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Heavens Under Construction(EP5)  作者: 高山 理図
Chapter.6 Blue sky in the CAGE
72/130

第6章 第6話 Paradise Lost◇★

『うん? 弾かれたな』


 フォレスター教授は一言唸ると、締め出されたウィンドウを撫で消去した。

 アルジャーノンというリボンをつけた白いラットが、教授の脇でチチッ、と愉快そうに教授の胸ポケットに入り、幸せそうにじゃれついている。


「邪魔をされましたか、小癪ですね」


 教授がロイのいる日本アガルタ27管区、第五区画に干渉しインフォメーションボードを通じロイと直接コンタクトを取ろうとした矢先、インフォメーションボードを展開させているのを見た日本アガルタ側に気付かれ、はじき出されてしまったのだ。


『邪魔ではないがね』


 とはいえ、先方はインフォメーションボードは既存のものを装ったためロイが勝手に開いたものだと錯覚したようで、フォレスター教授の介入の痕跡に気づいてはいないらしい。

 苦労して回線を繋いだのに、これでは水の泡だ。


「こちらに気付かれてはいないようですが」

『はは、そう簡単に気付かれては困るよ』


 一応は笑いながらも、してやられたという表情だ。

 かといって教授の存在する階層を突き止めるのは、そう容易ではないだろう。

 ロイだけをこの階層に呼ぶこともできるが、目立ちすぎる。

 やるならあくまでひっそりと、ごく短時間呼ばなければならない。


「アガルタのことならば、蘇芳教授を通せばよかったのでは?」

 

 ラットは低い声で、教授を窺うように上目使いに尋ねる。

 わざわざ警戒されるような方法で接触せずとも、と考えている様子だ。


『ボトルメールに何者かの介入があった以上、彼女にもあまり迷惑をかけたくないし、安全のためにここを知られたくもないからね。ところで彼は該当管区の主神かな? 何か面白いことを言っているが……少し様子を見るとしようか』


 フォレスター教授は、インフォメーションボードに映る白衣の青年を眺めていた。

 27管区ハイロード、赤井構築士である。

 アガルタ最後のロイに対し、彼は彼を待ち受ける運命を恐れず、毅然として話しかけている。

 ロイは彼に心を許しているようにも見えた。 

 フォレスターは興味深そうにモニタを凝視し、唇をきつく結び暫し沈黙を保った。

 フォレスターにとってロイは、やはり特別なA.I.であるらしい。


「教授。ところでロイは何故主神に反逆を起こすのですか? その不具合をこちら側からなんとかして除くことはできないのです? 折角の、最後のロイですし」

『私は不完全なA.I.を作ったつもりはないよ。彼の思考はかぎりなく人間に近づけたつもりだ、そう、神でもなく、A.I.でもなく……人間に、ね。彼はあの状態で完成だった筈だ、ただ、彼の自我を正しく引き出すことは、私にはできなかった。彼女の言うとおり、私はいつだってよい父親にはなれないらしい』


 愛情というものを、私自身が理解できないのだろうね。

 自虐的に言った教授には含むところがある。


「チッチチ、私にはその手の感情なるものはわかりません。ただ分かるのは、造物主の命令に背くなど、A.I.としてはポンコツでしかないということです」

『君はそういうがね、アルジャーノン。神を疑い創造主を疑う……これは自然な反応なんだ。作り物ではなく自然に自我が彼に芽生えなければ、彼は”人間”にはなれない、ただのロボットでしかないだろう?』

「どういう、意味で? 彼は私と同じく人工知性に過ぎないのでは」


 違うね、と教授は静かに微笑み、彼の自我は作り物ではないよと反論する。


『彼と同じように、人間は神を駆逐してここまできたのだよ』


 教授は新たな人類をいちから創造しようとしていたのだろうか。

 神のように? ラットは教授の真意を理解しかねる。一体何のために?


『キリコは彼を外に出すつもりだそうだ。遅かれ早かれ、進化系統樹のどの系譜とも繋がっていない、孤独な種が現実世界に誕生する』

「現実世界用の乗り物はどうするのです? 蘇芳教授が準備するのですか?」

『私が発注した専用のものが用意してある。キリコに場所を伝えないといけない』


 ロイが現実世界に出たとき、世界に一つの種が誕生すると言いたいのだろう。


「どうしちゃったんです、教授。急にロイに興味を持ったようで」

『諦めていただけだよ、彼の姿を見るまではね。彼は命令を受けていないのにあのような行動をしているよ』


 ロイはただの人工知性であり、現実世界に出たとしてもただのロボットではないのか、ラットは根本的な疑問を自らの回路の奥に仕舞い込み、その場を離れて仮想世界の中の自らの持ち場に戻ることにした。しかし……


「これまでのロイと、何か違うので?」


 教授の哲学的思考を、ラットは解さない。


『アダムは、楽園を出なければならないんだ』


 地球年表史における新生代――霊長類サルの時代はもうすぐ、終わりを告げる。

 教授はずっと未来に届くであろう、矢を放っている。


 ここで歩みを終えようとする人類のために。

 始まりのための終焉がやってきたのかもしれない。



 ***



 グランディア大会四日目。

 弓術競技の日程である。

 この競技に向けてモンジャ青年のラウルはことさら張り切っていた。

 ラウルはモンジャの大工で、メグに恋心を寄せる一途な好青年だ。

 彼は最近、メグの表情に影があることを気にしていた。悩みが増えたのだろうか。相談に乗ろうと聞き出そうとしても、なかなかメグと二人きりになる時間がない。彼女は忙しそうに、何やら新しくやってきた蒼髪の男神につきっきりの様子だ。それもまた、ラウルを不安にさせる一因だった。あの男神と何の関係が……と。


