この話のみ「 」=日本語。『 』=ノルティアの一言語となっています。
その日、私はとある会社の面接を受けに、バスと電車を乗り継いで某オフィス街へとやって来た。地下鉄の階段を昇ると日の光を受けて燦然と輝くビル群に囲まれる。
―――――眩しい。地下の蛍光灯に慣れた目には強すぎる光に、思わず目を瞑り俯くと、手を翳して影を作りそっと顔を上げる。家を出てからというもの、また駄目なのではと幾度も萎えそうになる心を奮い立たせここまで来た。
折からの不況で勤めていた会社が倒産してからというもの、落ち込む間もなく、職探しに励んできたが、求職者の溢れた昨今、そう簡単に見つかるはずもない。
何度もハローワーくに足を運び、求人紙のチェックも怠らず、面接も幾度も受けたが、全て空振り。失業手当も切れる寸前。焦る私の目にそれが飛び込んできたのは昨日のハローワーク帰りに、黒ぶち眼鏡をかけた栗色の肩までの髪を一つに束ねた男性に貰った、見慣れぬ求人紙を見ていた時だ。
事務員の募集。余りの好条件、理想の募集に矢も盾もたまらず飛びついた。急いで家に帰り、電話をかける。出たのは、穏やかな声の若い男だった。
「訳あって急ぎの募集ですので、明日にでも面接にいらして下さい」
男は丁寧に、けれど何度も、急ぎである事、すぐにでも勤めて欲しい事を切々と訴えると、面接の時間を指定し「お待ちしております」と電話を切った。
あまりの好感触に思わず首を傾げたくなる。これだけの好条件、焦らずとも幾人もの応募があるだろうに。まるで貴方に決まりましたと言わんばかりの対応だった。何やら引っかかりを覚えたが、ようやく差し込んだ希望の光に浮かれて、私はそれを記憶の片隅へとおいやってしまった……迂闊な事に。思い出しもしなかったのだ。
掲載されていた住所を頼りにたどり着いたのは、6階建てのまだ新しい小ぢんまりとしたビルだった。1フロア毎に1社から2社がオフィスを構えている。その最上階を借り切っているのが、私の目的地であるFOR社だ。
エレベーターから降りると、短い廊下を挟んで㈱FORのプレートがはめ込まれた、至って簡素な作りのドアがあった。
私は小さく深呼吸するとドアをノックし、緊張を押し殺した声で「失礼します」と告げる。
ドアを開けると目に飛び込んできたのは、一面の緑と1人の男だった。
―――――え? 疑問が形になる前に男が口を開く。
「ようこそシルヴァンティエへ!」
満面の笑みを浮かべた男が目の前にたらされた赤い紐をひくと、頭上を覆う青々とした葉を茂らせた木々の一枝に結ばれた極彩色のくす球が割れ、色とりどりの紙切れが降り注ぐ。
鬱蒼とした森に囲まれた小さな泉の前に立つ男の背後で、地を震わす轟音と共に盛大に花火が上がった。
私はあんぐりと口を開け、ドアノブを握った姿勢のまま、固まってしまった。
ここ、ビルの中だよね?
