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第2章 第15話 Rebellion◆

【アガルタ第二十七管区第一区画内 第3346日目 居住者数 1861名 実質信徒数 16名(extra +219)】


 インフォメーションボードが通常画面に戻り、久しぶりに現在情報が出現した。


 居住者数=赤井が解放した区画の人数だ。

 インフォメーションボードの表示や仕様もよく分からないながら、赤井は手探りで進めてくしかない。 

 メグとロイのいる赤井の本拠地が第ゼロ区画だとすると、二区画分の合計人数だ。

 実際に二十七管区に住んでいる素民は第二区画以降にもいるのだろうが、今は非公開になっている。

 実質信徒数は赤井に実際に神通力を与える素民の人数。

 赤井の集落の民たちの分はこの地まで信頼の力が及ばず、含まれていない。


 カラナ湖には巨大な渦潮ができ、湖面の水位は少しずつ下がってきた。

 空洞に水がうまく流れて、あと十五センチメートル程水位が下がればカラナ湖は元通りになる。


”大丈夫だ、下流には川が出てるから、これだけ水位が下がれば段々と川から水が逃げて、もうグランダが洪水になることはない”


 ブリリアントは大漁、いや大量の魚介類たちの中水鳥のように水面に浮かんでいる。


”先輩もぼさっとせず早く起きた方がいいですよ。天然の巨大洗濯機のパワフル水流に飲み込まれますし! ……いや別に飲み込まれてくれてもいいですけど”


 ブリリアントはやおら起き上がり、赤井と同じ高度に浮揚する。

 飛翔の姿勢はピシっとして模範的だが、赤井は申し訳なかった。


”なんか流血してますし心苦しいです先輩”

『よくも民をたぶらかし、毒気を撒き散らしおったな! その邪悪なる魂、一片と残さず滅ぼしてくれる!』

”はじめよう、そしてお別れだ”


 彼は声を張って、本音と建て前を同時に話す離れ業をこなしつつ悪役演技を継続する。

 構築士の声は直接相手の心に働きかけ、肉声とは異なる独特の響きが素民には神秘的に聞こえている。


 構築士の声は無線電波のようなもので、音ではないので距離に依存して減衰しない。

 必要に応じて、数百メートル離れたグランダの民にも会話の内容を伝えることができる。

 演技を怠るわけにはいかない。そういう判断なのだろう。

 プロ意識を見た思いだ。


”わかりました、心苦しいですが戦いましょうか”


 赤井も念話では詫びつつ、演技を再開する。


『民を欺き裏切ったのはあなたの方です! グランダで病に苦しむ人々に、あなたは手を差し伸べなかった。その力があったのに! ならば私が彼らを救います』

”悪役って大変ですね、今までのご苦労が偲ばれますよ”


 正直、赤井がブリリアントに教えてもらいたかったことはたくさんある。

 しかし仕事なので馴れ合いは禁物。


”悪役って大変でしょうけど、せめて現実世界のプライベートでは気分転換してくださいね”

『汝の毒に冒された民はもはや助からん、わが手で清めてやらずばなるまい!』

”なに、この仕事が無事に終われば次はランク2になれる。私はそれでいい”

”何ですかそれ!” 


 もともと悪役採用ではなかったと聞き、赤井は驚く。

 ランク1以下の採用ではその役を無事にやり遂げたら昇進する、ということだった。

 建て前と本音の会話の切り替えが難しい。


『清める……? どういう意味ですか。まさか……!』

”私らは最初から甲種一級のハイロードなんですが、昇進があるんです? じゃあ先輩もいつかランク1にもなれるってことです? てかランク2って何の職種で?”


 ……眉間に皺を寄せ迫真の演技中に、水面下ではのほほんと世間話をしている。


『死をもってな……』

”ランク2はアポストロ(使徒)さ、一般構築士はランク2どまりだよ”

『死をもって!? そんなことは絶対に許しませんよ!』


 悪役的挑発に適当に応じながらも、感心する赤井。

 一般構築士とそうでない構築士があるようで、赤井は一般ではないらしい。


”アポストロって天使とか使徒のことだ。悪役の次は天使役か……次は白翼背負って飛ぶんすか先輩!”

