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ノブ、ちゃんと考えてよ 作者:奈備 光

1章

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1 定例会議

「大矢、おまえ、奈良の現場に来てくれるか」
 大矢一成は、若槻の顔を見た。
 事務所の隅に置かれたソファに、向き合って座っていた。
 窓から大阪のシンボルタワー通天閣が見えている。大阪市天王寺区にあるハルシカ建設大阪支店工事部のオフィス。
 若槻が目じりの皺を、いつものように細かくひくつかせていた。
 大矢は目を落とし、塗装のはげたセンターテーブルの縁を見つめた。
「どうした。返事がないな」
「部長、それは先日も申し上げたとおり……」
「家から遠すぎると言うんだろ。しかし、よく考えてみろ。最近では珍しいくらいに、利益率の高い現場だ。工事途中からの参加だから、勉強熱心なおまえには物足りないかもしれないが、そこそこの高級マンションの物件だから、いい経験になるぞ」
 大矢は、若槻が説得しようとしているのではないことはわかっていた。
 部下である限り、どんな現場に行けと言われても、逆らうことはできない。しかも、今回は若槻自身が現場所長として赴任し、大矢について来いと言っているのだ。

 それでも大矢は渋った。
「遠いからじゃありません。私が今担当している箕面の現場はどうするんですか。もう工事は始まってますし、先日も私が担当ですと、先方のオーナーに挨拶を済ませたばかりです」
「ふん。おまえ、あの現場の方がいいのか?」
「個人的にいいかどうか、じゃなくてですね」
 若槻が言葉を遮った。
「あそこにはもう少し若いやつをやる」
 大矢は肩の力を抜いた。
「しかしなんでまた、大和中央の現場は、職員全員が工事途中で交代する、なんてことになったんですか?」
 大柄な大矢が小柄で華奢な若槻と向かい合って座っていると、部下が上司を見下ろしているように見える。
 スナックのホステスにそう言われたことを思い出して、大矢は猫背になった。

「白井さんの体調が悪いということだ。正確に言うと、全員が交替じゃない。鈴木とCADオペレーターは残ってもらう。根木もしばらくの間はいてもらうことになる」
 大矢は背筋を伸ばして、両膝の上に置いた腕を突っ張らせた。
 鈴木は課長級だが、今回の現場では副所長として赴任している。根木は会社の先輩だ。ふたりとも奈良本店の人間である。

「そうですか。しかし、あれは奈良本店の仕事じゃないですか。なぜ大阪支店の我々が行くことになるんです?」
「さあな。そんなことは詮索せんでもいい」
 聞き入れてはもらえなくても、大矢は自分の希望をはっきり言っておこうとした。
「私には箕面の現場をやらせてください」
 若槻が前かがみになって、上目で大矢の顔を覗き込んだ。
「仕事へのこだわりは大切だな。ま、箕面の現場にそんなに意欲があるのなら、それもいいか」
 なおも大矢を見据えたままだったが、一応は了解したというように小さく頷いた。
 大矢は上司の気が変わらないように、少し話題を変えた。
「白井部長はご病気なんですか」
 若槻は目をそらし、壁に掛かった時計を見て立ち上がった。
「おまえ、白井さんを知っているのか?」
「いいえ。会えば挨拶をする程度です」
「そうか。彼のことは俺もほとんど知らない。交代は社長の意向だ。向こうに行って、いよいよ人手が足りんということになったら、おまえにも手伝ってもらうぞ」
 そうとまで言われて、いやだとは言えなかった。
「はあ……」
 若槻がにやりと笑って立ち上がった。
 大矢は座ったまま、自分のデスクに戻っていく若槻を見送った。

 翌週の木曜日も、快晴の暑い日だった。
 現場事務所二階の会議室に入るなり、生駒はヘルメットを脱いだ。中の紙帽子が汗でぐったりと濡れていた。
「すみません。遅くなりました」
 生駒の到着を機に、定例会議が始まった。
 初めての出席である。

 毎週木曜日の午後に行われている会議では、週間の工事進捗状況と次週の施工予定、施工者から設計者に対する質疑、各種検査の結果報告、主要な出来事や注意事項などが議題となる。
 第四十回施工定例会議は、若槻米一の自己紹介から始まった。