「はあ。まだ赤い神様にひっついてたほうがマシだったな」


 えっちらおっちらシツジ牧場に向かいながら、本音も漏れてしまうというもの。グランディアで活躍して惚れてもらおうと思っていたのに、メグが真面目に見てくれないでは話にならない。ということで朝一番、ラウルはメグの日課であるシツジ小屋で待ち伏せをする。彼の一番も見せ場、弓術競技だけは見てもらわないと。

 ストーカー一歩手前だが、モンジャ集落では男も女も一途であればあるほどよいとされている。

 誰もかれも、一度や二度、断られたぐらいでめげはしない。彼らのメンタルは鋼のような強さである。


 シツジ牧場のシツジたちは見慣れない客が来たので、柵から顔を出してマーマー鳴いている。メグは何事かとアイを急がせてやってきた。あのようにシツジが騒ぐのはエドに襲われたのでは、と懸念してのことだ。


「メーグー! おはよ! いい朝だね」


 ラウルはシツジ小屋の脇からひょこっと顔を出し明るく声をかける。彼は最近はやりのネストの、豪華な刺繍の入った青いベストにぴったり目の白ズボンなど着てオシャレをしていた。銀髪も短く切って整えていた。彼も彼なりにメグの気をひこうと頑張っているのだ、メグはラウルの顔が見えて、ほっと胸をなでおろす。


「ああよかった、ラウルさんだったんだー。おはよう、いい朝。どうしてここに?」


 アイから身軽に飛び降りるメグは、ふんわりとした白に青い水玉のワンピースのスカートで、大きなつばつきの麦わらっぽい帽子をかぶっている。それらは全てメグの手作りで、愛らしさを引き立てる。


「どうしてって、君に会いたいからに決まってるじゃないか。仕事、手伝うよ!」


 アイが後ろからタイミングよくラウルに飛びついてきて頬ずりをする。オレンジ毛がふさふさと揺れる。


「がう! がーうあう!」

「お、おう。アイもおはよう」


 アイはラウルがメグに近づこうとすると何故かじゃれてくる。アイはほんの挨拶のつもりで悪気はない。


「ラウルさん今日は、弓術競技の日じゃなかったの? 準備で忙しいんじゃ……」

「だからこそ、メグの顔を見てから行こうと思ってね」


 ラウルはメグを手伝い、重い水瓶を軽々と運んでくれる。大工さんて力持ちだなー、とメグは感心する。大工として重い材木を日々運んできた彼の腕は、筋肉で隆々としている。


「僕が弓術競技で優勝したら、賞品に君の好きなものを貰うつもりだ。何がいいかと思って」

「んー……」


 ラウルに仕事を奪われて手ぶらになったメグは口を尖らせたまま、首をふいふいと左右に振った。

 さらにふいふいふいと振る。


「それって、ラウルさんがもらったほうがいいよ」

「どうして! ほんの気持ちだ、受け取ってくれ」


 まだ彼は優勝していないのであるが、そこのやり取りは大目に見てあげてほしい。


「どうして私の好きなものを貰おうとするの?」

「メグ……君はどうして僕の気持ちをわかってくれないんだ。君を好きだからだよ、君はどうなんだ」

「……わ、私はかみさまが好き」


 メグはとっさにそう言ってしまった。間違ってはいないのだが。


「神様は神様だろう、人間じゃないんだ。君は前も神様にもそう言って告白して断られたんだろ?」


 ラウルはヒノのおかげで耳が早い。ラウルの悪気のない言葉が、グッサ! とメグの胸に突き刺さる。


「そ、そうだけど。ことわられてないもん。大好きって言ってくれたもん……」


 声が段々と小さくなる。人間じゃなくても、好きになったんだから仕方ないじゃん……。好きなんだもん、ずっと好きだったんだもん……。とはいえ彼女も自信がない。この恋が成就する勝算も、どうなれば自分が幸せなのかも分からないからだ。

 だから今は、一方的に慕うので精一杯で、赤井も忙しくてメグと接する時間がない。メグにとっては、彼と共にいたいと願うだけの日々が続いている……。するとラウルは怪訝な顔をして


「神様は誰にでも大好きだって言うだろ。逆に聞いたことないぞ、嫌いだって言ったの」


 赤井の老若男女問わない八方美人っぷりと過剰なまでのリップサービスっぷりには、ラウルも大いに安心していた。


「君は人間なんだから、人間の男と結婚しなきゃいけない。君にふさわしいのはこの僕しかいない! 今日こそ僕の気持ちを受けとめてくれ、メグ! 結婚しよう!」

「えーっ!」


 ぽう、とメグの頬が上気して赤くなる。ラウルから冗談まじりにプロポーズされたことは何度もあったが、今日ほど直接的なアプローチがあったのは初めてだったので油断をしていた。いつもは言い訳しつつ家の中に入ったり、用事を思い出したなどと言って色々とはぐらかせたのに、今日は運悪く二人きりだ。はぐらかすこともできない状況で、メグは真正面から彼に気持ちをぶつけられてしまった。


「マ”ッ!?」

「マ”マッ!」


 シツジたちも空気を読んだのだろうか、小屋の中から縦一列団子状に首を出してオロオロと覗いていた。ちなみにシツジの名前は下から、キイ、チャイ、ダイ、シロだ。首輪の色がそのまま名前になっている。


