第4話 Become a constructor◆
【アガルタ第27管区 8ヶ月と5日目 居住者10名 信頼率100%】
『ここまでが負荷テストだったのです』
急な呼び出しがあったと思いきや、西園担当官がインフォメーションボード上に大きく映し出されていた。
その頃、青年は素民らに行政サービス中で多忙をきわめていた。
負荷テストとは一体何かと質問すると。
『極限の苦痛とストレスを与えたとき、あなたがどのような思考を持ち、行動をとるかのテストです』
『はあ……』
ストレス耐性テストといって、今日日そんなの許されるのかと疑問だ。
『……ところで今日は西園さんから私に何の御用です?』
彼は取り込み中だった。
彼は十人分の信頼を集め絶好調、力もやる気もみなぎりつつ、簡素な掘立小屋の中でメグとロイに算数を教えていたところだ。
彼は素民たち全員が快適な共同生活を営むために、基礎的な教育をほどこし、そのうえで個別の能力にそった努力目標と課題を割り振っていた。
メグには農業、そしてロイには工作全般を。
彼ら二人はとりわけ勉強もよくでき、飲み込みが早い。
スポンジのように知識を吸収する様子に、自分の子供時代とは正反対だなと感心する。
ロイはようやく三倍という言葉の意味を知り、何か思うところがあったのか、メグと共に彼の頭を撫でに来た。
ととさまと呼ばれていたバルには測量法を教えているが、計算が苦手であまりモノになっていない。まあ、長い目で見守ることにしている。
かかさまと呼ばれていたマチには養蚕を。
彼女は蚕を可愛がって、質のよくきめ細かい絹糸を作る。
メグの妹のカイには料理を。
とはいっても、焼く、煮るの二択だ。
加熱を徹底するあまり、食材が消し炭になったりするのはご愛嬌。
ハクには建築法を。ハクは身重のユイのために新居を建てようと奮闘している。
あくまで建築物のデザインは素民任せ。
明らかに構造が間違っていても彼はハクの注文通りに、口出しせず手伝った。
構造の不具合で家が崩れる。『残念、次頑張ってね』と励ますと、ハクはまたデザインに取り掛かる。妻の為だから頑張れるとのこと。
試行錯誤すればいい、と彼は微笑ましく見守っている。
ユイには編み物を。
素民たち全員分の服を手編みで作る。飽きっぽい素民たちの中で、集中力の続く彼女は向いていた。
最後の一人、ヤスには狩りを。
彼は筋肉質で大柄な青年だった。
石を磨き、木の枝と組み合わせ拵えた銛での狩りも最近は上手くなり、一人では運べない程の大きさの、毛のない動物を狩る。
収穫があるとヤスはその場で火を焚いて狼煙を上げるので、赤い神はそれを目印に迎えに行き、獲物を運んで帰る。数百キロの重量の運搬を、ものともしない。
信頼の力があるので、万事万端上手くいく。
ヤスの捕まえた良質なタンパク質が素民の腹を満たし体力をつける、いかにも旧石器時代という趣きだ。
この世界の始祖となるべき素民たちのポテンシャルは一概に高かった。
そんなこんなで軌道に乗り始めた原始生活。
ロイとメグは突然宙に向かって独り言をはじめた赤い神に驚いていた。
西園担当官を映すインフォメーションボードは、彼らには見えていない。
メグとロイから距離を取り、問題を解いておくようにと課題を出した。
解いたら休憩してください、と付け加えて。
『はい、何でしょうか』
『私たちとて、生身の人間がそんな状態で千年も仮想空間内で耐えられるとは考えておりません』
唐突な流れに面食らう。
逆に今までの待遇は何だったのだろう、彼はアガルタ生活の八ヶ月目を迎えていた。
生活は少しずつ楽になってきたが……。
『私も苦しむ赤井さんをモニタごしに見るのは本当に辛かったのです』
西園担当官は、黒ぶちメガネをずらしてハンカチで目頭を拭いて涙ぐんでいた。
豹変ぶりについていけない。彼は愛想笑いを浮かべつつ頭の中が疑問だらけになる。
『つまりどういうことですか?』
『試用期間が終わったのです』
まさか今から本番ですと言われてリセットされないかと、彼は冷や冷やだった。
『あなたがこの仕事に向いているか向いていないか、見極めるための試用期間が先ほど終わりました。結果として、あなたは千年耐久できるだけの精神力がある』
アガルタに入って、八ヶ月……西園担当官にとってはまる一日だという。
続けるも続けないも、この仕事は絶対に辞められないと初日に聞いている。
あの日、十年間絶対監禁だと言い渡された筈だ。
しかもサーバーが落ちれば仮想空間内で死を迎え、国家ぐるみで逃さないようにされているとばかり思っていた。
『え……この仕事、辞められないんじゃ……』
開いた口がふさがらない。
西園担当官の眼鏡が、伊達だったのか! などとどうでもいいことに気付く。彼女は鬼畜教官キャラを装っていたのだ。
その演技力を分けてほしい、と彼は一人ごちる。
『辞められない仕事など、法治国家の日本にはないでしょう』
正論だ。
法律で職業を選ぶことは自由と明記されている、辞められないなど厚労省にあるまじき話だった。
法律を遵守する気があったのかと少し驚くが。
『てか試用期間、長すぎません?』
仮想世界内で八ヶ月。どうかと思った。
『あなたはこの仕事をいつでも途中で辞められる。でも何年も構築が進んで途中で辞められるのは非常に困るんです。こちらも税金を投入して真剣に施行している大型プロジェクトです。リセットとなると初期化費用がかさみます』
途中で投げるなら最初からやらない方がいい。赤井も同感だった。
『ここで辞表を出す場合に限り、あなたは現実世界に戻れます』
”辞表出したら東京に戻れるのか!”