打ち上がった花火が火の粉となって静かに地に落ちる頃になって、ようやく私は体を動かす事に成功する。
「すみません。部屋を間違えました」
簡潔に、感情を込めず、そう言うと、踵を返して元きたビルの廊下へと足を踏み出そうとする。しかし、背後から伸ばされた男の手に肩を掴まれ阻まれた。
「間違いじゃありませんよ。お待ちしていました。榊恵子さん」
聞き覚えのある声。男は昨日の電話の相手であろう。残念な事に間違いではなかったらしい。名前を呼ばれ、首だけ振り返り、男の顔を凝視する。
にこやかな笑みを崩さぬ男の髪は金色で、その瞳は明るく澄んだ青い色をしており、顔立ちも日本人のそれとは違う。何より異質なのはその衣服。肩から足首までをすっぽりと覆う生成りの一枚布は、両肩の少し下からスリットが入り、どうやらそこから腕を出し入れするらしい。21世紀の日本では、ちょっとお目にかかれないデザインだ。
コスプレ好きで、斬新なリフォームが趣味の外国人。そう、例えばオフィス街のビルの一室に空間の奥行きを歪めて森を造ってしまうような。そうだ、そうに違いない。というかそういう事にしとこう。我ながら苦しい解釈を無理矢理飲み込み、
「ソーリー。アイドントスピークイングリッシュ」
素晴らしい日本語発音で告げると逃亡を図るべく前を向く。君子危うきに近寄らずだ。
「僕、日本語で喋ってますよね?」
「ソーリー。ソーリー。アイ」
「日本語、喋ってますよね?」
振り向きもせずに答えた声は途中で遮られた。
肩に置かれた男の手には、さして力がかかっているようでもないのに体が動かない。
すぐ傍に立つ男に僅かな恐れが生まれた。
「やだなー。大丈夫ですよ。別に獲って食おうって訳じゃないんですから」
私の怯えを敏感に感じ取ったのか、男は和やかな声で言う。
「さぁ、とりあえずお入り下さい。業務内容について説明させていただきます」
こうして私はなす術もなく、現代日本のオフィスビルから、森の広がる部屋の中へと引きずり込まれていった。
見上げればどこまでも高い青い空。白い雲が、緩やかに風に流されていく。地面は下草がびっしりと生え、靴越しにその柔らかい感触がした。辺りを木々に囲まれたその空間は森の中以外の何ものでもない。
ビルの中にいるはずなのに……わけが分からない。私の頭はフリーズ寸前だ。
無事に帰れるのかな。そう考えてハッとする。そういえばドアはどうなってるんだろう。慌てて振り返ると、扉の閉まったドアが其処にあった。そう、ドアだけが森の中にポツンと佇んでいるのだ。ドアを支える壁も柱もない。その可笑しな光景に脱力する。
視線を戻せばいつの間に用意したのか、男の前には小さなテーブルと椅子が置かれていた。テーブルの上には、菓子の載った皿とティーカップが2客あり、湯気をたてている。
「お茶が入りましたので、どうぞ此方に。お座りください」
いつテーブルを用意したのかとか、どこでお湯を沸かしたのかとか、なんかもう色々と考えるのが面倒になってきた。ドアはあるんだし、あそこから帰れるのだろう。差し当たって危害を加えられる事もなさそうだ。私はため息をつくと、椅子に腰掛けた。
その様子を見て、男は目を細めると向かいの席に座る。
「はじめまして。僕の名はルードヴィーグ。大賢者をしています。趣味は諸国漫遊。特技は異界渡りです」
わぁ、突っ込みどころ満載で突っ込む気も失せるわ。
「そうですか」
「ああ、そんなサラっと流さないで下さいよぅ。大賢者を名乗れるのは僕ぐらいなんですよ。異界渡りだってそうそう出来る事じゃないですし。もっと、こう驚いて欲しかったんですけど」
「へぇ、それはすごいですね。吃驚しました」
「棒読みで言われても嬉しくないです」
どうしろっていうんだ、この男は。演技臭く拗ねられて頭痛がする。
「どうぞ召し上がってください。ミリラで採れた茶葉で淹れました。癖がなくてまろやかで、僕のお勧めのお茶です」
こちらの事などお構いなしに、男はころころと表情を変える。どうやら遊ばれているようだ。
「………」
「さぁ」
「頂きます」
怪しい人間に勧められる飲食物程、口に入れたくない物はない。しかし、賢者に笑顔で強要され、渋々口に含む。
確かに美味しい。澄んだ琥珀色の液体は渋みの少ない紅茶のような味がした。が、いくら美味であろうとも飲みたくないものは飲みたくない。眉間にしわを寄せてちびちびと舐める様にお茶をすする。そんな私の様子を見て、ルードヴィーグはくすりと笑みをこぼした。
