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ノブ、ちゃんと考えてよ 作者:奈備 光

5章

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27 評判

 生駒と行武は、当時の地域の様子を、互いの覚えている限りひとしきり確認しあった。
 どこそこの家の裏にはイチジクの木が植わっていて、その実を取ってイチジク爆弾と言いながら投げ合って叱られたこと。
 地蔵盆の夜、短くなった火のついた線香を配り歩いて小金を稼いだこと。
 犬見神社の夏祭りの神輿を早く大人になって担いでみたかったこと。
 小学校の校長が大樽というあだ名で呼ばれていたこと。
 福若という駄菓子屋で買った串のスルメを、しがむだけしがんだ後はエビガニ釣りの餌にしたこと、など。

 そんな話が尽きた頃、行武が聞いてきた。
「ところで、あのマンション、売れ行きはどうや?」
「まあ、そこそこいいんじゃないか」
「どんな人が買うんや? 相当高いやろ?」
「この辺りの商圏の中では高い方だろうね。購入者は大阪市内に勤めている人がほとんど。地元の人が買ったという話は聞いてないな」
「そりゃ、そうやろ」
 行武の言い方には険があった。

「歓迎されていないようだな」
「まあな。でも俺は喜んでるでぇ。ゼネコンさんや設計事務所さん、業者さんの分でだいたい毎日二十個くらいの注文がある。うちみたいな零細企業では毎日それだけの売り上げが固定的にあるというのはありがたいことなんや。聞いたら、現場に出入りしている職人は、今、八十人くらいいてるらしいから、もうちょっとあればいいんやけどな。欲を言えば、きりないけど」

 ひとつ四百五十円の弁当がそれだけの数では、いくらの儲けにもなるまい。
 ただ、商売というのは行武の言うとおりなのかもしれない。行武食堂は商店街の中にある本店と、新しくできた道沿いに支店がひとつあるが、支店の方が今や立派な工場で、清潔そうな作業場で真っ白な作業服を着た女性達が大勢働いているのが道からでもよく見える。
「それにしても、若槻さんが来てくれて助かったなあ」
「どういうこと?」
「前の白井さんっていう所長は、いつも使ってる業者があるそうなんや。奈良では大手のケイタリングサービス。正直言って、あんな所とうちとなら勝負になれへん。いつ難癖をつけられて替えられるか、びくびくもんやった。それに、いつも量が少ないとか、こんなメニューを入れろとか、味が濃いだの薄いだの、味噌汁をサービスしろとか、あれこれ注文をつけられてなぁ」
「なるほどね。でも、若槻さんも自分の現場の弁当はここって、決めているところがあるんじゃないかな」
「あるかもしれへんな。しかしまあ、彼は大阪支店の人やし、奈良の業者は知らんということに期待してるんや」
「それに行武食堂は近隣の業者だしね」

 生駒の仕事のことや行武の暮らしぶりなどといった話をせずに、当たり障りのない思い出話と弁当の話をしただけだった。 
 しかし、三十年ぶりに会った人といきなり身の上話をするのも妙なものだ。もう昔のことは忘れているだろうと、行武が彩りを与えてやろうとしてくれたのだ、と生駒は思っていた。

「言い忘れてたんやけど」
 行武がロース肉を勧めながら言った。
「この現場にもう一人、地元出身者がいてるの知ってたか?」
「へえ、誰?」
「織田。ほら、ずっと町内会の会長をしてた家。孝っていうやつ。知らんかな? 俺たちよりちょっと年上の」
 行武は先日の思い出話の続きをするつもりのようだった。
「えっ、織田工務店の部長のこと?」
「そう」
 生駒の予想に反して、行武はあからさまに不愉快そうな顔で頷いた。
 生駒は、地元では織田工務店の評判は良くないのかと思った。
「評判? ああ、よくないな。少なくとも、こんな立派な工事に、内装のメイン業者として参加するような会社やない」

