挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
ノブ、ちゃんと考えてよ 作者:奈備 光

7章

しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

更新通知 0/400

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

48/61

42 オートマチック

「なにか気がつきましたか?」
「織田さんの車?」
 香坂がはきはきした口調で答えた。
「察しがいいね。交替しようか?」
「いえ、続きをお願いします」
「了解。あの時、織田さんの車はエンストしたように一旦止まった。そしてアクセルを踏み込んで、無理やり発進した。織田さんの車はオートマチック。なのにエンスト? あの時、誰かがそう言いましたね」
 香坂が小さく何度も頷いた。

 ところで、大矢さんが教えてくれたことが、あと二つあります。
 廃棄物用の大きな鉄の箱の中が空っぽになっていたこと。
 もうひとつが、二階ラウンジの床の下端に血がついていたこと。

 床の下端、つまり天井。
 あんなところにどうやって血がついたのか。
 こういうことですね。
 若槻さんは吊るされてから、ぐいぐい上に引き上げられたということです。
 そのときすでに、若槻さんは血まみれになっていた。そして、二階ラウンジの床の下までロープで引き上げられて、コンクリートの天井に頭か首かをぶつけて血がついた。

 しかし、誰があんなところまで引き上げる?
 大力がいる。というより、人の力ではなかなかむつかしい。
 滑車かなにかで?
 でも例えば、こう考えるのはどうでしょう?
 さっき言ったように、若槻さんの首に巻きつけられたロープは二階ラウンジの手すりに掛けられ、二階廊下を通って突き当たりの開口部から下に垂れ下がり、地面に置かれたタイルの梱包の下をくぐって、織田さんの車に結ばれていた、と。

 タイルの梱包はひとつひとつは手で持てるが、積み重ねられた箱は重い。ちょっとやそっとでは動かない。
 それにあの箱は、角材の上にコンパネを敷いて、その上に積み重ねられてあった。
 ロープはそのコンパネの下をくぐって、織田さんの車に結び付けられてあったのでしょう。
 そして車が発進したとき、ロープがぐんぐん引っ張られ、若槻さんの体は引き上げられて二階の床に引っかかって止まった。
 つまり織田さんの車が、がくんと止まったそのときです。
 そして織田さんがなおもアクセルを踏み込んだので、コンパネの端で擦れたロープが切れた。
 ロープは切れた反動で、若槻さんが地下に落ちるときに、一気に建物内を駆け戻り、地下まで一緒に落ちた。
 だからロープの一方の端はあんなに長く、しかも端は引きちぎれたようになっていた。

 生駒が言い終わるやいなや、香坂が、ああっ、と小さな声をあげた。
「何か気が付いた?」
「えっ。あ、いえ、すみません。なんでもないんです。なぜロープがあんなふうに切れていたのか、不思議だったんです。なるほど、そうですよね!」
「それだ、違いない!」
 大矢が大声を出した。
 香坂が頷きながらつぶやいた。
「織田さんが……。そうか。やっぱり織田さんの車がそうだったのか」
 生駒は、大矢や香坂がそれ以上なにも言わないのを待って、言葉を続けた。

 ただ、疑問もあります。
 犯人が誰であるにしろ、織田さんがいつ車を発進させるのか、わからない。
 それに、その時点まで、首にロープを縛り付けた若槻さんをどうする?
 犯人が織田さんであっても同じことです。
 車に戻るまでどうする? 若槻さんを隠しておく必要があります。

「廃棄物用の箱!」
 大矢が叫んだ。

 そう。
 あの箱に、首にロープを縛り付けたままの若槻さんを隠しておく。
 車がいつ発進しても、そのまま若槻さんを引き上げてくれる。
 犯人はトイレのあたりで若槻さんを待ち伏せしていたのだろう。
 後ろから若槻さんの頭を殴って気絶させ、あるいは殺し、首にロープを縛ってから箱に放り込んだ。
 あんな箱の中は誰も覗かないし、念のために、ダンボールや養生シートの切れ端かなんかのゴミを、若槻さんの体に掛けておきさえすれば、見つかることはない。
 きっと箱の中には、その証拠が一杯あったんです。
 だから警察が中身をすべて持っていった。


 生駒は一息ついた。
 ぬるくなったビールを口に運ぶ。
 柏原が控えめに口を挟んだ。
「大矢さんと香坂さんは、今の生駒の話、どう思います?」
 大矢はそのとおりに違いない、と頷き、香坂は恐ろしいわ、と口元を手で覆った。

「犯行時の様子はおおよそ想像がついた。で、犯人像はどうなりますか? 現場の状態に通じていて、あの車が確実に運転されるということがわかっていた者ですよね」
 生駒の問いかけに、間髪いれずに大矢が応えた。
「佐野川なら十分わかっている!」
 香坂が、織田さん自身もね、と言った。

