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ノブ、ちゃんと考えてよ 作者:奈備 光

7章

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44 裏切りの歌

 翌朝一番、鈴木が自分の机の周りに所員を集めた。
「織田部長が警察の取り調べを受けているそうだ。俺が聞いた話によれば、怪しむに足る理由があるそうだ。誰かが織田部長の車を調べるように警察に知らせたらしい」
 さも不愉快だと言わんばかりに、周りに立っている所員らを睨みつけた。
「誰が警察に通報したのか、俺は聞いていない。なにを言ったのかもだ。誰だ。名乗り出てくれ。勝手なことをしたことは不問にふす」
 大矢は鈴木の紅潮した顔を見つめた。

 いつもの、虚勢を張れるだけ張った声とは違い、粘り気のある猫なで声が混じっていた。
 不問にふす?
 大矢は虚脱感に襲われた。
 自分が上司であることを強調するために、鈴木がこういう芝居じみた言葉を使うことが、あまりにも空しく感じられた。
 大矢は目をそらし、あからさまにメンバーを見まわした。
 どんな顔つきで、こいつの話を聞いているのか。
 そして誰が織田を密告したのか。
 しかし、いくつかの無表情な顔が、勝手な方向を向いて黙っているだけだ。
 根木は壁に掛けられた時計を見ていたし、昨夜、犯人探しにあれほど熱心だった香坂も、自分には関係ないというように、指の爪を調べている。

 昨夜、オルカを出てから天王寺駅で別れるまで、香坂は口をきかなかった。
 黙って大矢の前を早足で歩き、信号で止まったときにも、思いつめたように前を見ていた。
 天王寺駅で別れるときになって、やっと、顔を向けた。
 同じ職場で働くようになって、まだふた月ほどにしかならないが、あんな香坂を見たのは初めてのことだった。
「すみませんでした。私、ちょっとむきになってしまいました」
 と、笑顔を作ってくれたけれども。


 昨夜、大矢は話していないことがあった。
 若槻の空伝票のこと。
 生駒を信用できる男だとは思っていたが、情けない若槻の、いわば恥部をあの席で披露することはできなかった。
 黒井の情報を、調べもせずに、噂話として生駒や香坂の耳に入れることはできなかった。
 若槻の、ひいては自分たちの名誉を守りたいという気持ちもあったし、万一そんなことで、犯人を見つけたいという気持ちが薄らいでしまっては、とも思ったのだった。
 しかも、その若槻のささいな不祥事が、今回の事件にどう結びついているのか、いないのか、結びついているとしてもどんな関係があるのわからなかったからだ。
 むしろ、漠然としてではあるが、無関係だと感じていたからだった。

 香坂が目を上げた。
 目が合った。
 大矢はふと考えた。
 香坂の昨夜の反応。
 もしや、そのことを知っていたのではないか。
 だから、情報をすべて出し合ってなどと堅苦しい表現を使ったり、隠していることはないのかと迫ったりしたのではないだろうか。
 香坂が大矢を見つめ返していた。
 大矢は香坂の厳しい目に晒されて、落ち着かない気分になった。


 鈴木の言葉がまだ響いていた。
 口振りでは、織田が警察の取り調べを受けたのは、昨晩や今朝のことではないようだった。
「まあ、いい。後で俺に言ってきてくれ。ただ、このことについてはっきりさせておきたい。勝手な行動は禁止だ。いいな。この現場の面子を潰すようなことがあってはならない。会社の信用にも関わる話だ」
 鈴木が胸をそらせて、音を立てて息を吸い込んだ。
「自分の会社は、我々社員が全員一丸となって守る。当然のことだ。それが結果的には自分のためにもなる。軽はずみなことをしてもらっては困る。織田部長のことについても、そういう意味では大きな痛手だぞ。俺は、外部の人間が犯人であってくれればいいと思っていたし、今でもそう思っている。我々からみると一業者ではあっても、世間から見れば施工部隊は一団のものだ。君たちもそういう部隊の一員だ。自分の身は自分で守る。要は……」

