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怖いひとたち

鏡の中の彼女

作者:鈴本耕太郎
 いつの頃からだろう。
 僕の周りの奴らは皆揃って狂ってしまっている。

 同棲中の恋人は、自らの意思を持っていないように僕の言う通りにのみ動く。掃除や料理等、家事全般は当たり前だし、僕が誘えばどこでも身体を許す。仮にもし、街中で頼んでも、それをあっさりと実行してしまいそうな程だ。始めは奴隷みたいだと思ったけれど、今ではロボットに近い存在だと感じている。見た目は可愛いのに、これじゃ勿体ないよね。何とかしてあげたいけど、どうにもならずに悪戦苦闘中。

 アパートの隣人は、いつも玄関の前に座り込んでいる。挨拶をすると、怯えたように「ひっ」と声を漏らして小さく丸まってしまう。僕が彼の部屋の前を通る時は、いつもそこにいるのだけれど、一体どうやって生活しているのか甚だ疑問である。まるで部屋を守るガーディアンみたいに感じている。と言っても、とっても弱そうだけどね。部屋の中はどうなっているのだろうか。もしかしたら重大な秘密が隠されているのかもしれない。例えば誰かの死体とかね。そんな訳あるわけないけど。

 職場の同僚達も当然のように狂っている。

 右隣の席に座っている彼は、毎日大量にコーヒーを飲んで、その空き缶を僕との席の間に壁のように積み上げている。清掃員によって、毎日の始業前には片付けられてしまうのに、一体何の為にやっているのだろうか。そういえば最近気付いたんだけど、壁に使っているコーヒー缶は毎日一本ずつ増えていっているようだ。先日数えた時は二十本を超えていた。いつまで増え続けるのだろうか。それにこんなにコーヒーを飲んで彼の身体は大丈夫なのだろうか。とても心配だ。

 左の席の彼は、かなりの潔癖症だ。数十分おきに除菌ティッシュで身の回りを拭いている。この前うっかりと、書類が彼の机の上にはみ出してしまった時は大変だった。悲鳴を上げて、転げるように逃げていってしまったのだ。そこまで過剰な反応をしなくても良いのにと思うのだが、書類くらいで一体何を怖がっているのか。全く持って謎である。そもそもこれでは仕事になる訳がない。会社はどうして彼を雇い続けているのだろうか。

 当然狂っているのは両隣の席の奴だけではない。
 前の席の奴はヘルメットを付けてデスクワークを行っているし、後ろの席の奴はいつも変なお面を付けている。上司はと言えば、当たり前のように机の上に正座して仕事をしている。あまりにも滅茶苦茶で溜息しか出てこない。
 こんな奴らに囲まれていたら、僕の方まで狂ってしまいそうだ。最近は転職も考えている訳だが、今取り組んでいるプロジェクトを途中で投げ出す訳にもいかないから困りモノだ。
 いや、もしかしたらすでに僕も狂っているのかもしれない。

 なぜなら鏡の中に、そこにいるはずのない女性の顔が視えるからだ。

 最初は、ただの偶然だと思った。疲れているのだと、自分を誤魔化した。でも違った。美しい黒髪の女性が、じっとこちらを視ているのだ。
 ――いつだって。どこでだって。

 朝、顔を洗った時、洗面台の鏡に。
 出勤中、鏡張りのビルの壁面に。
 職場のトイレにある備え付けの鏡に。
 帰宅中、鏡窓となった電車の窓に。
 夜、風呂場にある鏡に。

 僕がどこにいても関係ないと言わんばかりに、鏡の中からじっと視ているのだ。頭がおかしくなりそうだった。叫んで逃げ出した事は一度や二度ではない。それでもずっとそこに居続けるせいで、最近は少しだけ慣れて来た。怖い事には変わりはないけれど。
 僕は極力彼女と目を合わせないようにして生活をしていた。一度でも気を許せば、向こう側に引き込まれてしまうのではないかと思えたからだ。

 その日もいつもと同じように、彼女の視線から逃げるように、こそこそと生活をしていたのだ。そんな時、偶然街で学生時代の友人と再会した。しかしどうにも僕の記憶はおぼろげで、まるで初めて出会った人を相手にしているような気分になった。友人の方はと言えば、どこか怯えた目をしており、時折困惑した表情を覗かせていた。どうにも自分の中の記憶と今の状態が上手くかみ合っていないような、そんな気がした。
 その事がきっかけなのかは、分からない。でも僕は自分が自分でない様な、別の何かに侵食されているかのような気持ちになった。
 鏡の中の彼女は、僕に憑りつき、別の何かに塗り替えようとしているのではないか。そんな疑惑が僕の中で突然膨らんだ。