「マーッ! マ”マー!」

「えと、……ご、ごめんなさい」


 メグは即答だった。しかしラウルはメグの話を聞いてはおらず、


「僕は君を一生養っていける。君にひもじい思いはさせない、絶対幸せにするよ!」


 生活力はモンジャ男性の魅力のひとつだ。というかもう、そのあたりか性格でしか勝負するところがない。

 顔や容姿は全素民、最初から整っている。ラウルもモンジャの民の中ではとび抜けてモテる方だ。

 私、今、断ったばっかりだけどな。と思いつつ、メグの好きな人が「あかいかみさま」だと言っている限り、彼は諦めないだろうということはメグにも想像がついた。現実世界で言えば、アイドルが好きだと言うようなものだ、取り合ってくれない。


「うーん……ラウルさんには、気の合うかわいい女の子がいると思う。だからごめんなさい」

「いやそんなことはない」


 フラれたからといってそうかと引き下がるようでは男が廃る。押せば大抵のことは何とかなると信じ込んでいる土地柄である。


「じゃあ訊くが、メグは赤い神様の他には、誰が好きなんだ?」

「……かみさまだけだよぅ」


 メグはしょんぼりする。ラウルもメグの答えを聞いてしょんぼりする。

 しかしラウルは決めたのだ、もしラウルが弓術競技で優勝したら、赤井に「メグとの結婚」を願おう、と。


 完璧だ! 完璧な作戦すぎて笑いが出そうだ。もしくは、赤い神にメグを振ってもらえばいいのだ。それならできないわけはない、できないとは言わせない。

 今度こそメグも諦めてくれるだろう、彼の妄想は膨らむばかりだった。ラウルが悦に入っていると、グランディアの会場からモフコによる花火が打ち上げられた。パーンパーンと、七色の花火の輪が花開く。予選開始前の合図である。


「あ、花火だよ! 会場が開くんじゃない?」

「おお、そうだな。では会場で待ってるよ!」


 きりっと顔を引き締め、クールにシツジ牧場を後にしたラウルだったが


「ふふ、むふふふふ! ひょっほーう! 待ってろよメグ~!」


 テンションが上がりまくってスキップしながらシツジ牧場から戻ると、彼は支度を整え意気揚々と試合会場に赴いた。

 ラウルは大工でありながら、モンジャいちの腕前を持つ弓の名手だ。どんな距離からでも、的当てで外したことはない。相手が誰であれ、的を外さなければいいのだ。しかしそうと心を決めていた彼は会場に乗り込むなり早々に計画を覆されることになる……モフコの『んー、何か普通じゃつまんない』の一言で魔改造されていた試合会場を目の当たりにして――。


「な、何だこれは! 一体何が始まるというんだ!? 馬鹿げてる、何の間違いだ!」


 度胆を抜かれたラウルだが、


「お姉さま、これって弓術競技よね? 真ん中にあんなでっかい何かがあるのはなぜ? あれが的?」

「布ですっぽり隠してありますわね。中はどうなっているの?」


 弓術競技はネスト民の得意分野である。女子の部で参加を予定しているネストのミシカ王女と、ミシカの姉チピロ王女も顔を見合わせていた。姉のチピロは、弓での狩りを趣味とするだけあって、これまたよい腕をしている。この日の為に、駿シツジに騎乗し流鏑馬のように的あての練習を重ねてきたのだ。弓術競技は的あてとしか知らされていなかったため、各選手、競技対策はてんでばらばらの対策をしてきた。ミシカはひたすら動かない的の遠隔射的を練習してきた。普通の対策である。

 ちなみにラウルは、弓を改造するとともに正確な射的ができるように、日常の大工仕事の中でひたすら腕力を鍛えていた。これまた普通だ。


 選手や観客たちは、一夜にしてスタジアムの中央に出現した巨大な幕のかぶさったセットに「ひえー」だの「ふわー!」だの驚きつつも興奮気味に入場する。もし巨大な幕の下に隠されているものこそが的だというなら、的が大きすぎてミシカとチピロの特訓は意味を成さない。

 モフコはここまでのグランディアの日程を終え、グラフィッククリエイターとして何か一味足りないと思っていたらしい。エンターテイメント性と芸術性が欠けているとのこと。競技会場は素民の誰もがあっと驚くものでなくてはならないと、昨夜神殿で熱弁をふるった結果のようである。


「それでは、弓術競技をはじめます!」


 モンジャの太鼓がスタジアムでどんどこ打ち鳴らされ、大会の旗がはためき競技開始が告げられた……のはいいのだが、選手たちは混乱している。彼らはてっきり、男女別で決められた距離から的当ての正確さを競う競技だと考えていたものだから。顔を見合わせる選手たちを前に、モフコがふわりと飛翔し、はつらつと解説を始める。


『じゃじゃーん! おはよう選手諸君いい天気だね! 君たちには男女も予選本選も関係なくここで試合をしてもらいまーっ!』


 モフコがセットの幕を取ると、昨日までトラックが描かれていたスタジアムのど真ん中は、ほぼトラックすべてがヴァーチャルの密林になっていた。高く聳え立ち若葉芽吹くファンタジーテイストな大木の群れ、きらきらと清水が涼しげに滑り落ちる二段の滝、その周りに咲き乱れる可憐な花は幻想的だ。そのセットの中央に、白い一本柱が立っている。何故か赤井が柱に縛り付けられ、その頭の上に金のリンゴっぽい果実が載せられていた。


