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HUC外伝1 Awakened intellect pt.2▼

『0というのは1の前の数字で、何もないということです』

 

 俺が子供だったころ。

 神様が俺とメグ、そして皆にも数の数え方を教えてくれた。


 だから俺はゼロというものが何なのかを知っている。

 1の前に数があるなんて、俺はその日は理解ができなかった。物体があるかないか、1か、1じゃない状態。「1の前」という状態に、神様は名前があるのだといった。俺の中にゼロという概念が生まれ、無という概念も同時に生まれた。

 ゼロという数字を使いはじめてから、驚くほど物事は明確に、正しく導きだせるようになっていった。


 同じものを10ずつに束ねて考えると、数が数えやすくなった。

 俺たちは数を知ることによって、長い縄を持ちださなくても、正確に長さと距離をはかることができた。それからというもの、ハクさんは同じ形の家を間違えることなくたくさん建てることができて、皆がそれぞれの家に住んで快適に暮らせるようになった。

 俺たちは神様が教えてくれる数字に着想を得て、皆の間で共通の記号を一つずつ決めていった。記号の組み合わせを土に描いて、簡単な情報のやり取りができるようになった。もっとたくさんの情報をやり取りできるようにしたかったから、神様に数字以外の記号を教えてほしいと言ったけど、神様はほかの記号を教えてはくれなかった。


『私が教えることはたやすいですが、あなたたちが考えることが大切なのです』


 彼はいつもお決まりのようにそう言った。


 全てを知っていたのだろうけれど、彼が教えてくれることは限られていた。

 あの頃、俺たちは皆で食事を分け合って食べていた。

 皆はいつ食事を食べたらいいのか分からなくて、皆がマチとカイに、食事はまだかと何度も聞いて、マチとカイもうんざりしていた。神様は、日が一番高く昇ったときに、食事をすると決めればいいですと言った。


 でも俺たちはいつ、日が高くなってるのか分からない。

 ずっと太陽を見ているわけにもいかない。


 俺は集落の真ん中にカイが立てていた木の杭の下に伸びる影が、一日の間にゆっくりと変化することに気づいた。俺は、影がここに来た時に食事にしたらいいと皆に提案した。俺の案は受け入れられ、皆の食事をいつにすればよいのか分かるようになったから、マチとカイに食事がいつなのか尋ねる者はいなくなった。そして影と光の関係を利用した、皆の間での決まりごとは増えていった。


 その後、メグが神様と一緒に皆が食べるぶんの畑を作り始めた。

 メグはまだ小さかったから、重い水を運ぶのが大変そうだった。彼女は最初は土器に入れて水を運んでいたけれど、何回も運ばないと畑に水がいきわたらない。彼女は途中で、畑の隣を流れている川の水を畑の方に流せばいいんじゃないかって思いついて、神様にそう言っていた。

 神様はすぐにメグの言った通りにしてくれた。木の板で川の水の流れを導いて、メグの畑に送り込んでくれた。メグはたくさん水が流れてきたので、飛びあがって喜んだ。


『あなたが考えたものですから、あなたが名前をつけてください』


 新しいことを発見するたび、発見した人が発見した物事に自分の好きな名前をつけていいと神様は言った。

 本当は、その正しい呼び名を知っているみたいだったけれど。ときどきぽろっと、何か変な言葉を言っていた。例えばメグが神様にお願いして作ってもらった水の通り道、たぶん神様の言葉でいうと「水路」ってやつなんだ。メグは張り切って、ナサラって名前つけてた。

 

 神様は最初からどうすれば全ての物事が最善になるのか知っている。

 でも俺たちが考えることが大切だと思っているようで、全ては教えてくれない。メグは重い水を何回も運ばなくてもよくなったけど、いつも畑に水が流れていると、折角の作物が水浸しになって腐りはじめた。

