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ノブ、ちゃんと考えてよ 作者:奈備 光

5章

31/61

25 鼻つまみ者

「なんだ、それ!」
 栗田が大きくため息をついた。
「相変わらずの米つきバッタども」
「暗澹たる気分になるやろ」
「しかし、後任はまだ決まらないということか。後任のことより何より、中田部本部長の感想。こういうのは感想

というのか? あいつら、それを報告できるようになるまで、社長のところには行かないぞ。困ったことになった

な」
「現場所長の人事なんか、社長が決めるわけやないやろ。社内規則ではそんなことは支店長の権限や。大阪の現場

なんやから、うちの支店長が決めたらいいことやないか」
「ああ」
「それをあいつら、自分が決めるような口振りでぬかしてやがった。くそぉ。不愉快なやつらや。だいたい、今日

のこと自体が胸くそ悪い。なんであのアホの二人が何様のつもりで社長に報告するんや!」
 栗田に話したことで、怒りがぶり返してきた。

「この会社はおかしい。もうあかんぞ。社長はアホ面してふんぞり返り、業界でも一、二を争う鼻つまみ者。重役

連中はといえば、権力争いにうつつを抜かしてばかりの腰抜けくそ垂れ野郎!」
「まあまあ。そのとおりだ。しかし、今日は抑えろ。愚痴を言っている場合じゃない」
「ん? 珍しいやないか。おまえ、実は阿紀納を嫌っているんやなかったんか? 久しぶりに、おまえの鬱憤を聞

いてやろうと思ったのに」
「それはそれは、ありがたいこと。しかし、グダグダ言ってても仕方ない。君はいつも僕にそう説教を垂れてたか

らな。もしかして、もう酔っ払ってるのか?」
 大矢は酔っていたわけではない。
 腹が立っていると同時に、若槻追悼の湿っぽい場にしたくはなかったのだ。

 若槻が殺されたことについて、社内では自分勝手な推測がささやかれ始めていた。
 怪しいやつとして、阿紀納など加粉派の切り込み隊長の名前も挙がっていたし、若槻にスポイルされた佐野川の

名前も挙がっていた。
 大矢は殺人の真相をもちろん知りたかったし、阿紀納であれ佐野川であれ、あり得ないことではないとも思って

いた。
 ただ、単なる当てずっぽうの面白半分の推理ごっこに参加する気はなかった。

 栗田の声が熱を帯びてきた。
「いいか、今の君の話は重要なヒントだぞ。君の例の疑問を解くには」
 大矢もそれは理解していた。
 すでに頭の中にはひとつの推論が形になっていたが、今が栗田に話すタイミングかどうか、まだ計りかねていた


 栗田の視線を外し、テーブルに並んだ料理に目を移した。
「マーボーナスが冷めてるぞ。おまえが注文した分や。早よ食わんか」
 話題を避けようとしたと思ったのか、栗田が手にした割り箸を大矢に向けて小刻みに振った。
「そういうことをすると、行儀が悪いと怒られたもんや。かわいそうに、おまえにはそんなことも注意してくれる

人がおらんかったんか?」
「ふん。どうした。なぜ大阪支店が引き受けることになったのか、あれほど言い募っていたのに」
「もちろん、今でも疑問や」
「じゃ、今日は愚痴を言ってないで、その話をしよう」

 大矢は小さく笑った。
 若槻が殺されるという大事件の後で、あの疑問があまりに自分中心で矮小なことのように思えて、むきになって

いた自分が今や恥ずかしかった。
 しかし一方で、その疑問の解は、思いもよらないさらに大きな疑惑を孕む回答となって、頭にこびりついていた



「いや、もうええんや。それが分かったとしても仕方ないことやし、今朝のことで、ほとほと愛想が尽きた」
「ふん。会社を辞める気か。君が辞めても僕は驚かないぞ。さもありなんだ。ま、僕もそう長くはないさ」
「おい」
「しかし、その話は次の機会。ああいうおかしなことの真相は、ちゃんと知っておきたいからな」
「それだけ言うところをみると、栗田越前の守様は、ひとつの解答に行き着いたんやな」
「ふふ。君もそういうことかな」
 大矢と栗田は、互いに相手の推理を先に聞こうと譲り合った。

「俺は確信したな」
 結局、そう言って口火を切ったのは大矢だった。
「真相はキックバック。それがバレたんや」
 栗田がかすかに頷いた。
「三都興産の中田部本部長が阿紀納に、あるいは加粉にキックバックを要求した。発注する代わりに、内々に金を

