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ノブ、ちゃんと考えてよ 作者:奈備 光

3章

24/61

20 アイスクリーム

 土曜日。
 「一週間ほど前、三都興産の社長が現場視察に来たんだ。現場の連中、みんなぴりぴりだ。ハルシカ建設からは副社長が待ち構えていたんだが、若槻さんには全く話をさせない。普通なら現場所長がホストとして案内も説明もするものなんだけどな」
 オルカのカウンターに張り付いているのは生駒だけだった。
「三都興産の社長ってのは、ハルシカ建設の現場の所員の父親でな」
 オルカが賑わうのは夜九時を回ってからだ。
 生駒は柏原と話したいときには、夕方に顔を出すようにしていた。

「そりゃ、息子にけがをさせたんやから、ハルシカ建設の上層部は気を使っているんやろ。生駒も立ち会っていたんか?」
「ああ。たまたま居合わせたんで、インテリアデザインの説明をした。言い方は不謹慎だけど、現場に事故はつきもの。だからこそ、事故をなくすように努力する。黒井社長が息子のことでしのごの言っているとしたら、公私混同だな。それに、特に若槻さんは現場の安全管理には厳しいことで有名な人だ」
「あれ? 若槻さんとはこの現場で数十年ぶりに巡り会ったんやなかったんか? 昔から知っていたような口ぶりやな」
「言い直す。厳しいことで有名だとゼネコンの所員が言っていた」
「むきになるなよ」
 生駒は酔っていた。

「噂では、若槻さんは危ないかもしれない。昨日の焼肉パーティーも盛り上がらなかった」
 七月半ばの金曜日、現場ではかねてから予定されていたハルシカ建設主催の焼肉パーティーが催された。
 現場内の親睦を深める名目で行われた懇親会である。
 ハルシカ建設の現場所員、三都興産、設計事務所、工事業者の幹部や主な作業員など総勢百人ほどが参加していた。
「危ない?」
「ああ。どうも、あの現場からはずされるという噂もあるらしい」
「転落事故の責任をとってか?」
「ハルシカ建設にとって三都興産は今後の上得意候補らしい。その三都興産のお坊ちゃんを預かってけがをさせてしまった。しかも、あろうことか三都興産が発注者である現場で。ハルシカ建設はそういうことを非常に気にする会社らしくて、責任者の首をすげ替えるなんてことに抵抗がないらしい」
「ハルシカ建設でなくたって、どこでも気にするやろ」
「人事まで触るか? だいたい、若槻さんに代わったのも、最近のことやぞ」
「案外、三都興産の方から、やんわり申し入れがあったり?」
「さあな」
「黒井という子と若槻所長の仲は? うまくいってたんか?」
「さあ。息子が父親に、若槻さんのことを告げ口していたということか?」
「そういうことやない。生駒の話では、黒井転落事件の犯人は佐野川というのが、ひとつの推理やったよな」
 確かに、ラウンジの娘を黒井と取り合った佐野川が犯人ではないかという想像を、柏原に披露した。たあいのない酒飲み話として。
 そんなことを言いながら、若槻のぴくぴく動く目元を思い出したりしていただけだ。
「推理ってもんじゃない」
「わかってるさ」
 柏原もそれを知っていて、付き合ってくれているのだ。

「佐野川は、元はといえば加粉派。左遷ともいえる子会社への転籍と、若槻の辛らつな追及。人を殺すほどの動機かどうかは別にして、若槻を恨んでいてもおかしくはない。そうやったな?」
 生駒は熱意のこもらない返事をした。
「ああ」
「若槻っていう線はないんか?」
「はあ? まさか。どんな理由で、そんな想像ができるんだ?」
「俺はなにも知らんさ。生駒の情報だけが頼りやからな」

