第7章 第4話 Aberrant Invasion◇◆
飛行機が空を飛び、海上ではフェリーが汽笛を鳴らす。
新幹線は動脈のように列島を走り、首都圏へ向かう高速道路は常に自動車で渋滞している。忙しなく往来する人々。日没とともに灯る街の明かりと、色とりどりの光に溢れる美しい夜景。
当たり前のような現代風景。だがここはまるきり日本のようで、日本ではない。
疑似日本ともいえる仮想死後世界アガルタの一管区、完全なる異世界であった。
天御中主のアバターに乗った伊藤 嘉秋は、無数のホログラフィックモニタに囲まれながら、その場所に浮遊していた。彼は主神として馴化管区を支配すれど、その名を知る者も崇める者もない。
視えざる神として宇宙空間から青い宝石のように輝く疑似地球を、もっというと雲間に見える日本列島をひそやかに見守っている。
彼は百億年もの壮絶なる構築時間加速の末に、早くも現実世界馴化管区を早くも完成に導きつつあった。
模擬地球は現在、西暦2000年を迎えた。
超神具 相転星によって予めインプットしておいた現実世界の歴史を模擬地球にトレースさせ原始時代から歴史を辿りながら、現実世界とは隔絶した時間の中で歴史の針を刻んできた。
日本管区ということで疑似世界日本は基点区画として特によく造りこんでいるが、容量節約と構築士不足のために諸外国を含む区画は開けておらず(パラメータは導入しているが)、実質的に日本区画は鎖国状態で、基点区画のみ集中的に動かしているという状態だ。
この異世界は完全に地球と同一環境とはいかないのだが、法整備、インフラ、経済、国家機能は現実世界とさほど相違ない。
特に、現実世界へ帰還する第一号患者となるメグの故郷である東京都は丁寧に環境を整えている。
日本素民の人口は2億人を突破し、西暦2134年の環境に近づきつつある。そろそろ減速をしなければ、2134年を過ぎてしまう。
伊藤は相転星を用いて管区再生時間を徐々に減速してゆく。
『こちらの準備は整ってきたが……外の受け入れが問題だ』
できればメグの現実世界の家族をこの管区に呼び、家族の支援のもと少しずつ外の世界に馴らしてゆきたかった。
それがメグの社会復帰にとって一番の近道のように思えてならない。
仮想世界の中に主神として閉じ込められた伊藤が現実世界での調査や行動を行うためには、信頼でき、厚労省である程度権限を持つ現実世界側の人間のサポートが必須だった。
どこに裏切り者がいるともしれないのが厚労省という組織である。
そこで、彼は新たに組織されたアガルタ馴化管区のスタッフの他に、あまり気のりしないながらも、死後福祉局の高官にして戦略的構築室 室長である彼の妻、冴島 彩奈の力を借りていた。
以前、メグの両親と名乗る人物が厚労省を訪れた事件があったが、その後毛髪などから得た詳細なDNA鑑定の結果によれば、親子関係はなかったということが判明した。
冴島の詳しい調査によると、現実世界でのメグの両親は亡くなっている可能性が高いとのこと。
実の姉はいるが、行方不明となっている。
さらにメグとメグの姉の現実世界での本名は、治験中の患者にまつわる個人情報として実務者側には知らされないという建前だが、赤井が彼女の本名をアガルタ内で看破したことにより、それをモニタしていた伊藤にも本名を知られることとなった。
メグの本名は 東 愛実、そして姉の名は沙織という。
沙織の素性を調べたところ、東 沙織は東京大学卒業後、国家公務員I種として内閣府に採用され、その後の経歴は曖昧として日本にいるのかどうかすらも分からなかった。
また、本籍地以外には現住所はおろか出入国記録へのアクセスも不能。
冴島の伝手をもってして、洗っても洗っても情報が出てこないことから、国家機密を取り扱う仕事を任されているとも考えられる。
『沙織は偽名ではない、とすると』
そこで、伊藤は不意に西園 沙織の存在を思い出した。年齢や細かな情報が、東 沙織と一致するのだ。
西園の遺伝子データは、厚労省採用時に取得されているはずだ。
まさか、という思いはあった。
もし、西園の遺伝子データと愛実の遺伝子データに姉妹として部分的な一致があればそれは確定的となる。それを調べることは難しくなく、メグの遺伝子データを取り寄せているところだ。あと数時間もすれば、結論は出るだろう。
だが西園はもう、この世にはいない。
西園が愛実の姉の沙織だとすると、メグの身元引受人がいなくなるということだ。
親族を捜せば出てくるだろうが、メグとの絆は薄くなる。
『……西園 沙織、メグの正体を知っていたのか?』
だとしたら、何故自殺などしてしまったというのか。
いつか会えるというのが分かっていて……。
西園の考えが分からない。
また、彼女自身がサイバーテロに関与したか否かも。
失われた彼女の生脳と共に、全ては闇の中だ。
伊藤は軽く腕を振り、青いウィンドウを引き寄せ27管区のサブモニタにアクセスする。
メグとナズの精神状態を常時チェックしておきたいのだ。
いつ彼女を馴化管区に呼ぶべきかを慎重に見定めなくてはならない。
彼女の記憶は順調に回復しつつあり、もういつ馴化管区に移してもよいという状況にある。
また、彼女も覚悟ができつつある。
モニタを繋ぐと、27管区へのアクセスは一方向に制限されていた。
つまり、伊藤側から意思の疎通ができないという状態にある。理由は判然とした。
『成程、第三区画が解放中なのか。これが終わるまでは、どうこうできないな』
もはや27管区の指揮権は伊藤にはない、権限を剥奪されてしまったのだ。
27管区の新たなプロジェクトマネージャーが選出され、彼の指揮のもと運用されているとのことだ。彼が第三区画解放にGOサインを出したということなのだろう。
だが、伊藤はそのプロマネの名前を知らない。
日本人ではあるが、日本アガルタの所属ではない。
冴島も多くを語ろうとしないし詳細を知らされてもいない様子だ、ただ、宮内庁と厚労省の合意のもとに決まった人事だということだ。
経歴も素性も知れない人物に、27管区をいいようにされてしまうのではないか。
そんな疑い、焦りも生まれてしまう。
それに引き替え、この現実世界馴化管区は伊藤が管理する限り安全だ。
第三区画解放後に、メグを呼ぼう。
伊藤は彼女の運命の時を、それと定めた。
*
洞窟を抜け第三区画に入ると、想像以上の凄惨な光景が私達を待っていた。
私達が踏み入ったのは、タコヤキ共和国、最西端のモンジャに面したメンターイコ町だよ。
町並みは地球上のどこに似てるかっていうとスイスだね。