「あかいかみさまーっ!?」

『モフコさん……きれいに舞台演出してもらってなんですけど、一つ質問が』


 縛り付けられたまま赤井は若干青筋をたてながら真顔でモフコに尋ねた。

 昨夜は神殿の寝所で寝た筈が、朝起きたらこうなっていたのだ。もう色々とあり得ない。


『ん? なにかな?』


 精霊姿のモフコはかわいらしくテヘペロしながら、白々しく耳を傾ける。


『あの……私って、どうしてもここに必要でした?』

『その方が絶対盛り上がりそうだから? ジタバタ動くと射られちゃいますよ!』


 モフコ曰く、楽園をイメージしたセットなのだそうだ。そのうえウィリアム・テルごっこがやりたかったらしい。そんなにやりたいなら自分が的になればいいのに、などと抗議するのをやめ、仕方なく全身タイツのように薄い物理結界を纏う赤井であった。なんだかんだ言って協力的ではある。


「あ、あの状態でいいのか? あれでやるのか?」

「神様に当てなければいいんじゃない?」


 マイ弓を持ちこんだ男女60人の選手たちは、グラフィックの再現されたステージに対して半月状に設置された手すりの前に立たされる。手すりの内側からセットの中の的を射るのだ。大会スタッフたちから選手ごとに色の違う矢が束で配られる。弓は自前、矢は規定のもので、女性の矢は男性のものより少し軽く配慮されている。矢はおかわり自由、特に制限はない。


『今から的を出すよー!』


 モフコが謎の魔法少女っぽいピンク色ステッキをしゃらりんと振ると、どこからともなく羽根の生えた色とりどりの果実がステージに実体化し、ぴゅんぴゅんと樹林の中を縦横無尽に飛びまわりはじめた。飛行スピードは速く不規則で、選手たちは目が追い付かない。この競技には動体視力を必要とする。


 現れた果実には、色ごとに得点がある。

 一番個数が多く、ノロノロ飛ぶ赤いリンゴのような果実――100点。

 スピードの速い青い柑橘系の果実――1000点。

 あり得ないほど速い銀のイチジクのような形をした果実――10000点。

 制限時間ありで、合計点数の高い者が優勝ということらしい。


『ちなみに、赤い神様の頭の上に載ってるたった一つしかない金色の果実は、何と50万点です!』


 ええ――! と観客からのブーイング渦巻く中、選手たちは興奮する。赤井は 『え!? うそ!?』 と選手たちの殺気に包まれ困っていた。金色の果実だけは、何本矢が刺さってもOKらしい。物理結界があるので矢が赤井に刺さることはないが、一斉に狙われるのは怖い。


『でも、赤い神様本体に当たったら即失格! ついでに、射ようとした人は神様に恨まれます。まさに禁断の果実ってわけ、ま、狙わない方がいいと思うよ!』


 神に弓を引き、禁断の果実に手をだそうとしたものには、ペナルティも発生するというわけだ。


「え――!」


 地道に点数の低いものをたくさん射落すか、赤井の頭の果実を狙うか。赤井に当たったら即敗退である。赤井は『別に恨みませんけど、多少は引きずりますよ』とは思いつつ、地道に一個ずつ落してくれと祈らずにはいられなかった。要するに、クレー射撃とアーチェリーが一緒になったようなコンセプトだ。しかし彼らは、モフコが「禁断の」と言う真意を理解していなかった。


『射た果実は超うんまいから持って帰って皆で分け合って食べてね! 開始!』


 セットの上空に、ひょうたん型をした巨大なクリスタルの水瓶のようなものが出現する。水瓶の中には青く粘性のある水が入っており、モフコがステッキで操ると一定の速度でするすると流れ落ち、セットの滝壺に注ぎ込み始めた。


『とっとと開始~! この水が落ちきったら終了だからね!』

「お、おおおお!」


 カウントダウンが開始され、選手たちは大慌てで準備する。ちなみに、水時計は一時間程度で落ちきるように設定されている。選手たちは一斉に矢をつがえ、せわしく動き回る果実にそれぞれ狙いを定め射抜く。


「始まりましたね。お姉さま、どれを狙います?」


 ミシカが手始めに、と青い矢を青い弓につがえながらチピロに尋ねる。ミシカは銀の1万点の果実狙いだ。すばしこいが、直線的な動きをするので動きを予測して射続ければ当たるだろう。ミシカが、ホバリングしていた銀の果実に矢を放つと、果実は羽根をパタパタさせてひょこっと矢を避けた。


「え、避けるなんてあり!?」

「銀の果実は当たりませんわね。狙うだけ時間の無駄です、当然、狙うは金の果実ですよ。唯一、動かない的ですからね」


 とはいえ金色の果実は、現実世界でいうピンポン玉ほどの大きさで、自信のない者は手を出せない雰囲気だ。どう見ても小さすぎて1~2本しか矢が刺さらない。弓を向けると赤井とチピロ、じっと目が合う。ふてくされた重い視線で見つめられると、チピロはさっそく心が折れた。


「あうっ! 神様、やりますわ!? 視線で精神攻撃とは!」


 セットの中は既に選手たちの放った矢が雨のように降っているが、赤井に遠慮してか金の果実を狙う者はまだいない。


 モフコの霊力で、男女60人分のサイバーな雰囲気のスコアボードが上空にタイル状に敷き詰められ、熱血アナウンサーばりに張り切るモフコによって逐次実況される。というかうるさい。


『グランダには弓術隊があり、弓を専門とする兵士さんたちがいますからねー、やはり本職は違いますね。得点はどうでしょうか実況のモフコさん、さすがに金の果実を狙う不届きものはいませんか』

『まだ序盤ですので、牽制し合っている展開にも見えますね。ネストは女性陣も強豪ですよ、男性は剣、女性は弓というお国柄です。おっとまたミシカ王女の得点が入りましたよ』