 おまえの推理を手助けしてやってるんじゃないか、と柏原が苦情を言った。
 それはすまないな、と生駒は言ったものの、真剣みが増してきたということでもなかった。
「想像つかないなあ」
「そうか? ミヤコって女の子を取り合ったのは、なにも黒井と佐野川だけとは限らない。若槻所長もその争いに一枚加わっていたんやないか?」
「まあ、そうかもしれない。でも、柏原、おまえそれ、まじめに言ってるのか?」
「おまえと同じ程度の真剣さ、かな」
「ふう」
「それにしても、今日は誰も客が来んな」
「俺ひとりだと不服か? ところで、もっと深刻な話があるんだ」

 生駒は、綾のことを話した。
 彼女と知り合ったいきさつや、彼女を取り巻く現状、そして今自分が抱いている感情も。
「俺は結婚もしていない、もちろん子供もいない。その俺が、こんな娘がいてるといいな、と感じてるんだけど……」
「おまえ、それ、やばくない? もしかしてロリコン?」
「そんなんじゃなくて……」
「そんなことより、早く優にプロポーズしろ。それが今、おまえがするべきことだ」
「いや、それは……。少なくともおまえに言われることじゃない」
「俺が言わなきゃ、誰が意見する。彼女は」
「だから、今日はそれはいいって。それより、とんでもないことになってきたんだ」
「ん?」
「綾ちゃんが、俺の養子になりたいんだって……」
「なんだと!」
 柏原は飲みかけたビールにむせ返った。

「昨日、大事な話があるっていうから……」
「どういうことなんだ!」
「どうって……。俺もひっくり返った」
「むむう」
 柏原は目を剥いて、宙を睨んだ。
「まずいだろ、やっぱり……」
「独身男性が小学生の女の子を養子にするなんて、認められるわけがないぞ」
「俺もそう思うんだけど。綾ちゃん自身がそういうんだから……」
「待て! それで、おまえはどう答えたんだ?」
「どうにも答えようがなかったから、美千代さん、今、彼女の育て親になってくれている人、に相談するって」
「はあ! それじゃまるで、自分はオーケーって言ってるみたいなもんじゃないか!」
「でも、そういうしかないじゃないか! どうすればいいと思う?」
「ダメだ、ダメだ、絶対にダメ!」
「なぜ?」

「おまえは優を愛している。優もおまえを愛している。二人は結婚する。それが常道というもんだ。綾という子を養子にする必然性はない! おまえと優の間に、その子が入るスペースはない!」
「しかし、それじゃ、彼女の気持ちはどうなる」
「知るか!」
「こんなこと、自分から言い出すなんて、よほどのことだぞ。あの子はまだ小学生なんだぞ。そんな子が」
「いや、その子がどんなに思いつめていようと、まじめに考えていようと、ダメなもんはダメだ。いったい、優にどう説明するつもりだ!」
 言われるまでもなく、綾を養子にすることなど想像さえしなかったことだし、してはいけないことだと思っていた。
 歳の離れた優を妻にすることより、はるかに罪深きことかもしれないとも思っていた。
 しかし、気持ちは揺れ動いていた。
「もし、俺が結婚してたら……いいのか」
「それでもダメだ! その子のために結婚するわけじゃないだろ!」

 そのとき、携帯電話がカウンターの上でグリグリと音を立てた。
 小さな液晶ディスプレイに、藍原という名が表示された。
「はい、生駒です。昨日はお疲れさまでした。今どこですか?」
 どこかで飲んでいる藍原が誘ってきたのかと思った。

「えええっ!」
 用件は違った。
「はい……、はい……。わかりました。では」
 鼓動が一気に速くなった。
 グラスを置く手が震えた。
 柏原が厳しい顔をして、生駒の口が開くのを待っていた。
「若槻さんが死んだ……」
 生駒は背筋を伸ばし、両手をゆっくり持ち上げ、髪をかき上げた。
「なんということだ。推理ごっこをしている場合じゃなかった……」
 両肘をカウンターにつき、左手を両目に強く押し当てた。