 メグが困っていたみたいだから、俺は、水路、いやナサラの入り口に仕切りをつければ水の流れを止められるんじゃないかって言ったら、神様は喜んで仕切りを作ってくれた。

 でも彼はこの方法も知ってたんだと思う。わざと知らないふりをして、誰かが気づくのを待っている。


『もう思いついたのですか!』


 彼はそう言って嬉しそうだった。その言葉を聞いたとき、俺はやっぱりそうだったんだと確信したんだ。彼はあらゆることを知っているのに、俺たちが自分で答えを出すのを待っているんだと。だから俺は、神様が自分でやっていることは、それが何であれ全て覚えようとした。


 きっとそれは、俺たちが絶対に考えつかない「最善の答え」で、覚えていれば必ずいつか役に立つものなんだ。それが分かっていたから。

 そうしているうちに、彼から盗んだ俺の知識は、俺が原理を理解できるものも理解できないものも、どんどん膨れ上がっていった。役立つものも、役立たないものもきっとあるけど、俺にはどれが役立つのか分からないから、その時はとにかく彼の知識を盗んで詰め込むだけ詰め込んだ。


 ――そうしておいてよかったと、今では思っている。

 全てを知っていた神様が去って、俺たちの集落にはもう、

 俺に答えを教えてくれる人は誰もいない。


 皆が俺に色んな事を聞くようになって、教えられる側から、教える側に回らなければいけないと分かった。彼が俺にそうしてくれたように、俺は子供たちを集めて俺の知る限りの知識を伝えることにした。情報をやりとりするための記号、神様のいう「文字」を教え、数の概念を教え、作物を育てる方法をメグが教え、建築をハクさんが、測量をバルが、料理を皆が協力して、子供たちに彼らの知りうる限りの知識を伝えはじめた。


 神様。あなたが俺たちに残してくれた知識は、俺たちだけのものなんかじゃない。独り占めにしてはいけないんだ。あなたが教えてくれた全てが、弱い人間である俺たちがこの世界を生き抜くために必要なもの。いつか俺が死んでたとえ神様が帰って来なくても、この集落の皆が生きていけるようにしておかないといけない。

 俺や皆が得た知識は、あなたがいなくても受け継いでゆくべきものなんだ。


 メグは、彼がいなくなる前にもっと彼から学んでおけばよかったと言った。

 皆同じようなことを言っていた。もっと、彼にいろいろと聞いて学んでおけばよかったって。俺は、俺が皆のぶんまで学んでおいたから心配しなくていいと言った。皆は俺にありがとうと言ってくれた。


 しばらくすると、俺が教えている子供たちが、神様のことを忘れられなくて、彼の衣を着ている俺に「祝福してくれ」と言って甘えてくるようになった。俺は嬉しかったけど、俺は神様ではないから断るべきだと思った。

 けれど神様はどんなお願いをしても絶対に断ったことがない。俺はそのことを思い出して、気は進まなかったけれど祝福をしてあげることにした。


 俺の体がくさかったら皆ががっかりすると思った。

 だって神様の体はとてもいいにおいがして、皆がそれを覚えているから。俺もいつもきれいな水で身体を清めるようにして、いいにおいにはできなかったけどせめてにおわなくした。そして子供たちを抱擁してあげるようにした。

 優しく抱いてあげると、俺は彼らに癒しの力を返してあげることができた。かつての神様の何十分の一かでしかないけれど、彼らは癒されたと言って心を落ち着け、それほどひどくない怪我なら癒せるようにもなっていた。皆を癒すと神通力が体から出ていくかと心配していたけど、神通力は祝福をしても減らなかった。

 俺も安心して、子供たちに何度も祝福してあげた。


 俺もメグも、ゼロという概念と、加算減算、乗算に除算、微分に積分、数列に行列の方法を知っている。だから彼が俺に与えてくれた神通力は、絶対に無限のものではないということも知っているんだ。際限なく使えば、水がめの水を使いつくすようにゼロになってしまう。

 俺はできるだけ長く、この大切な力が長持ちするようにするしかない。


 確かに神通力による雷や炎の攻撃はエドを退け、皆を守ることができる。皆は俺の神通力で守ってもらえると思って安心しているみたいだけど、何かあるたびにむやみやたら神通力を使っていると、すぐに使い尽くす。

