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第4章 第7話 Her memory of the past◇

【アガルタ第二十七管区 第3391日目 第二区画内 第2日目】

【総居住者数 2870名(第二区画内 958名), 総信頼率 99%(第二区画内 100%)】

【アガルタ歴9年106日 午前9時48分】


『西園さん!』


 ネストの森、濃霧の低く立ち込める中、西園さんはその場から動こうとせず、困惑したように辺りを見回している。

 私たちの姿が視界に入っていない。

 声を張って、彼女の名を呼びながら更に距離を詰める。


『……何故あなたがここにいらっしゃるんです』


 声は届いているだろう。

しかし、この無反応はひどい。

久しぶりなのに私のこと忘れちゃったんですか西園さん。

思わず駆け寄ろうとすると、キララが「母上様……」と、今にも泣き出しそうな声で呟いた。


 彼女は何を言っているんだ……キララの母上様はずっと以前に他界していたじゃないか。


 グランダ民によって手厚く葬られた陵墓もグランダの郊外に存在するし、私は彼女と共にグランダの共同墓地の中にある両親の陵墓に手を合わせに行った。

墓碑銘によると彼女の母親は享年、二十四歳。

夭逝すぎるだろ……って思ってたら、エトワール先輩曰く彼らは日本アガルタの蘇芳すおう工学博士によって開発された日本の高度学習型A.I.らしい。

マジですか。

それロイだけじゃなかったんですか。


 スオウという血系は女性のみアトモスフィアの感受性が高く、強い巫力を発揮する。

 ただし、短命と引き換えだ。


 力の強い巫女王ほど夭逝するようで、彼女らの平均寿命は二十五歳。

彼女の母親も巫女王として天空神ギメノなんちゃら(エトワール先輩)のアトモスフィアを元手にグランダの統治をしていたけど、八年前に鉱山ガスへの引火によって起こった市街地の大火災を命がけで鎮めたって話だ。


 彼女の母親は限界以上の力を酷使して死去、父親もほどなく病死。

 そんな、キララの母親――。


 でも西園さんを間違えるとか。

 どうみても違うじゃん。

 ……と思いきや、彼女は戸惑う私の真横を過ぎ、人気のない方へとふらふら引き寄せられてゆく。

 平時は鷹揚自若としている彼女なのに、判断力を失っている。


『キララ……さん? 何をみているのです』


 彼女は何を見ている? 

 私には見えていない人物がいるとしたら何だ。幽霊――?

 一歩先に進むにつれ彼女の足が徐々に地面へと沈んでゆく。

 おかしいぞ。

 この森は苔むした土に覆われている平地で、高低差はなかったと思う。

 なら何でキララの足、踝まで地面にめり込んでる? 地面は窪んですらいない。

 地面を足が突き抜けて、周囲の景色が波紋のように歪んでる。グラフィックバグ?


『西園さん、ちょっとそこで待ってて下さ……』


 西園さんの姿は既になかった。

 私は今にも見失いそうになるキララを追い、同時に西園さんも捜そうと駆け出す。

 西園さん、スーツだったけど知ったこっちゃない。

 だが数歩も走らないうち、皮のグラディエーターサンダルを包まれた私の足先全体に不自然な冷感を覚えた。


 何だろう、水か?


 立ち込める濃霧を神通力をこめた息吹で吹き飛ばしてみれば、苔に隈なく覆われた地面が見える……。

 キララと同じだ。私の足は地面を貫いて地中にめりこんでいた。


 即座にインフォメーションボードを手元に呼び、周囲の状況を簡易解析。

 まず明らかになったのは、向かって進行方向にキララ以外の熱源がないこと。

 全てのアバターは例外なく熱量を持つ、それは私たち構築士も素民も同じ。

 西園さんがここにいるということは、人一人分の熱源がなければならないというのに。


 インフォメーションボードは客観的事実だけを示している。

 私の目に見えている西園さんも、私には見えないキララの母親も、ただの幻覚だということだ!

 あぶねー、もろ幻覚に引っかかってたじゃん私。

 西園さんに会えなくてすこぶる残念だけど。

 私たちの脳に働きかけ、幻覚を見せる条件て何?