 柏原が静かな声をだした。
「事故か?」
「いや」
「突然死?」
「よくわからない……」
 柏原が激しく反応した。
 ゴトリと缶ビールを置くと、きっぱりした声を出した。
「生駒! しっかりしろ」

「昨日の夜、お開きになってから、死んでいるのが発見されて……」
「ちゃんと話せ!」
「首に長いロープ……」
「首吊りか?」
「現場のロープ……」
「いつだ? どこで? 発見者は?」
 生駒の頭はまだ混乱していた。
「パーティは八時半頃に終わった。俺はお開きの後、現場を出て、綾ちゃんと裏の神社に行って……」
「神社?」
「聞き耳頭巾を……」
「おい!」
 柏原がカウンターをバンッと叩いた。
「落ち着いて話せ!」
「綾ちゃんがいるから飲み直しには行かずに。大矢さんが見つけた……」
「大矢? 藍原ってのは?」
 生駒は説明しながら、自分が少しづつ冷静になっていくのを感じた。

「生駒」
「ん」
「もう少し落ち着いたら、事件のことを考えてみるか? 真剣に」
 生駒は唸ることしかできなかった。
 考えるといっても、なにを、だ。
「その気があるなら、昨晩のことを忘れないうちに詳しく話してくれ」
 考えてみる気などない、と言おうとしたが、それさえ言葉にならなかった。
 眩暈がしそうなほど、頭は混乱していた。
「もしかすると、パーティ参加者の中に犯人がいるのかもしれない」
 柏原が、冷静な声で促してくるが、思考停止だ。
 一気に疲れが押し寄せてきた。

 これ食ってみるか、と柏原が小さなアイスクリームの粒を出してきた。
 そんなちっぽけな冷たいものを口に入れたからといって、考えてみる気にはなれなかった。
 先ほどまでの黒井転落事故の推理ごっことは、わけが違うのだ。
 今度は人が死んだのだ。

 発見されたのはロビーの地下だという。
 またもや転落事故か。
 だからといって、酒の肴にすることではない。
 しかし、柏原の目つきが先ほどまでとは変わっていた。
 元はといえば弁護士。事件に人並み以上の関心を持つ男だ。

 ようやく、生駒の頭もかろうじて回り始めた。
「なんだ、犯人って? 単なる転落事故、そういうのも変やけど、かもしれない」
 ふん、と柏原が鼻を鳴らした。
「違うな」
「でも、まさか」
「じゃ、自殺か?」
「うーん。まさか……」
 まさか、なんだというのだ。
 生駒は明確な考えがあって、そう口にしたわけではない。
 しかし自殺ではない。
 ありえない。

 連日、機敏に現場を動き回っていた若槻。
 いきいきと白板消しを動かしていた若槻。
 颯爽と定例会議を取り仕切っていた若槻。
 そんな若槻が自殺したなどということはありえない。

 ただ、漠然とした不安はあった。
 黒井の事故の後、若槻は自分を狙ったのかもしれないと言った。
 とはいえ、殺されたなどということは、もっと考えられない。
 自分の身近で人が殺されることを、誰がリアルにイメージできるだろう。
 まして、知人が殺されるなどということは。普通の人は、連日のように凶悪犯罪のニュースが新聞を賑わせていたとしても、自分も関係者になりうるとは思いもしない。
 もちろん、生駒もそうだった。

 自殺や殺人などではなく、できれば事故だと思いたい。
 その方がまだしも……。
 まだしもなんだというのだ。事故ならありうることだというのか。
 これにも生駒は答えを持っていなかった。

 酔いの回った頭で自問を繰り返しては、別の醒めた頭が、そんな愚問をけなしているだけだった。
 はっきりしていたのは、犯人がどうこうなどと、リアリティのないことを議論したくはない。
 もやのかかったような頭で、ただそればかりを考えていた。

 しかし、その後すぐにかかってきた羽古崎からの電話が、堂々巡りをするだけの生駒の思考を吹き飛ばしてしまった。
 若槻が殺された、と明確に伝えてきたのだった。
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