『解説のモフコさん、各選手の弓の形状についてお話を伺いたのですが』


 一人三役ぐらいやっているが、もうモフコはそういうキャラなので誰もつっこまない。白椋も蒼雲も普通に観戦モードだ。コハクは白椋の隣で、目をきらきらさせて試合を見守っていた。「あれエルド帝国でもやってみたいですぅ」と白椋におねだりし、『そうねえ、お前がそういうなら仕方ないわねえ』などと百合っぽい画づらできゃっきゃうふふしていた。


 メグはラウルとの約束通り、ナズとカイを連れ試合会場にやってきたはいいが、赤井が的になっていてとても見ていられない。きゃっきゃと笑うカイに、「きれいな舞台だなー」とステージのスケッチをするナズ。


「これ、過激すぎて見てられないよ!」


 メグは顔を団扇がわりの大きな青い葉っぱで覆ったまま、時々葉っぱの陰から観戦するという有様だ。


 チピロの隣にいたラウルは冒険を避け黙々と、大工だけあって器用な手先で改造した、連射性に優れた複合弓で赤と青の果実をハイペースで射落してゆく。威力の強さを生かして果実が密集して飛んでいるところを狙い、二個同時抜きの荒業もやってのけている。

 誰かが禁断の果実に手を出さない限り、高得点を狙って失敗するよりは、着実に低い点数を稼いでいった方が有利だ。ラウルの矢の命中した果物は羽根がとれてぽとりとその場に落下する。後でお持ち帰りさせてもらえるのだろう。女子選手は早々に諦めたり、腕が痛くなって面倒くさくなったりしていた。

 男子選手も、制限時間が1時間もあるため、なかなか思うように射ることができず苦戦している。几帳面なラウルが少しずつリードしつつ、どの選手の得点もどんぐりの背比べの様相を見せていた頃……


『そろそろ疲れが見えてきましたかねー、点数の伸びが少なくなってきましたね実況のモフコさん』

『やっほー、こちら実況のモフコです。得点差はあまりついていませんね、おおっ!?』

『どうしましたか実況のモフコさん!』


「おおお!」

「ついにきたか!」


 どよめきの声があがる。残り時間もあとわずか、効率よく点数を稼げなかったグランダの若い兵士が運よく赤井の金色の果実を射抜いてしまったのだ。赤井の頭を狙うことに躊躇がなかったからだ。彼は喜びすぎて、弓を放り出している。


「やったー! 50万点だ! 勝負が分からなくなったぞ」


 このとき、この兵士は52万点になった。上空のモニタに『おめでとう!』の文字が躍り、ファンファーレが鳴る。


「くっそ、やられたか!」


 悔しそうに呟いたラウルは8万3000点。


 点差が大きすぎるために、この得点を抜いて優勝するためには、もう金色の果実を狙うしか道はない。当てにいかなければ全員が敗北となる。失格を恐れている場合ではなくなった。全員の弓が赤井に、正確に言えば赤井の頭の上の果実に向いた。禁断の果実、とモフコが言った意味を彼らはようやく理解する。

 誰かが射た瞬間にサドンデスとなるわけではない、上手く狙えばあと一人、二人当てられる……恐ろしい競技だ。

 この瞬間から、得点の低い的を狙うのは愚か者だ。ぎりぎりと引き絞られ、数十人に一度に狙われる金の果実。

 そして慌て震える赤井。


『う、うそでしょ! せめて一人ずつ、一人ずつ狙ってくださーい! 一斉に打つと絶対当たりませんから!』

「……ててやるぞ! 当ててやる!」


 大人しく順番に射ても、先着一人か二人しか当てられないのだ。赤井の忠告も聞かずラウルは焦って弦を引き絞り、容赦なくリリース。


「もらいましたわ! 赤い神様、お許しを!」


 勇み足でラウルの放った矢は、同時に放たれた王女チピロの矢に空中で接触し、進路が変わった。


「曲っがれ―――!」

「きゃーっ! だめよそっちはっ!」


 その場でラウルとチピロが曲がれと叫べど曲がるわけもなく。チピロの矢は赤井の左腕のあたりに刺さる寸前に、物理結界で跳ね返り、ラウルの矢は赤井の股の間の白衣に突き刺さった。『うひー!』と青ざめる赤井。物理結界に跳ね返った矢が、チピロをめがけて一直線に飛んでくる。

 声も出せずフリーズしてしまったチピロを、ラウルは咄嗟に弓を放り投げて強く抱き寄せた。

 パリィーン!

 チピロの目の前の手すりに沿って壁状に簡易結界が張られ、猛スピードで飛んできた矢が粉々に砕かれる。モフコが選手の安全のために気を利かせて設置していた結界が役立った。


「21番ラウル・ヨージン、20番チピロ王女、失格!」

「うわあああああ――しまった!」


 上空に浮かんだ、ラウルとチピロのパネルが失格をうけて消滅する。

 ラウル、メグにいいところをアピールできぬまま終了。

 しかし、


”な、なんて素敵な……殿方なの!”