「どうです? 美味しいでしょう? さあ、こちらの菓子もどうぞ」
「………いえ、ダイエット中ですので遠慮しておきます………」
ひきつった笑顔でそう答えると、私はカップに両手をそえてうつむいた。誰が食べるか。
また、強引に進められるのではないかと思ったが、男は「そうですか? 残念ですねぇ。美味しいのに」と意外なほどあっさりと菓子を引っ込める。
それからは、暫しのティータイムとなった。賢者は何を考えているのか分からない笑顔で焼き菓子を頬張り、私はこの場から逃げ出す方法をひたすらに考えてお茶をすする。そうして賢者のカップからあらかたお茶が消えた頃、彼は静かに口を開いた。
「恵子さんは、自分が暮らす世界とは違う世界が存在すると考えた事はありませか?」
突拍子もない事を言い出す。違う世界ね。SFでよくあるやつ。なんといったか、確か、
「パラレルワールドってやつですか?」
「うーん、惜しい。少し違います。時の流れのみが存在する、まごうかたなき無の中から一つの世界が産声をあげた時、同時に幾つもの世界が誕生したのです。それらは互いに交わる事無く平行に、今日まで独自の時間を歩んできました」
壮大だな。そして少しどころか全く違うな。
「僕は、その平行して存在する別の世界から来たのです」
「はぁ」
「信じていませんね?」
信じるも何も、まず理解出来ないのですが。
「今、僕たちがいる此処もその別世界なのですよ」
悪戯っぽい笑みを浮かべて言われ、思わず腰を浮かした。ビルの中に森があっただけで充分許容範囲を超えているというのに、別世界だって?何という所に足を踏み入れてしまったのか。
「大丈夫ですよ。ちゃんと恵子さんの世界に帰してあげますから」
「今すぐ帰してください」
「まぁまぁ、そう慌てずに。何も恵子さんに危害を加えたりしませんし。ただ、一つ仕事を頼みたいだけなのです」
「お受け出来ません」
「にべもないですねぇ」
当たり前だ! 私は未知の世界に対する好奇心も探究心も持ち合わせちゃいない。天下太平、平穏無事がモットーなんだ。
「なんと言われても、仕事を引き受けるつもりはありませんので。では失礼します」
冷たく言い捨てた私に、ルードヴィーグは軽薄な笑みを浮かべた。
「そう言われましても、もう色々としちゃいましたし」
「はい?」
軽い口調で不気味な事を言ってくれる。
「色々って、何をしたんですか?」
『僕の言葉が解りますか?恵子さん』
「え?」
今のは、一体なに? ルードヴィーグの口から紡がれたのは、耳に馴染みのない言葉。英語でない事だけはわかったが、どこの国の言葉かも分からない。なのに――――
「解ります。―――――どうして………」
「ふふ、お茶に少しばかり細工させて頂きました」
「細工?」
「僕の血を媒介に術を組み、僕の知識と経験を基にノルティアで使われている幾つかの言語をあなたに与えました。あ、ノルティアっていうのはこの世界の大陸の名称です」
仰っている意味がいまいち解りませんが? 怒りも忘れ呆然としている私に賢者は言葉を続ける。
『同じ言葉で喋れますか?』
問われ、頭の中に複数の言語が浮かび上がった。なんだこれは。私の知らないはずの言葉ばかり、なのにすべて分かる。浮かんでは消える言葉達。その内の一つが同じものと理解して、言葉を返した。
『喋れ…ます……こう……ですか?』
聞き取りには苦労しなかったが、発声は少々難しい。知識はあっても口や舌が思うように動かないのだ。
『そう、お上手ですよ。慣れるまで少しかかるかもしれませんが、すぐに上達するでしょう。どうです?便利でしょう?僕のオリジナルの術なんです。いやぁ、これを開発するのは少々骨だったんですよ』
何故か照れたように言う賢者に、私はもはや返す言葉がなかった。
「では、本題に戻ります。恵子さん、あなたにはこの世界で探しモノをして来てほしいのです」
「探し物? 何を?」
「それは、追々と。あぁすみません。どうやら時間切れのようです。それでは健闘を祈っています」
「は? ちょっ……………」
無責任極まりないルードヴィーグの言葉と同時に、視界が霞んだ。突如として濃霧が発生したように、辺りが白くなり―――――気が付いた時には、美しいなんとも豪奢な庭に1人で佇んでいた。
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