第1話 Ten years prisoner◆
まさしく21世紀初頭まで、不老長寿といえば有史以来の人類の夢だった。
時の権力者が求め、人々が憧れ、欲してきた。
今世紀に入り、医療技術の発展は人類の健康寿命の飛躍的な伸長に寄与し、不老不死の夢を実現した。人は多少のことでは死ななくなり、あらゆる病気がコンビニで販売されている万能薬で治癒する。病気とは無縁であるばかりか老衰すらも難しい。死が困難な世界となった。
寿命の伸長による人類不死化は、深刻な二つの問題を社会に投じた。
一つは資源の問題。
大陸と海洋、空と宙、太陽系を覆わんとする科学力を以てして、あらゆる場所に人類居住区が建設された現代でもなお、人は地球を最適の居場所とさだめる生物である。
不死化によって爆発する人口は、あらゆる環境資源を枯渇させた。
いま一つは精神福祉の問題。
終わりなき生を、限られた環境の中でどのように心豊かに生きるか。
それらの問題への理想的解決策の一つが、各国参加型の仮想死後世界、アガルタの構築であった。
アガルタの語源は、地球の中心に存在するという伝説上の理想郷をコンセプトとする。
日本においてはその仮想死後世界アガルタを拡充させ、仮想世界住民に奉仕する厚生労働省所管のスーパー公務員が存在した。
仮想天国の創造者、構築士。
その一人が、彼だ。
***Heavens Under Construction 第1章***
桜舞い散る四月一日。
新品のスーツにネクタイを締めた一人の青年が、期待と不安に胸を膨らませ、厚生労働省に初登省をしていた。
彼は仮想の天国を創造する”構築士”として採用されたばかりの新人だ。構築士は最難関国家資格であり、通称ヘヴンズ・コンストラクター(天国の構築士)と呼ばれている。
構築士の受験倍率は年々増え続け約二十万倍にものぼり、最難関たる甲種一級の今年度の最終試験突破者はわずかに三名だった。
構築士としての任務初日を迎える彼は、ことのほか緊張していた。
厚労省職員、そして構築士としての採用など、彼の経歴からすれば不釣合いで、周囲がエリートの中で気おくれしたのだ。建て替えられたばかりの厚労省の超高層ビルの新庁舎は非常に立派に見え圧倒される。
人という字を指で書いて飲み込んだ後、恐る恐る省内に入ると、職員に拍手と共に迎えられた。
値段の張りそうな花束を贈呈された後、別室に通される。
控室の椅子には不自然に目出し帽とサングラスとともに、着用の指示があった。
「かぶりもの? 厚労省で?」
厚労省が新人は余興や一芸をしろという無茶を要求するのかと驚きつつ、事前に言って欲しかったと焦っていたところ、間もなく認証式の運びとなる。
構築士認証式は大臣室で執り行われた。彼は結局、目出し帽にサングラス姿で出席する。
目出し帽にサングラスの人間は大臣室に他に二人もいた。
他の今年度新規採用者、つまり同期たちだ。
客観的に見れば何と滑稽な三人組。
彼は赤い目出し帽。他には、白と青がいた。
白い目出し帽をかぶったベージュのスーツを着たスタイルのよい女性は、待遇に不満があるのか、愛想笑いをしつつ時折口がへの字に曲がっている。
青い帽子の青年は高身長で、大臣の前でも構わず終始貧乏ゆすりをしていた。
にしても……赤、白、青と三人も目出し帽が揃ってはだめだろう、と青年は閉口する。
世界一ダサいヒーロー戦隊か、それ以下だ。
そんなふざけた恰好であっても、彼が緊張しながら大臣から受け取った認証証を見るに、彼はアガルタ第二十七管区担当。
白は二十八管区、青は二十九管区とあいなった。
「君たちには大いに期待していますよ。溢れる若き情熱で素晴らしい死後世界を創ってくださいね」
形ばかりの激励の言葉を新人たちに送り、白髪の老大臣は次のスケジュールに追われて慌ただしく大臣室を退出していった。
「…………」
部屋に残された目出し帽姿のトリオ。
であっても、同期は同期。