 生駒は、織田工務店が地元の建設会社ということで無理やりに工事に加わったのだと想像した。
 よくある話だ。現場ではそういう申し込みを表向きは断るものだが、さまざまな思惑が双方にあって、下請けあるいは孫請け会社として入ることはままあることだ。
 大手ゼネコンが地元の中小工事会社とジョイントベンチャー、つまり共同企業体を組むことさえある。町内会の会長の関係者ということであればなおさらだ。

「町会長の家は建設業をしていたのか。こんにゃくや豆腐なんかの工場だった記憶があるけど」
「建設会社をしてるのは親戚の家や。食品工場をしてた本家は今や婆さんと息子一家だけ。その息子の孝が、叔父が経営している織田工務店の部長に収まったというわけや。社長は歳やから、実質的には社長やな。中桜工業も織田家の息のかかった会社らしいぞ」
「ふうん、そうなんや」
 生駒にはどうでもいい話だった。
 現場にいる織田は、付き合って気持ちのいい男だとは思えない。地元出身者といっても記憶にない人物というのは、思い出話のネタにしようがないし、親しみの持ちようもない。

「織田の婆さんは相当もうろくしとるし、息子は道楽者ときてる」
 行武は酔うほど飲んではいないはずなのに、強い調子で怒りをぶつけてきた。
 反応の仕方に困って黙っていると、なおも吐き捨てるように言った。
「婆さんは、そりゃあ金を貯めこんどるやろがな」
「このあたりの大地主だったからな」
 生駒が相槌を打つと、行武が鼻で笑った。
「ふん。この松並町がいつのまにかろくでもない町になったのは、あいつらが金に目がくらんだせいや。金に汚い連中というのは、つくづくいやになる。それにしても、かわいそうなのは住田の婆さんや。噂じゃ、孝が自分の母親よりも長生きされたらかなわんということで、難癖つけて追い出したそうや」
 生駒には行武の口から出た住田という名前もピンとこなかった。
「住田?」
 行武は生駒の顔を呆れ顔で見つめ、やれやれというように肩をすくめたが、石上が近づいてきたので、それ以上はなにも言わず、自分の仕事に戻っていった。

「先生。おひとついかがですか」
 石上はトレイにのせたウイスキーの水割りと、チーズとクラッカーが載った皿を持っていた。
「あ、わざわざすみません。ありがとうございます」
「先生にはいつもお世話になってますから、こういうときにご接待しとかないと」
 と、石上が笑う。
「さっきは香坂さんに言い寄られてましたね」
 生駒は石上と話ができることを喜んだ。

「ハハ。あの人、おもしろい人ですねえ。勉強熱心だし。プラスターボードの継ぎ目の不陸をわからないようにするには、どうすればいいのかって聞きに来たんですよ。あんまり基礎的過ぎて、いまさら誰にも聞けないからって」
「へえ。だめだな。そんなことをいまだに知らなかったなんて」
 生駒は自分がまだ香坂の指導者であるかのようにおどけて言った。
「まあまあ。いいじゃないですか。それにしても今日は、腹いっぱい食って、飲んで、大満足ですわ。生駒先生、今日は本当にありがとうございます」
「いえ。でも、なんで僕に礼を?」
「数名だけでしょ。孫請けの社員で参加させてもらっているのは。生駒先生が私の名前を入れておいてくれたんでしょう」
 孫請けの社員の数が少ないのはそのとおりだった。当然だ。孫請けだから。
「違いますよ。僕じゃありません。石上さんの日頃の仕事熱心を見て、若槻さんか鈴木さんがノミネートされたんじゃないですか?」
 石上はますますニコニコとして、じゃ、礼を言っとかなくては、と離れて行った。
 その後ろ姿を追いながら、生駒はある日見た光景を思い出した。

 ある夜、生駒が近鉄の駅への近道を急いでいると、目の前を見慣れた作業服が横切ったのだった。
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