 彼はチピロ王女に見初められてしまったのである。


『怪我ないですかー、チピロさん、大丈夫ですかー?』


 ラウルの逞しい腕の中に抱きすくめられたチピロは、赤井の声ではっと我に返り、慌ててふためいて彼から離れ


「ごごご、ごめんなさいっ。危ないところを助けていただいてっ! かたじけなく!」

「ああ、お姫様に怪我がなくてよかったです」


 ラウルはひらひらと手を振って、茫然自失としていた。そんなことより、彼の計画は見事なまでにご破算だ。

 二人が混乱しているうちに、それでも地道に点数の低い果実を狙って別の方向に向けて射たミシカの矢が別の果実に弾かれて金の果実に真上から刺さった。赤井の脳天に直撃だ。しかし、彼の髪型がソフトモヒカンで髪の厚みもあったので、事なきをえた。


『ちょっと~~!』

「あれ、あれどうして?」


 結局それ以降、矢が二本刺った状態では果実が更に狙いにくくなったこともあって、


『16番失格~』

『59番も43番も失格~!』


 選手たちも失敗や失格が相次ぎ、時間は無情にも進み、赤井が諦めの境地に達してきた頃


『はーいそこまで! 弓を下げて!』


 終わってみれば合計、ミシカは54万300点でトップに躍り出ていた。


 優勝者のミシカは、やや納得のいかない様子の赤井に表彰された。


『ミシカさんおめでとうございます、狙ってよかったですよね! 金の果実……』

「神様のこと一切狙ってなかったですよ! たまたまです、誓って本当ですよ!」


 ミシカの希望した賞品はというと、赤井との大空でのデート権だったらしい。ごにょごにょと赤井の耳元でささやいたので、大っぴらにはならなかったが。

 

「あれ、ラウルさん失格になっちゃったんだ」


 メグがきょろきょろと辺りを見回すと、試合は終わっていた。


「あねさまー、午後の部が始まる前に帰ろうよー」

「ぼくもおなかすいた」

「ラウルさんいないねー」


 カイとナズが帰ろうと促す。お昼ご飯の時間なので一言声をかけて一度家に帰ろうと思っても、会場の物陰でorzの形になりがっくりとうなだれたラウルの姿は、メグには見えなかった。取らぬ何とかの皮算用という言葉を、当然ながらラウルは知らない。ちなみにラウルが他の競技で優勝できそうな種目はなかった。来年のグランディアに賭けるしかないか、などとあきらめていると。


 お持ち帰りの果実がどっさりと置かれたラウルの前に、二人の家来を引き連れしゃなりしゃなりと近づく、黄色いニットドレスの少女があった。チピロ王女である。照れくさそうに銀髪をかきあげ、気取ってラウルに話しかける。


「先ほどは、どうもありがとう。お礼をさせていただきたいの、王城にお招きするので、これからお食事でもいかが」

「え? いやでも、ネストの王城だなんて」

「お食事のあとはこの戦利品の特別な果実で、甘くておいしいお菓子を焼くつもりなの」


 ラウルは観客席を見るが、メグの姿はなかった。先ほどはいたと思ったのだが、メグもお昼になったので帰ったようだ……このまま一人、果実を背負ってとぼとぼと帰ってもそれはそれで寂しいものがある。それに、食欲旺盛なモンジャ民としては彼もその甘いお菓子とやらにすこぶる興味があった。というかチピロ王女はモンジャ民の男心を分かっている。

 ごくり、と気付けば唾をのむラウル。かかったな、とチピロ王女がにっこりする。


「じゃあ……折角なのでお言葉に甘えて」


 その後、お忍びでたびたびネスト王城に呼ばれ、まんざらでもない顔で出かけてゆくラウルが、噂好きのモンジャ民の奥さまたちによって目撃され「あれって逆玉?」などとささやかれたりした。



 ***



 千代田区、霞ヶ関1丁目、午後5時45分。

 アガルタからのログアウト後に簡単にシャワーを浴び、一日の勤務を終えたジェレミー・シャンクス構築士は、まだ髪も生乾きのまま厚労省のビルを後にして雑踏に紛れた。

 律儀にモバイルで妻に帰りの連絡を入れ、大柄なカナダ人は霞ヶ関駅へと急ぐ。

 黒澤は暫定的な措置として第五区画の再生速度を基点区画より遅くし、基点区画再生速を現実世界の3倍速にまで上げた。

 基点区画、および第五区画を完全に止めてしまうことはできない。

 伊藤の許可がないために苦渋の策だ。

 伊藤の新設管区の再生速は、既に通常の何十万倍にもなっている。

 いくら最高性能のアバターに乗る熟練の構築士とはいえ、伊藤とコンタクトを図るのは危険だった。

 最低でも、90億年後の原始地球生成まで安心できない段階だ、が――


 緊急事態だ。

 黒澤は明日より伊藤に呼びかけを試みるという。

 伊藤が反応し次第、アガルタ27管区の管理者権限移譲を迫るとのこと。


”伊藤PMも、こんなときに何をやってんだかな。間が悪い男だ”


 などと考えていると、明るい男の声がする。


「おつっすー」


 砂谷 勇司ヤクシャ構築士に背後から呼びかけられた。

 これから日課のジムに行くようだ。

 現実世界の彼はノーネクタイでブルーのシャツを着た、筋肉質な若者だった。

 よく日焼けをしてストイックに体を鍛えているのが分かる。


「相変わらずの直帰は娘さんのためっすかね!」

「君もオツカレサン、赤井君が世話になったようだね」


 エトワールも、日本語を全く喋れないわけではない。

 家では日本語と決めている、職場では英語の方が楽だから英語を使うのだが。

 すると砂谷はわざと拗ねたような顔をしてみせて


「っは、水埜さんの言う通りにしてヤクシャのアバターぶっ壊されちゃったんで、修理終わるまで現実勤務っすわ。随分パワーアップしましたよ、赤井さん」

「なんだと! 本当にあのアバターを壊されたのか。あの赤井君に?」


 上位使徒ヤクシャは随分と性能のよいアバターに乗っていた筈だが……。

 ヤクシャは返事の代わりに、ニヤッと不敵に笑ってみせる。

 自分のコーチのおかげだと言わんばかりに胸を張って。


「んじゃまた明日、俺は汗流して帰ります」


 砂谷は、来年度のハイロード採用試験を受験するために、毎日のようにジムと、公務員学校よろしく構築士試験対策セミナーに通っているという。

 ハイロード採用試験に対策も何もあったものではないとエトワールは思うのだが、公務員採用試験である以上は、そういう予備校も存在するのだろう。


「バイ。シーユー、ヤクシャくんも頑張りすぎないようにな」


 ヤクシャと別れた後、エトワールはふらりと駅前のオープンカフェに吸い込まれてゆく。

 キリマンジャロを飲み一息つくのは、エトワールの日課だ。幸せそうに一服していると


「What?」


 テーブルの端に、黒い鳥のような物体がとまった。

 驚かさないよう目を皿のようにして観察すると、尾羽の形からツバメらしい。


”おや、冬にツバメが”