 電磁波、磁気異常? 思いつく限りのパラメータを並列解析しても、どれも異常な数値を示してはいない。

 ではやはりシステム側の問題なのか? 焼人が見落したグラフィック系統のバグが多発しているエリアなら、長時間留まるのは危険だ。ネスト全体で心霊現象が起きているという目撃情報も、この現象を反映しているっぽい。 


 一刻も早くこの場を離れなくては!

『キララさん! そっちに行ってはいけません。私の声が聞こえますか!』

 

 もう腰まで地面に埋まっているのに、キララは異変に気付いていない……

 母親の幻を知覚して興奮状態に陥り、周囲が認知できなくなってるんだ。


「母様……再会の日を夢見ておりました……」

「おい、何故そっちへ行くんだ! そっちには何もないぞ、戻って来い!」

「あいつ正気じゃない!」


 彼女の異様な行動に気付いたネスト民も必死に引き留めようとするけど、完全に無視を決め込んでいる。


『引き返して! それは幻です! あなたの母親は亡くなっているではないですか、現実を受け入れてください!』


 私は飛翔で追いつこうとするも、どてっと前につんのめってコケた。

 飛翔術を無効化される。

 自己解析をかけると、神通力が100%チャージから0%になっていた。


『力が……消えました』


 背筋を氷で撫で上げられたような錯覚に陥った。

 本格的にバグエリアかよ、構築士の神通力が及ばないのか。

 飛翔を断念し、ばしゃばしゃと地面をかき分けて彼女を追う。

 しかし判断が一瞬遅く、キララの姿も忽然と消えた。


 更に最悪なことに、インフォメーションボードが半透明に! 