近代化したビル群に、衣食住おまけに娯楽もあり。清潔な水も食料も欲しいがまま、酒もあるし、もんじゃ焼きもある(彼にとっては重要だった)。
東京の方が断然パラダイスだった。
仮想世界で今日や明日生きることも必死な民たちに行政サービス。
肉体は日本にいるのに基本的人権のきの字もない世界だ。
メグが物陰に隠れ、そんな彼をおろおろと見詰めていた。
”外に出たら何すっかな。春だし友達とぱーっと花見にでも行こうか、東京の夜桜が懐かしい”
そう、仮想世界のことなど何もかも忘れてぱーっと現実を謳歌する……。
『では、また後程決断をうかがいますので、よく考えておいてくださいね』
西園は通信を切ろうとしたので、彼は彼女を呼び止めた。
『一つ聞かせてもらっても?』
『何でしょうか』
『西園さん、もしかして構築士になりたかったんですか?』
絶対そうだと踏んだのだが、西園は眉ひとつ動かさず即答した。
『いいえ』
彼は拍子抜けだ。こめかみに青筋を立て、あの剣幕は何だったのか。
『私にはあなたの代役は務まりません。人間が千年も生きて神様を演じ続けるなど、本来不可能なんです』
このお世辞はどういう意味だ? などと疑いだすときりがない。
『でも、あなたにはそれができている』
『私はまだ入省一日目でしょう、そちらの時間的には』
彼も西園の言い草に、段々と腹が立ってきた。
勝手に決めつけて、何が分かると言わんばかりに。向き不向きを、他人に決められたくはない。
『あなたは普通の人間ではありません。赤井さん。あなたには酷いことをしてしまったけれど、私は心よりあなたを尊敬しています。元気に生きて帰って、人間に戻って人生を全うしてほしい』
尊敬します、という言葉を素直に受け止められる余裕はなかった。
彼は人間に戻りたいし、もんじゃ焼きを食べたいしドライブしたいし、ビールも飲みたいのだ。今は食欲がないのが悔しいが、春の宴会でもしたいところだった。しかし今は宴会どころではない。色々尽力してはいるものの、食料供給も衛生管理も住居建築もぎりぎりだ。素民の協力を得て、教育して力を貸してやっとである。逃げ出したい。
しかしアガルタから逃げて、投げ出すのは違う。
管区のリセットが実行される。
せっかく素民からの信頼を得、頑張ろうかと思い始めた矢先。
辞職して彼らを殺し、新しい構築士を入れるということになる。
それで現実に戻ったとて、一生猛烈な後悔に襲われそうだ。
『辞めませんよ』
彼は勢いで言ってしまった。あまり後先を考えず。
西園は何やら複雑な表情をしている。
『ではあなたをずっと見守り続けましょう。私の担当は、あなただけですから』
ゆるーくやろうと彼は決めた。
文明が進歩すると楽になる。きついのは今だけだろう。
それにまだ、ナズを蘇らせるという約束も果たせていない。
最低でもそこまではやめまい、約束したのだ。
約束は果たそうと彼は決意した。
『これからよろしくお願いしますね、西園担当官』
真面目な顔をしてそう言うと、西園は彼の顔を見て頬を赤らめた。
これは想定外の事態だ。
『誠心誠意お仕えします。赤の神様』
”神様フェチなのかなこの人”
西園の期待、というより崇拝が重い。
メグやロイのそれとは種類が違う。
『も、申し訳ありませんっ。そんなつもりでは』
”あれ”
見間違いだろうかと首を傾げる。
あまりまじまじと見なかったが、よく見れば若く美人な女性が顔を真っ赤にしている状況だが、彼はモニタの中からどんな対応をすればいいのか分かりかねる。
”現実世界なら進展もあるかもだけど、物理的に二次元にいるから無理じゃないか。なんてこった、酷いですよ西園さん。演技じゃなく本気ですよね? 演技だったら怒りますよ!”