 ツバメの背中からそっと大きな手を被せると、ツバメは大人しく捕獲された。

 ふわふわと気持ちの良い羽毛の手触りだが、やけに冷たい。

 凍えているのではなさそうだ、というのは低体温では代謝速度が不足し空を飛べないため、鳥の体温は40度以上というのが正常だと覚えている。


「お久しぶり、エトワール。ごきげんよう」


 ツバメの嘴から人間の女性の声がする。

 エトワールの掌の上でぺこりと頭をさげた。

 エトワールは思わず驚いてツバメを放り出しそうになった。


「ふむ。その名で呼ぶのはアガルタ関係者だと思うが、喋るツバメに知り合いはいない。しかし聞いたことのある声だ、どこで聞いたかな」


 エトワールはやや片言な発音で日本語を操りながら、何事もなかったかのごとくずずっとコーヒーをすする。


「西園 沙織と言うと、心当たりが?」

「……あるな、彼女がどうかしたのかね」


 エトワールは訝しがりながらも頷いた。

 そういえばツバメの嘴から発せられるのは、多少耳触りが違うものの西園の声に似ているような気もする。

 しかし彼は西園に、まったくといっていいほどよい印象を懐いていなかった。

 あまり他人のことは言いたくないが、彼女は度を越えて嗜虐的であり、残忍だった。

 少なくとも赤井に対しては。


「少しそのモバイルを借りても」

「かまわんよ」


 ツバメはエトワールがテーブルの上に置いている小型モバイルの端子に、嘴を填め込んだ。

 嘴はソケットになっていて、データの転送ができるようだ。

 データを吐き出し終わったツバメに促され、エトワールは小型モバイルの中でファイルを開いた。

 話が長くなるので、文書で読めというのだろう。


「ほうほう」


 彼が白い湯気を立てながらゆっくりとコーヒーを飲み干す頃には、何故彼女がエトワールにコンタクトを取ってきたか、という経緯をあらかた飲み込むことができた。

 素早く情報に目を通した後は、データを完全に消去した。

 DFH計画なるクーデター計画が進行しているということ、彼女の妹のメグと、彼女の恋人のナズが犯人の手掛かりを握っていること。

 DFHが進行すれば、世界規模で人類が駆逐されてしまうということ。


「ふむ。確かに私は、彼らの記憶に触れられる立場にある」


 エトワールは確かに看破によってメグとナズの記憶を読むことができる。

 そして、情報をアガルタの外に持ちだすこともできる。

 しかし――とエトワールは青い瞳を眇めた。


「だが、器械のツバメの言うことをすんなりと信じるほど、私は愚か者でもないつもりでね。例えば」


 カツン、と音を立てて白磁のコーヒーカップをテーブルに置いた。

 そしてじっとりとツバメに視線をくれる。


「君がテロリストで、東 沙織ではないということだってあり得るわけだろう。違うか?」

「確かに。では後ろを見てください」


 ツバメはもっともらしく頷き、ふいと視線を向けた。

 エトワールがつられてそちらを見ると、立体交差点の陸橋に学校の制服を来た一人の少女が立っている。

 モバイルを耳に当てて一見誰かに通信をしているように見える少女の口は、燕の口ばしと全く連動して動いていた。

 少女は大型の車が空中を一台通り過ぎる間に、ふっと姿を消した。

 彼は西園をよく知っている。

 少女のように若返ってこそいるが彼女の顔は間違いなく西園だった。

 彼女の本体は確認した。


「随分と、若返ったもんだね。見違えたよ、全身整形でもしたかね」

「いいえ。死んだのよ」


 ツバメはあっけらかんと言い捨てた。

 新しい身体、というわけだ。


「信じられないなら官邸で話したほうがよかった? 同じ霞ヶ関に勤務しているのだし、次はそうしましょうか」

「やれやれ、君は霞ヶ関にいたのか」

「これ以上説明するよりは、メグとナズに訊いたほうがあなた自身、納得できるかもしれない。彼らに何が起こったのか……あなたが彼らを看破すれば、真実は見える。そうそう、忘れないで。合言葉はZIPRESSENよ、彼らによろしく伝えてもらえる?」

「何故、私に接触した? 現実と仮想を往来する27管区の構築士なら誰でもよかったのか?」


 エトワールがそのDFHの組織の人間だという可能性も、ないとは言い切れないわけだ。

 なのに何故西園はエトワールに接触を図ってきたのか。

 その理由を、エトワールは把握しておきたい。


「理由は三つあるわ。一つは、あなたが過去を看破できること。これができるのは、甲種構築士だけ」


 それなら、ロベリアとヤクシャがいるのだがな、と彼は思ったが、西園は彼らと面識がない。


「二つ目は、あなたはとても優秀だけれど、もうハイロードになりたいと思っていない」


 何の基準か知らないが、ハイロードになりたがっているヤクシャは消えた。

 逆に言うと、ヤクシャには西園にとってリスクがあるという事なのだろうか、エトワールは疑る。


「最後に、赤井さんが採用される前、あなたは千年王国を干されて27管区に来たでしょう。だからあなたにしたの、DFHに携わっている人間が、米国アガルタ中枢部から外されるとは想像し難い」