「しかし、今の絞り込み方だけでは、現場の人なら誰でも可能ということになってしまう。犯人がこんな残忍な手口を選んだことについては、どう感じますか? なぜこんな方法をとったのか」
「そうですね……」
 しばらく考えてから、大矢と香坂がそれぞれ応えた。
「犯人は、ある意味では、楽しんだのかもしれません。そうすることで恨みを晴らした。そんな感じがします」
「それを見て楽しんだともいえるけど、見せしめのために、ともとれます。いずれにしても若槻さんを吊り下げるなんて、想像するだけでも鳥肌が立つくらいに恐ろしいことだわ。もしも私がその場に居合わせたら、気を失っていたかもしれない。相当深い恨みを持っていたんだと感じます」

 生駒は自分の考えを話した。

 犯人が、なぜそんなことをしたのかはよくわかりません。
 ただ、自分が見て楽しむだけというのは違うかもしれませんね。それなら、あんなに人目につく場所でなくてもよかったわけだから。
 むしろ、人目につかないところで自分だけで楽しめばいい。
 あのとき、あそこで、誰もその瞬間を見なかったのが、不思議なくらいでしょう。
 犯人は織田さんの車だということを知ってか知らずか、運転されれば若槻さんをぶら下げるように仕組んだわけです。
 パーティが終わったあと、大勢の参加者が帰るとき、つまり一階ロビーの周りを誰が行き来してもおかしくない時間帯を選んだわけです。
 ということは、人に見られてもよいと考えていたんですね。
 むしろ、誰かに見せたいと考えていたのかもしれない。
 ということで、香坂説に分があるように思いますね。


 香坂が生駒の賛同を得て、ぎごちなく笑い、おずおずと言った。
「あの、私は織田さんが怪しいと思います。自分で車を運転して、確実に、その……、若槻さんを吊り上げることができるんですから。短絡的でしょうか?」
 柏原がニコリともせずに、その香坂説に応えた。
「いえ。あんまり複雑に考えすぎるより、シンプルな思考の方がいい場合が多いんですよ。さて、貸し切り時間も半分過ぎました。佐野川犯人説の解説は出ましたね。織田犯人説はどうですか? 香坂さん?」
 生駒に代わって柏原に聞かれることになっても、香坂には違和感はないようだった。
 むしろ、幾分、声に張りが出てきたようだった。

「それをおっしゃるのなら、加粉派犯人説です。加粉派の中に織田さんも含まれます。加粉派といっても、あの現場にはたくさんいます。ゼネコンの職員の中にもいるし、下請け業者の中にも」
「名指しすることはできますか」
「できますよ。でも、犯人かどうかということでは、なにも根拠がありませんから……」
 香坂が大矢の顔を見た。

 大矢は落ち着かなく柏原と香坂の顔を交互に見ていた。
「大矢さんはどうですか?」
 生駒の問いかけに、大矢は迷っているようだった。
 香坂が言った。
「もし私が邪魔なら、散歩でもしてきましょうか?」

 香坂は本気でそう言っているのではなく、大矢の逡巡をちゃかしているのだろう。
 頭を大矢の前に突き出して、大げさに顔を覗き込んだ。
「いや、そういうことやない。ここにいてくれ。じゃ、みなさん、内密にお願いしますよ」
 大矢はなおも言いづらそうに、グラスの中で生まれては消えるビールの泡を見つめていたが、やがて顔を上げるとはっきりした声で話し始めた。
「事件のことをお話しするより、なぜ私や若槻所長が、あの現場に配属されることになったのかということから、お話します」


 大矢の話は、事前に準備をしてきたかのように、整理されていてわかりやすかった。
「ということで、大阪支店がなぜあの現場の担当になったのかという、当初の私の疑問は解けました。キックバック事件についてわかったことは、これですべてです」
 大矢が話し終えた。

「なんと。そういうことがあったのか」
 明らかになった新しい事実に、生駒は唖然とした。
 香坂が以前、金にまつわる汚い話があると言っていたのは、こういうことだったのだ。
 若槻殺しの犯人探しに極めて有力な情報が提供されて、もう少しでぴったりくる推理が出て来そうな予感がした。
 香坂も考え込むように、カウンターの上に落ちた水滴を指でいじっていた。

「そのキックバック事件の中心に織田がいた。事実はここまでです。人から聞いた話もありますから、真実かどうか、わからない部分もありますけど」
「わかりました。で、あなたの推理は?」
 生駒は、てきぱきと進めようとした。
「推測ですが……」
 とたんに、大矢の口ぶりが自信のないものになった。
 唸るばかりで、一向に前に進まない。
 香坂が生駒を見つめている。
 生駒は、あなたが話す? と目で促した。