 なら次こそ娘さんに自慢できますね! 「パパ―素敵ーカッコいいー!」「ハハハどうだー! パパは天使だぞー!」ってなくだりができますよね! よかったじゃないですか! などと妄想をしていると。

”残念ながら、子供はいないよ”


 妄想まで読まれていたようだ。恥ずかしかった。


”私は身元を明かすことができませんので連絡先交換もできませんが、またいつか、東京の街で巡り会えたらと思いますよ”

”そうだな……また、いつかな”

”百二十年間、悪役でありながらも、たった一人で第一区画を発展させ守って下さってありがとうございます。第一区画が解放されたら、私の集落との急速な文化融合が図られ、文明が飛躍的に進むでしょう。助かりました、心の底から感謝です。長い間お疲れ様でした”


 クランクアウト、いやログアウトのお祝いに行きたい赤井だったが呼ばれないだろう。

 積年の苦労を労うべく、赤井はせめてもの餞に、ブリリアントが最後に綺麗に散れるよう尽力しなければならない。


『ほう、許さなければどうするというのだ』

”バカ丁寧な神様だな、赤井君は”


 ブリリアントは鼻で笑ったが、馬鹿にした様子ではなかった。


『今こそ永久とこしえの命を授き神国へと導かん!』


 突然のキメ台詞に、赤井ははっと我にかえる。

 念話に集中しすぎて、建前を忘れていたのだ。

 要約すると邪神(=赤井)の毒気から民を救うためにはグランダの民全員を殺して神の国に連れて行く? 


”滅茶苦茶な俺様理論だな先輩。それが天空神ギメノなんちゃらのキャラ設定なのか”

『我が神炎によって魂を清められし者は、我が命を受けん』


 ブリリアントはいかにもな悪役台詞を吐くと、グランダの城壁に向け両手を突き出す。

 問答無用で無数の火炎弾を放った。

 火炎のミサイルのようだ! 

 赤井の物理結界を内側から貫通しての無差別絨毯爆撃が繰り広げられる。

 やや遅れて、被弾した城壁から爆音と黒煙が上がる。


”何するんですか先輩!”


 思わぬところから直撃を受け、城壁の上にいた兵士らが天空神のご乱心に大慌てだった。

 何人か火だるまになり、熱さに耐えられず、もんどりうって貯水甕に飛び込む。


 長い年月をかけ立派に築き上げた城壁も爆撃によって一瞬にして蜂の巣だ。


”先輩が城壁を築けとキララに命じたんだろうに、あんまりですよ”


 グランダの堅固な守りも丸裸にされてはたまらない。

 城壁の上には泣きそうな顔をしたキララの姿も見える。


 しかしこの攻撃によって、天空神こそがグランダに災いを齎していた邪神だったと、キララは今や確信を得つつある。

 厚く信仰していた天空神からの理不尽な火炎攻撃を受けては信仰心も挫かれるというもの。

 希望を絶たれ城壁に立ち尽くす。

 神炎で焼かれ死んだ者は永遠の命を授け天国に行けるなんて言われても、誰が炎の中に身を投げるものか。


 彼らは死後の平安を望んではいない。

 生きたいのだ。この世界、この仮想死後世界アガルタで。

 赤井は仮想の存在である素民たちの、生に対するいたいけなまでに強い執念を知っている。


「おやめください! 天空神様!」

「ひいいっ! お許しを―――!」


 兵士が泣き叫び懇願しても、爆撃は続く。

 それどころか高笑いをあげ、


『我が民は幸いである! 救済の日は来れり!』


 などと言いつつ、ブリリアントは無差別爆撃を繰り広げる。女も子供も見境なくだ。


”悪役に徹しすぎだよ。ちょっと乱射しすぎです先輩”

『なんてことをしたんです!』


 赤井は神杖に電流を通じ、火炎弾乱射中のブリリアントに真横から急襲をかける。

 受け身の態勢を取る様子がないので遠慮なく腰を狙い、最大電圧をかけつつフルスイングでドライバーショット。

 ブリリアントの体はつの字に曲がり、一直線にグランダの方に飛んでいった。

 グランダの方角に突進していったブリリアントの後を、赤井が追う。


 ブリリアントは吹き飛ばされつつも、振り向きざまに赤井に火炎弾を散弾のように放ってくる。

 赤井は飛翔で追いながら神風を起こし火炎弾の軌道を逸らす。

 やられっぱなしでは癪なので、気圧が不安定になった雨雲から次々と垂直に電撃を落とし、ブリリアントに逆襲をかける。

 グランダからは天と地を繋ぐ太い電撃が目を射んばかりの眩さで、美しい光の並木道のように立ち並んで見えたことだろう。

 水面を走る湖面全体が光の湖のようだ。

 何発かはブリリアントに直撃した。


 得意げに電撃を落しまくって水面をはっと見ると、魚が再び魚群ごと……。


”反省したばっかなのに、一度ならず二度までもマジごめん。もう私、魚介類たちの間では破壊神として名を馳せちゃうかもしんない”


