生まれて初めて馬車というものに乗った。子供の頃、シンデレラを読んで憧れていた時期もあっただけにちょっと嬉しい。道が舗装されていればもっと嬉しかったんだけどな。
私は酔わないように小さな窓の外に意識を集中させていた。流れる景色はとっても目にやさしい。なにせ緑ばかりだから。城のすぐ外に街があると思っていたのだが、兵士や神官、一部貴族の宿舎や屋敷があるという区域を抜けてから、十数分、馬車はずっと森の中を走っている。
「サカキちゃん、熱心に眺めているところを悪いね。もう少しで街に出るから、そろそろカーテンを引いてくれるかな」
その声に視線を馬車の中に戻せば、相も変わらず不機嫌なエイノと、愉しげなユハがいた。
ユハのいう強力な護衛とは彼らの事だったのだ。なんで、この2人なんだよ。仮にも神官長と近衛だろうに。何故来る。暇なのか?そうなのか?
「お前は目立つ。街中ではフードを被ってもらうからそのつもりでいろ。いらん厄介事には巻き込まれたくなかろう」
おお、今日初めて喋ったな。無愛想エイノ神官長。そんなに嫌なら来なければいいのに。小娘の監視ぐらい、いつもの兵士に任せておけばいいものを。と思ってふと気が付いた。
「あの、エイノさん。具合が悪いんですか?顔色が良くないような……。一度馬車を停めたほうがいいんじゃないですか?」
その言葉にエイノは眉を寄せて不愉快そうな顔をし、ユハ面白げに口元に笑みを浮かべた。
「いらぬ世話だ」
「気にしないで、サカキちゃん。エイノは少し仕事が立て込んでいて疲れているだけだから」
ならなんで来たんだよ。疲れているなら城で休んでろ。やっぱり、腑に落ちない。わざわざこの2人が付いてきた事といい。メッセージが来た後の絶妙のタイミングでの街行きといい。街に何があるんだろう。嫌な予感を覚えながら私はカーテンを閉めた。
数分後一度馬車が大きく揺れたかと思うと、その後は格段に乗り心地が良くなった。どうやら舗装された道に入ったようだ。程なくして馬車が停まった。
「着いたようだ。サカキちゃん、フードを被ってくれ」
ユハに言われ、服の上に羽織った薄茶色の外套のフードを目深に被った。この外套も膝丈である。子供服は膝丈に限る、という法律でもあるのだろうか。
いつもよりボリュームの少ないスカートに、全体的に地味な色合いでまとめられた服に着替えさせられたのだが、街娘、もとい街の子供風の衣装なのだろうな。いつもの服より数段落ち着いている。普段からこの服にしてほしいものだ。もちろんエイノやユハも動きやすそうな簡素な服に着替えていた。
「どうぞ」
先に下りたユハに手を差しだされる。子供相手にも手を抜かない男だ。少し怯んだものの断るのも大人気ないかと思い手を重ねた。こういう事をされるとむず痒いんだけど。なにせ慣れてないもので。
馬車を降りると、石畳が敷かれレンガ造りの建物が並ぶ、異国情緒たっぷりな街並みに思わず見惚れた。しかしよく見ると、建物は古びており、人気はなく閑散としている。まるでヨーロッパの田舎を写した絵はがきのような光景だ。これはこれで趣があっていいものだが、洗練された城の様子から、規模の大きな活気溢れる街並みを想像していたのに、以外に貧乏国家なのだろうか。
「寂れていてがっかりした?」
「いえ、そういうわけじゃないですけど」
顔に出ていたのか。慌てて言い募るがユハは笑って答える。
「ここは街の外れでね。この馬車では少々目立つから、預けて行くんだよ。大通り沿いにいい店があるから、そこで食事をとろう。少し距離があるが、此処からは徒歩になる」
馬車は黒塗りで家紋も何もなく地味に設えてあるものの、使われている素材は全て一級品。流れるようなフォルムも実に美しくその上質さは隠しようがない。来る途中、すれ違った馬車はその殆どが質素な造りのもので、それとは明らかに違った。金持ちの貴族が乗っていますよと宣伝しているようなものだ。嫌でも人目を引くだろう。