そして彼は少しだけ、西園を好きになれた気がした。
勿論人間としてだ。
『……そんな、誠心誠意尽くしてもらわなくても。私も仕事してるだけなので』
二人とも照れて、言葉が見つからない。
彼が担当官に求めるのは、彼女自身の体調管理を怠らず、健康を害さないように、ということだ。彼女は現実世界にいて不死身ではないのだから。
『あまり私を見過ぎないで、構わないのでカレンダー通りに休んでください。時々ちょろっと様子見にきてもらえばいいですから。監視がなくたって一人でやりますよ』
そうは言うものの、彼女が普通に睡眠をとるだけで長期間孤独になる。
寂しいことだが、つきっきりで見守る西園担当官の健康も心配だ。
『小さなことでも何でも相談に乗ります。頼りにしてくださいね』
それはとてもありがたく思うが、彼女は以前にアガルタの構築士と何かあったのかと、少しだけ勘繰る。単に彼の身の上に同情してくれてのことか、何なのか。
あるいは神様フェチなのだろうか。現実世界ではごく普通の容姿をしている彼は複雑な心境だ。
グラフィックで補正がかかっているのだろう。
一つ、懸案がある。
『私の肉体と私のリアルな家族、そちらで達者にしてます?』
『あなたの肉体は万全の管理で保存溶液中にあります、ステータスは正常です。私が抜かりなく見ているので安心してください。訃報などは来ておりません。ご家族もお元気です』
西園担当官が随時サポートしてくれるというなら、心強い。
”彼女の信仰がちょっと重いけど。何で急にデレてくれたんだろ。何か惚れるようなことしたっけ?”
現実世界で何か彼女の中で心境の変化があったのだろうか。
『それと、今後用いる仮名をあなたがご自由に決めてください。色をベースとした名前にして下さい。それがこの管区の決まりなので』
試用期間が終わったから、芸名を自分でつけてよいらしい。
”自分でつけるとうっかり紅蓮とか業火とか、イタイのつけちゃいそうだしな。赤井ってよく考えたらシンプルで覚えやすいよな”
彼は最初からメグたちには「あかいかみさま」と呼ばれている。長いので「アカイでいいですよ」と言ったところで、やはり「あかいかみさま」と呼ばれる。
彼らなりの彼への尊敬の気持ちなのだろう。信仰ではなく信頼だ、人間的な関係である。
なら、どんな厨二ネームに改名しても相変わらず「あかいかみさま」となる。ならもう赤井でいいという気もしないでもない。メグ達の言う「あかい」は形容詞だが、名前も兼ねて便利だ。
『赤井にします!』
『千年名乗る名ですよ、ふざけないで真剣に考えてください』
『えっ!?』
あの時目出し帽の色で安易に赤井などという名前つけたのは、西園張本人ではないか。
『赤井でいいんです』
『下の名前は?』
『赤井だけでいいです。覚えてもらいやすいので』
西園担当官は不満そうだったが、記録媒体に「赤井」と書いてモニタにかざした。今度こそ、彼自身の選んだ名になった。もう引き返せない、という思いがこみ上げてくる。
西園担当官は、少し優しくなった気がした。
『他に何かご希望はありますか? 何でも調達しますよ』
『裾が短くて丈夫で動きやすい服が欲しいです、近代的で機能的な』
赤井は調子に乗って要望してみた。
何でも調達してくれると言われたのだから。
『それはだめです。そのコスチュームで暫くの間はやってください』
赤井は神様というイメージ商売を呪った。
ワンピース、いや神様服の裾が長すぎて子供に踏まれてよく転ぶのだ。
着丈の丁度いい絹の衣装を素民に作ってもらっても、着てもすぐ朽ちてボロボロになる。
赤井のオーラか何かにやられて穴があく。
裾上げをしようとしても普通の糸は朽ち、千切ったり切ったりしようとしても切れない謎素材だった。
裾は最近はロイにわざと踏まれている気がしている。苛められているのだろうか。
『引き摺って歩けばよいでしょう』
『踏まれるんですってば』
『ふふ、では踏まれてればよいではないですか』
西園担当官は、相変わらず落としたり持ち上げたり忙しい。
だが、それでも少し和らかくなった西園の表情を見て、この世界で何とかやっていけそうな気がする赤井であった。