煙突のついたミニチュアみたいな赤い屋根の可愛らしいログハウスが山腹に無数に点在してるよ。
一気にアルプスな雰囲気に、私達も和む~とはいかない。
それだけ見ると和むんだけど、そのログハウスが炎上しちゃってるから殺伐としすぎ。
さらによく見ると街並みのドアは破られ、何者かに荒らされ放題の様相だ。
驚いたのはそれだけじゃない、人が石畳の道端に倒れまくってる、何十人と。
倒れてるの? 死んでるのこの人たち? 緑と水の豊かで平和な町だったんだろうに、と思うと痛ましい。
気候も何やら基点区画と比べて違和感がある。
何これモンジャ側は快晴だったのにこっちは分厚い雲が垂れ込め、雷鳴轟いてる。岩山一つしか越えてないんだけどこの変わりよう、水埜さんたら第三区画入るなりもう怪しい雰囲気を演出しちゃってる。
こんな中でどうやって生きてるのタコヤキ共和国の人たち!
のっけからクライマックス。
【第三区画内 タコヤキ共和国 総人口 3万3483名(1万2814名) 信頼率 0.7%】
0.7%とか若干信頼率があるのは一緒についてきてくれた第三区画民のものだよ。
手前に倒れていた男性が僅かに動いたように見えたから助け起こそうと思ったら、案内役に来てくれてたメンターイコ町の町長さんたちが大慌てで叫ぶ。
「アカイさん! こうなったらもうだめや」
「一昼夜……おそらく今夜には邪神の眷属として目覚めてしまいますのや」
『はぁ』
なんか皆さん不自然に語尾に「や」がついてる。
27管区でこんな語尾な民に初めて遭遇したけど、これって方言?
アガルタではじめてだよ大阪弁みたいよね。
タコヤキ地方では成人男性は語尾に「や」をつける。子供と女性はつけないらしい。さすが第三区画タコヤキ、名前だけあって関西地方かよ。
『ですが、まだ生きていますので助かるのでは?』
と、私が抱え起こそうとすると、それを見ていたロベリアさんが鋭く忠告を発する。
『いえ、神様よく見てください! 首に……』
首にどうした? 見たら首に棘が刺さってる! ドラムのスティックみたいな太さの黒い棘が首にざくっと刺さってしかも貫通してる! 気管潰れて残酷きわまりないよ、驚いて思わず飛びのきそうになってしまった。
『こんな……どうしてこんなことを』
「その者たちはもう人間ではなくなってます犠牲者たちですのや。一度殺され、一昼夜ののちに不死身の眷属になりますのや。町の有志が自衛団をつくっていたのですが……」
そう言われてみれば、倒れてるのは武装したヒトばかりだ。勇敢な戦士たちが次々に邪神の眷属の犠牲となり、もうこれ以上戦える人がいなくなってモンジャに逃げてきたのか。だから難民に若い男性が少なかった筈だよ。
ということはもう、この人たちは死んでるのか? いや、それでも何とかするしかない。
水埜さんは悪役とはいえ構築士だ、せっかく育てた彼女の民たちをそんないきなり大量虐殺するはずがない。と信じたいけど……やらかすかもな、仕事だから躊躇なく。そのために、きっと悪役区画にはA.I.しかいない。グランダと同じパターンだ。これ以上の犠牲者を出さないようにしないと。
『この棘を抜いてもだめでしょうか』
助けられるなら、昼間のうちに一人でも助けてあげたいと思う。夜になったらそうも言っていられない。
「だめですのや、抜いても抜かなくても、一度刺されたら同じですのや。彼は勇敢な男でした」
町長さんは力なく首を振る。顔見知りなんだろう、何やら手を合わせていた。一度あの棘に刺されてしまったらだめってことなんだな。私はインフォメーションボードを立ち上げ、私が抱えている人が生者として認識されないことを確認し、さらに刺さっている棘を分析。未知の材質で解析不能って出てくるよ、さらに毒物反応もでない。無力感に苛まれながら、それでも棘を抜き祝福すると、被害者をそっとその場に横たえる。
「昼間はこれでいいが、被害者らをどこかに移動させておいたほうがよかろう。でなければ夜になると……」
キララも、犠牲者の数に息を呑む。もしそうだというのなら、夜になれば彼らも不死身の眷属と化して人々を襲う、犠牲者は更に拡大する。
そして、モンジャと第三区画は今や繋がっているから……。
邪神の眷属なんて第一区画にはいなかったしキララも見たことない訳だけど、ヤバそうだとは気づいてる。
「それがよさそうですな。せめて、この地で足止めを。モンジャには入れない方がいいでしょう。モンジャが落ちれば、グランダも無事では済みますまい」
緊張を漲らせた声で、ヌーベルさんがキララに応じた。今道端に何人倒れてる? ざっと数十人は倒れてるよ。ロベリアさんとヤクシャさんは一人一人検分し、生体構築から解毒薬から、助かる方法がないか色々と試したようだけどダメだったみたい。となれば全ては禁書の記述にかかっている。
『隔離できそうな場所に手分けして犠牲者を運びましょ。んじゃグランダチームでやるっすわ。町長さん、どっか手ごろな場所ない?』
ヤクシャさんは深呼吸して気持ちを切り替える。
「それでしたら、石造りの、避難用地下室がありますのや。外から厳重に封鎖することもできますのや」
『じゃそこに避難しましょ。おーいグランダ軍こっちー』
力自慢のチームグランダは、ヤクシャさんの前にわらわらと集合。夜になる前に犠牲者を隔離スペースに運んで封鎖することに。
『お任せしましたよ。私とロベリアさんの班は当初の予定通り、生存者を探しながら禁書を探しましょう。昼間は安全なのですよね』
「昼間は安全です、間違いありませんのや。それでわしらはここ最近は昼間にしか行動できませんのや」
というわけで、ロベリアさん率いるネストチームと私 with モンジャ民は、禁書の捜索に全力を挙げることに。
メンターイコ町の開けた場所から、私とロベリアさんは浮遊で、皆はシツジに乗って警戒しながら、恐る恐る町の中心部に入って行く。
メンターイコ町をいくつかのブロックに分けてくまなく捜索しつつ、グランダ軍は全力で犠牲者を移動。
グランダ兵士さんたちが額に汗を浮かべ、えっちらおっちら犠牲者運搬を頑張ってくれてる中、私の班はモンジャの漁師さんたちに街中を大捜索をしてもらった。
ロベリアさん率いるネスト班には、森や山間部の捜索に集中してもらった。
家々を、道端を、茂みの中を虱潰しにあたっていく。
焦りが募る中、手がかりは一向に見つからない。
「禁書ってこれかー? 黄色い表紙のやつ!?」
そんなとき、モンジャ民マルマルが何か黄色い本を手に走ってやってきた。
でかしたよ、もう発見?!