「大通り周辺はそれは賑やかだからね。はぐれないように気を付けて」
へいへい。子供扱いだな。と思ってから苦笑する。子供と思っているのだから当然か。
「行くぞ」
常に私を気遣うユハとは対照的に、言うなりさっさと歩き出すエイノ。もちろん歩調は自分本位だ。あんたはもうちっと周りに気を使え。二人を足して2で割ったら、それは均整のとれた人間が出来上がるに違いない。日本人女性としては決して低くない身長の私だが、こちらでも長身の部類に入るだろうエイノとは、基準となるコンパスが全く違う。小走りとまではいかないものの、いつもの5割り増し速く歩かねばついて行けない。競歩のような状態だ。
「エイノ、女性に合わせろよ」
すかさずユハがフォローに入る。
チラリとユハを睨むように見た後、僅かに歩調を緩めるエイノ。
2人の関係は謎だ。地位はエイノが格段に高いが、ユハの接し方は弟に対する兄のソレのようだ。エイノも嫌そうにしがらも文句を言う事もなく従がっているし。そういえば2人の年齢を知らないな。20代半ばから後半だろと思うが、今度侍女さんに探りをいれてみよう。
歩き始めて結構な時間がたっていた。本当に遠いな。以前から運動不足だったが、最近の軟禁生活でさらになまっていた私には結構な距離だ。少し前から人通りも増え、商店なども見かけるようになったおかげで気がまぎれるけど。
色とりどりの果物や、不思議なデザインの衣服。用途の分からない小物を並べた雑貨屋のような店もある。当然の事ながらどれも日本では見た事のないものばかりで、興味を引かれた。
一軒一軒見てまわりたいなぁ。食事がすんだらお願いしてみようかな。まずは腹ごしらえだ。急な予定変更のおかげで昼食の時間はいつもより遅れている。朝食が早いからお腹がすいて仕方がない。もう少ししたら腹の虫が鳴るのじゃなかろうか。
「疲れたかい?もう少しだからね」
横を歩くユハが私の顔を覗き込んだその時。甲高い嘶きが聞こえた。続いて何かを猛烈な勢いで石畳に叩きつける音がする。なんだ?なんだ?辺りを見回すが、音の正体は分からない。慌てふためく私や周囲の人々とは対照的に、エイノとユハは冷静だった。
エイノがざわめきの広がる道の先を見つめゆったりと手をかざし、ユハが素早く私を背に庇った。2人が見つめる先の角から葦毛の馬が姿を現す。何かに取り憑かれたように暴れ狂い、悲鳴をあげ逃げ惑う人々を混乱に陥れていた。まさか平成も間近に産まれて、街中を走る暴れ馬にお目にかかる事になるとは思わなかった。なんの時代劇だよ。生きていると色んな経験をするものだ。
ふと馬が標的を定めるように此方を見たかと思うと、一目散に駆け出した。逃げなればと思う間もなく、恐ろしいスピードで迫り来る。
「エイノ!」
危ない!と叫ぼうとして私は信じられない光景を目にする。エイノが掲げた指の先、何もない空間に馬がぶつかって倒れたのだ。まるでそこに頑丈な壁が存在するかのように、鈍い派手な音を立てて横倒しになる馬。すかさずユハが駆け寄り、なおも起き上がって暴れようとする馬の手綱をひく。
慣れた手つきで馬を御するユハに胸をなで下ろした時、唐突に体が宙に浮き視界が反転する。何が起こったのか分からず呆然としていると、後方へ向かって猛スピードで体を持って行かれた。
「うっ」
腹に食い込む堅い感触に呻き声がもれる。体勢を立て直そうともがくが、腰に回された何かに自由を奪われ、一定のリズムで腹に当たる衝撃に、顔を上げる事も儘ならない。激しく揺れ動く視界に眩暈を起こしながら、誰かの肩に担ぎ上げられているのだと、漸く理解した時、大きく体が揺れた。角を曲がったのだ。僅かに顔が傾き、視界の端に、此方を見て膝を着き苦しげに眉を寄せているエイノと、未だ興奮状態にある馬の手綱を握り締め、悔しげな視線を送るユハの姿が映った。
そして、私は2人の視界から消えた。
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