 気付けば家中の鏡を割っていた。
 狂ったように叫び声を上げながら暴れまわり、足で手で椅子で、身の回りにある物を振り回し、鏡という鏡を叩き割った。
「ざまぁみろ」
 肩で息をしながら、大の字で寝転がった。何気なく横を見て、そして気付いてしまった。
 割れた破片一つ一つに彼女がいて、じっと僕を視ていたのだ。
「うわぁぁああぁあああ!嘘だ!視るな!やめろ!やめてくれ!」
 滅茶苦茶に叫びながら家を飛び出した。
 自分が何かに乗っ取られるのではないかと思うと、怖くて堪らなかった。どうして僕なのだろうか。どうしてこんな目に合わなければならないのだろうか。
 いやだ、いやだ、いやだ……。
 走って、走って、走って、走って、ヘトヘトになっても走り続けた。
 躓き、盛大に転んだ僕の目の前にはショーウインドーがあり、そのガラスに僕と、僕を視る彼女が映っていた。
 もうダメだ……。
 精も魂も尽き果てて、一歩も動けない僕に、もう逃げ場はなかった。ただ黙って彼女の視線を受け止めるしかなかった。
 これで終わりだと全てを諦め、僕は目を閉じた。

 でも、一向に何も起こらない。
 不思議に思って目をあけてれば、変わらず彼女はそこにいた。ふと思えば、彼女が僕に何かをしようとした事なんて、一度もなかったのだと気付く。そもそも鏡の中にいる彼女に一体何が出来るのだろうか。
 そう思うと恐怖は薄れ、代わりに疑問が湧いて来た。
 彼女は一体何なのだろうか。どうして僕の前に現れたのだろうか。どうして彼女は……。

 あんなにも、悲しそうなのだろうか。 

 その事に気付いて、僕は目を見開いた。そう、彼女はとても悲しそうなのだ。同時に何かに怯えているようだった。僕が彼女の存在に気付く度に、何かを訴えようと口を動かしていたように思う。
 もしかしたら、そこに解決の糸口があるのかもしれない。

 僕は、勇気を出して目の前の彼女をじっと見つめ、彼女の口元に意識を向ける。何度も何度も同じように動く彼女の口。そして、ようやくその言葉を理解した時、僕の中で様々な記憶が蘇ってきた。

『みんなをたすけて』

 周りが狂っているのに気付いたのは、いつだったか。
 鏡の中に彼女が視えるようになったのは、いつだったか。
 それはどちらも同じタイミング。今取り掛かっているプロジェクト、裏野ドリームランドの再開発計画の為に現地調査を行ってからだ。

 僕はよろよろと立ち上がり、疲れた身体を引き摺って歩き出した。まだ分からない事はたくさんあるが、そこへ行けばきっと答えが見つかる。目的地はもちろん、裏野ドリームランド。
 電車とタクシーを使って辿り着いたそこは、まさに廃墟と言うに相応しい場所だった。門を潜り抜けて、向かう場所はミラーハウス。僕が担当したエリアであり、全ての元凶と思われる場所。鏡の中にだけ現れる彼女の存在ともリンクする。

 深呼吸を一つして、慎重に扉を潜れば、たくさんの鏡に覆われた迷路のような場所にでる。そこには鏡に映り込んだ、たくさんの僕。そんな僕を誘導するように鏡の中で常に進行方向を指差す彼女。彼女の誘導に従い、一歩一歩慎重に歩いて、辿り着いたその場所には一つだけ僅かに色の違う鏡があった。僕は彼女に導かれるように、その鏡に触れた。

 直後、僕の身体から何かが抜け出していき、鏡の中へと吸い込まれていくのが分かった。慌てて抵抗したけれど、どうにもならない。気付いた時には僕は鏡の中にいて、鏡の向こうで僕の身体だったそれに入った別の誰かが、じっとこちらを見つめていた。
 隣を見れば先ほどまで僕を誘導していた彼女が、泣きながら立っていて、遠巻きに大勢の人達が怯えた目で僕達を見ている。
「帰ってきてくれてありがとう」
 震えた声で彼女が言った。その言葉で僕はようやく全てを思い出したのだ。視線を鏡の向こう側へと移す。そこにいるのは、不満そうな顔をした、さっきまで僕が入っていた身体。
 その誰かが溜息交じりに呟いた言葉がミラーハウスに反響した。

「もう少しで壊せたのに……」


 

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