る刀傷と思しき痕が残されていた。せっかく男前なのに非常に惜しい。しかし、当の本人は微塵も気にしていないのだろう。癖のある赤みがかった茶色の髪を短く刈り隠そうともしない。
「なんと、本当にまだ子供ですね」
「12、3といった所でしょうか?何故このような所に………」
息を整えつつ用心深く辺りを見回す私を見て、鎧の兵士が次々に口を開く。
あの、子供って私の事でしょうか? もう25の歴とした成人なんですけど………。2、3歳若く見られる事はあったけれど、一回りも下に見られるなんて初めてだよ。というか有り得ないでしょう。どうみても。人種の違いの成せる技なのか?
呆れて男達を見回すが、ふざけているわけではなさそうだ。私を取り囲み皆一様に眉をひそめ、困惑の表情を浮かべている。対処に困っているのだろう。
これはひょっとしたらチャンスなのかもしれない。
―――殿下とやらを狙う20半ばの黒髪の女呪術師―――本来ならば一致してしまう条件が、子供だと思われる事によって外れるのだから。
あのルードヴィーグという男が、こいつらの関係者ならいい。ここで重用されている権力者なら、あいつの話をして、多少なりとも疑いを晴らす事ができる。しかし、私にはあのヘボ賢者が、この場にいる人間と繋がりがあるとは思えなかった。あれば、私一人をこんな場所に放置して姿をくらまさないだろう。
むしろドアを開けたら別世界でした。等という奇妙奇天烈な話自体、さっぱり信じてもらえない可能性が高いのではないだろうか。異なる世界の存在が公に知れ渡っていて、行き来が比較的自由に出来るのであれば、今頃世界間交流が盛んに行われているはずだ。だが、そんな話は聞いた事もない。そういえば、あの賢者を名乗る男も、「異界渡りはそうそう出来る事ではない」と口にしてはいなかったか………。
よし、ここは一つ誤解したままでいてもらおう。幼気な子供の振りをして、探りを入れつつ現状把握といこうじゃないか。
私は半ば自棄っぱちな前向き思考で己を奮い立たせると、怯えた目で彼らを見回した。
「おじさん達だれ?」
「お前、歳は?」
こちらの質問を無視して、美声の主が訊ねる。些か面食らったものの、逆らう気などさらさらない。長いものには巻かれる主義だ。
「………13歳」
「名はなんという?」
「………榊、恵子」
「サカキ=ケーコ? 聞かぬ名だな。何故このような場所にいる?」
何故って、こっちが聞きたいぐらいだよ。
子供と思っているにしては随分と容赦がないと感じるのは、文化の違いのせいなのか、それとも職務に対する熱意から来るものなのか、今ある知識だけではいかんとも判じ難い。
どうか後者でありますようにと祈ると、くしゃりと顔を歪めて見せてから、素早く目元を両手で覆った。いざ、泣く子には勝てぬ作戦だ。
「お母さん、どこ? 怖いよ。助けて、お母さん」
大根役者も真っ青なクサい演技は、しかしながら及第点であったらしい。周囲の困惑はみるみる深まり、背後の男があやすように背中を叩きだす。今が夜でよかった。
とんとんと背中を打つリズムが心地よい。緑目男の厚意に身をゆだねながら、私はさらに激しく泣いた。泣き続けた。結果、
「泣くな」
低く落とされた声には、戸惑いとため息が混じっていた。
「うわーん、お母さん」と駄々をこねるように延々と泣き伏す25歳の女に、さすがにイラッときたらしい。その気持ちはよく分かる。
「先ずは傷の手当てを。ユハ、この者を医務室へ。落ち着いてから話を聞くとしよう。衛兵、サウルに次第を取り次げ。皆を持ち場に戻らせ、隊長に私の部屋へ来るように伝えよ」
それだけ言うと、金茶の髪の男はさっさと踵を返して歩き出してしまう。
男の命に対し「はっ」と短く返事を返した兵士達が、此方を気にしつつも慌てた様子でそれぞれ違う方向へと駆けて行く姿を、指の隙間から捉えて、ほくそ笑んだ。―――――勝った。
だが油断は禁物だ。敵はまだ残っている。
「立てるかい?」
気付かわしげに訪ねる、1人残ったユハという青年に、黙って頷き立とうとして………立てなかった。これが俗に言う、腰が抜けるという現象なのだろうか? 腰というよりは、膝が笑って力が入らないような気もするが。
呆然としていると、私の異変に気付いたらしいユハが「ちょっと失礼するよ」と呟く。どうする気なのだろうと、目を瞬いた時には、私の体はふわりと宙に浮き上がっていた。
抱き上げられたのだと分かった次の瞬間、人生初のお姫様だっこだとか、その相手が二枚目だとか、何だかいい匂いがするとか、そんな感慨をすっ飛ばして私の胸を占めた事はと言えば、涙の痕がないのをどうやって隠蔽するかという色気もへったくれもない切実な問題だった。
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