後で夕食を共にしながら親睦を深めることにしようか、などと呑気に構えていた赤目出し帽の青年の大好物は、モンジャ焼きである。
彼の脳裏には月島あたりのモンジャ焼き屋のマップが広がっていた。
「入省おめでとうございます。私は構築士補佐官の西園 沙織と申します」
ほどなく、大臣の隣に控えていた女性担当官のブリーフィングが始まった。
小柄な彼女は黒縁メガネに髪の毛をおだんごにしてまとめ、切れ長のエキゾチックな瞳をしている。黒スーツで隙がなく気が強そうでありながら女鬼教官の雰囲気もあり、キツそうな雰囲気に赤い青年は惹かれた。西園担当官は、芯が強そうな透き通った声をしていた。
「さて、あなた方はこれから仮想死後世界アガルタの構築士として勤務していただきます。初日ではありますが、実地でのトレーニングをすぐに開始いたします。トレーニングにあたり重要な注意点があります。送付したパンフレットにも記載のあったように、構築士は任期中、仮想世界の中でも絶対に本名を名乗ってはなりません」
パンフレットとは、予め自宅に届いていた資料「構築士の心構え」のことを指すのだろう。構築士とは仮想世界アガルタを構築し、人々の望む天国を具現化するという仕事だ。新任の彼らはベータ版の仮想世界開発を期待されている。構築士の任期はわずか十年で、任を終えると定年退職となる。
驚くべきことに構築士の年収は、現代日本の平均年収のおよそ百倍。
年収四億で十年の、四十億。破格の待遇の理由はまだ明らかにされていない。
構築士には厳しい遵守事項があるようだ。
独身寮で、家族や恋人、友人など外部とは完全に連絡を絶たなければならない。
肉親の訃報があってもだ。とはいえ神奈川に住む青年の両親は健在で、大阪の弟にも事情を説明してきたため、その点問題なかった。
ということは同期三人組で自己紹介も連絡先の交換もできないのかと、赤い青年が戸惑っていると
「何故だか分かりますか、赤井さん」
西園担当官は彼をそう呼んだ。赤い目出し帽だからだろう。
「いえ、存じません」
「構築士は命の危険を伴います。そこで今年度より構築士の身元を明かさないことになりました」
理由は一切明かされない。
「安全のため、定年退職までご自宅には一日も帰れません。お気の毒ですが十年間、外部とは一切連絡はとれなくなります」
寮と職場に缶詰で誰にも連絡もとらず十年。
青年はあっけにとられたが、パンフレットの記述内容に相違はない。
白井も動揺を隠せない様子で、生唾を飲む。
「辞退は今このタイミングでしか受け付けません。いかがですか、赤井さん」
「大丈夫です」
「白井さん」
「問題ありません」
一人ずつ、同意の意志を確認する西園担当官。
脱落者はなかった。担当官は満足そうに頷くと、表情を引き締めた。
「では始めましょうか。あなた方は一つずつの仮想世界を築く神様となり、死後世界の神様となった構築士は仮想世界から十年間現実世界に出られません」
三者三様に、途方もなく嫌な予感を覚えていた。公務員というからには、九時から五時の勤務と勘違いしていたからだ。仮想世界で精神だけで十年過ごす、などと誰が想像しただろう。
「最終選抜を勝ち残ったあなた方には、飛びぬけた素養があります。心からやりたかった仕事ですよね? では存分にあなたがたの民を幸福にしてあげてください」
屈強そうな黒スーツの男たちに囲まれ、鎮静剤を打たれた後意識を手放した。
真っ暗な装置の中で体中に電極をつけられ、意識と肉体が引き離され、猛烈な吐き気と浮遊感を味わう。
彼らは慣れ親しんだ東京の街とその肉体に別れを告げ、
その日、仮想死後世界 アガルタの囚神となった。
***
【アガルタ第二十七管区 第1日目 居住者10名 信頼率0%】
仮想死後世界アガルタ第二十七管区と思しき場所で彼は一人、意識を取り戻した。
肉体と心を引き剥がされたにも拘わらず、まだ先ほどの吐き気を引き摺っている。
大きな雨粒にしたたかに打たれ、水滴は体を被覆しながら伝い落ちる。
寒かった。五感はリアルで現実世界のそれと変わらなかった。