「いや、それじゃなかろうよ。もっとこう、変な皮の表紙なんだろ」
皆さん集まって喧々諤々としはじめたので私がぺらりとめくってみると。
字が分からなくて読めなかったので、インフォメーションボードで解読にかける。
日記の内容は甘ずっぱい感じの少女の恋日記だった。
ありゃ、プライベートを覗き見て悪いことしちゃったな。私は気まずくなり咳払いをして、
『これは日記ですね、もとの場所に戻しておいてください』
「え、そうなの。てかこの土地の字が読めないから背表紙に禁書って書いてあってもわかんねーですよ」
マルマルの言うとおりだ。
というわけで、グランダ軍と行動を共にしていた第三区間の皆さんには捜索各班に何人かずつついてもらうことに。
「これっくらいの大きさで、黄色くてじめっとした皮の表紙ですのや」
家探ししたりモノを片づけるときに特有のよそごとをはじめるモンジャ民にキリキリ働いてもらったけど、陽は刻一刻と傾き夕暮れに近づく。
よく考えたらそんな数時間でメンターイコ中の家探しも、山間部の捜索もできるわけない。
そうはいっても、モンジャチームは皆頑張って家々の5割ぐらい捜しただろうか。
勿論、屋根裏とか軒下までは十分に捜せてないけど。
さすがに疲労の色も見え始めた皆さん。
『禁書はメンターイコ町から移動したのでしょうか』
マヨの話だと、禁書はメンターイコ町で消えたわけだから、普通に考えたらこの町にある筈だ。
「その指輪が、禁書を引き寄せているはずですのや。何も感じませんのか?」
『特に何も感じませんね、ただの指輪です』
全然反応ないんですけど、私の指にはまってるこの呪いの指輪。
もしかして、夜になればどこからともなく禁書が現れたりとか?
『ところでタコヤキの民は、この惨劇の中でどうやって生き延びてきたのです? 夜な夜な、異形となった眷属と戦ったのでしょうか?』
家も荒らされ、夜通しどこに隠れてたっていうの。
「矢も刃も、邪神の眷属にはたちませんのや。斬った端から再生して復活してしまう。このあたりの集落は、邪神の復活に備えて避難用の壕を掘っておりますのや。町ごとに管理され、夜間はそこに一時避難しておりましたのや……しかし、逃げ遅れた者や家にとどまると言った者、果敢にも戦った者は……このありさまですのや」
『なるほど』
水埜さんが一応、住民が全滅しないように考えてるみたい。
一度邪神の眷属になってしまった人は、昼間は水のある場所に潜って隠れているらしい。
カルーア湖に隠れている人もたくさんいるだろう、という。てことは夜になったらどんだけ出てくるの?
