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ノブ、ちゃんと考えてよ 作者:奈備 光

2章

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12 雑談モード

「この現場に自分から志願したのに、あんなことになってしまって。不幸中の幸いだってみんなは言うけど、そんな言い方って、慰めになりませんよね」
 香坂は生駒の前で、黒井だけでなく同僚を、「さん」付けで呼ぶ。
 契約社員という会社に縛られない自由さがあるからだろうし、まして黒井の場合は歳もあまり離れていない者同士という親しみもあるのだろう。
「そりゃ不運だろうな。彼は三都興産の御曹司だそうだね」

 生駒は仕事先の人たちと、進んで食事をしたり酒を飲んだりする。
 仕事上の儀礼ということではないし、コミュニケーションをとるためにという名目でもない。
 せっかく知り合った人と、仕事上の付き合いだけで終わらせるのはもったいないと思っていたし、少し踏み込んだ関係を作ることが楽しかったからだ。それに、そういう関係の中でこそ、結果としていい仕事ができるとも考えていたからだ。
 しかし、いつでも誰とでも心から楽しめているか、というとそうでもない。
 会議を食事の席にまで持ち込んだだけ、という相手には辟易するし、相手によっては微妙に緊張することもあった。

 香坂との関係を、親しいものにしたいと思い始めていた。
 元生徒、そして携わっている現場のCADオペレーターという関係だけではなく、友人として一歩踏み込んだ付き合いになればと。
 香坂は、若い娘らしく身なりや化粧といった自分を飾るものに人並みに興味があるようだったが、それと同等かそれ以上に、自分の仕事やスキルにも貪欲だった。打ち合わせでも懸命さが伝わってくる。
 生駒はそう感じて、香坂をこれからも見ていたいと思うのだった。 

 三都興産の御曹司という、生駒のざっくばらんな表現に抵抗があったのか、香坂がコーヒーカップを口元で止めた。
「ええ。だからこそ黒井さんは、あの現場に参加したいと思ったそうなんですけど……」
「気合が入ってたろうにね」
 生駒はお悔やみのような言い方だったなと思い、言い直した。
「治るまでの数ヶ月。待ち遠しいだろうね」

 香坂はコーヒーカップに口をつけず、皿に戻した。
 ニコリと笑った。
「私、極端な猫舌なんです。だから人と食事するとき、うどん屋さんやお好み焼きなんかはだめ」
 生駒は笑って、香坂もちょこっと出した舌をピクピクと動かした。
「それが……、大矢さんが来て、そうでもないみたいなんです」
「うん?」
「実はですね」
 リラックスモードに完全に切り替わったようだ。

「若槻所長は元々、大矢さんをこの現場の担当にと考えておられたんですけど、彼が別の現場で動けないということでモタモタしているうちに、黒井さんが名乗りを挙げたそうなんです。でも、やっぱり施主のご子息とはやりにくいと思われたんでしょう。どうも黒井さんをはずしたい、と思っておられるみたいなんです」
「ふうん」
「単なる噂ですよ」
 リラックスモードどころか、雑談モードに入っていた。
「でも、彼が病院から出てきても、工事はもうあらかた終わってる頃じゃないかな」
「もう使いものにならないってことですね」
「なんともきつい言い方をするなあ」

 香坂の雑談モードに乗せられて、生駒は事故の前に自分もあの足場板を通ったこと、それを若槻に言ったときのことを話した。
「へえ、そうだったんですか。でも、所長の反応もわかりますよね。もう事故処理も済んだんですから」
 そうだね、と応じたものの、あのときの若槻のささやきの違和感が、また持ち上がってきた。
「黒井さんの巡回は、いつものコースだったのかな」
「さあ」と、香坂が首を捻った。
「いつもあの二人で?」
「あ、それは違います。いつもあの時間帯は、所長が巡回されるんです。あの日は、本社の偉いさんが来て行けなくなったので、たまたま黒井さんが所長の代役に。所長は几帳面で、決めた現場の日課は絶対に守られるそうなんです。自分が行けなかったら代役を立ててでも」
 そうか、だから若槻は、自分が狙われたのかもしれないと言ったのだ。
「若槻さんは、いつも織田さんと?」
「いいえ。所長はいつもおひとりで回られます」
「ふーん。あ、そうだ。本社の偉いさんというのは? 事故のときはもういなかったのかな」
「お名前は知りません。事故のときは、もうお帰りになってました」

 若槻はあの時、冗談が受けたときのように笑った。
 しかし、半ば本気で物騒な感じだと思っていたのかもしれない。
 生駒はもう少し、あの日の事情を聞いてみたいと思った。
「黒井さんが代役に決められたのは、直前のこと?」
「たぶん」
「織田さんが一緒だったのは、どういうこと?」
「さあ。たまたまじゃないですか」
「たまたまか。で、あの後で何か話題になった?」
「は? どんなことですか?」
「いや……」
 生駒は口ごもった。
 若槻がささやいた、冗談とも本気ともつかないことは、他人にする話ではない。

「さあ、特になにも聞いていませんけど……。もちろん、大矢さんが急遽こちらに来ることは話題になりました。仕事の段取りは大変そうでしたから……」
「警察の連中はなにも疑問を抱かなかったらしいけど、現場内の判断としては、どうだった?」
「事故の原因ですか?」
 香坂に見つめられて、生駒は意識して微笑んでみせた。香坂の顔に疑問符が張り付いていたからだ。

 少し間が空いた。
「そうですねぇ。特には……」
「そうかぁ」
 生駒の反応は、思わず気のないものになった。
 しかし香坂の顔の疑問符は大きくなっていた。
「あの、先生がおっしゃるのは、事件性がないかどうか、ということでしょうか?」
 生駒は身を乗り出した。
 まともに目が合った。
「そんな噂もある?」
「いえ。ですから、ありません」
 香坂が目をそらした。
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