よこせとな」
 栗田が頷いた。
「うちの会社はそれに応えた。会社ぐるみかどうか、それはわからない。おまえが話してくれた契約交渉の不自然

さがそれを示唆している。しかし三都興産の方ではそれが明るみになり、問題になった。で、中田部を左遷。一方

、うちの会社は白井を左遷してバランスをとった。で、後任はみそぎのために奈良本店ではなく、大阪支店の工事

部から選ぶことになった。社長があんなに三都興産のことを気にしているのがその証拠や。簡単に言うと、そうい

うことやな」
 大矢はそこまで一気にしゃべってから、反応を待った。
 栗田は腕を組んだ得意のポーズで天井を仰ぎ、目をつむっていた。
「おまえはどう思う?」
 栗田が薄目を開け、眉間のしわを指で撫で始めた。
 しばらく考え込んだ後に口にした言葉に、大矢の表情が緩んだ。

「そういうことかもしれない。たぶんそうだろう。しかし、それを口にするには、もっと情報が必要だ」
「もちろんそう。今は単なる推測でしかない」
「君が話した相手が僕だからいいものの、誰彼なしにする話じゃない。やばすぎる」
「おまえ以外に、するかいな」
「いずれにしろ、情報を。きちんと証明できることが重要だ」
「証明? おい、栗田、おまえ、何か企んでるのか? 内部告発とか」
「あるいはゆすりとか? まさか。そんなあやふやな気持ちじゃ、こんな会社にはいられないぞ。それに僕の上司

が絡んでいるんだ。はっきりさせておかないとな。これから先、どれだけ一緒に仕事をするにしても、気持ちの整

理がつかないだろ」
「俺もあの現場に行くことになったとき、そう言ってたんやけどな。おまえ、全く取り合わなかったぞ」
 栗田がニッと笑った。
「そうか? いろいろ情報をやったじゃないか」

「とにかく証拠だ。金の流れは? 誰から誰に? 金額は? 時期はいつ? どんな方法で? あるいは見返りは

金ではなく、現物の何かか? とにかく、ハルシカ建設の社員である僕らにとって一番重要なのは、誰が中田部本

部長に金を贈ったのかということだ。誰に了解をとって? あるいは自分ひとりの一存でか?」
 栗田は大矢の推理が気に入ったのか、あるいは同じことを考えていたのか、嬉々として次々と言葉を吐きだした


 大矢も口を挟んだ。
「それに、チクッタのは誰かってことも」

 演説を中断されたのが気に食わなかったのか、栗田が急に言葉を詰まらせて大矢を睨みつけた。
 しかし、すぐに調子を取り戻して、また早口でまくしたてた。
「そういうこと。中田部本部長の意向を、こちらに伝えた仲介者もいるかもしれない。中田部本部長はそういうこ

とをストレートに言うような奴ではないように思う。もしかすると、温厚そうな態度は仮面だったのかもしれない

が。しかし、誰かがお膳立てをしたと考える方が自然だ」
 以前からおかしいと考えていたことで、キックバックじゃないかと思い始めるヒントになったことを、大矢は話

した。
「ひとつ気になっていたことがある」
「ん?」
「近隣工事。裏の神社の植栽工事や。これが発注されて一瞬で完了しているんやけど、金額が大きすぎる。この金

の中に隠されたんやないか」
「うむ」
「発注金額は千四百万円ほどや。しかし、どうみても植栽工事そのものは百万もあれば十分できる内容。これが怪

しい」
「なるほど。その工事はどこに発注したんだ?」
「織田工務店」
 栗田が前のめりになって、大きな声をだした。
「加粉部長がいつも使っているなんでも屋だ! 確か、大和郡山あたりの業者だ」
「そう。しかも植栽工事をさせるのに、わざわざ内装工事がメインの業者にさせることはない。植栽屋に頼めばい

いことやろ」
「なるほど、そういうことか」
「織田という部長が現場に来てる」
「織田工務店の織田……」
「知ってるんか?」
「いや、知らない。たぶん一族会社の奴だな。たいていのことは自分で処理できるという立場だろ?」
「たぶん、そうやろ」

「どうだ、大矢。田所さんや川上さんなら知っていることがあるかもしれない。真相を聞いてみたらどうだ」
「できるわけないやろ、そんなこと。もし、何か知っているとしても、大事なことをあいつらが言うはずがないし

、もしかして俺が嗅ぎまわっていることが鈴木の耳にでも入ってみろ」
「大阪支店の自分の同僚だろ。信用できないか?」
「できないな。若槻所長が死んでからまだ数日しか経ってないというのに、加粉一派が我が物顔や。社長報告の件

でもそう。あいつらは若槻所長の部下やけど、今や内心、どう思っているのか知れたもんやない」
「悲しい話だな!」
 栗田が大げさに首を振り、
「しかし会社を辞めるのなら、いいじゃないか」と、とぼけた調子で言った。
「おい、待たんかい。決め付けるな。阿紀納や加粉や白井に近いおまえの方が、何かルートがあるはずや。鈴木や

根木は?」
「いや、親しくない。うーん、いないなあ」

 ふっと大矢は酔いを感じた。
 心地よくはしゃいだ酔いではない。
 若槻が殺されたこと、キックバック、益田と阿紀納たちの会議の様子、そういったうれしくない出来事が頭の中