『では、今宵、カルーア湖から邪神の眷属があがってくるかもしれない、ということなのですね』
『ええ、モンジャだけでなくカルーア湖の全域が危ないということになりますね。神様が結界を張ってはおられますが……邪神の眷属なら、最悪無効化されてしまう場合も』
ロベリアさんが仰る。ああー、そういやそうだったよ思い出した。
キララとかも前、私の物理結界無効化して侵入してきたしな。
「グランダとモンジャはカルーア湖に面している。もしそのようなことが起これば、私達には対処のしようがない」
「あかいかみさまー、何か変な足跡みつけたー」
皆が互いに顔を見合わせて黙り込んでいたところ、いまいち緊張感のない間延びしたイヤンさんの声がする。
『これは、足跡?』
私達が手を振る彼のもとに近づくと、大人一人の身長ほどでかい足型らしき溝ができてる。その周りに、どす黒い粘液が道端にぼとぼとと落ちてる。足型は五本指で人間の足跡みたい、結構な深さの足あとだからかなり重量がありそうだよ。
『このあたりに、このような足跡を残す大型動物はいるのでしょうか』
モンジャにもブリルとか、恐竜じゃないかってほど超大型動物いるからね。
違うとは思うけど一応聞いとこう。
「これは動物ではなく、邪神でしょうね。動物の気配ではありません」
邪悪なアトモスフィアの気配をコハクが敏感に感じ取っている。
ヒカリは棒で黒い粘液をつついて顔をしかめていた。
「そ、それは! 邪神の眷属ですのや。わしらはそいつのせいで死ぬ目をみましたのや」
ここに倒れていた元人間の犠牲者たちとは別に、夜になるとポンデリン湖から異形の邪神の眷属が地上に上がってくるって話なのか。
足跡から推測するに邪神の眷属、思ってたよりでけーな。
そうこうしてるうちに一日目終了。
結局禁書は見つからないままに、夜の訪れへの不安を残しつつモンジャ側へ撤収となった。
「赤い神様、結界を」
モンジャへと繋がる洞窟に入ったあと、背後を気にしながらジェロムさんが私に後始末を要請してくる。
『はい、しっかりと入口を封鎖します』
両手を前に突き出す。
丁寧に心を入れて壁を造るように、ゆっくりと左右に両手を広げてゆく。白く輝く半透明の巨大な壁が完全に洞窟の入り口を塞ぐ。いいはずだ、これで。
私たちは結界の守りを背に、モンジャ側に戻る。
ちなみに物理結界は私でなくて誰が張っても見た目は同じだ。ロベリアさんやヤクシャさんが張った方が分厚い、とかそんなことはない。
ただ、ヤクシャさんがトレスポで教えてくれたようにハイロードの結界は防御力がずば抜けてるらしくて、だから結界は全部私が張ることになってる。
結界を張りながら戦闘して~って場合は集中力がそがれるから、使徒さんたちと分担をした方がいいっちゃいいんだけど、でも私は何があっても結界の展開を手放さないという訓練はしこたま受けている。
私達一団が暗い洞窟を抜けモンジャ側に戻ってみれば、ジェロムさんの言ったように、洞窟の穴を取り囲むように土塁と塹壕ができかけている。
土塁の方が先にできそうだ、眷属が登って来れないように板で表面が覆われてゆく。
結界だけでなく物理的バリケードも必要だ。
『さすがですね皆さん! こんなに早いとは、見直しましたよ』
「変な化けもんが攻めてくるとあっちゃ、恐ろしくて作業も捗りますよ。こっちも死に物狂いです」
もちろん、多少はモフコ先輩の手伝いもあったみたいだけど。
ところで塹壕って、何で鉄砲もないグランダが塹壕なんて知ってるわけ?
いらないでしょその作戦、と思ったけど、弓を用いた隣国との長期戦に備えてそういう作戦が出てたらしい。塹壕の前にも柵が張られていた。
「日没だ……」
夜が近づいてくる。湿気の強い霧が、第三区画側からひんやりと流れ込んできた。
いつになく生臭い風が吹いている。洞窟の穴は、モンジャ側からも結界で完全にふさいだ。グランダ軍の弓兵団、重装歩兵団は武装して職業軍人全員集合。モンジャ民も協力して土塁の上から、塹壕から弓で射かける作戦だ。近づくと棘に刺されるっていうから、できるだけ近接戦闘しない方がいい。ネストの御家人さんたちはグランダやモンジャの臨湖地帯の防衛に廻ってもらった。
グランダの守りにはヤクシャさんとモフコ先輩がついてる、コハクもヤクシャさんの方についてる。私とロベリアさんはモンジャ側に一緒にいて、ロベリアさんはモンジャの湖に面した場所にモンジャの漁師や狩人たちと待機している筈だ。
私が張り巡らせ、今もカルーア湖を覆いつくす物理結界は万全か、果たして持ちこたえられるだろうか。……不安を抱えつつ、私達はいっしんに洞窟の方を見ていた。
「気配は不穏なのに静かだな、気持ちが悪いぐらいだ」
キララが土塁の上に腰かけ夜食をとりながら、油断なくあたりに目を配りながらぽつりとつぶやく。
『結界が機能していればよいのですが』
「心配なのは、神の結界も万能ではあるまい。特に、同質の力を持つものが相手では。そのあたりはどうなのだ」
『ふむー、そうですねー』
確かに、言い返す言葉もないよ。
午前1時。私達は交代で兵士さんたちに仮眠をとってもらいながら、異変がないかを見張る。
皆で迎え撃てば怖くない、的な心構えなのか、興奮してるのかグランダ兵士さんたちは士気が高い。
火を絶やさないようにした。
灯りつけてよく見とかないと、暗闇に紛れていきなり侵入してこられたら困る。
そんな不穏な静寂を破ったのは、ズウンと岩山全体に響き渡る鈍い振動だった。
一度、二度、と繰り返される振動。
段々と強く、近くなってくる。
地響きとともに新たな物音が湖の方向からも重なる。地震……!?
と一瞬思ったけどそんなんじゃない。
『皆さん、備えて!』
飛び起きる兵士さんたち、大慌てで食べ物を口に詰め込むモンジャ民。
ドオーン、とひときわ大きな衝撃が走り、何この音……と、脇に目を向けたら。
聳え立つ黒い塊が、モンジャの湖畔から結界を叩き壊してこちらに侵入してこようとしていた。
「きゃ――!」
勢いよく悲鳴を上げるカルーア湖岸を警備していたモンジャ民たちとは対照的に、すらりと剣を抜くロベリアさん。
私の方も油断してる場合じゃない、岩山の奥からも結界破って何か来るよ!
てか私の結界もしかして意味なかった!?
