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ノブ、ちゃんと考えてよ 作者:奈備 光

3章

19/61

15 冷奴

 夜、阿倍野近鉄の裏にある居酒屋で大矢は栗田と向き合っていた。
 ビールや料理が運ばれて来る間ももどかしく、現場の様子を話し始めた。
「だいたい上層部の連中が、たいしたこともない頭を使って、不自然な人事をするからこういうことになるんや」
「人事?」
「鈴木のやつこと。あいつはバリバリの加粉派やろ」
「まあ、そうともいえるな」
「不機嫌を回りにまき散らしてやがる。今日もそうや。俺が設計事務所の人と現場を回ってたら、あいつ、なんて言ったと思う? 暇そうにほっつき歩くな、やと! 普通、言うか? そんなこと」
「それはひどいな。そんな人じゃないんだけどな」
「身内には甘くて、外に向かっては辛いやつ。身内受けはよく、対抗するやつには徹底的に嫌味になるやつ。あれはそういう輩やな」
「そう息巻くところをみると、君は、自分は若槻派で鈴木課長は加粉派だと言いたいんだな」
「あいつがそう思っているということや! 俺はそんなしょうもないことなんか、どうでもええ!」
「僕は鈴木さんをよく知っているけど、内面だ外面だっていうのはない人だ。八方美人だともいえるけど。僕よりもよほど営業向きだな」
「それは、おまえが身内にいて、あいつの本性を知らんだけやろ」
 ようやくビールが運ばれてきた。

「ああいうのが会社で大手を振って泳いでいけるというのもけたくそ悪いし、若槻派だ、加粉派だというのも辟易や。あいつ、俺のことを相当強烈に毛嫌いしてやがる」
 大矢は軽く乾杯のポーズをとり、ジョッキをぐっと傾けた。
「案外そういうことではなくて、君がほんとにぶらついていると思ったんじゃないか」
「けっ」
 大矢と栗田は料理に取り掛かった。
 典型的な居酒屋メニューで、テーブルの上には鳥の軟骨のから揚げや冷奴やきずしなどに混じって、チーズのフライなどが載っていた。どれもが五百円以下の安いものばかり。
「どうだ、奥さんの手料理は? 今日はすまんかったな。こんなもん食わせてしまって。急に呼び出して奥さん怒ってるやろ」
「毎日、遅いから気にしていない。遅いのは、結婚する前から承知の上。ところで、現場に香坂という子がいるだろ」
「ん? ああ」
「どうだ?」
「なかなかまじめな子やな」
「ふふん」
「かわいいし」
「好みか?」
「まあな。そんなことより、この前、本社に行ったとき、白井に会った。あいつ、ほんとに病気か? そうは見えなかったぞ」
「なんだ、またその話か。孤独で気高い香坂の人となりを話してやろうと思ったのに」
「孤独で気高い? なんじゃそれ。それはまた次回や。で、どうなんや?」
 栗田が笑みを消した。

「僕にもわからない。白井部長は確かに数日は休んでいたようだが、送別会では普通に飲んでいた。九州に転勤になったんだ」
「ああ、中島から聞いた。彼女は白井の病気のことを知らんかったみたいやったぞ。普通、そんなことはないやろ。上司が何日か休んだんなら」
「ふうん」
「俺は白井に、体の具合はどうですかって、直接聞いてやった」
「おっ。で?」
「はぐらかしやがった」
「どうしても今度の仕事が気になるようだな」
「仕事そのものやなく、なぜ大阪支店に振られたんかをな。鈴木が普段ああいうやつやないんなら、余計、気になる」
 栗田は、うぅむ、と唸ったきり黙って口を動かしている。

 大矢は疑問を連発した。
「白井は更迭されたんやないか?」
「そんなはずはない。少なくともあの現場でとんでもないミスをしたということはない。もしそんなことがあったなら、僕の耳に入らないはずがない。それに、現場以外での失態というのも聞いていない。確かに、今の時点で九州に転勤、というのは変だと思うけど」
「いったい白井という男、どういうやつなんや?」
「どうって、別に。あの人は阿紀納部長や加粉本部長のお気に入りだし、本店工務の中では優秀な男で通っている」
「しかし突然の転勤。しかも、本店の誰かが引き継ぐんじゃなく、大阪支店に振られてきた。これはどう見たって変や」
「ふう!」と、栗田が不愉快そうに息を吐き出した。

