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ノブ、ちゃんと考えてよ 作者:奈備 光

7章

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43 イチョウの歌

 その規則的なほくろの動きが乱れたとたん、香坂が念を押すように言った。
「どうでしょうか?」
 自信が少し後退したような声だった。

 沈黙が流れた。
 犯人の名を、香坂があまりにもはっきりと口にし、その推理の根拠まで解説したことで、誰もが驚いていた。
 しかし、あまりにもすらすらと解説されてしまうと、それに飛び乗るのではなく、一歩下がって慎重に考えてみたいと思うのは自然な心の動きだ。
 大矢は口を引き結び、身じろぎもせずに前を見ていたし、柏原は軽く頷きながらも、香坂を見つめているだけだった。

 生駒は香坂に同調した。
「確かに。最もありうる答えです」
 もちろん、生駒の頭の中には、佐久間や行武が話していた地元での織田のよくない噂がある。
 大矢が自問するように呟いた。
「しかし、なにか決め手に欠ける」
 それをきいて、香坂が、フッと息を吐き出した。
「確かに動機はありそうだ。ただ、あえてパーティの日に実行しているのは……」
と、香坂に向き直る。
「もっと人気のない日に実行する計画も立てられたはずやろ。なにも、大勢の人に目撃される危険性のある日にせんでも」
「だからですね!」
 香坂がまた自信を取り戻したようだ。
 精一杯主張するように、声のトーンが上がっている。
 いつもの打ち合わせのように。

「パフォーマンスですよ! 多くの人に衝撃を与えて、問題を大きくする。そうして、この現場の主導権を大阪支店から加粉派が取り戻す」
 生駒は、香坂のパフォーマンス説に相槌を打った。
「確かに、問題を大きくすることに意味があるのかもしれない。現に僕らはこうして集まっているし、地元でも織田さんのことで、噂が飛び交っているらしい」
 再び大矢が反論した。
「違うんやないかな」
「なにが?」
 香坂が、うんざりというようにカウンターに頬杖をついた。
「織田犯行説」
 大矢が香坂から目を離し、生駒に向き直った。

「あのパーティの後半、織田さんはずっと焼きそば屋をやっていました」
 とたんに、香坂が自信のない声を出した。
「そうだったかしら……」
 生駒は、あの夜の情景を思い出そうとした。
 確かに、織田は焼きそばを作っていた。しかも喜び勇んで、かなり長い間……。
 しかし、最後までずっとか?
 トイレで会った。
 シャーベットを持ってきてくれた後は、ケーキを配り歩いていた。
 それ以外の時間帯は?
 記憶になかった。

 そう、口にした。
「まあ、そうですけど」
 大矢も認めた。

「なるほどね」
 唐突に柏原がそう言い、また黙り込んで、大矢と香坂を眺め始めた。
 香坂は柏原の目を見つめ返していたが、やがて目を落とすと、グラスを手に取った。
 大矢はガクッと肩を落とすと、両腕をカウンターの下にだらりと垂らし、緊張をほぐすように肩と首を回し始めた。


 生駒は頭が冴えているのを感じた。
 今までの話を反芻してみた。
 織田犯行説。ありえないことではない。
 人を殺す動機としては弱いように思うが、それは第三者の印象であって、案外そんなことなのかもしれないとも思った。
 地元に住み続けている人の日常とはかけ離れた故郷への郷愁と同じように、その組織の中にいなければわからないこと。
 来る日も来る日も、その人の日常がある一定の環境の中で営まれることによって蓄積していく思念は、部外者にはうかがい知れない高みにまで、いつしか上り詰めていくこともあるのかもしれない。
 事件が起きた後で、あの人がまさかそんなことを、という周囲の反応は、典型的なパターンではないか。
 そうは思いながらも、これで一件落着という結論を出すことには逡巡していた。

 大矢が口を開いた。
「ところで、話は違うかもしれませんが、若槻所長が先生に渡そうとしていた書類。手に入れられましたか。パーティのとき、所長の机の上に置いてあったものですが」
「ああ、もらいましたよ。警察から」
「やっぱり警察が持っていったんですね。あれ、なんだったんですか? 差し支えなければ」
「地図ですよ。付近の古い地形図。それと関西建友会の会報。若槻さんが寄稿したもの」
 大矢が怪訝な顔をした。

 ふと生駒は、最後に聞いた若槻の言葉を披露してしまおうかと思ったが、思い留まった。
 古い地図は自分が送ったのではないと行武は言っていた。
 若槻も行武も本当のことを言っていたとしたら、あれは織田が送ったものに違いない。
 でも、なぜ?
 織田は、それでなにをしようとしていたのだろうか。
 昔話のネタに?
 わざわざ郵便で送らなくても、毎日のように顔を合わせていたのに?