 やばいやばい。A.I.が踏み込んできたことで予測不能なバグの連鎖反応が起こっている。


「神様、どうなされますか」

「何とかなりませんか、森にかけられた呪いにやられてしまったのかもしれない」


 私は白衣の帯をぱらりと解き、ネストの民に帯の一端を放り投げた。


『これをそこの樹にしっかりと括り付けてください』


 ネスト民の誰かが受け取り、大慌てで大木に巻きつけてくれた。


『解けないように見ていてください、頼みましたよ』


 私が腰に巻いていた三メートルばかりの白衣の帯は伸縮性があって切れないうえ、何十メートルも伸びるから命綱となる。

 帯の端をきつく手首に巻きつけると、大きく息を吸い込んだ。

 私の肺活量は人の二倍、8000mlぐらいだ。

 限界まで呼吸し、更に空気を圧縮して吸える限り酸素を取り込む。


 息を止め、不気味に波立つ地中に意を決し突入。

 全身が圧迫感で締め上げられるけど、地中は真っ暗で何も見えない。

 視界は完全にゼロ。

 地中突入と同時に、インフォメーションボードの映像が大きく乱れ、かき消えた。

 あーあーボードがバグの影響で消えちゃったよ。

 こうなると私の勘だけで、真夜中の海中で彼女の気配を探るようなもの。


 ここは環境パラメータが整っておらず酸素は皆無だ……。

 数分もすれば彼女は窒息死してしまう、私は神通力がないので酸素を与えたくても構築そのものができない。

 地中にはもったりと皮膚に張り付く液状の流体が存在し、対流らしきものが起こっていた。

 流れは速い、流速3m/秒以上は絶対いってる、そのせいでキララに近づくことができない。

 私たちはすり鉢状の空間の底に引き寄せられている。


 まずい、早くキララを見つけて浮上しないと。

 突入して一分、彼女の気配を近くに捉えた。

 私は咄嗟に手を伸ばし、彼女の足首らしきものをつかむと手繰り寄せ抱き竦める。

 彼女は窒息状態で酸素を求め、もがきはじめている。

 斯くなるうえはやるっきゃないよね、人工呼吸。

 ちょ、国民の皆様、強制猥褻とか叩かないで。

 役得とか思ってないですよ。

 いや思ってる、思ってないとかキララに悪いし。

 後でキララに、まだ誰ともキスしたことなかったのにと言われるかもだけど、私人間じゃないからノーカウントにしてほしい。


 私も神通力を剥奪された今は人間と変わらないから息苦しいんだけど、不死身の自分のことは後回し。

 ノーカウントと連呼しながら無心で彼女の唇を奪い、私の肺の中に圧縮してきた酸素を残らず彼女に与える。

 彼女は気を失ったまま、私の息を受け入れ呼吸が続いた。


 早く地上に戻らないと……手首に巻きつけていた帯を手繰ろうとすると、

 手ごたえは皆無。無情にも命綱は切れていた。


 神通力を失った帯はただの帯でした。

 バグの渦の中で翻弄されているうちに、帯の強度も失われていたようだ。

 私達はもう、濁流に嬲られる木の葉と変わらない。

 バグだまりの中に完全に咥えこまれてしまった。


 キララを庇いつつ広大な液状空間の中を錐揉みされ、心細さに押しつぶされそうになりながら現実感もなく下降するに任せていると、何だろう、どこからともなく声が聞こえる。


[泣くなキララ、我が娘よ……スオウ一族としてこの世に生を受けたからには早世の定めにある。ならば民の盾となり、役目を果たすことができたと、――そう、喜んではくれまいか]


 女声の幻聴だ……スオウってと、キララの記憶なのかな? 

 私は読心術を無効化されているし、彼女はA.I.だから夢を見ないので彼女の夢ではないよな。

 キララはまだ、母親の幻を見せられているのか。


 私が彼女の身体に触れているので、彼女の見ている幻が断片的に私に流れ込んできてるみたいだ。

 仮想世界における自他の境界線が曖昧になって、相互のデータ再生が不安定になってるのかな。

 正規のエリアではないし……何が起こってるのか分からない。


 私の擬似脳とキララのプログラム、ぶっ壊れてたらどうなるんだろう。

 廃棄処分にされたりして……。

 身の危険を感じている間にも……幻は続いている。

 先ほどとは違う、あどけない女の子の声がする。

 これはキララの声だ。


[母様。グランダは、赤い邪神に呪われているの? 呪いはいつになったら解けるの]


 話を盗み聞こうともっと意識を集中すると、キララの意識を映像として読み込むことができた。

 ……彼女の母親の死に際の光景なんだろうか。


 吹き付ける熱風、焦土と化したグランダの火災現場、瓦礫の上に息も絶え絶えに横たえられている、肌の青ざめた女性。

 煤けた金髪に引き裂かれ焦げた黒衣…… 意思の強そうな瞳、通った鼻筋、ふくよかな唇、真っ赤に火照った頬。

 キララの生き写しだ。

 私の意識はキララの視線に宿り、彼女の在りし日の母親を見下ろしているらしい。

 その美貌に似合わぬ雄々しい口調は、巫女王としての使命感を端的に表している。


[もうここまで、まだ炎が燻っている、早く逃げなさい。ここでお別れだキララ。私には邪神を退けることができなかった。しかしいつの日か呪いを解くことはできる……そう信じている。私がいなくなってしまったら、お前がスオウを名乗るのだよ]

[嫌だ……そんなの嫌だ。名前なんていらない。いらないから、ずっと一緒にいて……]


 彼女の受け継いだ名前、母親の形見だったみたいだ。

 狼狽するキララを、女性は最後の力を振り絞って撫でていた。

 私はその感触を、言い知れぬ疾しさとともに記憶に焼きつけた。


[スオウの名と血脈は、代々に受け継いでゆかなくてはならない。天空神様と共にグランダを守るのだ]