仮想世界に生まれ落ちた彼は、震える身に鞭打ち腕をついて首をもたげ天を仰ぐ。
襲いくる恐怖とあたり一面の暗闇に、そのまま溶け込んでゆきそうだった。
現実世界にいた頃は社会人天文サークルに所属し、愛用のスコープ越しに夜空の星を見上げるのが趣味だった。東京の夜空は明る過ぎて星が見えず、今は暗すぎて不安になる。
彼は無神経に雨を撒き散らすこの夜空が、宇宙と繋がっていないであろうことに怯えた。
そこはまさにアガルタ27管区。
彼が甲種一級構築士として十年間を過ごす職場であった。
現実世界の身体は植物状態だ。十年後、筋力が衰えて歩けなくならないか。目も見えるんだろうか。さては人生棒にふったか、などと後悔が押し寄せてももう遅かった。
雨脚はスコールのようで、気候は亜熱帯性だ。
全身ずぶ濡れになりながら、見渡す限りに広がる雨夜の草原に佇む。
土壌があり、植物が豊かに生い茂り天があり雨が降る。
世界の土台は既に出来上がっているかに見えた。
『一体、この状態で何すりゃいいんだろ』
天地開闢をすっとばし、既に世界は完成していたのだ。
『誰かいませんか』
返事がないのであてどもなく歩くと手頃で狭い洞窟を見つけ、その夜は濡れた服のまま震えながら泥のようになって寝た。
翌朝。
雨はあがり、洞窟の外に出ると新緑が眩しい。怪訝な顔で太陽と思しき天体を見上げると、現実世界と変わりなくぽかぽかと照りつけてくる。空には東京では見られないコバルトブルーの清澄な大気、雲が浮かび風が渡って長閑だ。草原の向こうに海か湖らしき水面が反射して見えたので、注意深く水平線に目を凝らす。
『あれ? 水平線おかしくないか?』
水平線が平坦に見える。
遠くにある小島まで明瞭に見えるため、彼は違和感を拭えない。
地球なら水平線の向こうに島の一部が沈んで見える筈だからだ。地球上で水平線までの距離を計算すると、観測者から僅か5km未満の距離にあるという計算になる。
『平坦で丸みがない世界? アガルタ世界では万有引力とか物理学はどうなってるんだろ』
彼は疑問を抱えつつ苛立ち紛れにばりばりと髪をかくと、爪の間に毛が挟まる。
何気なく見ると、
『赤っ!』
赤髪の長さは十五センチほどで、現実世界の目だし帽の色そのままの、くすんだワインレッドだった。睫毛も眉毛も抜いたが、みな同じ色。手で顔をまさぐると、彫の深さや鼻の高さは日本人離れしている。
そういえばと客観視すると、彼は裾の長い白いワンピースを着て、肩には長いストールをぐるりと巻いていた。股下はスカートも同然で丈も長く裾を引き摺って歩くので、草原を歩くには邪魔だった。
暫く真面目に歩き続け、草原を抜けるために必要な距離の途方もなさに失望し、次に飛べないかと考え、ふとアガルタでチュートリアルを確認できる機能があったとパンフの記述を思い返す。
指先で空に大き目の長方形を書き四辺を閉じると、ぼうっと指先に沿って青い軌跡が宙に浮かび、白いパネルを映じた。
『おおっ! 何か出た!』
その一、構築士は万能かつ絶大なる力を持つが、自らの為に力は使えない
その二、アガルタ住民が構築士を信頼した場合に限り力が揮える
その三、構築士はアガルタ内では死なず、老いない
その四、民が苦痛を感じれば、構築士は一人あたり三倍の苦痛を感応する
非常に抽象的な説明だ。もっとマニュアル感があってもいいのに。
構築士の独善や独裁を許さず、真に住民の為になるサービスを提供しろということか、と彼は解釈する。ちなみに彼の経歴というと地方国立大学、理学部生物学科出身。
政治経済国際関係、交渉術、話術、まとめて一切苦手分野だった。
色々な意味で途方にくれていると、彼の背後からガサゴソ音が聞こえてきた。
草原をかきわけ人が近づいてくる。子供だ。
彼は絶句した。
草原の下草に隠れているが、少女は一糸纏わぬ状態だ。
日本人のような容貌で、小学生ほどの黒髪の少女だった。
色白の少女は青年を見ると、にぱっと笑ってちぎれんばかりに手を振る。