 あとでお詫びの気持ちを込めて、カラナ湖の水質浄化や周辺の緑化や稚魚たちの養殖と放流を積極的にやるので許してほしい、と赤井は魚に詫びを入れる。


 一方、グランダの城壁周辺では懸命の消火活動が始まっている。

 しかし構築士が灯した炎はタチが悪く、人間には消火できない。

 ブリリアントの炎も同じだ。消そうとすればするほど延焼する。

 高々と黒煙が立ち上り、グランダの民たちの悲鳴が聞こえる。


 キララも最前線に立って防火用の水甕を持って来いだの、建物を壊して延焼を食い止めろだのと兵士たちに命令を飛ばしたり、彼女自身も巫力で何とかならないか試みていた。

 しかし徒労に終わる。

 ブリリアントの大火炎の前には成すすべもない。

 たちまちのうちに炎は広がり、キララと護衛の兵士らが炎と煙に巻かれ、その場に蹲った。


 彼らグランダの民たちが失意に満ち拠り所を失ったとき。

 火の海の中に取り残されたキララや兵士たちをめがけ、一人の青年が炎の中に飛び込んできた。

 青年の登場と同時に、白い半透明の壁が幅数百メートルにもわたり、ベールのようにグランダを守り、火炎弾は弾き返される。


 城壁一面に当座の物理結界が展開された。それは頼もしくもあり、壮麗な光景でもあった。

 物理結界は内側からの耐久性は弱いが、外側からのベクトルには強い。


「ここはお任せください!」


 ここにいたのだ。

 人の身でありながらブリリアントの邪悪な力に立ち向うことができる素民が! 


『ロイさん!』


 彼が雄たけびとともに神通力を通じた槍で炎の舌を薙いでゆくと、たやすく鎮火する。

 彼は赤井の力を受け継いだ素民である、同じ性質を持つ炎を手なづけることも容易い。


 神通力の出し惜しみをしなければロイにも結界は張れる。猛烈な勢いで神通力を消費しはするが……。この一年間は神通力の節約をしていたロイも、ここぞとばかり湯水のように使う。

 さらに彼はブリリアントの火炎攻撃を防いだばかりでなく、神通力を込めた熱い空気弾を天に放った。


 音速を超えて空気弾を打ち上げたため、パンと大きな炸裂音が鳴る。

 雨雲を刺激し、局地的な集中豪雨を降らせるようだ。


”手慣れてるなー、構築士顔負けだよ。ロイは文武両道デキる超人だ。インフォメーションボードも持ってないのにな”


 と赤井は感心する。

 モコモコと上空十キロにも達する積乱雲を地上から器用に成型し、ロイは雨の降らせ方も心得ている。降水の原理を知っているのだ。

 局所的集中豪雨が猛烈な勢いで降りそそぎ、グランダの城壁沿いの大火災をたちどころに鎮める。


 人ならざるものの力を孕んだ雨は、邪悪なる炎にも打ち勝つ。

 雨はスコールのように降ったかと思えば、ぱたりと降りやんだ。


『ロイさん、お見事です!』


 ロイは古代人であるが、今や理論的思考能力に体力も度胸もある、有能すぎる助っ人になっていた。

 赤井とロイの関係は、神と人間といった他人行儀なものでもなく親子関係に近く、赤井もロイの父親のつもりだ。

 彼はもともと身よりがなく、彼が本音を言って甘えられる存在は赤井だけで、赤井も彼を人一倍愛情をかけて育てた。


”とはいえ、ずっとお互い敬語で彼は私に跪いてたけど。十分よそよそしいか……仲いいとか思ってるの実は私だけか”