 エドや他の獣がやってきても、神通力を使わなくても追い払えるようにしないといけない。もっと丈夫な銛やエドと戦うための道具が必要なんだ。

 俺たちが使っている、すぐに壊れる石と木の銛ではなくて。


 俺は、時々神様が皆の幸せを祝うためにくれていた丈夫な「金属」という素材で銛を造ればいいと気付いていた。神様の造った「金属」の鍋や道具は丈夫で、絶対に壊れない。金属の刃を磨くと石の刃より鋭くなり、切れ味がよく何でも切れる。

 でも神様は料理をしたりするための小さな刃や、鍋や小物しかくれなかった。金属を造るための材料が十分にないから大きなものは造れないんだと言っていた。神様の力で少量の金属を出すことはできるけど、もっと大きなものを造るためには、鉱脈を見つけなければいけないって……。


 神様がいなくなってしまう前から、俺も神様も、実はずっと金属の材料となる鉱脈を探していた。

 俺はここにきて鉱脈を見つけることの大事さがよくわかったんだ。そうとなると、俺は毎日山や川、草原を朝日が昇ってから日が暮れるまで歩き回って、神様が言っていた鉱脈を探してまわった。そして何日も何日も探してようやく、赤茶色の岩がたくさんある場所を見つけた。神様が言っていたのは、これかもしれない。

 俺は懐から、束ねた薄い木の皮を取り出し、それを注意深く読んで赤茶色の岩と見比べた。


 色々なことを忘れないように木の皮に記しておいて、本当によかったと思った。

 これを持っていなかったら、俺は色々なことを忘れて、あやふやになって今も分からなくなっていたかもしれない。でもこの木の皮に記された記憶はこれを記したときのまま、ずっと変わらない。俺が覚えていなくても、こいつが覚えてくれている。


 どうして俺がこの木の皮を持っているか。それは神様の言葉を記すためだった。

 俺は以前、神様が神通力を使って金属を造る様子を傍でじっと見ていて、神様が時々砂地に描く不思議な記号を丸暗記しようとしていた。それがこの金属の造り方を記しているのだと、分かっていたから。なぜなら、その記号の羅列の中には+という文字と→という記号を含んでいた。


 そう、加算の+と、方向を示す→なんだ。

 何かと何かを加えると、何かになるという式なんだ。そこまでは俺にもわかっていた。だから数式のように計算して、神様はその金属を間違えることなく造ることができる。結果を予測しながら、彼は金属を造っているんだ。俺は数学は得意だったから、見た目が数学に似ているその式は、読み方と意味さえ分かれば絶対に理解できると思っていた。


 でも神様は、俺がその記号を覚えようとしていることに気づいて、記号が記された砂面をかき混ぜて消してしまった。その文字の読み方を教えてほしいと正直な気持ちを言うと、それはできないと断った。昔からずっと、神様が俺たちに教えてくれることにはかなりの制限がかかっていた。これもその一つなんだ……。

 俺は思い余って、どうして数学は教えてくれたのに他のことは教えてくれないのかと聞くと、物事の真理を教えることはできるけれど、神様が使う文字を人に教えてはいけないからだと言った。


 それを聞いてから二日ぐらい俺は悩んで、あれをどうにかして教えてもらえないかと考えた。

 そして思いついたんだ。


 俺は川辺に佇んで皆が釣りをしているのを見ていた神様の前に勢いよく膝をつくと、砂地にいくつかの新しい記号を描き始めた。神様はそれを少し上の視線からじっと見ていた。俺は考えてきた全部の記号を砂に書いて、何も言わず見守ってくれていた神様を見上げた。神様の赤い瞳がまんまるになっていた。

「人間が使うための記号を考えてきました。神様の文字を使ってはいけないなら、これを使ってことわりを教えてください」


 彼はあっけにとられた顔をしていたけれど、暫くして、わかりましたと言って俺のひらめきを喜んでくれた。

 そして俺が考えてきた記号の周りに、一つずつ、小さなテン・をつけていったんだ。

 最初の記号には一つ、次の記号には二つ……俺は二十個考えてきたから、最後の記号には二十個つけるのかと思ったけど、神様はある一定の数になると、外に点を書き加え始めた。何か規則があるみたいだ。俺はわくわくしてそれを見ていた。規則性が分からないから、数学とは少し違う。


