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ノブ、ちゃんと考えてよ 作者:奈備 光

7章

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46 頼むぞ、後輩!

「また来たぞ」
 ベッドに仰向けになって目をつぶっている黒井に声を掛けた。
「あっ、これはこれは。うとうとしてて気がつきませんでした」
「屋上に行こうか。今いいか?」
「はい」
 大矢は前フリなしに、本題に入った。
 佐野川はキックバックに絡んでいたのかどうか。
 佐野川犯行説を強化する、あるいは破棄するための情報収集だった。

「織田部長が死んだ。家に火事に」
「えっ」
「焼死や。まさか、一連の事件に関係のない放火やないやろ」
「ちょ、ちょっと待ってください。警察に拘留されているんじゃなかったんですか」
「おまえの情報網は、ほつれかけてるな。古いぞ、その情報。昨日、釈放されて現場に顔をみせた。で、今朝の夜明け前に家が焼けた」
「えええぇ!」

「佐野川が任意同行を求められた」
「なっ、佐野川さんが」
「例のキックバックの件な。あれには現金も流れていたぞ。中桜建設の坂本に聞いたら、金額の辻褄が合わない。キャッシュが織田の手に入ったか、あるいは中田部が手に入れたか、どちらかや」
「うーん、そうなんですか。そこまでは知りませんでした。僕はキックバックがあったらしい、ということだけを報告して、それきり手を引きましたから」
 大矢は、常に自分中心にしか思考しないこの男が好きではなかったが、最近では、この天真爛漫な若さが貴重なもののようにも感じていた。
 自分が危うく殺されかけ、若槻が殺され、織田も放火で死んだ。
 そんな状況になっても、この男は自分がキックバック事件の調査に関わったことを弁解している。

 思わず笑みがこぼれた。
 黒井が怪訝な顔をした。
 しかし、頭はフル回転しているようだ。
「佐野川とキックバック事件は関係あると思うか?」
 という問いに、即座に答えた。
「ないでしょう。彼がもしそれに絡んでいたら、もっと喰らいついていたはずです。なかなか貪欲ですから」
「うむ」
「それに、彼に出る幕はなかった。役者は全部すでに揃っていたんですから」

「そうか。そうやろな。役者というのは、中田部、加粉、仲介者の織田。実行犯として白井、鈴木ということやな?」
「具体名はなんとも言えませんが、まあ、否定はしません」
「佐野川は関係ないと」
「役割がないです」
「じゃ、視点を変えよう。若槻所長は、佐野川に弱みを握られていたとは考えられないか?」
「織田さんが焼け死んだことと関係するんですか?」
 黒井が、意味がわからないという顔をした。
「それとは関係ないことで。どうや?」
 唸ったまま、しきりに上体を揺らしている。
 考えているのだろう。
 あるいは話していいことかどうか、迷っているのだ。


 大矢は先ほどまでいた現場事務所の空気を思い出した。
 鈴木の暗い顔も思い出した。
 神妙な顔をして、電話口で幹部の誰かからの連絡を受けていたときの顔。
 鈴木も、佐野川が事情聴取されていることを耳にしているはずだ。
 しかし、現場事務所内の誰にも話そうとはしない。かたくなに、机の前に座り続けていた。

 誰もがすでに、なんらかのルートから情報を手に入れているというのに、いつまでたっても発表しようとしない。
 自分から部下に話して聞かせる効果的なタイミングを見計らっているのだ。
 あるいは、自分の身にいかなる危険も及ばないことがはっきりしてから、おもむろに発表しようとしているのだ。
 根木などはいつ発表があるのかと、そわそわしながらそんな上司の顔をちらちらと見ていた。

 大矢は、鈴木を上司として到底受け入れることができないと、はっきりと悟っていた。
 この気持ちを、誰かにぶちまけたいと思った。
 サラリーマンの愚痴だと言われようと、負け犬の遠吠えだと言われようと、この腹立たしさを吐き出さないではおれなかった。
 しかし今、目の前にいて、夕陽のシルエットになったナチュレガーデンの黒い塊を見つめている黒井は、その相手ではない。
 前途が明るいものと信じている後輩に、あるいはいずれは自分たちのクライアントになるかもしれないこの若い男に、そんな話を聞かせることはできなかった。

 しびれを切らした大矢は、ストレート勝負でいくことにした。
「おまえ、この前、若槻さんの空伝票のことを言ってたよな。あれ、佐野川も知ってたんやないのか? 元はと言えば、ミヤコ情報やろ?」
 黒井がぴたりと上体揺すりをやめた。
「たぶん彼も知っていたでしょう」
「やっぱり」
「なにがやっぱりですか? まさか、佐野川さんが若槻さんをゆすっていたなんて、考えていませんよね」
「違うんか?」