 ところで頼りにしていた城壁が敢え無く陥落したグランダの一般市民の反応はというと、爆撃によってできた風穴から顔を出して悲鳴を上げている。

 ブリリアントがグランダに炎を放った瞬間を目撃し、そして同時に、ロイがグランダを救済した一部始終を見届けた。


「信じられない! 天空神様がグランダを……」

「それにひきかえ、赤い邪神は洪水から我らを守り、さらに邪神の使いもグランダを炎から守ってくれたぞ!」

「なぜ天空神様が我々を滅ぼそうとしている! 滅びを呼ぶ邪神からグランダを守ってくださる筈では!」

「わけがわからない」

「救済して下さるといったって……それが死後では意味がない。我々はまだ、死して天国になど召されたくない! これは違う……伝説とは真逆だ!」


 混乱した民たちの怒号が飛び交い、彼らも何が起こったのかと野次馬気分で城壁のあたりに押し寄せて情報が錯綜している。

 そして彼らはロイに質問を浴びせる。


「おい、邪神の手先! どういうことなんだ!」

「あれはグランダに災いをもたらし、人の肉を食み生き血を啜る邪神ではないのか!?」


 奇跡を見せた異国の青年。

 彼は邪神の手先呼ばわりされても気を悪くしない。

 狼狽した兵士たちに対し槍を握ったまま落ち着いた様子で一言。


「彼は邪神ではない、よい神様だ。もし邪神がいるのだとすれば人違いだろう。俺たちは幼いころからずっと神様によくしてもらった」

『さあ来い! 邪神よ!』


 ブリリアントはグランダの上空で急ブレーキをかけ、赤井を待ち構えていた。


”下にグランダがあるのにその上空で神々のバトルをやりますか……犠牲者が出そうだ”


 赤井は困惑する。


「う、上だああ!!」

「逃げろ――!」


 赤井とブリリアントが真上に来たので、城内に避難していた人々は大慌てだ。

 キララに伝達係の兵士が報告をする。


「スオウ様、ご命令どおり邪神の使いが持参した薬花を病人に飲ませたのですが……」

「どうなった!?」

「そ、それが信じられないことに! 痛みが和らいだと申しております」


 クリーム色の薬花には消炎鎮痛効果があった。

 即効したのは、ロイが神通力を含ませたからだ。

 神通力を込めることによって、さらに炎症症状を緩和させることができている。

 兵士が指差す先には、クリーム色の薬花を配るメグの姿があった。

 メグの周りには人垣ができ、われ先に薬花を手に入れようと小競り合いが起きている。

 花を受け取り苦痛が和らいだ人々はメグに懇ろに礼を述べている。


「本当にありがとうございました!」

「もう苦しくないのです! 天空神さまでも癒せなかったものが!」


 メグの手でグランダに齎された薬の効果は、病苦に喘ぐ人々によってただちに確かめられた。


『その女を、民を惑わす邪神の使いを殺せ』


 ブリリアントは突然、彼らにメグを殺せと命じた。

 メグの周囲に群がっていた民衆は互いに顔を見合わせたが、幸い、命令に従う者はいない。

 メグは彼らの恩人である。

 恩人を手にかけられはしない。

 大勢に囲まれたメグは周囲の素民の顔を見渡すと、何か意を決するように小さくひとつ頷き、凛とした表情でブリリアントを見上げた。

 黒衣のグランダの民の中に、紫と黄色のストライプの少女。

 隠れたとしても目立つが、彼女は逃げも隠れもしない。


「私は邪神の使いなんかじゃない……あかいかみさまは、邪神なんかじゃないもん!」


 いつになく強い口調で、メグはきっぱりと言い放った。

 内気で泣き虫で、自己主張の苦手だったメグだ。

 しかし赤井の汚名を濯ぐため、声を張って精一杯弁護をする。

 ブリリアントに楯突くことによって、身に危険が及ぶことも省みず。

 赤井は彼女の勇気に感動していた。


「その女性の言う通りだ! 天空神ギメノグレアヌス」


 メグを庇うように、一人の男性がメグの前に立つ。ナオの父だった。

 グランダの民が天空神に物申すのは憚られるのか、声は勇ましくとも、手がブルブルと震えている。

 それでも父は勇気を振り絞り、思いのたけをブリリアントにぶつける。


「赤い神様は満身創痍であらせながらも妻を救ってくださった、異国から来たこの若い二人もそうだ。スオウ様もあなたを信じてずっと従ってきた。私たちもだ。なのに、あなたはスオウ様に死を命じ……そしてグランダの民には死して永遠の命を? ふざけるな! 私はもうあなたを信じない!」