 鈴木の訓話は続いた。
 この現場を守るために、会社の風評を落とさぬように、それが結果的に自分の身のためになると何度も繰り返して。
 大矢は突っ立ったまま、鈴木が自分自身の出世の門出に、つまらないつまずきを作りたくないとはっきり言った方が、よほど紳士的で、部下に対して正直な言い方だと思いながら、耐えた。

「若槻さんが殺されたことは、まことに残念で腹立たしいことだが、残されたものは彼の意志を継いで、立派な工事を成し遂げる。それが一番の供養だ。そういう気持ちで取り組んでくれ! 以上だ」
 誰も反対のしようのない当たり前のことを、さも自分の発想、発案であるかのように話すのは、この男のように偉そうに振る舞いたい人間の常套手段である。

 大矢は、田所や川上らの顔つきを見た。
 鈴木と同じ課長級だが、これほど背伸びした演説は、彼らにはできそうにもない。
 田所は純粋な技術者タイプで、会社の中で昇進するという野心が希薄。丁寧で仕事熱心ではあるが、人の上に立ちたいという気持ちが鈴木より数段劣っている。
 川上は長いものに巻かれてよし、という考え方の人間。典型的なサラリーマン。
 根木は別の現場に移動が決まっていたが、事件で手薄になったここに居残り、と発表されている。加粉一派かどうかは知らないが、内心を悟られまいとしているかのように、何度も瞬きをしながら鈴木の話を聞いていた。
 三人とも、椅子に座るや否や、何事もなかったかのように、それぞれの仕事に取り掛かっている。

 鈴木の今朝の態度からして、大阪支店から新しい所長が着任してくることは考えられなかった。
 奈良本店から来ることになるのだろう。
 そうなれば、大矢ら大阪支店の者は、そのまま実質的には奈良本店に転勤したような格好になるか、あるいは名実ともに転勤になるか、はたまたこの現場からはずされることになるかのいずれかだ。

 抑えようのない空しさが襲ってきた。
 携帯電話をつかんで、事務所の外に出た。
「えっ、織田さんが取り調べ!」
 生駒が電話の向こうで驚きの声をあげた。
「織田さんの車に、警察は興味を持ったとかで」
「そうですか。今日は昼過ぎごろに現場に行きますから」
 生駒が急に落ち着いた声をだした。
 大矢にも、これで事件解決か、という気持ちが膨らんできた。
「わかりました。他にもお話しておきたいことがあります。じゃ、そのとき」
 大矢は、若槻の空伝票の件を、生駒にはしておこうという気になっていた。

 昼前、大矢は中桜建設の坂本を、内装工事が始まる前の、誰もいない中間階の住戸に呼んだ。
 昨日今日と、織田はもちろん、織田工務店の人間は誰も現場に出て来ていなかった。
 いわゆるペーパーカンパニーに限りなく近い存在の織田工務店がいなくても、日常的な施工上の指示は、中桜工業に伝えれば事足りていた。

 坂本は話すことを渋った。
 発注者に対して、下請け業者が元請けからの受注金額をばらすのは信義上の問題になる。
 言えば、二度と元請け業者からの仕事は期待できない。
 しかし、どうせ仕事を請け負うのなら、織田工務店の下に入るより、ハルシカ建設から直接受注した方がいい。しかも織田は、警察の取り調べを受けている。いまさら信義を通す必要もない。

 そんな裏切りの誘惑が、坂本を捕らえたのだろう。
 一旦話し出すと、堰を切ったように、織田工務店の横暴振りを訴え始めた。

 うちはよく織田さんから仕事をもらっていたんですが、散々でした。
 いや、ここの現場のことじゃないですよ。
 こないだは個人住宅の改修工事をやりました。あれなんか、途中までやって、急に中止。
 ひどい話でした。完全な赤字です。
 うちみたいな弱小のところは、ひとつああいう現場があると、屋台骨が傾いてしまうんです。
 請負金額は五百万円でしたが、支払いを受けたのはたった百万円だけです。出来高で言えば、すでにもう三百万円は下らないというのに。
 ゼネコンの人らは、たったそれくらいのことで大げさな、とおっしゃるかもしれませんが、うちにとっては死活問題なんです。
 職人に支払う金は、待ってくれませんから。