 母女王が息を引き取る前に、キララの強い拒絶があって意識が断絶する。

 と同時に、場面が切り変わった。

 ……数々の供物が捧げられた、例の占いの館じみた呪術部屋に意識が転送されていた。

 彼女は母親の崩御を受けて巫女王となり、天空神の啓示を聞いたようだ。


 灯りの落された、牢獄にも似た冷たい部屋の中。

 黒い布の掛けられた石造りの祭壇。

 その上に銀の盆、黒くきめ細かな砂が敷き込まれている。

 契約のスオウ一族の血を祭壇の杯に捧げ、ギメノグレアヌスとの交信を試みる。

 彼女の手首が、朱に染まった。


 彼女の祈りにこたえ、グランダの古代文字がすらすらと黒砂の上に描き出された。


―蘇芳か、しばらくだな―


 天空神が加護を授けるのは、スオウという血族であってキララ個人ではない。


[母は……先王は崩じました]


―これは異なことを。蘇芳は蘇芳だ―


[………っ、………仰せの通りです。天空神様、グランダにご加護を]


 天空神を祀った祭壇に祈りを捧げると彼女は巫力を得るが、神託を聞くたびに自らを傷つけなければならない。

 そうやって、彼女は邪神との戦いに備えてきたんだ――彼女の全てをなげうって。


 過酷な運命のもとにあるスオウ一族のアガルタにおける役割は、

 ずばりロイの代替。


 他管区では暴君としての予定運命が待ち受ける高度学習型A.I.のロイ。

 ロイ並みの性能で安全かつ強力な、構築士の新しい相棒が求められている。

 ……ロイの反省を生かし、スオウというA.I.には幾重もの安全対策が施してあるらしい。

 不老ではなく、構築士が屈服させやすい非力な女性型で、構築士への信仰心に厚いこと。

 スオウらは悪役構築士の管区で試験運用されてからハイロードに引き渡されるケースが多かったけど、どの管区でも問題なく運用されている。

 ただし個人ではなく血族としての運用だ。

 スオウ一族はハイロードの片腕として、どのエリアでも重宝されている。

 問題を起こす前に、巫力の行使によって寿命が尽きてしまうからだ……。


 キララを長生きさせてあげられないのか、ってエトワール先輩に尋ねたら、

 私たちが神通力を付与せず巫力を発揮させない。

 特殊型A.I.としての使命を放棄させ、汎用A.I.と同じように扱えばいいと言っていたっけ……


 彼女が平凡な人生を全うすることを、伊藤さんたち上層部が許してくれるかは分からないけど。


 エトワール先輩は、キララを私に引き渡すこと前提で悪役やっていたから、キララの特殊A.I.としての安全性を試験するためにアトモスフィアを与え、巫力を発揮せざるをえない状況下に置いてきた。

 キララに最大限の肉体的負荷をかけてテストすべきだったらしいけど、先輩は人道的見地から規約に密かに背いていたらしい……でも酷いよ。


 というわけで、キララはもともと短命の一族の末裔なんだ。


 こんなところで死なせちゃいけない、彼女を待ち受ける運命がどのようなものになっても、納得のいく形で人生を終えてほしい。

 グランダの巫女王、その帰りを大勢の彼女の民が待っているんだ。

 どうすべきか――。


 私は神通力を失ってしまったし、私が彼女に酸素を供給してるといっても消費してきてる。

 私の肺の中の酸素、22%ぐらいあったけど、0%まで使えるわけではない。

 酸素濃度18%未満になると人は意識障害を起こすし、10%切ると昏睡、それ以下になると死亡する。

 よって、酸素は数パーセントしか消費できない。


 非常にまずい。


 弱音を飲み込み、現状を打開すべく、息止めをしたまま目を皿のようにして辺りを見渡した。

 果たしてこの流体の中は完全に暗闇なのか、明度に濃淡はないか。キララに意識を向けながら情報を必死に得ようとする。

 私たちは既に何十メートルか潜ってるんだろう、全身がきつく締め上げられる。


 キララの体に、肺に、水圧という名の過負荷がかかってくる。

 地球上なら十メートル潜ると、およそ一気圧がのしかかる。

 アガルタは違うのかもしれないけど、それに匹敵する殺人的な水圧だ。


 日頃からいかにインフォメーションボードと神通力に頼り切っていたかを思い知らされた。

 神通力がなければ、私は悲しいほどに無力だ。

 肺に残っていた最後の空気を、キララに残らず与えた。

 すると気体を失った私の肺に周囲の液体がなだれこみ、私の肺の中の流体は外圧と等しくなった。


 ああ、しかしこちらの方が楽だ。


 でも……何で? 

