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第六章 後見人
26 後見人 (4)
石造りの建物は全体的に白っぽく、無機質で冷たい印象をうける。木々に覆われたそこは外界から隔絶された一個の空間のようで、この屋敷の周りだけが違う時の流れに身を置いているようだった。苔むしたベンチと風にふかれて可憐に揺れる野の花のみが訪れるものを出迎え、時折聞こえる鳥の囀りが僅かばかりの慰めをもたらす。
 なんというか、浮いているな。
 少し先には神官達が行きかう宿舎があるというのに、この周囲だけ人っ子一人いないってどういうこと。
 今日からお世話になる神官長エイノ宅は、予想に反して寂れていた。城ほどとはいかないだろうが、数多居る神官達の長の屋敷なのだしもう少し瀟洒なものだと思っていたのに。
 恐る恐る扉の前に立つと、ノッカーを叩き家人の招きを待つ。

……………誰も出なかった。

 指定された時間に来たというのにこの扱い。本当に気を配らない男だ。
 どうしたものかと後ろのクリフトを振り返るが、困惑した顔を返されるばかりで埒が明かない。試しに取っ手に手をかけてみると、盛大に軋む音がして扉が開いた。油ぐらいさせ。
 これからの生活に大きな不安を覚えた。

 あ、中は意外と、きれ………い?扉から顔を覗かせ見渡せば、外観から想像したほど酷くないが。うーん、生活観ゼロだな。悪い意味で。
 飾り棚の上には花瓶が置かれているが其処にあるべきはずの花がなく、通路に敷かれた絨毯は変色していて何時の物か分からない。辛うじて掃除はしてあるようだが、飾り気は皆無だ。
 どうしよう?扉開いちゃったけど。外で待つものなんだし入ってもいいかな。思案していると壁際に置かれた長いすに目がとまった。あそこで待つか。
 足を踏み出し一歩二歩と進むと、突如として現れた光の壁に阻まれる。驚き後退しようとして硬いものが頭にぶつかった。
 まさか!
 慌てて振り向けば思った通り後ろにも、更には両サイドにも光の壁が出現していた。
 閉じ込められたよ。何これ。防犯用の罠?理解不能の現象だがちょっとやそっとの事では驚かない自分がいる。鍛えられたものだ。
 壁を叩いて扉の外に居るクリフトに助けを求めるが、音が吸収されているようで応答がない。私は早々に諦めて床に座り込んだ。
 石の床から冷えが登ってくる。次の生理が辛くなったらエイノを恨んでやる。いやそんな事よりも尿意を催す前に帰って来て欲しい。
 何もする事がない。よしっ枝毛でも探すか。おもむろに髪を手に取るが枝毛は一本も見つからない。毎日アイラ達が香油を揉み込んで丁寧に梳ってくれていたおかげだろう。水仕事をしていない為手も艶々している。残業も飲み会もない規則正しい生活で肌の調子もいい。なんて健康的。
 ………………働きたいなぁ。
 働いて地に足をつけて安定した生活を送りたい。身分とか陰謀なんてのとは無縁の場所で。ああ、駄目だ。弱気になっているな。どうもイサークの気持ちを知ったあの日から心がブレていけない。
 何も考えぬよう曲げた膝の上に額を置いて目を閉じた。視界が暗くなると急速に眠気に襲われる。昨晩は遅くまでサウルに貰った本を読んでしまい余り寝ていないのだ。今回の本は領地の女性を毒牙にかけては手ひどく捨てていた残忍で横暴な若き地方領主が、異国から来た姫君に恋をし、悔い改めて賢君に生まれ変わるといったシャフリヤール王とシェハラザードを思わせるストーリーだ。存外に乙女ちっくなチョイスに驚かされるが、トゥーリの趣味かもしれないな、と思うに至った。
 ―――――眠い。欠伸をかみ殺せば目に涙がたまる。
 不意に甘い香りの風が頬をなぜ僅かな衣擦れの音がし顔を上げるとエイノと目があった。いつの間に。お前は忍者か。

「泣いておるのか?」

 戸惑いを乗せた声で問われる。欠伸のせいですと訂正するのも間抜けな気がして、無言で立ち上がった。

「驚かせたようだ。すまぬな」

 白く滑らかな手が伸ばされ目尻にたまった涙を優しく拭われる。微かな、本当に微かな安心させるような笑みにギョッとした。何だこれ。別人?エイノの皮を被った何かに化かされているのか?

「遅くなった。屋敷を案内しよう」

 しかし次の言葉の前には何時もの冷めた表情に戻っていた。良かった。エイノだ。冷たい顔に安堵するのも妙な話だがエイノにはその顔でいてもらいたい。今は特に。

 屋敷は十二分に広かった。人が居ないから尚更広く感じる。必要最低限の使用人しかいない為にアイラ達が交代で来てくれる事になっているらしいが、必要最低限の人数がいるかも怪しいものだ。何せ使用していないと思しき所は埃が積もっていたしな。きれい好きなアイラが見れば悲鳴をあげて雑巾掛けに没頭しそうだ。
 エイノの部屋と私の部屋は近い。屋敷に入り向かって右の最奥が私の部屋になり、間に2部屋を挟んでエイノの部屋となる。食堂や風呂など生活に不可欠な場が全て屋敷左手にある為何をするにもエイノの部屋の前を通る事になってしまう。夜遅くに徘徊したら苦情を言われそうだな。気分は姑と同居する新妻だ。 
 荷物、といっても確固として私の持ち物だと言えるのはユハに貰った小物ぐらいで衣服は貸与されていると考えているのだが、は予め運び込まれており私は特にする事もない。
 部屋が多少狭くなり扉の前に兵が立たなくなった事ぐらいしか違いはなく、引っ越したという実感はわかなかった。
 部屋の椅子にエイノが座って居なければ。
 なんでこの人此処にいるんだ?人の部屋でお茶を飲んでいる?口を開く事もなく黙って茶を飲むエイノの対処方法が分からない。
 どうしよう。話をして情報を得たいと思うが2人きりになると会話に詰まる。

「あのっ」

 空になったカップを置いたエイノに意を決し話しかけた。

「礼拝の時間だ。私はもう行くが屋敷の中は好きなように過ごせ。外に出るときは兵を付けよ」

 能面のような表情で告げ去っていくエイノ。お近づきになるのは果てしなく困難な気がする。
舅じゃなくて、姑。


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