湖の対岸で、爆発音とともに青白い光が閃いた。
ヤクシャさんもグランダで戦闘状態に入ったみたいだ。
ヤクシャさん超強いから負けないと思うけど、一気に仕掛けて来たよ水埜さん。
『これが、邪神の眷属ですか!』
ロベリアさんが踏み込み空に舞い上がると同時に、湖側から侵入してきた眷属が結界を突破。
ロベリアさんは焼夷弾的な光弾を放ち、邪神の眷属の姿を見定める。
その姿はというと、首から上のない太ったどす黒い皮膚をした全裸のおっさん、二階建ての家ほどあるよ。中途半端に人型してるから不気味、昼間のでかい足型ってこいつの足型だったんだ。
『赤井神様、こちらはお任せください。そちらに集中をっ! 生命反応はありませんがエネルギーコアがあります、それが弱点かと思われます。手加減召されますな』
『了解、頼みました!』
生命反応なしか。よく一瞬でそれだけ見極められるよな。
水埜さんが中に入ってたりとか、実は人間が変身させられた、とかじゃないわけだ。具体的には、眷属を斃してしまっても殺生にあたらないってことだ。どんな理由があっても素民や人間、動物相手に殺生できないというこの殺生禁止のルールは、私ら甲種構築士の行動を縛っている。なら全力でいかせてもらう。
ロベリアさんはかなり不気味なルックスの邪神の眷属相手に怯まず、振りぬいた剣の一閃で邪神の眷属の胴を豆腐を切るように鋭利に一閃。
邪神の眷属の体液が飛び散り、カルーア湖へと吹き飛び大きな水しぶきを上げ、断たれた上半身が湖へと滑り落ちる。
『エネルギーコアが、斬撃の寸前に逃げました。90%以上の確率で復活します』
ロベリアさんは邪神の眷属が倒れている間に、すかさず湖畔に何重もの聳え立つ炎の障壁を創った。
物理結界が駄目なら、他の手を考えるしかない。
感心していると、ロベリアさんの警告が飛ぶ。
『そちらからも来ます! 油断なく! モンジャの皆さん、もっと下がっていて。あなたがたの出番はまだです』
「じゃ、俺らいつ戦えばいいんですか」
モンジャ民のソミオが不満そうだ。ソミタに至っては今にも銛を投げそうな勢いだ。
『湖から犠牲者たちが上がってくるかもしれません。その時は皆さんを頼りにしています』
ロベリアさん、モンジャの皆を立てることも忘れない。
私の方でも別の邪神の眷属が洞窟の奥から猛然と迫ってくる気配がする。
姿を現わすその瞬間に、私は有機物ならほぼ焼き尽くすと自負している高温の神炎を練り、邪神の眷属と思しきモノを洞窟内に押し戻すようにたたきつけた。
先手必勝、こっちに入れてなるものか!
アセチレンガスから構築された神炎がうなり、大熱量の爆風が迸る。
洞窟の外に出てきた正体不明の黒い物体は姿を見せる間もなく一気に炎上!
神炎は大量の水蒸気を発生させ暫く燃え盛っていたけれど、やがて勢いを失い鎮火した。
うそ、触れただけで消し炭になるような温度よ?! 不燃かよこれ、可燃にしといてよそこは!
そうかと思えば眷属が大きく口を開けた。吐きだしたのは、灼熱の炎の吐息! ぎゃー火ぃ吐いた――!
眷属に向けて暴風を起こし炎を跳ね返す。
火力つえー! こいつ炎に耐性あるから神炎系の攻撃は効かないのか。
蒸気の中から、何かオオサンショウウオが後ろ足で立ち上がって前脚のない感じのルックスのぬめっとした眷属がぬっと姿を現した。
「うえええっ、なんだこいつ!」
「化物だあ!」
グランダ兵士さんたちもドン引きの気持ち悪さ。
オオサンショウウオは可愛いけどこいつは愛嬌全然なしよ。
さて、どうする。電流流しても多分ダメだ、ぬるっとした粘液に覆われた体表面を電気が滑るし。
「神様を援護しろー! 発射だ!」
グランダの重装歩兵さんたちが盾を構え、その隙間から長弓兵さんたちが一斉に弓を発射。
塹壕の中からも矢が飛ぶわ飛ぶわ。モンジャ民は見境もなく槍を飛ばす。
武器は「あぶなくない矢じり」ではなくて、より殺傷力のあるものだ。
思い余って普通に石ころ投げちゃってる剣士さんもいる。おおっ、数うちゃ当たる方式でいくつか命中した!
「どうだ! やったか!?」
皆さんの矢が邪神の眷属の下腹のあたりにしっかり刺さってるよ。
あんまりこたえていないみたいだけど、地味に刺突系は効くのか。
弓兵さんたちが一気に第二陣を射かけようとしたとき、
「はああっ、その眷属は――ッ! だめや、隠れて――!!」
物陰に隠れていた町長さん、眷属の全貌が見えたらしく急に悲鳴を上げた。
何やら分からないながらに町長さん、何か知っているみたいだ。
そうこうしている間に素民の皆さんが表皮に刺さっていた武器がずぶずぶと吸い込まれてゆくのを目撃。
『皆さん隠れて!』
私がそう言い放つやいなや無数の風切音がして、真正面から上空から矢や礫の雨が猛烈な勢いで降り注いできた。
最前列より前にいた私は物理結界で防御。
結界に触れたそれらはガラスの割れるような音を立て粉々に砕け散る。
「なんと……! これは、こんなことが!」
信じられないカウンターに、キララは慄いている。
皆も驚いて思わず手にした武器を取り落とした。
あかーん!
攻撃をそのまま反射してくるタイプじゃんこいつ! こいつに武器を与えたら大変だ。
待機させていたインフォメーションボードで解析にかかる。
眷属の表皮は両生類の性質を持ち、分泌される粘液には神経毒が含まれている。
エネルギーコアはどこだ? 解析してもコアらしきものが体内に複数光っててよくわからない。
ロベリアさんの話だと、それを壊せば倒せる筈だけど。
「弓では駄目だ、四方から一斉に斬りかかれ!」
『いけません、突撃しないで下さい!』
既に号令かけちゃったジェロムさん、慌てて細長いラッパみたいな楽器を吹いて撤回。
「突撃、やめ――っ!」
私は周りにいた数人を心理結界でその場に縫い止めたものの、何人かはそれも間に合わず突撃してった――! 雄叫びを上げながらこれでもかと眷属の脚を斬りつける重装歩兵の向こう見ずな兵士さんたち五人くらい。私は猛ダッシュで彼らの背後に走り込み、首根っこ掴んで一人ずつ引き離した。
『下がって!』
攻撃が届いたのか、眷属の脚には傷跡ができ陥没している。あれ、でもどんどん陥没していく……ってこの傷跡も何か跳ね返ってきそうなやばい予感が……した――っ!