「おにいちゃんだぁれー?」
彼はその様子に一にも二もなく、彼がワンピースの上から羽織っていた上着を彼女の肩に押しつけるように着せかけた。
『はじめまして。これ、着てくれる?』
「なぁに、これ。いいよいらないよ。おにいちゃん、そんなことよりからだがひかってるよー。きれぇーだねー、それどうやってやるのー?」
どうやら神々しく発光しているらしい。
しかし彼はじゃれついてくる全裸少女に戸惑う。彼女は素民という仮想世界の住民でA.I.だ。開発段階の管区には、基本的に外部からの入居者はいない。少女の名はメグといった。彼はメグに服を着せると、メグはえへへ、と俯いて照れる。
「この、ふくってやつ……とってもあったかい」
ほっこりと息をつく少女が急にいとおしくなって、頭を撫でるとメグはじゃれて抱きついてきた。
以前より腕力がついていることを実感しながら、彼は彼女の体を軽々と抱き上げる。
『メグさん、この服をあなたたちの家族にも着せてあげたいですか?』
「うん、きせてあげたぁい!」
よし今だ、と彼は力任せに心の中で念ずる。彼女は彼に願った。
ルールによると、住民のニーズに応じるというかたちで構築士としての力が使える筈なのだ!
何でもいい。
男女兼用の服、綿素材でいい! 50着ぐらい、と念じる。
祈るような気持ちで彼は手を前に突き出し、力を込める。
どんな決めポーズで力が発揮できるかなど知ったこっちゃない。
メグが期待に目を輝かせ息を飲んだ。
手の上に載っていたのは、一握りの種子だ。オーダーが微妙に違う。
木綿の種といえば栽培するのに二カ月を要する。
「それ、なぁに?」
メグが手の中を覗き込んで綿の種を見た。
どうやら彼が住民から受ける信頼の力が弱すぎて、この程度の力の行使が限度らしい。望んだ現物ではなく材料が出てくる。
種は手の中でコロコロと転がるばかり。
『これは種子ですね。メグさん、もう一度私にお願いしてくれませんか。服をみんなに着せてあげたいと』
「きせてあげたぁーいー!」
綿栽培より手っ取り早く服のできる素材といったら何だ。蚕か。
蚕、千匹ぐらいカモン! と力んだが、掌にはうにょうにょと二匹の蚕が這っていた。
てんで駄目だ。力をつけるには住民たちから信頼されなければ。
その後、彼は居心地の悪い洞窟で寝起きをはじめ、畑を耕しせっせと綿花の栽培に励んだ。
その身はヴァーチャルだからか、疲れも空腹も知らない。
メグは彼を慕って毎日会いに来るようになった。集落の人々から服を羨ましがられたと言って。
「えへ、これおみやげだよ」
未知の果実の種を採取し畑に植え手をかけると数日で芽を出したので、青年は果樹園をひらこうと考えた。作物の安定供給が素民たちとのコミュニケーションとの第一歩だ。
作物が実り始めると、メグに素民たちへの土産として持たせた。
『これはおみやげのお礼のおみやげです』
メグの集落の住民は農作も狩猟も知らないらしい。彼らは主に道具も使わず採集を行っている。
そして第27管区の素民人口は10名だと判明した。10名というと、もはや村ですらない。
そんなある日、チュートリアルの右上画面に刻まれた現実世界への帰還までの日数をカウントダウンするクロックの桁が、10年にしては様子がおかしいことに気付いてしまった。
青年は荷物を取り落とす。
『千年って何……冗談だろ』
これには打ちひしがれていると
「あかいかみさま、はやくみんなにあって」
『そうですね、私も皆さんに会うのは楽しみです』
青年は曖昧に返事をしながら、今日も作物の世話に忙しい。
「ねえかみさま……本当にまっているんだよぅ」
『この綿花が収穫できるまで待ってくださいね』
メグの口調はどことなく切羽詰まっていたのだが、彼はメグが甘えているのだと勘違いをし、彼女からのSOSを真剣に捉えることをしなかった。
その時の彼は予想だにしなかった。
このサインの見落としが、一人の素民の命にかかわる大事件に繋がろうとは。