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第五章 ユハという男
22 ユハという男 (6)
 西の庭園からの帰り道、私は足早に自室へと戻っていた。この姿でなるべく人に会いたくないから。なのに、ああ。こんな時に限って、何故会うんだ。一番会いたくない人達に。
 もっと遠くから分かっていれば回り道をして回避したというのに。角を曲がったところでバッタリと出くわしては、気付かなかった振りも出来ない。

「やあ、サカキちゃん」
「こんにちは」
「確か今日は殿下との食事会だったか。可愛いね。よく似合っているよ。なぁ、エイノ」
「………そうだな」

 ちょっと待て、なんだその沈黙は。その嫌そうな言いかたは。内心どう思っていようがお世辞の一つも言うのが世の常識だろうが。

「サカキちゃんが黒を着ると神秘的な感じがするね」
 
 ユハ、お前はちょっと黙ってろ。
 顔を強張らせ荒む私に、エイノは感情のこもらない声で告げる。

「近く、お前の処遇が決まるだろう。だが、案ずる事はない」
 
 そんな口調で案ずるなと言われても、無理だ。もうちょっと詳しく説明する気は………ないのだろうな。
 案の定、エイノは自分の言いたい事だけを言うと、さっさと行ってしまった。エイノの後に続いたユハが後ろ手にヒラヒラと手を振ってみせる。いいけど、今日はもう突っ込む気力もないから。

 翌日、朝早くから自室前の庭をぶらついていると、爽やかな笑顔を引っ提げてユハがやって来た。早いな。イサークとかち合わぬように時間を変えたのだろうか。
 「少し歩こうか」とのユハの誘いに2人で庭を散歩する事になった。一昨日のやり取りなど無かったかのように、ユハの態度は変わらず紳士的だ。歩調に気を配り、穏やかな笑みを絶やさず、段差があれば手を差し出す。
 狸め。

「殿下との食事はどうだった?」
「楽しかったですよ。花も奇麗でしたし」
「そう、それは良かった。殿下は今後の事について何かおっしゃっていたかい?」
「………イサークが私に近づく事でおこる弊害を心配していました」
「そうか。殿下は君の事を大切に思っていらっしゃるのだね」

 そう、なのかな。

「サカキちゃんは殿下の事をどう思っているのかな?」
「いい王子様じゃないですか?純粋で思慮深いし覇気もある。ただ………少し自己評価が低いというか、自分という存在を軽んじているように感じます」

 父王へのコンプレックスからか。一人で街に出るといった無茶は若さ故の無謀ばかりが理由ではないと思えた。何より自分を狙っている呪術士ではと疑いをかけられている私に、この様に情をかけるべきではないのだ。

「くくくくくっ」

 って人が真面目に質問に答えているというのに何を笑ってるんだ。

「ああ、ごめん。本当に君は面白いね。そういう意味での質問じゃなかったのだけど」

 じゃあ、どういう意味なんだよ。

「十代の少女とは思えぬほど鋭い事を言うかと思えば呆れる程に鈍くもある。サカキちゃんを見ていると退屈しないよ」

 背中を冷たい汗が流れる。ヤバイ。早くもぼろが出つつあるのか。

「ああそうだ。君の言ったとおりだったよ」

 戦々恐々としていると、思い出したように言われて首をひねる。

「赤子がいた」

 クリスタの事か。

「どうして分かったんだい?」
「勘です」

 違うけど。クリスタの胸元を見たときに気がついた。短大を卒業後すぐに結婚した妹が、念願の子供を授かり半年前に出産したのだが、赤ちゃんを見に行った時に散々ぼやかれたのだ。胸が張って大変だと。赤ちゃんにお乳をあげる時に見た胸元は僅かに左右の大きさが違い血管が青く透けて見えていた。クリスタの胸は妹の胸と同じだったのだ。

「勘、ね。女性の勘は恐ろしいね。彼女には振られてきたよ」

 仕事が速いな。………って振られた?

「振ったんじゃなくて、ですか?」
「俺は女性を振った事は一度もないよ。いつも振られるのさ」

 ………それは、

「最低ですね」

 言うべきではない言葉だと思ったが、言わずにはおれなかった。クリスタは兎も角、本気でユハを思っていた女性も居ただろうに。
 冷たくなじってやったというのに、ユハの唇は愉しげな笑みを形作る。その表情に腹が立って更に続けてしまった。

「別れる時ぐらい悪役になったらどうなんですか?」
「そうだね」

 嫌悪感も顕に吐き捨てた言葉に、ユハは柔らかく答える。
 その声音にハッとした。

「すみません。余計な口出しを」
「いいんだよ」

 言ってユハは艶やかに笑った。

「あと数年経てば、悪役になってもいいと思える女性が居るかもしれないな」

 緑の瞳が私を見据える。穏やかな日の光に照らされて、エメラルドのように混じり気のない澄んだ緑ではなく、様々な色が複雑に入り組んだ緑なのだと気がついた。その神秘的な翡翠の如き瞳に絡め捕られ、目が離せなくなる。ユハが私の髪をまるで愛しいものに触れるように優しく一房手に取るのをただぼんやりと感じていた。緑の瞳が私の目を捕らえて離さぬまま、ユハは手の中の髪にそっと口付ける。
 もう降参したい。この男にどうやって勝てるというのか。心の中で白旗をあげる私に、ユハは極上の笑みを見せる。
 ユハの前では、どうやら私は蛙になるより他はなさそうだ。

※※※ 余話 ※※※

 庭でユハと別れ、部屋に戻ると複雑な表情をしたトゥーリが出迎えた。

「先ほど殿下が見えられたのですが……」

 が?

「窓からサカキ様とユハ様の姿を御覧になりまして、その、お帰りになりました」
「…………………………うっ」

 トゥーリの言葉の意味を理解するのにたっぷり10秒はかかった。あのこっぱずかしいシーンを見られたのか?
 なんだろう、この落ち着かない気持ちは。まるで居もしない弟にラブシーンを見られたような居たたまれなさに、一日中苛まれる事になった。


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