 何で楽なの? おかしいでしょ。神通力もないんだから窒息してるのに――。

 そのとき私は、私たち二人を飲み込まんとするこの場所が決してバグの産物ではないということに気付く。

 殆ど直感だった。

 ボードがないので真相は分からない、或いは見当違いである確率の方が高い。


 しかし私の息は続いている。

 この溶液は、ペルフルオロカーボン(PFC)の一種じゃないのか?


 PFCはフッ化化合物で、無味無臭。水より粘性があり、H2Oの二十~三十倍も酸素を溶かす。

 何でPFCだと決め付けるかってと、息ができているから。


 人は何も、気体を吸うことでしか呼吸できないわけじゃない。

 酸素が溶けていて浸透圧の調節された毒性の低い流体になら、割と何でも適応できる。

 肺をこの溶液で満たすと、液体呼吸ができるんだよ。

 PFCは酸素溶解度が高いから、キララの肺は肺胞から直に血液中に酸素を取り込んでくれる。

 現代でもPFC(他には細胞の保護成分が色々入ってるけど)が潜水時に肺を守る為に使ったり、戦闘機乗りが耐圧訓練をしたりする用途がある。


 なら、肺が水圧でぺちゃんこになる前に、キララに直ちに液体呼吸を開始させるまで。

 肺の中を完全に液体で満たす完全液体呼吸は負担が大きいから、部分液体呼吸で……とか思ってたら、キララが水圧に耐えかね、ゴボッと大量に息を吐いてしまった。

 そりゃそうなるか。


 でも反射的に大量の液体を吸い込んだので、肺の内部が空気からPFCに置換された。

 よし、うまく水圧を受け流した筈だ。


 ここまではいいんだけど、完全液体呼吸は空気より密度や粘度の高い液体を肺の中から外へと出し入れしなきゃいけないから、実は空気呼吸するより大変だったりする。


 はい、自分で頑張って息してね! ってわけにいかない。

 完全に肺の中のPFCを置換することができなければ、二酸化炭素の溶解したPFCが肺の中に溜まって窒息する。

 毎分5リットル以上の溶液を肺から出し入れする必要があり、液体呼吸が不完全だと命取りだ。

 だから人間には呼吸補助装置なしで液体呼吸を続けることはできない、呼吸を補助したげる必要がある。


 しかし私が何とかすれば、彼女は生き延びられる。

 てなわけでこれはバグなんかじゃない。

 第二区画の構築士さんの仕業とみて間違いないようだ。


 彼女にとってはある種お遊びに過ぎない、ある意味私とキララに恐怖心を与えるための茶番。

 ここは悪役区画ではないので、過剰演出というより……私、値踏みされているんだろうか


 ……その可能性に思いを巡らせた途端、何かが滾る。


 ずくん、と背中が疼いたような気がした。

 いや別に邪気眼とかじゃない。

 背中のパッチは、仮想世界において存在する筈のない、私の生理的情動に呼応しているようだ。


 感情をコントロールしないと。

 伊藤さんは”強力なパッチ”だと言ってたし、下手うつと暴走しかねない。

 キララの液体呼吸を助けながら、集中力を取り戻し周囲の環境に向け続けた。


 私たちはあてどなく漂いながら下へ下へと沈んでゆく、朧げながら水底が明るくなってきた。

 出口か……でも水底に?


