第2章 第3話 Reconnaissance◆
さて、素民の集落を飛び出した赤井が今どうなっているかというと。
……身動き一つ取れずにいた。
彼が今どうなっているかも含め、順を追って説明しよう。
西園担当官のいう第一区画がどこにあるのだろうと空から探してみれば、赤井の集落をはさんで湖の向こうに存在した。
距離にして10キロほどだろうか。
赤井の目が節穴だったというわけではない。
第一区画の城壁が岩肌と同じ色して同化して分からなかったのだ。天然の迷彩色である。
外観は頑丈な城塞だ。
見える城壁の長辺は300メートルほどあり、威容を誇っていた。高さも10メートルほど。内部もよく分からない、まずは偵察だ。
西園担当官のいう第一区画はアガルタ世界ではグランダというらしいが、最初に赤井の集落に攻め込んでくる予定の地区のようだ。
グランダには高度な建築技術の痕跡がある。
文明レベルはマヤ文明ぐらい余裕でいってるな、7~8世紀相当だっけ?
と赤井は思い出す。
飛翔術を使い城壁をひらりと飛び越え、城壁の上から下を覗く。
城壁の中には区画化された住居群が立ち並んでいた。
碁盤の目状ではなく、迷路のように複雑に入り組んでいる。門を破られたとしても一気に本丸(?)に攻め込まれることはない。外敵からの守りに強そうだった。
一方、赤井の民は木造建築で弥生時代を過ぎた頃の文明レベルにある。
高床式の三角の家を建て、きゃっきゃと喜んでいた。
”……”
あまりのことに、真顔になる赤井。
”やっぱ木造建築が一番だ、温かくて地震にも強いし!”
ポジティブに考えてみても、どう見ても赤井の民たちと3~4世紀分は差をつけられていた。
技術力のある要塞都市もどきがこんな湖をはさんで至近距離にいたとは。
今まで攻め込まれなくてよかったけど、と疑問だ。それでまだ「解放」されていなかったのだ。
今後は「解放」状態に入るのでいつ攻め込んできてもおかしくないってことだな、と彼は気を引き締める。
『こんなのと戦争なんてやったって負けるに決まってる、どうすっかな』
住居部分の舗装路に武装した民が二人一組で数組うろついていた。
街中をパトロールしているようだ。
『舗装もできんのかすげーな……漆喰の技術もありそうだし。ロードローラーなんてなさそうなのに匠の技だな』
兵士と思しき二人組は、現代では些細なことだが、区画わけしてパトロールを分担しているようだ。この分だと兵士間の統率も誰かがとっていそうだ。
服装は赤井の民とあまり変わらない。お揃いの黒いフードつき貫頭衣を着ていた。
”でも彼らが手に持ってる武器もどき……金属だ。うちの集落みたいに石器メインじゃない。あれ鉄か?”
赤井も鉄や銅的な何かがないとさすがに困ると思い、集落周辺で鉱脈を捜していた。
構築士権限で物質構築はできるが、質量の大きな物質は難しい。
鉱物は必然的に単位体積あたりの質量が大きくなる。
だからといって赤井は地層解析まではできない。
”頼むよドップラーエコーみたいなのやらせてよマジで……材料ないと構築も難しいそれがダメならボーリング(地質調査)でもすればいいのに。鉱物だけじゃなく天然ガスとか油田とか温泉とかいろいろ掘れるかもしれないし、地下資源で私の民も豊かになれるよ……”
などと常日頃から西園にうだうだ訴えていたところだった。
ちなみに、何でも調達しますとのたまった西園が何か調達をしてくれたことはまだない。
騙されている気がする。
”よく考えたらボーリングするための金属管もなかった!”