「さすがに社員としては、同僚のことを話しにくいんでしょう」
 香坂はあっさりと、その話を引き取った。
「今の話、私、初めて聞いたことですけど、そういうこともあるんでしょうねって感じです。でも、わかりやすい話だったから、それを元に私が推理しましょうか。思いつきの範囲を出ないかもしれませんけど」
「ん……」
「行き過ぎだと思ったら止めてください。いいですか? 大矢さん」
「む……」
 香坂の話は単純明快だった。

 キックバックの要求を呑んだからかどうかはわからないが、ハルシカ建設にとって、加粉派にとっても、この現場はおいしい仕事だった。
 社内でも指折りの大きな物件だったし、利益率もいい。
 ところが、キックバックが行われたことが、誰かの密告によって三都興産上層部の耳に入るところとなった。
 三都興産の担当本部長中田部は処分。ハルシカ建設でも応分の処分。
 キックバックの指示をしたのは加粉だが、白井を身代わりとして九州へ左遷。
 そして現場は、施工途中で加粉派の手を離れ、仇敵若槻のものとなった。
 密告者はそれなりの調査力を持っている立場の人間のはずだと考えた加粉派は、地元に繋がりのある若槻を疑った。しかも、若槻の下には三都興産の関係者である黒井がいる。
 黒井からなんらかの情報を得た若槻がキックバックの存在を知り、加粉派追い落としのために密告したに違いない。

 そう考えた加粉派は、かねてから邪魔で仕方がなかった若槻を、この際、排除してしまおうと考えた。
 指示したのは加粉。
 阿紀納を参謀に、織田を実行犯として若槻殺害計画を実行させた。
 吊り上げるという残忍な犯行は、もっと特殊な個人的な恨みが犯行の動機であると見せかけるためのカモフラージュである。

 黒井の事故については、二通りの考え方がある。
 ひとつは、キックバック事件を封印してしまおうと考えた加粉派による犯行。
 この場合は若槻を狙ったと考えられるし、黒井を狙ったとも考えられる。
 二つ目は、若槻自身の犯行。
 若槻は黒井を使ってキックバック事件を内偵していたのかもしれない。
 その内偵の事実を覆い隠そうと、若槻が口封じのために黒井を殺そうとしたのではないか、という考え方だ。

「あるいは、こういうふうにも考えられます。もっと単純に」
 香坂の第二説だ。
 若槻の密告によって、キックバックが明るみに出たという前提は同じである。
 織田は若槻の密告によって、キックバックのパイプ役としての役得から排除されたことを恨んでいた。
 あるいはキックバックを知った若槻が、織田をなんらかの形で脅迫していたのかもしれない。
 織田は腹いせに現場のゴミを撒き散らしたりしたが、それを責められ恨みが増した。
 この説の場合は、黒井の転落事故も織田が犯人だということになる。

「うーん。大胆なことを言うな」
 と、大矢が唸った。
 香坂は、自分の推理で決まりだといわんばかりに付け加えた。
「細かいことはまちがっているかもしれませんが、大筋はそんなところじゃないでしょうか」

「佐野川犯人説より、説得力がありそうですね」
 生駒は驚いてしまった。
 香坂の頭が切れることは知っているつもりだったが、今聞いたばかりのキックバックの話を元に、ここまですらすらと解説してみせるとは。
「佐野川は関係ないんか?」
 大矢はまだこだわっているようだ。
「関係ないわ。だって、あの体格でしょう。パーティの最中にロビーの辺りをうろちょろしてたら、いやでも目につくでしょ。それに、一旦帰ったはずの人がうろついているの見たら、怪しむじゃない。そんな危険を冒して、あんなショーを演じることはないと思います」
「ショーか」

 それが最も近い表現かもしれない、と生駒が言ったことで、香坂は自信を深めたようだった。
「織田さんは動機もあるし、佐野川さん以上に現場の中のことにも精通しています。そして、若槻さんを車で引っ張り上げたのも織田さん自身!」
 香坂は再確認するようにそう言って、犯人は織田で解決済みといわんばかりに、カウンターを指先でこつこつと叩き始めた。

 生駒は今のような香坂の表情を、何度か見たことがあった。
 打ち合わせのときに、懸命に主張するときの表情。
 口先をわずかに前に突き出し、少し潤んだ目をせわしなく動かして、周囲の人を見渡す。

 生駒はそんな香坂を見つめた。
 ほのかに紅潮した頬に一筋の髪がかかり、汗ばんだ鼻の先がわずかに光っている。
 真っ白なブラウスの開いた胸元から、黒いインナーがのぞいていた。
 その少し上で、小さな茶色のほくろが、鼓動に合わせて上下していた。
cont_access.php?citi_cont_id=157017839&s
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