「なに?」


 エトワールが千年王国にいた頃、当時付き合っていた彼女から次世代コミュニティなるものへの勧誘を受けたことがある。

 彼は興味もなかったので何気なく断ったが……その後、明らかに千年王国内での仕事を干されてしまった。今思えば、何やらあの話と因縁があったのかもしれない、と振り返る。

 その時は確かに、彼はハイロードを目指していた。だから勧誘されたというのか。


「捜査に協力してくれるなら、報酬はそれなりのものを出すわ」

「捜査には協力をすべきだとして、だが私には家族がいる、いくら積まれたって君に協力することで家族を危険にさらしたくはない。それに、私が知り得た記憶を、脳の中に持っておきたくはないね。情報というものは、非常に厄介だ。君のように死んでボディロンダリング、なんて芸当はお断りだよ」

「無茶はしなくていいわ、貴方は断ってもいいし」


 彼女に情報を渡した後は、エトワールはきれいさっぱり記憶を消されて構築業務に戻ることができると、彼女は約束をした。


「家族もいるでしょうから、巻き込みたくなければ」


 あまりに無機的で事務的な言い草に、彼は聊か憤りを込めて


「君の肉親だというメグとナズが仮想世界でどのように懸命に生きているか、彼らを犠牲にした君には見てもらいたいものだな」

「迎えに行きたいのよ……今すぐにでも。でも、それはできないの。今は、まだね。あなたと直接接触しないのも、あなたを危険にさらしたくないから」


 西園は何者かからの監視下にあるというのだろうか。

 

「それは配慮をどうも。赤井君も、君に会いたがっていたぞ」


 そう……彼にはいくら感謝しても足りないわ……と、ツバメが言いかけたときだった。

 エトワールの至近距離から爆発音がし、ツバメの小さな機械の躰と黒い羽根が舞い散った。テーブルの上のツバメが、どこかから撃たれたのだ。

 ツバメの吹き飛んだ方向から狙撃された方向が分かる。

 ジェレミー・シャンクスは律儀にその場にコーヒー代金の小銭をきっちりと置き、合法的に携行を許されている内ポケットの拳銃に手をかけた。

 まさか霞ヶ関で銃撃戦になるとは思わなかったが、一応の準備はしてある。


”コーヒーなど飲まず、いらん話を聞かずに直帰すべきだったな”


 命を狙われることが前提である構築士は全員、通勤時にも拳銃を持ち、射撃訓練を受け強化防弾繊維のインナーを着ている。

 しかし、頭部を狙われてはひとたまりもない。

 彼は、防弾機能のついたバッグを狙撃方向に向けて頭部を守る。

 やはり真横から撃たれたのだろう、テーブルに傷はついていない。

 自分だけ逃げるつもりなら、駅方面に逃げるしかないが。


「いや、しかし家には帰れんな」


 電車に揺られて通勤時間20分の我が家が、とてつもなく遠い――。


「キャ――ッ!」

「け、警察だ、―――誰か警察を!」


 カフェに来ていた仕事帰りのサラリーマンやOLたちが、悲鳴を上げ一斉に席を立つ。

 彼は逃げ惑う彼らに素早く目を配る、不審な客はいない。

 しかし彼が客に気を取られていると、……ジェレミー・シャンクスに背後から掴みかかろうとする黒服の男がいた。

 彼は一瞬早く気配に気付き、覆いかぶさるように襲ってきた男の懐をひじ打ちしつつ、背中を向けたまま素早く沈み込む。

 凶器を持つ手のスーツの袖口をぐっと掴んで引き込み、肩を掴みしゃにむに背負い投げた。

 華奢なデザインのテーブルや椅子が叩き壊され、暴漢は豪快に吹き飛ぶ。

 袖を掴んだままのジェレミー・シャンクスは、素早く起き上がろうとする男を許さない。

 袖口を引き絞り手首を捩じり刃物を奪い、腹部を蹴り床に抑え込んだ。起き上がろうとする抵抗が凄まじい。


「公安だ。動くな」


 いつの間にか駆けつけた黒髪少女が、暴漢の額に銃口を突き付ける。

 制服ではなく光学迷彩機能付きの身体強化ボディスーツを着ている。

 制服の下に着込んでいたのだ。女子高生が、特殊部隊員のような恰好で大男を脅す。しかし


「どけ!」


 ジェレミー・シャンクスは素早く内ポケットに手を差し入れ、拳銃で躊躇なく犯人の頭部を数発撃ち抜いた。

 耳を劈くような銃声が、騒然とする霞ヶ関十字路ににこだまする。

 犯人の血液と脳漿が飛び散るか、と思いきや……頭部には、穴の開いた電子回路が剥き出しになって、みすぼらしく顔を覗かせていた。


「アンドロイド……どうして気付いたの?」

「脈がなく、瞳孔が開いていた。違法義体だな。それより……恨んでもいいか、西園くん」


 恨めしげにじろりと彼女を見つめるが、彼もどこか覚悟を決めた様子だった。


「ごめんなさい、ツバメを使わなければよかった」


 東は、図らずもエトワールまでも危険に巻き込んでしまったことを詫びた。

 メグとナズのような悲劇を、エトワールの家族にも繰り返してはならない。


”今日、パパは遅くなりそうだよ”


 ジェレミー・シャンクスは、家で待つ愛妻と愛娘に、心の中で詫びた。


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