もう最低だ。まさか自分が少年を惑わす悪女のポジションに立つとは思わなかった。この世界に来てからというもの想定外の事だらけで思考がついていかない。いや、別世界に来るという事自体想定外もいいとこなのだけど。
どうする?嫌われるのは簡単だろう。思いっきり嫌な女を演じてやれば良いのだ。しかしその結果、イサークの庇護を失っては…………。
今は未だ駄目だ。狡いなぁ。ああ、やっぱり最低だ。どっぷりと自己嫌悪にはまり込む。隣ではモスキートが何やら喚いているが、雑音にしか聞こえなかった。
「お前、わかっているのか!」
歩きながらおざなりに相槌をうっていたのだが、腕を掴まれ、一際大きく怒声をあげられて仕方なく向き直る。
「存分に身にしみました。ご助言痛み入ります」
手を胸に腰をおり、嫌味な程うやうやしく対応すれば、モスキートの顔が屈辱に歪んだ。
平素ならばこんな対応はしなかったろうが、今の私には無理だった。売られた喧嘩なら、一ダースでも二ダースでも買ってやりたい気分だ。
「このっ」
あ。殴られる。振り上げられた手に、目を瞑りこそしなかったがこれから来るであろう衝撃に顔を顰め身を固くした。
歪めた視界が突如として真っ白になり、ムスクに似た甘い香りに包まれる。柔らかな感触が頬をくすぐった。
「この者が何か?ご無礼を働いたのであれば後見を勤める私の非にございます。お叱りは私が承りましょう」
耳のすぐ側で聞こえた声は低い。浪々と紡がれる、思わず聞きほれる程張りのある艶やかなその声に、エイノだと気がついた。ということは視界を覆うこの白い物体はエイノの神官服の袖か。頭の上から膝下辺りまでをすっぽりと包み込まれ、やっぱりこの長い袖でトイレはどうするのだと、場違いな疑問が湧いた。
「っつ。エイノか。………しっかりとそれを躾けておくんだな」
ついにお前からソレ呼ばわりですか。悔しげに捨て台詞を吐き出すとモスキートが離れていく気配がした。しかしエイノが腕を下げる気配はない。
あのー、いつまで私はこの中なのでしょうか。
「どうした。あのような態度。お前にはそぐわないのではないか?」
囲い込まれたまま耳元で諭すように言われ、美声にぞくりとする。
その声で耳元で喋るな!というか、なんでこのタイミングで優しくするんだ。いつものように高慢に接してほしい。
「気を静めよ」
だからっ、その声は反則だろう。喋るな。口を近づけるな。頭を動かすな。首筋に髪があたる。
「………すみません」
ぐらぐらと揺れる頭で、身じろぎも出来ずそう呟くと、ようやく開放される。
振り向きエイノの顔を見るのが恐ろしい。あの茶色い瞳に暖かな感情が浮かんででもすれば、どうなるか分からなかった。
「サカキ」
背を向けたまま動かない私に柔らかく声がかけられる。
えーい、儘よっ。
意を決し振り返るとエイノを見上げた。
――――――――――っ
ハイ、大丈夫。いつもの冷え切った目でした。無駄に疲れたわ。
「庇っていただいて、ありがとうございました」
お礼の言葉が事務的なものになってしまったのは許してほしい。
「お前の存在は今や特異なものとなりつつある。気をつけるのだな」
こちらの胸中など無頓着に感情の薄い顔で淡々と告げられる。
「はぁ。エイノさんはどうしてこちらに?」
まさかエイノまでユハとイサークの様子を見に来たのだろうか?
「資料をとりに屋敷に戻ったのだが」
何故そんな事を尋ねるのかといった顔で返され気付いた。マッチョな兵士の姿は消え周りを行くのは白い服を着た神官ばかり、何時の間にやら神官達のテリトリーに足を踏み入れていたようだ。
「ところで後見ってどういう意味ですか?」
さっき言ってたよな。モスキートに後見がどうのこうのと。
「私がお前の後見人となっただけだ」
だけって、そんな話聞いてないんですけど。
「いつまでもお前をただ城に住まわせておく訳にも行かぬのでな。後見をたて保護、指導する事になった。その後見人に選ばれたのが私だ」
人選ミスでしょ。いきなりの事に二の句が次げない。
「2、3日後には私の屋敷に越してもらう。そのつもりでいろ」
今日も自分の用件を言い終えるとエイノは去っていく。
いや、お近づきになりたいとは思っていたけども。
エイノと同居。…………胃が痛い。
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