 覚束ない薄明かりによって……突如として水底が出現し視界が確保された。 


 全景は見えないが、私たちは何やら水中遺跡じみた石造りの壁に囲まれていた。

 幅五メートルほど、縦に続く円筒状の巨大水路を下降しながら押し流されていたんだ。

 縦坑の地下水路は、どうやら行き止まりのよう。

 底部は、白い御影石のような石材が敷かれている。

 床面はほわんと仄白く発光しており、径五十センチほどの穴が底面全面に疎らに穿たれ、穴を通過する水が勢いよく水流を生じていた。


 その石床には穴を塞げとばかり、マンホールの蓋のような金属製の蓋が散在している。

 数えてみると蓋は十個だ。

 穴をふさげば、水流が堰き止められ、私たちは泳いで縦穴を浮上、ここから脱出できそうだ。


 穴をくぐってその先に進むこともできそうだけど、

 私はキララの命を預かっている、退却あるのみだ。

 キララの息継ぎを手伝うのを忘れず、私は一個一個着実に穴に蓋を重ねてゆこうとした。


 しかし……僅かずつ蓋の大きさが違うようで、うまく合わせることができない。

 蓋の微妙な大きさの違いは、肉眼では見分けがつかなかった。


 ――成程、穴と蓋が鍵穴と鍵の役割を果たしているのか。 


 といっても、蓋の配置に何か法則でもあるんだろうか。

 全ての穴は、床の上に薄く引かれた直線上にあり、それは星型に配置されている。


 まさか何か意味がある? 図解するとこうだ。


        ○


○   ○    ○    ○

       ●

    ○       ○

        ○

  ○          ○


 報告書の位置がずれてたらごめんね。

 要するに一筆書きした星型の、全ての頂点と交点にあたる座標に穴がある構図。


 ●は中心部にある石版。凝った彫刻が施されている。何か仕掛けがあるのかな。

 石版は、モンジャではすっかり見慣れた二つの植物を象っていた。

 両者とも、私もメグもよく知っているやつだよ。カルーア湖岸に広く生育している多年草で、十一月ぐらいにすずらんのような白い花をつける。あと、メグの好きな葉物野菜のシクロ菜。


 床上に転がっているマンホール状の茶褐色の円蓋に触れて検めると、豪華な植物のレリーフが刻まれている。全て植物のレリーフ。一貫性があるな。


 ほら、これもさっきネスト台地の畑に咲いていた芋的な植物の花じゃん。

 今の時期が旬だって、ミシカが嬉しそうに言ってたっけ。

 私は普段から植物に興味を持って目を配っていた、というか素民が食べられそうなものを血眼になって探していたから、アガルタの植生も大体把握してる。


 全ての植物のレリーフの相違点を見つけるとすれば……開花時期が違っているぐらいか。


 何だろこのパズルゲーム。


 紙とペンもなく、液体呼吸しながらやれとか鬼畜すぎでしょ。

 呼吸だけで必死なのに、頭も働かないってもんだ。


 でもさ、アガルタの地に存在する植物を暗号に見立ててるってことは、必ずしも構築士向けのパズルではない。


 構築士向けの情報なら普通に日本語でこうしろって書いてあるだろうし。

 素民にも理解できて、クリアできる難度設定なんだろうね。

 見れば見るほど魔法陣っぽい配置だよね。

 クリアしたら魔法使えるようになるわけ? 