「ぐべっ!」
邪神の眷属の脚部に刻まれた傷跡の数だけ生じた真空の刃が、私達の至近距離から襲い掛かる。
私の物理結界を貫通し、兵士さんたち何人かが大怪我。
鎧を着てるから辛うじて死んではいないながらも、相当に重傷だ。
土塁は衝撃によって切り刻まれたけど、それでも多くの兵士さんを守ってくれた。
至近距離で真空の刃を浴びた私も全身血まみれ。私の傷はそこまで深くないから慌てない。
それより私の白衣、一撃でずたずたとか。贅沢言わないからもうちょっとだけ防護性のあるの支給してよ、と全力で外のスタッフに訴えたい気分。
私達を追い詰めるように一歩、一歩と迫ってくるおぞましく巨大な眷属。攻撃が跳ね返ってくる……ってことはどうやって攻撃すりゃいいの? ロベリアさんが気を回して駆けつけてきた。
『ロベリアさん、そちらは?!』
『あちらは火炎壁で少しだけ足止めができています。復活には時間がかかる筈、こちらから片付けましょう、援護します』
手伝いに来てくれたロベリアさんと手分けして兵士さんたちを片っ端から祝福し、傷を応急処置。免れた兵士さんたちも全員に土塁の後ろにまで下がってもらった。
「神様もお怪我を!」
軽傷を負ったヒカリが、私の怪我まで心配してくれる。
『ありがとう。でも私は不死身なんですよ、ヒカリさん』
ヒカリは思い出したのか、ほっとしたように頷いた。傷もあまり深くないっぽいので、ボードを開いて生体構築ダイアログを見る。結合組織、臓器の修復、アトモスフィアを供与。これでオッケーだ。今まではできなかったけど、自分の怪我は自分で治癒が構築士の基本らしい。
さて、真面目に考えよう。跳ね返ってきそうにない攻撃ってなんだろう。物理系は全部跳ね返ってくる、火炎もご覧の通り。
ん? でも投げ技とかってどうなるんだろう?
跳ね返ってくるとしたら、私が投げられるのか?
思いついたら試してみる。
『私が相手になります!』
空気を掻くように左腕を振ると、金色の神杖が宙に現れ、力強く握る。
私もさすがに今回は丸腰で勝てると思ってないので、新しく神杖を作ってきた。今度の杖は、2メートル長の、すらりとしたフォルムの仕込み長杖。かっこよくて気に入ってる。基本形はメタリックゴールドで、昔の羊飼いの杖みたいな形してる。
片方はステライトに似た組成の超硬合金で異常に強度があり、柄の先にゆくにしたがって変幻自在で可塑性のある材質を使ってる。そして、杖にはアトモスフィアを溜めておけるバッテリー機能も内臓されてる。これは蒼雲さんの神具のアイデアを参考にした。アトモスフィアは今日に備えてこつこつ溜めてきたから、神通力の大出力も可能だ。まあそれでも、至宙儀を動かすほどの出力は出ないんだけど……。
杖を左手に携え、眷属の懐に真正面から斜めに滑り込むように突進し、ガードがらあきの上肢に固めた握り拳を沈めると、ぬめっとした感触が拳を包み刺胞があるらしく手に刺激が伝わる。思いのほかしっかりと体躯の重心を捉えたので、腹を撃ち抜くような気持ちで一気に突きあげるようにアッパー! どっせーい! と空へと殴り飛ばした。
「うおっ、眷属を軽々と片手で打ち上げた!」
「何て滅茶苦茶な、怪力すぎる」
うげっ、重っ! 相当重いし重量何トンかあるっぽいけど、私は馬鹿力だから平気だ。
そんなことより地を強く蹴り、打ち上げられた眷属を追いかける。
空中で二段、三段ロケットみたいにもっと空高く蹴って打ち上げ、ダメージを加算してゆく。
空を駆けながら、左手に握った杖に神通力を送りプラズマを纏わせる。
ビシビシと激しいスパーク音は、杖先が頃合いの温度になった合図だ。
杖の先端は可変性があって薄く平たくなり、熱と超音波をかけると刃物のように物体が切れる。
眷属の真下から杖の射程に入り、神通力を乗せひと思いに仕掛ける。
白く輝く炎刃と化した杖は、空中で眷属を縦に一刀両断。徹底的に切り刻み、中途半端な再生は許さない。マルチコアみたいだから、切り刻むのが正しい。
『うおりゃあああああ――ッ!』
超音波とともに焼き切りながら斬ってるから、傷口から体液は出ない。
毒液出たら下の素民が大変だ。
更に、二度、三度。
真横に、袈裟懸けに、逆袈裟に。眷属の破片は8ピースになった。
インフォメーションボードをチラ見で確認すると、コアの反応が消えた。
これで一安心、とはいかない。
バラバラになった破片が下に落ちてゆこうとしていたところで結界を立ち上げて破片をとり囲む、あれでも地上に落ちて再生したらいけない。結界内部にさっきから予約構築していたブツを物質化。
『構築物質 : LN2、速度 : 300L/sec、継続時間 : 10sec 』
液体窒素の冷媒を構築し塊を瞬間冷凍。
結界は上から降り注ぐ液体窒素のシャワーを防いでくれる。
地上の皆さんは大丈夫だ、地上に落ちる頃には気化してるから液チの雨であちちちなってたりはしない。凍らせたあと、破片を地上に叩きつけて砕いて終わりにはしない。素民の皆さんの安全の為に徹底的にやる。
『さーて、打つか』
私は野球のバットに見立て、白衣の袖をまくり大きく杖を振りかぶる。背番号27番 ピッチャー 赤井!