 若槻が先週の定例会議が流れたことを詫び、自分はハルシカ建設大阪支店の工事部長で、体調を壊した白井に代わって現場所長として赴任したと挨拶をした。
 次に現場のゼネコン職員の交代と新しい現場組織の陣容を、三都興産の羽古崎や設計事務所の藍原に説明した。
 奈良本店の工事課長である鈴木三郎は、現場の副所長として従来どおりの役割。
 CADオペレーターの香坂さゆりも同様。
 課長代理の根木博之は奈良本店に戻るが、しばらくは引き継ぎのために残留する。
 他の奈良本店のメンバーはすでに引き上げ始めている。
 大阪支店からは、工事課長の田所俊介、総務課長の川上栄太郎、工事主任の田所洋介、大矢一成、黒井康之が参加する。大矢を除く四人はすでに着任している。
 いすれの所員も、すでに羽古崎や藍原への挨拶を終えているようで、定例会議への初参加という意味でのセレモニーだった。
 若槻に促されるまでもなく、新任の四人はさっと立ち上がり、黙って一礼した。

 会議室の上座に、事業主である三都興産の羽古崎と打田、その隣りに設計者であり監理者である藍原や生駒、向き合って正面にはゼネコンの職員たち。
 丁寧に水拭きされたテーブルを囲んで、会議の面々が座っている。

 羽古崎の正面に座った若槻は、落ちつき払って参加者を眺め渡し、小さな体から威圧感を発散させていた。
 無造作に七、三に分けた髪には白いものが混じり、目の下の皮膚が弛んでいるほかは、日に焼けて引き締まった面をしている。
 飛び出た頬骨と、尖ったあご。薄い上唇。鋭い目つきが仕事に対する厳しさを感じさせた。
 若槻の両隣には、鈴木と田所が占めていた。二人とも生駒と同年配か、少し上だろうか。
 田所はレンズの大きな昔風の眼鏡に何度も手をやっている。総務担当の川上は通常ならこの会議には参加しないが、今回は挨拶ということで末席に座っていた。

 会議はすぐに本来の議題に入った。
 進行役は、工事監理者である日晃設計の藍原だ。
 若槻が先週の工事進捗および次週の施工予定について、ポイントを押さえた簡潔な説明を始めた。
 若槻が実質的に赴任してきたのは二日前の火曜日だそうだが、既に現場内をくまなく歩き、各下請け業者とも面談を済ませていたようで、説明にはそつがない。
 もちろん、赴任してくる前に、図面や見積書にも入念に目を通してきたのだろう。計画そのものも完全に頭に入っているようだった。

 次に工事監理報告。
 工事監理とは設計図面どおりに施工されているかどうかをチェックすることであり、コンクリートの打設が進められている最上階での配筋検査の報告が、藍原自身からなされた。

「若槻所長。ご紹介が遅れましたが、こちらは生駒さんです」
 藍原が報告の最後に、生駒を紹介した。
「私共の協力事務所として、主に住戸の内装設計をしていただいています。インテリア部分の設計監理もお願いしていますので、この会議にも今回から参加していただきました。本格的な内装工事はまだ少し先のことですが、購入者によっては内装仕様の変更を希望されている方もあると聞いていますので、工事進捗との絡みがあるでしょうし、現場の方へ的確に変更指示をお伝えするという意味でも、今の時期から参加していただくことにしました」

 生駒は立ち上がった。
「モノ・ファクトリーの生駒です。よろしくお願いします」
 若槻と目が合った。
 微笑みのかけらもない目だった。
 目の下がぴくぴくとひくついていた。

 最後に、羽古崎がクライアントとしての簡単な締めくくりの挨拶をして、会議は終わった。
「生駒さんは奈良のご出身だそうですよ。しかもこのすぐ近くのお生まれだそうです」
 羽古崎がそう言って、生駒が若槻に自己紹介ができるきっかけを作ってくれた。
 羽古崎は、住戸内装の変更が多いと予想されるこのマンションの場合、生駒がゼネコンの現場担当者といい関係を作らないと良いものができないことを、よくわかっているのだ。
 生駒は努めて明るい調子で、名刺を差し出した。
「この近くに小学校卒業するまで住んでいました。昔、ちょうどこの現場の辺りには水路が通っていましてね。学校の行き帰りによく遊んだものです」
「ほう」
 若槻が興味を持ったようだ。口元に小さな微笑ができた。
 しかし、引き続き行われる外装の打ち合わせのために、タイルメーカーの社員数人が大量のタイル見本を持って部屋に入ってきたのを見ると、お手やわらかに頼みますよ、と言って再び席につき、顔を引き締めると会議資料に目を通し始めた。
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