 アガルタ九年目にして遂に魔法が……いいよ別に私そんなの求めてない。


 んー、でもこの陣形はまさしく魔法陣的なアレ。


 第二区画の人、明らかにファンタジー好きそうだしやりかねないな。


 魔法陣……? 星型で……中央部に二つの植物のレリーフ、七月と十一月に咲く花、周囲に十個の蓋……。 

 私は全ての図柄を手早く確認しあることに気付くと、ものの一分以内に、この難易度高すぎな貝合わせに成功する。


 間違ってなかった。

 これ魔星陣(五芒星)だったんだ。

 魔方陣の一種だ。”魔法”陣じゃないよ。


 植物のレリーフの開花月に数字をあてはめて、五芒星の一直線上の和が全て等しくなるようにすればよかったんだ。


 何で気付いたかっていうと、1から12の数字に対応する植物しかなかったし、7と11は中央の石版に刻印されていたから使えない。


 解答は複数あるけど、配置パターンは規則に従っている。

 私の解はこれ、一辺の合計は24だ。


        1


2    8    9    5

       ●

    12     10

        6

  3          4


 解の提示により水流は止まり、私たちは浮上する間もなく星型の中央のレリーフから発せられた閃光に包み込まれ――


 急速にホワイトアウトした視界が回復してくる……。


 気が付くと、私とキララは揃って見知らぬ部屋の中にいた。

 ここは……内在意識の世界を模したどこかなのかな。

 パズルを解けば元の世界に戻れるのかと思いきや、別の場所に閉じ込められてる。

 先ほどとは一転、今度は白壁に囲まれた場所で、PFCは充填されていない。

 私はキララを手放してはおらず、しっかりと両腕の中に抱き込んでいた。


「げほっ、げほっ!」


 キララが急に噎せて、PFCを吐き出した。


『だ、大丈夫ですかキララさん。吐いて、全部残らず吐いてください』


 私は彼女の背中をぽんぽんと強く叩いて、PFCの液体を残らず吐き出させる。

 白いニットワンピな民族衣装はずぶ濡れ、まとめ髪はPFCのせいで乱れ放題、オーバーニーの皮ブーツも濡れてぐしょぐしょだ。


「はあっ、がはっ、はあっ……ぐっ」


 涙目になりながら咳き込んだ後、身をもたげた彼女は相手をよく確かめもせずに私に抱きついてきて、「母上、母上! 生きておられてよかった」と無心になって連呼する。

 そっか、直前まで母上の幻を見ていたんだっけ。

 私のこと母上と間違えて甘えてるのな。

 私も圧倒されてしまって、どう言葉をかけたらいいのか分からなかった。


「母上ぇ……母上。生きておられるのなら、何故お会いになって下さらなかったのですか」


 子供みたいな声を出すなあ……今まで相当寂しい思いをしていたんだろうな。

 誰にも本音を言えず、弱みを見せることもできず。

 彼女が私だと気付いていないのなら、暫しの間、黙って彼女の母親役を務める。


「私がどれだけの寂しさ、心細さに耐えて…………あ゛……」

『!』


 やべっバレた、速攻バレた。

 まあバレますよね。彼女も私も双方、体裁が悪いのなんの。


「な、ななな何だアカイか」

『す、すみません私で』

「ということは……母上様の幻だったのか……私としたことが惑わされて。情けない、愚かしい。それもこれも、心が弱いからだ」


 彼女はあからさまに落胆した後、いつものように皮肉っぽく苦笑してみせたけど、悲しみの色を隠すことはできなかった。

 なんていうか、ごめん。

 君のお母さんじゃなくて。

 赤面した後、ちらりと流し目で私を見る。そんな目で見ないでよ。


「私のみた幻を、アカイも見ていたか?」

『は……はい。私はずっとあなたと共にいましたよ』

「私の一族は短命なんだ、母上はその定めから逃れられなかった。私も恐らくそうだ」


 長い長い沈黙が差し挟まれる。

 君を呪縛から解放すると言ってあげたいけれど、プログラムとしての寿命が定められているなら私にできることは少ない。


「だから怖いんだ。不滅の命を持つものにはわからないのだろうな、ちっぽけな人間の、ちっぽけな命への執着は」


 私は黙して、叩きつけるような彼女の思いを受け止めた。

 いや、ただ聞いてあげるしかない。

 彼女は私に見放されたと感じているだろうか


「すまない。弱みを見せて。こんな身の上だ、早く世継ぎをつくらねばな……私の命が絶えてしまう前に」

『いけません、まずはあなたの人生を考えてください。あなたがなお孤独に震え、心の内に癒えない傷を抱えて、それが消えないでいるなら』


 私がこれから彼女にしてあげられることは、さほど多くないかもしれない。

 それでも、彼女の支えになるぐらいはできる。口先だけではないよ


『どうか私を親代わりだと思ってください。精一杯こたえますから……ね』

「……アカイ……私は」


 私とキララの間で交わされていた、割と深刻な会話を遮るように

 ピッ、と、この場に不釣り合いな電子音が鳴った。


 おやまあ、私の左真横、銀色のテロップが強制表示されている。

 何でバラエティ番組風のテロップなのこれ。

 ちょっと待ってよ現実世界からの入電? 今いいところなんだから自重し……


【第二区画中枢 第一試練が突破されました】

【このまま第二試練に臨みますか?】

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