に居座っていた。
 頭が痛くなりそうな予兆を感じて、大矢は無理に声をだした。
「三都興産の御曹司に聞いてみるか」
「そうしろ!」と、栗田が間髪を入れずに応えた。
 本気でそう考えたわけではなかった。
 しかし、黒井はなにかを知っているかもしれない。しかも、同僚を売るようなマネはしないかもしれない、とも

思い始めた。

 黒井は大矢からみて五年後輩だ。
 三都興産の創業者である黒井種治の孫で、現在の副社長、黒井勇治郎の次男。社長は叔父にあたる。

 大矢と黒井は表面的には仲良くしていた。
 先輩として、親身になって黒井を鍛えようとした時期もあった。
 黒井が父親の口利きでハルシカ建設に入社したことや、いずれはここを辞めて三都興産に再就職することは公に

されていたし、言動の中にハルシカ建設に対しての愛社精神がないことをうかがわせることもあった。
 就職した会社に対して忠誠心を持つべきだといった考え方に反発する大矢でさえも、黒井の態度には違和感を覚

えることがあった。
 それは、ここが最後のがんばりどころ、というようなときに滲み出た。黒井には、なんとしてでもやり遂げると

いう気迫が感じられなかったのだ。
 少なくとも、大矢はそう感じていた。

 黒井にとって、ハルシカ建設での仕事は、自分の将来に向けての学習や経験を積むためであって、勤めている会

社の利益貢献のためではない。
 大矢は黒井のその考え方に賛成はしつつも、どうしても違和感を持ってしまったし、結果として黒井と距離をお

いてしまうのだった。
 その黒井が、自分の本拠である三都興産を施主とする現場に配属されることになった。
 そして転落事故。
 将来は三都興産の上層部の一員になることが半ば約束されている黒井が、今は病室で寝ている。
 どんな気分でいるのだろう。
 見舞いに行ってやろう、と大矢は思った。

 大矢の頭の中では、口に出していることと考えていることが、微妙にずれながらバランスをとっていた。
 思考も右左に振れた。
 冷めた酔いだった。
 しかし言葉には、勢いがついていた。
「おまえは羽古崎にもう一度聞いてみろ。キックバックがあったという前提で。ズバッと!」
「羽古崎課長に? なにを聞く?」
「中田部の左遷の理由に決まってるやろ」
「ん……、むつかしいな……」
 かまわず大矢は続けた。
「阿紀納の身辺でおまえが信用できる奴はおらんのか?」
「いるわけないだろ。さっきの君の話をそのまま返す。こういう社内では、信用する方が泣きを見る。特に阿紀納

本部長なんかに取り入っているやつを信用した日にゃ、なにをされるかわかったものじゃない。君こそ、根木さん

なんかはどうだ。もう気心が知れているんじゃないのか。残留組だし、彼なら裏情報を持っているかもしれない」
「あかん。あれは単なる小心者のウサギ。優秀でいい人間かもしれんが、波風の立っているところに自分から近づ

くようなやつやない。へたすりゃチクられるのがオチや」
「そうか、チクルられるか……」

 栗田が左手をあごに持っていき、夜になって急に濃くなってきた髭の感触を確かめるように撫で始めた。
「ところでおまえの推理はどんなんや?」
「もういい。君の話を聞いたら十分だ。僕の方の話は、今の話に比べたら噂話に毛が生えた程度。推理は任せる」
「なに! 卑怯者! 俺にだけあんなやばい話をさせるんか!」
「なにくだらないことを言っているんだ。それにしてもなぁ。どうも白井部長がそういうことをするようには思え

ないんだ」
「なんでや?」
「人柄」と、栗田はきっぱりと言い切った。
「なら、阿紀納か、加粉のやつか」
「やりかねない」
「しかし阿紀納やないな。もし、阿紀納のやつがキックバックの当事者なら、わざわざ加粉にお出まし願う前に、

契約折衝はかたがついていたはずや」
 栗田が頷いた。
「鋭い」
「そして、罪は白井が被らされよった……」
「被らされたというより、三都興産への手前、それでお茶を濁したという方が正しい。白井部長は元々が福岡の出

身で、いずれは郷里に戻りたかったらしい」
「ふん。白井の九州転勤が懲罰人事やないんなら、加粉で決まりやな」
 言ってしまってから、大矢は飛躍しすぎたと思った。案の定、栗田が突いてきた。
「決め付けることはできないさ。白井部長がすでにあの時点で僕の知らないところで動いていて、キックバックの

張本人だった。しかしそれは、中田部本部長に強要されて、会社の了解をとった上でのことだった、ということも

ありうるわけだから」
「担当営業の知らないところで現場所長の一候補が勝手に動く? 内定していたとはいえ? ちょっと考えにくい

な。まあ、いい。よし! とりあえずは情報集めや!」
 大矢はその気になった。
 栗田が頷いた。
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