「知りません。でも、彼があれだけ若槻さんに厳しくされながら、なぜ、曲がりなりにも肩書きの上は部長職に留まっていられたか。大矢さんはどう思われます? あの年齢なら、普通はもっと下っ端で、こき使われているはずですよ。若槻さんの口添えが効いていたと思いませんか?」
「む……」
「彼がゆすっていたかどうかはわかりませんが、若槻さんは表向きの態度とは裏腹に、佐野川さんに目をかけていたとは考えられませんか?」
「おまえの状況判断は、なかなかのもんやな。さすがに経営者の卵だけのことはある」
 黒井が微妙な笑顔をみせた。
 気を悪くはしなかったようだ。
「初めてですね。先輩が僕にストレートにそんなことをおっしゃるのは」と、笑った。
 大矢もニヤリと笑い返した。


「ゆすっていた可能性はある。そうだな。すると、佐野川犯人説はなかったわけや」
「えっ、そんなのがあったんですか?」
「まあな」
「佐野川犯人説っていうのはないでしょう。佐野川さんにとって、若槻さんを失ったことは痛手です」
「わかった。じゃ、織田はどうや? 佐野川にとっての、織田は」
 と、聞いたものの、黒井が佐野川と織田の関係について特別な情報を持っているとは思っていなかった。
 聞いたのは勢いだった。

「つまり、織田部長の家に放火した犯人として、佐野川さんが警察の取り調べを受けている、ということですよね?」
「理由は聞いていない。しかし、関係ないはずはない。佐野川と織田には、どんな関係があったんや?」
 大矢は、黒井に聞いてばかりだなと思った。
 黒井もそう感じたのだろう。照れ笑いをしながら言った。
「僕が教えて欲しいですよ。僕も先輩と同じで、ここに着てからまだ日が浅いですから」
「まあな」
「鈴木課長や根木さんなら、何か知っているかもしれませんが」
「あいつらに聞く気はない」
「そうですか。先輩は若槻さんの懐刀でしたから、ま、当然といえば当然なんでしょうけど」
「そういうことやない」
「いいえ。先輩は立派な若槻一派ですよ」

 黒井が大矢を真正面から見つめた。
 そしてしっかりした声で言った。
「いいじゃないですか、それで」
「ん?」
「いいえ、ぜひそうあって欲しいです。堂々とね。せめて大矢先輩だけでも、若槻さんの名誉を守ってください。若槻教室の一番弟子として。僕はそう思います。僕は二番弟子でありたいと思っています」

 大矢は虚をつかれた。
 黒井の目を見つめ返した。
 真剣な目をしていた。
 存在感があった。初めてそう感じた。
 大矢の心の中では、せき止められていた小川が、たったひとつの杭を抜いただけでどっと流れ出したときのように、ある思いが噴出していた。

 そうだ! そうなのだ!
 だからこそ、自分はこうして若槻所長の事件の真相を追っているのだ!
 今、黒井が言ったように、自分は若槻所長の弟子だと言っていればいいのだ。
 派閥争いがなんだというのだ。

 そんなことにうつつを抜かしてなどと言いながら、自分は無関係でいたいなどと言いながら、派閥の概念に縛られ続けていたのは自分自身ではなかったのか!
 自分こそが、窮屈で浅薄なこだわりの袋の中に本当の気持ちを押し込んでいたのではないか!
 人目を気にするあまり、自由でありたい心を、意味のない他人の視線で縛り上げていたのではないか!
 鬱屈した狭隘な人間関係の中で、かろうじて浅い呼吸をするだけの人間ではなかったのか!

 心を開放せよ!
 無意味で独りよがりのこだわりを捨て、もっと本質的なこだわりを持て!
 しかも、堂々と!
 さわやかに!
 黒井の目がそう言っているようだった。

 目が風を感じた。
 目尻が冷たかった。
 黒井になにかを言わなくてはならない。
 しかし声が震えそうで、口を開けなかった。

 空を見上げた。
 雲が動いていた。
 かろうじて笑い、頷いた。

「頼りにしてますよ。先輩!」
 黒井の声はおどけていたが、腕を掴んだ手に力がこもっていた。
「頼むぞ。後輩!」
 そんなベタな台詞で、大矢は心の揺らぎをようやく押さえ込んだ。

「織田はキックバックのことを知りすぎていた。で、口封じをされた。あるいは、中抜きしてキャッシュを手に入れたことで制裁を受けた、というのはどうや?」
「もう決着済みなのに、今さら? しかし、それを言うなら、若槻殺しの用済みっていうのもセットにして欲しいですね。佐野川さんは加粉本部長から、まだもしかすると……。あ、いや、冗談ですよ! ちょっと調子に乗りすぎですね! 危ない危ない!」
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