 坂本は首を振りながら、哀れみを請うているかのようにうなだれた。
「そうなんですか。大変でしたね」

 それに、途中で止めろったって、現実に人が住んでいるんだし、屋根をそのままにしてほったらかすわけにもいかないでしょう。
 担当の石上がかわいそうでした。
 後片付けと称して、こつこつとせめて雨露だけはしのげるようにとやっていました。
 ところが、それを会社に言ってなかったもんですから、ひどく叱られましてね。
 私も悪いんです。気の毒に、減給ですよ。
 それに、大矢さん、誰にも言わないでくださいよ。
 実は、彼は次回の人員整理の対象者になっているんです。
 人員整理といっても、高々十人ほどの会社ですから、子会社に転籍なんて都合のいい話はありません。ありていに言えばクビです。
 ま、もともと正社員じゃなく、臨時雇いが続いているような立場ですし。

「そうなんですか。で、その個人住宅というのは、なんというお宅?」
「えーと、それはですね……」

 黙ってしまった。
 大矢の質問の仕方が、性急だったのだ。
 怖気づいたように顔に、緊張感が表れていた。
「中田部邸じゃないですか。織田さんから聞いたことがありますよ」
 大矢は鎌をかけてみたが、坂本は肯定も否定もしない。

 隠すことではないはずだ。
 言えないというのは、それがキックバックに絡んでの発注であることを、坂本が知っているからかもしれない。
 大矢は、質問を変えてみた。
「一旦請け負った中田部邸の改修工事を、なぜ織田工務店は途中で投げ出すことにしたんでしょう」
「さあ。詳しいことは聞いてません。もう必要はないとおっしゃられるばかりで」
「営業が何かチョンボでもしでかしたんかな?」
「どうでしょう……」
「中田部さんていうのは、三都興産の方だそうですよ」
「はあ……」
 すでに、坂本の顔にはありありと警戒心が現れていた。
 大矢の甘言にのせられて請負金額をばらしてしまい、織田建設の横暴振りまで披露してしまったことを、後悔している。

 坂本は額の汗を、作業服の袖で拭っていた。
 もはや坂本から意味のあることを聞き出すことは不可能だろう。
 釘を刺しておく必要があった。
「織田部長がなぜ取り調べを受けているのか、坂本さん、知っていますか?」
「いえ」
「じゃ、あんた方が中田部邸に絡んでいたことは、誰にも言わない方がいいし、あんたもこれっきり忘れた方がいいですよ」

 昼一番に、生駒が現場事務所に顔をみせた。
 大矢は生駒を会議室に誘い、早速、織田が取り調べを受けていることを話した。
「やはりね」
 生駒が頷いた。
「実を言うとね。地元でそのことが噂になっていてね」
「ご存知だったんですか?」
「ごめん。事情聴取を受けているとは聞いていた。昨日は、香坂さんと君のバトルになったもんだから、香坂説が圧倒的に有利になるようなことを言い出すきっかけがなくなってしまって。どうせすぐに耳にするだろうし。申し訳なかった」
「いえ、いいんですよ。僕の方こそ」
 大矢は若槻の不祥事のことを話した。

「そうか。それで大矢さんは佐野川犯人説を唱えていたんですね」
「あくまで可能性としてですが」
 会議室の扉が開いて、香坂が顔をのぞかせた。
「織田工務店の新任の方が、ご挨拶にお見えになりました。鈴木さんがおふたりに、応接のところに来て欲しいと」
 立ち上がったところを、香坂が呼び止めた。
「なにを話されていたんですか? 私に内緒で」
 織田工務店から新任者の挨拶があるということは、いよいよ織田の逮捕が確実になったということなのかもしれない。
 香坂の顔には笑みが浮かんでいた。
 大矢もおどけた調子で言った。
「昨夜の君とのバトルを、先生に謝っていたんだ」
「あら、バトル? そんなことありましたっけ? 尊敬してやまない大矢さんと私が?」と、舌を出した。

 織田工務店の新しい担当者との挨拶が済むと、鈴木が生駒を会議室に誘った。
 内緒の話があるようだ。
 凍りついたような笑顔を浮かべた鈴木の後から、生駒はほがらかに大矢に声を掛けた。
「今日はずっと現場にいますから、また何かありましたら、携帯にでも連絡をください」
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