 生駒の思考は、そこで止まったままだった。
 しかし、今それを披露すると、織田犯人説を強化するだけのことになりそうで、ためらわれた。
「昭和三十年ごろの国土地理院の地形図。僕たちが子供だった頃の松並町の様子がよくわかる。若槻さんは、話のネタにと思って、用意してくれていたんじゃないかな」
「ああ、そうですか。事件には関係ないのか……」
 大矢はがっかりしたようだった。
 香坂が別のことを言い出した。
「ねえ、さっきの大矢さんの話では、地元の有力者である織田さんが仲介役をした、ということだったでしょう? 有力者ってどういう意味ですか?」
 香坂は大矢に向かって言ったのだが、生駒から説明してくれということなのだろう、大矢は黙っている。

「織田工務店という会社は、織田さんの叔父さんがやっている会社だということ以外、詳しいことは知らない。織田さんは地元の町内会長の息子。母親はもう相当の歳のはずだけど、旦那の跡を引き継いでまだ町内会の会長をやっている。代々の織田家は、町内会の会長の家で相当な資産家。元はと言えば、あのナチュレガーデンの土地も織田家のもので、それを三都興産に売ったんだ」
「えっ! そうなんですか。元々は織田さんの土地だったということですか」
 大矢も香坂も驚いていた。

「織田さん自身の名義かどうかは知らないよ。たぶん違うんでしょう。母親のものだったんじゃないかな」
「そうか!」
 香坂が納得いったというように手を叩いた。
「つまり、織田さんは三都興産に土地を売り、ハルシカ建設にもその情報を流した。もしかすると、ハルシカ建設は織田家のひも付き業者として三都興産にアプローチしたのかもしれないわね。ねえ、ハルシカ建設は昔から三都興産と付き合いがあったんですか?」
 大矢が自信なげに首を振った。

「じゃ、やはりそうですよ。織田さんはハルシカ建設に工事を請け負わせて、その間で自分もうまい汁を吸おうということだったのよ」
「土地を売って儲けてなお、下請けとしても大きな利益を上げ、しかも中抜きして小銭を稼ごうってか? 太い野郎だな」
 大矢が低い怒気を含んだ声をだした。
 生駒も頷いた。

 柏原が香坂をほめた。
「香坂さん、冴えてますね」
「ありがとうございます」
 香坂はあっさりと礼を言うと、誰に言うともなく、まくしたてた。
「だいたい、汚いことが多すぎるわ。この業界すべてがそうだというわけではないでしょうけど、世間で土建業があまり評判がよくないのは当然よ。いつも金、金! 金が命!」

 大矢が反論した。
「話を混ぜかえすな。キックバックなんていうのは、どこの業界にでもあることやろ」
「ええ、そうですね。でもいつも内部で話しているのは、コストダウンのことばかりじゃないですか」
 聞き捨てならないと思ったのだろう。
 大矢が生駒をちらりと見てから、猛然と香坂の意見に抗議しだした。
 大矢の地が出た。

「それは違うぞ。いいものを作ろうと考えるのは設計者もゼネコンも同じや。ただ、ゼネコンの場合は設計者以上にコストのことも考えないとあかん。コストをかけさえしたらいいものができるというわけでもないのに、素人に限ってそう考えるやつが多い。設計者の思いやクライアントの希望をローコストで実現する。それがゼネコンの仕事のひとつでもあるんや。コストダウンだけに命をかけているわけやない!」
 香坂も負けてはいなかった。
「理想はね。でも、上のほうからいつも言われることは、いかにコストを下げて、利益率を上げるかということばかりじゃない」
「程度の低い連中はそう言うやろ。でも、実際の現場を見てみろ。俺たちがそんなことばかりに振り回されてるか? どうです? 生駒さん。そんなふうに見えますか?」
「ここの現場は、そんなことはないと思いますよ。みなさん前向きだし」
 柏原が生駒に目くばせをした。
 香坂に話をさせることが今日の命題のひとつだったが、杞憂だったなと言っているようだった。

「それに、地元がらみのことが多すぎるわ。この現場は」
 香坂が大矢に食い下がった。
「そうでもない。どこの現場でも、近隣対策上、地元業者を使うなんてことは、多かれ少なかれある。織田建設を使ったことがなんで悪い? キックバックの事件があったからそういうことを言うんやろうけど、もしその事件がなくて、ちゃんとした工務店なら、下請けとして使うことはなにもおかしくない。地元の人に喜んでもらえるわけやし、結果的にローコストでいいものができるんなら、いうことはない」
「織田工務店が、ちゃんとしたところだったのならね」
 香坂がそう捨て台詞を吐いて、グラスに手を伸ばした。
 大矢が大きなため息をつき、また首を回し始めた。
 一旦休戦だ。