ダウジングで良質の水脈はいくつか見つけたが、民の人口を維持してゆくために鉱物資源開発は急務だった。
せめてそれを済ませてから集落を去ればよかったよな……などと彼の後悔は尽きない。
とはいえ鉄がとれる鉄鉱石的な何か。
何でもいい。金銀銅に炭鉱……何か使えそうなものなら、と赤井はロイたちにも手広く鉱脈を探してもらっていたのだが……結局見つからなかった。
”こんな近くに資源があったんだな”
現実世界でもそう、資源は偏在しているものだ。
そこで持たざる地域に住まう者として赤井がやってきたことといえば、岩石に微量に含まれる銅に似た元素を元素組替で抽出してそれを砕いて集めて金属くずにし、熱で溶かして鍛えて鍋やら刃物やらを生産していた。地味で地道だ。
特別なとき、冠婚葬祭時に素民たちにおすそわけをすると、喜んでくれた。
そういえば彼の金属加工技術を盗もうとロイは何も言わず赤井の作業をずっと見ていたが、赤井は黙々とやってただけで金属精錬の方法を教えてはいない。神様的な邪道はロイには真似できないし、製鉄法、製鋼法は安定した金属供給が確保できてから教えようと、赤井なりに考えていたところだ。
『ここは私の集落と違って鉱物資源が豊富なんだ。……交易とかできたら一発で問題解決なんだけどな、てかその手は使えないのかな』
交易か、楽しそうだ! と夢が膨らむ赤井。
赤井の集落の売りは綿織物、絹織物に多種多様な穀物だ。
手作りの民芸品もカラフルでかわいい。
黒ばかり着ている味気ないコスチュームの第一区画民もお気に召しそうなもの……と、売り込む特産品を思い浮かべる。
『妄想してる場合じゃないか』
彼らは何故か赤井を憎んでおり、赤井の集落に攻め込もうという設定で、赤井が手を打たない限り覆せない。目先の問題を解決しないことには。
うまくいけば彼らを懐柔し和平へ持ち込み、交渉が失敗すれば捕虜として身柄を差し出す。
その為にこそ、彼はここに来た。
『それで私の集落は助かるよな……てか、あの片手剣もどきの金属何使ってるの? 何の素材でできてるのあの金属?』
飛翔したまま白衣を空にバタバタとはためかせ、青い空をくり抜くように大きく長方形を描き、慣れた所作でインフォメーションボードを呼び出す。彼はアガルタのあらゆる物質の材質を、インフォメーションボード内に捉えることで材料解析することができた。
ボードのタッチパネルに指先で触れ、右時計回りに大きく回す。右回転でズーム、左回転でズームアウト。片手剣もどきの金属部分をボード内にキャプチャしてトリミングだ。
『迅速材料解析』
インフォメーションボードには生データがずらりと出てきた。といっても化学的構造が3D変換されてボードに転送される。
赤井は大抵のものは分子構造を見ればそれが何でどういう性質を持っているか見当がつく。
ボードの中で演算が終わり、データが美しくまとまった。
原子および分子構造式とともに、初めて見る蛍光色のグラフがババババっと積層状に出現する。
ポップアップ画面が立ち上がる様子に似ていた。
そのうちの平衡状態図に目を留める。
これが出たということは単一元素ではなく、計画的に造られた合金状態にある。
読み方はわかる。
鉄鋼業関係者ぐらいしか関心のない分野であろうが、彼は科学全般が好きすぎであらゆる分野をかじりすぎた。理系分野全般に限り、文系はともかく、勉強だけはやり過ぎというくらいしてきた。もともと生物学者になりたかった、という理由もある。ある事件を機に、諦めてしまったが。……彼は理学部生物学科出身だが、バイオ系以外には疎いというわけではなかった。その知識が、アガルタの世界では役立っている。
逆に彼は神様的なファンタジー能力に慣れなくて困る。
神聖結界を張れたり民を癒したり雨を降らせたり炎を出したり川の流れを止めたり、人の心を読めたり色々できるようになったものの、その原理どうなってんの? などと考えると夜も眠れないらしい。……寝ないといえばそれまでだが。寝ないし食わないのにエネルギー収支的におかしいだろとか、信頼の力って熱量どれだけで仕事量どんだけなんだよ、などと悩むのだ。
更には斥力がどうちゃら重力子が、まさかM理論がなんちゃらとかD-ブレーンの高次元世界がどうちゃらとか、徹夜でぐるぐる考えはじめる。くどいようだが、寝ないので無駄に時間はある。
仮想空間中だからそういうプログラムだと思い込んで力を使うが、彼は物理学的に理解できない力は使いたくないのだ。
情報が全部詳しく数式で出てくることを願う。
只今の結界は何キロワットで何ボルトの……というデータだ。
というわけで、インフォメーションボードが科学仕様なのは嬉しかった。
濃度が横軸、温度が縦軸。液相、固相の比率をみる。
これはFe-C状態図に似ている。Feが鉄で、Cが炭素だ。
現実世界の場合は、鉄を主軸とする合金の状態図である。
あくまでこれは、アガルタでの状態図で、現実世界のそれとは微妙に違う。
彼らが持ってるのは鉄に非ず、アガルタで採掘された金属だ。解析してもFeの原子的特徴が出てこない。……原子量的、電子軌道、スピン状態は見たことのない元素だが、合金で強度も大したもの。単一の鉱物だけではなく、強度を上げているようだった。
”この時代の人たちにしては信じられない技術力だな。私の民は合金どころか金属も作れやしないし、こんな文明に太刀打ちできるわけない。「太刀打ち」の「太刀」すらないって話だよ。集落ごと焼き討ちに遭ったら木造なんて一発じゃん、皆、泣きながら裸足で逃げ出すよ”
第一区画内にこそっと降りたち、どうしようかと思案していたところ、赤井の背中に冷たいものが当たった。
手で振り払おうとして二度見する。
背後から見張りに襲われ、その謎刃物をつきつけられていた。
彼は今まで集落で民に崇められ神様扱いされ気づかなかった様子だが、彼の姿はすこぶる目立った。
”少しは変装でもしてくるべきだったよ”
赤い髪に赤い瞳といういでたちは、グランダでは「赤の神」しかいないようだ。きわめつけに、後光も放ちまくりだった。ケバケバ、ピカピカ、キラキラと、日替わりでバリエーションに富んで輝いていた。見つけてくれと言わんばかりに。
”何で私、暗い場所なんかに隠れたんだ、逆に目立ちまくってるじゃない!”
というわけで赤井は実にあっけなく捕えられてしまったのだ。