 大きく息を吸って、一気呵成に言葉を続ける。


「私たちが生きたいのは、来世ではなく現世だ! グランダに死をもたらすあなたこそが邪神ではないか!」


 苦しみぬいた彼という一人の民の、魂の咆哮。

 言い切って肩で息をしている、口が過ぎたのは承知のうえだ。

 それでも彼は面と向かって天空神を謗った。当然、報復を受ける事も覚悟のうえで。


『邪神の毒気が全身に回ってしまったようだな。哀れな男よ』


 ブリリアントは冷たくそう言うと、ナオの父にすっと指先を向けた。


『危ない! 逃げて!』


 赤井が急降下し、ロイが上空に結界を張ろうとした頃には既に手遅れだった。

 上空から炎の矢で、ナオの父の右胸をストンと射た。

 何の躊躇もなく。


「あ……赤い神様は私たちの信頼に”報いて”下さった、しかしこれがあなたの”報い”なのか」


 黒い貫頭衣の裏から鮮血が勢いよく飛び散る。

 捨て台詞を吐きながら、ナオの父はよろけてぐらりと崩れる。

 炎の矢が彼の体を貫通し右肺を貫いたのを、赤井は確かに見ていた。

 神眼はストロボ写真のように、起こった出来事の一部始終を克明に捉えている。


「お父さああん――!」


 ナオの悲鳴。赤井は民衆の中にふわりと降り立ち、地に沈もうとしていた彼を優しく抱きとめる。

 肺に穴をあけられ、右胸に耳を当てるとヒューヒューと聞こえる。

 直径三センチぐらいの穴だ。左肺があるので直ちに呼吸困難にはならないが、


「ぐああああっ!」


 絶叫を間近に聞きつつ、ナオの父の貫頭衣を剥ぎ取り、赤井は直ちに応急処置を開始。


「あかいかみさま! これを使ってっ!」


 メグが木綿の赤い小袋を赤井に渡す。赤い巾着の中に入っていたのは……赤い薬花。痛み止めだ。


『助かります、メグさん』


 ナオの父に赤い花を噛ませると痛みが和らいで大人しくなり、治療がしやすくなった。

 傷口はやはり右肺を貫通している。ブリリアントは彼を殺すつもりなら左胸を射ているので、殺すつもりはないのだろう。

 肺に穴が開き外の空気に曝された状態を気胸ききょうという、肺の内部は外気圧より低いので、肺の中に空気が吸い込まれる。

 気胸になると息苦しくてたまらないが、まだ左肺は機能している。

 赤井は神通力を癒しの力に変換し、まず彼の背の創傷を閉じる。


『息を止めて!』


 赤井は右胸の傷口に口づけをし、思い切り傷口から肺の中の空気や血液を吸い出すと同時に治癒術をかける。感染症予防のために口の中を消毒したいが、神様は穢れないらしいから多分清潔だと思うことにした。

 治療方法が間違っているかもしれないが、胸腔きょうくうドレナージのつもりだった。

 清潔な医療用チューブとかでゆっくりと肺の空気抜かなければならないが、そうも言ってはいられない。

 治癒術によって傷口が塞がるにつれ、父の息の音は何とか元に戻った。


 赤井が地に血を吐き捨てた頃には、大きなどよめきが起こっていた。


「奇跡だ……邪神が男を癒したぞ……」

「絶対に助からぬと思ったが、蘇らせたぞ!」

「邪神が我らを救ってくれるのか」


 ざわざわとざわめく民衆たちの声が聞こえていた。

 戸惑いと、そして大きな期待が赤井に吸い寄せられるように集まってくる。

 一粒ずつの、ほんの僅かな水滴が集まるように。

 やがてそれらは大きなうねりとなって!


「あ、ああ赤の神様、こんなとるに足らぬ私のために。ゴホ、ゴホッ」

『ああっ、まだ喋ってはいけませんよ』

「この方は、邪神ではなかったのかもしれない」


 誰かがぽつりとそう言った。


「そうだ、そうだ!」


 奇跡を目撃したグランダの民から寄せられはじめた熱い思いを、赤井は肌で感じ取っていた。

 力が漲ってくる。

 その力の正体は、生への渇望とも言うべきか。

 インフォメーションボードを見ると、ブリリアントの有効信徒数が少しずつ流れ込んでくる。

 赤井のいた現実世界には寿命などあってないようなもので、死んでも記憶だけでアガルタに入れるため、命を惜しむということを知らなかった。

 赤井も何となく人生を消費していた。

 生きているか死んでいるかも分からないような顔をして。

 しかしアガルタでの出会いは一期一会、どんな別れも辛い。

 この仕事に就いて得た糧は、現実世界では絶対に得られない、と赤井は思う。

 等身大の命を燃やし尽くそうとしている、素民の姿が眩い。


 よって必然的に。

 静かなる造反は起こっていた。


 ブリリアントの非情さが引き立ち、効果的な演出になったからだ。

 それは完璧な、ブリリアントの悪役としての計算だった。

 ブリリアントはわざとグランダの民を攻撃し、手持ちの有効信徒を削っている。

 それは最も手っ取り早く、そして強い信頼がある状態で赤井に信徒を引き継ぐ方法でもある。

 実際に、邪神からグランダを救ってくれと、祈るような気持ちでグランダの民が赤井に信頼を預け始めている。


”先輩……極悪だけどいい人すぎる。何から何までありがとうございます”


 心の中で感謝していると、ブリリアントは。


”なあに。ログアウト(旅立ち)には身軽なほうがいいのさ”


 ――どこまでも渋い男だった。

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