打つよ、打ちますよ私今日は! ここで打たなきゃ万年最下位なうえに今シーズンも負け越しじゃないのってぐらいの心意気で。え? ベイスターズの悪口はやめろって? いや、けなしてないですむしろ愛してますよ。私神奈川県民ですからベイスターズファンですよ勿論。時々日和ってジャイアンツファンにもなるけどね!
今年はペナントレースどうだったんだろ。
ベイスターズは優勝争いには絡んでないよね絶対……って今それどこじゃない。
トレスポで三か月もエクストリームスポーツばっかりやってその後の1年でも更に色々やってた私だけど、無駄にバッティング練習やってたわけじゃない。
いや、本当に無駄だったら悲しいから成果を発揮したい。空中列島のように浮かぶ凍てついた肉片の下にもぐり込み、私は大地と水平に浮遊する。落下物体は止まって見える。
一つ一つの破片を杖の芯でとらえ、フルスイングで更に神通力でブーストをかけると、カッキーンと素晴らしい当たりと共に虹のような尾を引きながら上空に飛んで行った。
あら、もしかしたら摩擦熱で途中燃え尽きたかもしんない。
赤井選手、さよならホームラン――!
破片は完全に空の彼方に飛んで消え、二度と戻ってくる様子はなかった。
空の果てを見ながらよし、と満足げに大きく一つ頷いていると、真下から大きな水音が上がった。つられて眼下を見下ろすと、……ふざけてバッティングやってる場合じゃなかった。さっきロベリアさんがやっつけた眷属とは別の眷属がロベリアさんの炎の結界を突破して上陸しようとしている。更にもう一体、湖の中から眷属が出現! ロベリアさん、二体同時相手するには厳しそうだ。
急降下しても間に合わない。っとなると……!
***
遥か上空で霞のように消えたかと思えば、地上付近に突如出現する。赤い神は神出鬼没の転移術を自在に使いこなすようになって久しい。
現れるなり全天から神雷を集め、特大の厳霊を杖に注ぎ、杖は生き物のように変形して伸び眷属の頭部から縦に串刺しにする。
神杖の先は的確に轟音と共に地面に刺さり、眷属はなすすべなくその場に縫いつけられた。
醜く短い四肢でじたばたともがき、赤黒い粘液を纏わせた表皮を蠕動させる眷属の自由を、神の技は完全に奪っている。その流麗かつ大迫力の攻撃は見るものを圧倒し、畏怖させた。
太陽のようにギラギラと眩く輝く神杖を頭部から引き抜きざまに、振り回して地上に眷属の巨躯を叩きのめす。掌底から衝撃波を繰り出せば、眷属もろとも押しつぶし地上が抉られ巨大な手形がつく。勿論、素民には傷ひとつ及ばない。一撃打つごとに鋭く火花が迸り、空気が鳴き地響きが周囲に伝わる。
眷属はなすすべなく、異形から肉塊へと変形してゆく。
反撃の隙も再生の余地も与えない、その攻撃はあまりにも一方的だった。
とどめに神の秘術で宙に出現した金属の立方柱を、眷属の真上から落下させる。その重量は想像を絶するものだったのだろう、地震と共に地面に巨大なクレーターができ、眷属はコアごと平らに押し潰され遂に動きを止めた。
地上のグランダ兵士たちは地形を変えてしまわんばかりの、その連撃に目を見張り震撼する。
必死に盾を構え、塹壕の中で、土塁の裏で爆風をやり過ごすのが精一杯だった。
「なんてことだ、格が違いすぎる……」
キララは絶句し、グランダ軍重装歩兵隊長ジェロムは唸ってしまった。
勇猛果敢なグランダ兵といえど、鋼の鎧の下の膚が粟立っている。
かの神が素民たちの前で見せたとぼけた姿はかりそめで、そこにいるのは別神のようだ。
その光景はかつての、やわで頼りがいのない守護神というイメージをもはや払拭した。
相手が人間ではなく異形であって大切な人民を守るためなら、温厚な神がこうまでやるのだ。
恐怖と、信頼。グランダ軍、モンジャ民は相反する空気に包まれた。
ロベリアも負けてはいない。
女使徒とは思えない俊敏かつ重厚な剣捌きで斬り伏せ、奇術を使い目も眩むような青い光の矢を全方位から眷属に放って貫き、引き裂く。
細腕と美貌の使徒は百戦錬磨の風格で、怖じもせず赤い神と協働し、息を合わせ命なきものを屠ってゆく。だが、どう見ても神の力は使徒に勝っていた。
「アカイさんって、人間やなかったんですの……? これではまるで……失礼だが邪神と同じ……」
肩をこわばらせ目を見開いたままの村長が、誰にともなく呟く。どう見ても人間ではあり得ないと村長も気づいたのだろう。腰が抜け、歯の音が合わない様子だった。
「彼はこの世界の創造神で、これが神の御業というものだ。だが彼が本気を出したのを私は初めて見た。正直、ここまでだとは思わなかった」
彼に応えたのは、ジェロムだった。唇は青ざめ、震えていた。
普段は温和で誰も傷つけず、決してその実力の片鱗を見せたこともなかった。
何があっても、その神力を民に向けたことはなかった。
だが彼はこの世界の至高の生命体、神なのだ。人間とは格が違う。戦いのスケールも違う。
これまではただ窮屈な場所で人々と共にあり、本気の片鱗も出せないでいただけだ。
ジェロムは赤い神に剣の稽古をつけてくれと願ったことがあったのだが、いつも流され、はぐらかされてしまった。今はっきりと、その理由が分かった。
「相手にして、もらえぬわけだ……」
目の当たりにした実力で、たった一撃を喰らっただけで、風圧だけで粉砕されないとも限らない。
また、手加減も難しいのだろう。