「それに、若槻のおっさんがやけに張り切っているというのも変や。普通なら嫌がるぞ。こんな中途半端なときに引き継がされるのは。いくら利益率がいいからって、ふざけた話やろ」
「君にかかったら、まじめに仕事している人も変人扱いだな」
 栗田が、これは君が食えよ、と冷奴を大矢の目の前に押しやった。
「豆腐はダイエットにいいそうだ」
「興味ないな」
「全く箸が動いていないな。本気でダイエット中か?」
「やっかましい!」
「ビールをちょっとは控えたら痩せるぞ。なんとかしろよ、その体」
「うるさいんじゃ。ほっとけ。積算部の知り合いに聞いた。あの現場の受注金額は、なかなか折り合いがつかなかったそうやないか。三都興産とうちの言い値がかけ離れていて」
 栗田がちらりと目を上げた。

「お互い、ど厚かましい値を提示してな。ところが、おまえの働きがよかったからかどうかは知らんが、ほぼ満額の回答が出たそうやないか。このご時世に。変と言えば、これも変や」
「僕は奈良本店きっての営業成績だと言っただろ」
「はいはい。そりゃそうやろ」
「信用していないのか?」
「俺が信用してるのはおまえだけ。しかしやな」
「あぁ、もう、くどい!」
と、栗田は煮魚をつつき始める。
「何か知ってるんなら、言え!」
 栗田の箸の動きが止まった。そして顔を上げて大矢をまっすぐに見た。
 大矢は栗田が話し出すのを待った。
 元気いっぱいの若い女店員が追加注文を取りに来たが、睨みつけて追い返す。

 ハルシカ建設には、大きなふたつの派閥があった。
 ひとつは奈良本店を拠点とするもので、営業系の阿紀納部長を中心としている。
 実際はその上司で取締役でもある加粉本部長を核とする一派である。工事部長の白井や、このところ頭角を現してきた鈴木などが周りを固めている。
 栗田はその下に連なっている営業マンである。

 もうひとつは、大阪支店の工事部を中心とするグループで、技術系社員が多い。
 中心となっているのは若槻部長で、ことあるごとに加粉一派の仕事を槍玉に上げていた。
 大矢は若槻の部下である。本人はとにかくも、周りからは若槻親衛隊という目で見られていた。
 総合的な工事力という面では奈良本店を圧倒していたことから、全社の技術系社員の中では、若槻派に正義があるという見方が強かった。

 実をいうと、と栗田が話し始めた。
「僕も君が言い出してから考えていたんだ。おかしなことは他にもある。というより、僕が前から気になっていたことを話してやろう」
 大矢は手に持ったままだったジョッキを置き、黙って聞く態勢になった。

「受注するときのことだ。今から一年以上前。僕は営業として三都興産に日参していた。ほぼ取れると思って積極的に動いていた。サービス仕事だけど、三都興産に言われた資料をかき集めて持って行ったりもした。しかし、僕が思っていたより向こうが示してきた発注金額はかなり低かった。がっかりしたよ。うちでは請け負えないというような安い金額だった」
 大矢はなにも言わなかった。
 栗田は箸の先で小さく砕いた煮魚を口に入れながら話し続けていた。

「加粉本部長に相談すると、自分が先方に出向くと言ってくれた。そういう時はありがたいやら、悔しいやらという気分になる。しかし、もう後には引けないほど突っ込んでいたから、正直言ってほっとしたよ。加粉本部長が出てきて、それでもだめなら、僕も少しは救われる」
 栗田は自嘲気味に笑い、口をゆすぐようにビールを口に含むとまた話しだした。

「で、加粉本部長が先方の中田部重役に挨拶に行ってくれて、その後は僕と阿紀納部長と二人がかりの折衝になった。コストの説明という名目で、阿紀納部長にも側面からプッシュしてもらうことにしたんだ。相手方は羽古崎課長」
「ちょっと待て。中田部ってのは、どんなやつだ?」
「加粉本部長と似た者どうしかもな」
 加粉は、見た目はインテリ然としているが、この男の思考の最優先は、いかに自分が最も得をするかだ。大矢はそう考えていた。

「腹黒いってことか?」
「おまえなあ。頭が切れるとか、言えないか」
「そうやな。いい仕事をすることより、自分の地位と金にかけては、抜群のセンスを発揮するやつ」
「センスねえ。たしかに世渡りのセンスは誰にも負けない」
「中田部って三都興産の重役も、その類か」
「そこまでは知らん」
「まあ、いい。で、おまえの折衝の話の続きは?」

「ああ、何度か折衝を重ねたものの、羽古崎課長が歩み寄って来るけはいがない。彼も苦しそうだったけど、こっちも苦しい。で、結局は互いに煮詰まってしまった。いよいよ、だめならだめで、けりをつけようという段階にまできてしまったんだ。加粉本部長からは毎日のように催促される。僕は、もうここまで来たら加粉本部長に再度、直々お出まし願うしかないと思った」
 一人用の寄せ鍋の固形燃料が消えかかっていた。
 栗田があわてて、これ食べようぜと、自分から箸をつけた。