「まだ、なんだかよくわかりませんが、加粉派の陰謀、キックバック事件、織田家。そういうことで繋がっているらしいということはわかりましたが、肝心の犯人はぴたりとは浮かんでこない。今までの話で、最も怪しいのは織田か、ということにはなりましたが」
 しかし、大矢が口にした結論めいた言葉に、また香坂が噛みついた。
「怪しいものは怪しい。はっきりしてるじゃない!」
「断定はできない」
「そうよ。でも、今日は自分の持っている情報を全部出しあって推理しよう、ということだったんでしょう? じゃ、今日の結論は出たということじゃないの? それともまだ新しい情報があるの? ねえ、大矢さん。おかしいんじゃないですか? 最初あなたは、キックバックのことは隠しておいて、佐野川さんが怪しいと言っていたわね。どういうことなの? ここまで話をして織田さんが怪しいという結論を出せないということは、まだ何か、私達が知らない情報があるのかしら?」
「隠していたわけやない。ただ……」
「ただ、なんなのよ!」
 香坂が険しい声をだした。

 生駒は少し驚いて香坂の顔を見た。
 まぶたまで赤くなっていた。
 興奮しているようだった。
 大矢と香坂の言い争いを、これまで目の当たりにすることはなかったが、さっき二人が声を荒げたときも本気で非難しているのではなく、いわばじゃれあいといったものだと思っていた。
 ところが、今の香坂の言い方には、剣があった。

 大矢も少し驚いたようだ。
 香坂の顔をじっと見つめると、ゆっくりとした静かな声をだして、言い争いを締めくくろうとした。
「隠していたわけではないし、もう新しい情報はないよ。ただ俺は、生駒先生にあの現場の恥を晒したくなかっただけ」
「ほら! やっぱり恥ずべきことだと思っていたんじゃない。さっきはあんなに格好つけたこと言ってたくせに!」
 大矢がやれやれというように、首をすくめて黙ってしまった。

 生駒も、香坂がここまで自分の推理にこだわるとは思っていなかった。
 確かに名推理だった。
 しかし、最も若槻に近い大矢が、結論とするには性急過ぎると言ったのだから、今日のところはそれでいいではないか。
 そう考えて、柏原の顔を見た。
 柏原が目元をほころばせて軽く頷き返した。
「さて、そろそろ今日のところは閉会にしましょう。主な情報は出揃ったということで、少し時間をかけて、それぞれで考えてみましょう。また続きをしますよね」
 大矢も香坂も頷いた。
「じゃ、次回までに大矢さん、密告者が誰か、引き続き調べてくれませんか。それから全員で織田さんの情報集め。一応、その線でいきましょう」


 大矢と香坂が帰ってから、優がポツリと呟いた。
「なんか、こう、ずばりって来ない話やね」
 生駒もそう感じてはいた。
「そんな些細な、そう言うと怒られるかもしれないけど、はした金やん。そんなことで人を殺す?」
「人殺しの理由なんて、周りの人にはわからない」
 柏原がいつもの台詞を吐いた。
「でもさ。ね、ノブ、イチョウの言葉は?」
「あん?」
「だって、イチョウは事件を一部始終見ていたんでしょ。その直後やん。綾ちゃんが声を聞いたのは」

すずめやすずめ、こすずめや。
あそべやうたえ、なくまいぞ、なくまいぞ。
はかのからすがこわいのか。
それならおってやろうぞ、落としてやろうぞ。
のどがかわくか、ひもじいか。
それならしねをまいてやろうぞ、ひえもとってやろうぞ。
さみしかろうて、くやしかろうて。
それならこがねのかかじゃ。

「しね、ってなに?」
「調べたよ。古語に、米のことをシネという例があるらしい」
「ひえは?」
「普通に穀類のヒエのことじゃないかな」
「じゃ、かか、ってのは?」
「蛇のことらしい。単純に、母親ってことかもしれないけど」
「ふうん。雀とからすと米と、蛇か」
「それで事件は解決するのか?」
 柏原が、いかにもあきれたという声を出した。

「わからないよ。そんなこと」
 ただ、聞き耳頭巾で聴いた言葉をおろそかにはできないことを、生駒は知っていた。
「そうそういつも、今のところ、上手くいくとは思えないけど」
「ヒントにはなるかも、って感じね。まずは雀ね。これが誰のことかわかれば、一気にいきそうなんだけど。もしかして、鈴木さん?」
「ん?」
「スズキ……、スズメ……」
「おいおい」

 ひとしきり、そんなことを言い合っていたが、柏原の一言で、いつものような議論に移っていった。
「さあ、リフレッシュタイムは終わり。登場人物を整理してみよう」
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