「これだけの力を持っていながら、何故」
何故、それを一度たりとも人に向けることはなかったのか。
力に溺れ傲岸不遜に振る舞うことも、信仰を強要もしないのか。
教義を押し付け、人間を力と恐怖で支配しようとしないのか。
赤い神がグランダを解放してより、彼を見るにつれ何度考えてもジェロムは不思議だった。
神なのに、そうしない理由が分からない、神と人間は対等ではないのだから……。
そう考えたとき、神が人間を対等だと思っていないからこそなのかもしれない。
と、ジェロムは思い至った。
例え刃向かったとしてもまるで相手にしては貰えないのは、人間は彼にとって何ら脅威ではなく、絶対的弱者であり庇護の対象だからなのだろう。
彼が本気を出すとしたら彼が弱者ではないと判断した敵、それも彼自身と同等の力を持つ存在を前にした時だけだ。
それがかつてのギメノグレアヌスであって、この眷属なのだ。
例え隣国が攻めてきても、彼は人間相手に敵意を懐かない。
だから人との戦いは、国家と人民を守る責任は兵士が負わなければならないのだ。
人と戦えない神に、国の命運を任せることはできない。
そして、彼は兵士としてこの場に臨むことに存在意義を見出したのだった。
しかし彼ら兵士たちは、神々の戦いに目を奪われている場合ではなかった。
ひたり、ひたりと砂利を踏みしめる音が近づいてくる。
開かれたままの洞窟の奥から、無数の人影が押し寄せているのだ。
その正体は、もはやそこにいる誰もが疑う余地もない。
頭部は既に人間の面影もなく魚面にも似て髪の毛は抜け落ち、青黒い表皮全体は粘液質でおおわれており、飛び出した両眼は白目をむいている。背からは無数の棘が背びれのように突きだし、尻まで続いている。それが辛うじて人間であったと分かるのは、昼間に見覚えのあるボロ布がところどころ、醜悪な体躯にへばりついているからだ。
いうまでもなく邪神の毒気が回り異形と化した人々の姿だった。
「何故だ……昼間、地下に閉じ込めていたはずだ」
半日がかりで一か所に運んだというのに足止めにもならならず脱出され、全てが徒労に終わったというのか。
そう思うと誰もが虚脱感に襲われる。
一歩一歩の歩調は緩慢ながらに、群れを成して押し寄せてくる。まさに悪夢の到来だった。
「こちらは我々が相手をせねばな」
キララがぎゅっと剣の柄を握り直した。
『皆さん!』
湖の中から現れた三体目の邪神の眷属に、使徒ロベリアとともに立ち向かいながら、赤い神は戦闘状態に入ろうとしていたグランダ、モンジャ連合軍を呼び止める。
『彼らは元人間です、助かる可能性があります。殺さないでください!』
「分かっておりますとも。そのために、これを拵えたのですから」
ジェロムに続き、ヌーベルが。そして兵士たちが一斉に、「危なくない武器」を抜いた。
今こそこの武器が役に立つときだ。
「少し待て。しかと見極めろ」
弓を引き絞り、キララは異形の一体を半物質の矢で狙い射つ。
眷属と化した哀れな人間は胸部を的確に射られよろめき、頭から倒れ、矢じりに塗られた痺れ薬により四肢を痙攣させはじめた。
希望と共に突破口の見えた軍団がにわかに活気づく。
「武器が効くぞ! 一体たりともモンジャに入れるな! 恐るるに足りん、向こうへ押し戻せ!」
シツジに乗ったキララが最前線に出ようとすると、ヒカリが彼女を庇うように更に一歩前に飛び出していた。キララはそんな彼女を牽制する。
「ヒカリ!」
「はいっ、女王様」
思わず直立不動になるのは、身体にしみついた癖のようなものだ。それにしても、バルバラの名を捨てグランダを出てから、キララと言葉を交わしたのはこれが初めてだ。
彼女、グランダ王は一般素民からすればあまりにも遠い存在だった。
「そうあからさまに庇おうとするな。そなたは私の事など忘れろ。昔はどうあれ、今はそなたの為に戦え」
「はい、……そうします。ご武運を」
ヒカリはきまりわるそうに引き下がる。
キララの傍にいると、体が彼女を庇おうと自然と動いてしまうのだ。
それをキララはもはや強いてはいない。その気遣いが有難いようで、寂しくもある。
とはいえ、グランダ軍は王を最前線には立たせないようだ。小隊長、中隊長が王の脇を固める。命を賭して王を守る覚悟のある者達だ。
「全軍、整列!」
「重装歩兵部隊、第一戦列、前へ――ッ!」
「全弓兵、第一撃準備」
「槍騎兵、突撃準備」
ジェロム以下、ヌーベルや小隊長の号令が飛ぶ。
先ほどまでの一時的な軍団の混乱はおさまり、小隊ごとの落ち着いた指揮系統が復活した。
塹壕から弓をつがえ狙いをすます弓兵隊。シツジに乗り、槍を構えた高い機動力を誇る槍騎兵(シツジ隊)が先頭に廻る。そして勿論、主兵力はグランダ軍の代名詞、重装歩兵部隊だ。
兵士たちの士気を鼓舞するように高らかにラッパが夜のモンジャに鳴り響く。
この日の為に、誰もが己の肉体を鍛え、訓練に訓練を重ねてきたのだ。
「モンジャ漁師もグランダ軍に遅れるな! 気合を入れてけよ!」
「おおうっ!」
マルマルの声に、喧嘩っ早いモンジャの漁師が応じる。
「棘にさされぬよう気をつけろ」
グランダの各小隊から軍団旗が振られ、
「全軍、進撃開始」
グランダ、モンジャ連合軍の初の共同戦線での戦いだった。
グランダ兵たちは興奮に昂ぶる胸に手をあてがい、一つ大きく深呼吸をして。
彼らは一気に邪神の眷属を蹴散らすべく全力で駆け出した。