「羽古崎課長にそう通知して、中田部部長にも同席してもらうように頼んだ。あんたでは話しにならないと言うようで申し訳なかったけど、もうあの時点では、悠長なことは言ってられなかったんだ。一気にかたをつけてしまおうという作戦だ。つまり、これだけは欲しいという金額に絞って再提示し、それでだめなら手を引くという最後通告だ。しかし、それは向こうさんも同じ状況だったはず。他のゼネコンはすでにその時点では降りてしまっていたから。それが向こうの弱みといえば弱み。でももし向こうが、地域のもっと小さな工務店にでも発注する気なら、いくらでも請けるところはあるだろう。そうなればうちはコスト的に太刀打ちできない」
 栗田が店内を見まわした。誰もふたりの話に関心を持っているものはいない。

「日にちは忘れたけど、三人で三都興産の本社に最後の折衝に出かけた。恒例儀式のようにひとしきりいつもの押し問答をしたが、やはりらちがあかない。で、事前の打ち合わせどおり、加粉本部長が向こうの中田部本部長と指しで話したいと申し入れた。僕と阿紀納部長は席をはずした。三都興産の羽古崎課長も席をはずした。羽古崎課長にも僕から、今日はこういうふうに進める、と事前に話しておいたんだ。羽古崎課長も困り果てていたはずだ。万一、このまま物別れということになったら、彼も担当者として社内での立場がなくなる」
 汗をかいたのか、栗田はお絞りで額をしきりに拭った。
 誰にも聞かれまいと、前のめりになっている。真剣な表情で、大矢に視線を当てている。

「僕と阿紀納部長と羽古崎課長の三人は、会議室の横にあるレストコーナーで、二人の会談が終わるのを待つことにした。ところがふたりはものの三分もしないうちに出てきた。加粉本部長はニコニコ。中田部本部長に深々と頭を下げて、僕たちを引き連れてエレベーターに乗り込んだ。うまくいったような感じだった。僕はエレベーターの扉が閉まるなり聞いた。どうなりましたかって。ところが本部長は、会社に帰ってからだ、となにも教えてくれない。本部長の一存で決められないような条件がついたのか、あるいは即答できない微妙な金額の提示があったのかと思って、がっかりしたな。帰りの車の中でも誰も口をきかなかった。重苦しい空気だった」
 栗田の話が途切れて、ビールに手を伸ばした。

 大矢は話の続きを促した。
「が、受注できたんや」
 栗田がまた店内を見まわした。
「そう。その日の内に、加粉本部長から内線が架かってきた。三十一億五千万円で受注。早速契約の手続きにかかれと。正直言って、びっくりした」
 栗田の顔が引き締まってきた。

「元々、僕たちが主張していたのは三十三億。先方の主張は二十七億。ずっと平行線というわけじゃない。互いに歩み寄った。向こうは二十九億まで近づいてきたし、うちは三十一億ならどうかと打診した。しかしそれ以上に、どうしても差を埋めれなかった。ところがだ」
 栗田が、ふうと一息入れた。

「あっけなく、うちの元の言い値に近いところで話がついた」
「ちょっと待て。おまえの最終的な提示値は三十一億だろ」
「そう、本部長が決めてきた受注額は三十一億五千万」
「そんなことがあるのか。一旦提示した価格より高い金額で決まるなんてことが」
「あるんだな」
 栗田が、げんなりした表情を見せて、自嘲の笑みを見せた。

「あの日、加粉本部長は三十億以下ならハルシカ建設は手を引くと中田部本部長に伝えることになっていたんだ。それが結局、三十一億五千万で受注できた。本部長の力といえばそれまでだが、どうも腑に落ちない気分だった。うれしくないかと言えばもちろんうれしいんだけど、いったい、それまでの僕の折衝はなんだったんだ、ということだな。三十一億まで落とすことは加粉本部長にも渋々了承してもらってたんだけど、あれはいったいなんだったんだ。かれこれ半年もかかってやってきたことはなんだったんだ」
 栗田がまた溜息をついた。

「僕は自分の力の限界を突きつけられて、立つ瀬がなかった。羽古崎課長も同じ気持ちだったようだ。彼は彼で、会社の上から言われて、無理に安い金額で折衝してきたはずなんだ。実際、後で聞いたら、そう話してくれた」
 栗田がビールのお代わりを注文した。
 話は終わったようだ。
 大矢は確信した。
「この仕事はおかしい。やはり、なにか裏がある。金の話も、人事も」
「若槻さんは黒井を連れてきた。三都興産の嫡子だ。ところがあの事故。この一連のことは、おまえの頭ではどう整理されているんだ?」
「うーん、まだ何も」
 栗田はふんと笑っただけで、上目遣いに大矢の顔を見据えたまま、焼き餃子にかぶりついた。
「この話は、これで終わりだ」
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