『あなたの考えた記号を元素といい、私がつけたこの点は元素の持つ電子といいます。電子を一つだけ持っているのが、これです』


 彼はすっと最初の記号に指をさす。

 そして、八番目の記号を砂地に描き、一番目の記号を少し下げて、左右に一つずつぶらさげた。


『この組み合わせとこの配置が、あなたがいつも飲んでいる、水を示します』


 俺はまた一つ、世界の真理が彼の口から明らかになってゆくのを感じていた。

 電子の配置や、電子の振る舞い、原子や元素の性質……彼は熱心に俺に教えてくれたけれど、ずっと彼の話を聞いていると、俺はなんだか頭がこんがらがってきた。


 途中からお話が分からなくなりました。

 

 恐る恐る白状すると、神様は砂に書いていた記号をすべてかき混ぜて消した。ああ……何で消してしまったんだ……。俺が落胆していると……。


『ここから先はきっと、今までのようにあなたの頭の中には詰め込めません』


 はっきりとそう言われて、俺はショックだった。教えても無駄だと、見切りをつけられたような……。

 でもそうなのかもしれない。どれだけ背伸びをしてもやっぱり俺は神様のように賢くないし、これほど情報が多いと暗記してずっと記憶をとどめておくことも難しい。理解がついていかないってことなんだ……神様はもう教えてくれないってことなのか。と、うなだれていると。


 神様は俺を励ますように、にっこりとほほ笑んだ。


『これからはあなたの頭の外に、記憶を出すとよいのですよ』


 俺はすぐに彼の意図に気づいて、どうすれば彼の言葉と教えてくれたことを残せるかを考えた。考えて翌日、俺はなめらかな木の皮と、木の皮を傷つけるための小石を持って彼のもとにいった。彼はそれを見て、俺をとてもほめてくれた。

 俺の記憶を外に出して、持ち運ぶことができるようになった。その方法はやがて、皆も真似するようになって、それまで土に描いてすぐ消えていた情報が消えなくなり、皆の間で木の皮のやり取りも始まって情報をお互いに伝え合うことができるようになった。


 最初の木の皮には、その日に学んだ元素周期というものが残された。来る日も来る日も、彼のもとで何枚もの木の皮に、俺は彼から学んだ化学式というものを神様の使う言葉でなく俺たち人間の言葉で刻み続けた。俺は金属を造るために必要な元素、もしくはその性質を丁寧に学び、そして家に戻って木の皮で復習して、やがて少しずつ理解できるようになっていった。


 そのときの経験が生きて、神様が言っていた鉱脈がどんなものか。

 そこにあるものが何なのか、俺は大まかな見当をつけられる。緊張しながら手で触ると、手に色とにおいがつく。これは俺の手の脂と金属が反応してできる、独特のにおい。俺はこのにおいを知っている。神様が一番欲しがっていた金属の原材料なんだ。


 ゆっくりと天を仰いだ。

 神様。この恵みを感謝します。


 これは俺が二十六番目に考えた記号を含む遷移元素で、熱をかけて融けはじめる温度が普通の元素より高い。赤茶色になっているのは、八番目の元素と強く結びついているから。炎で熱をかけ、八番目の元素をはがしてこれを溶かし不純物を取り除けば、原子番号二十六番の金属が得られるはずなんだ。


 この金属原子は立方体形の構造をとる。溶かした直後はきっと構造的に隙間だらけだろうけど、結晶体の空隙をなくすことによって、強度が得られるんだ。

 熱をかけたあとに叩いたりして圧力をかけてもいい、それだと低温ですむ。もう一度高温の熱をかけて追い出してもいい、とにかく結合間の空隙を外に追い出せばいいんだ。俺は集落の男たちを呼んで、赤茶色の鉱物を皆で少しずつ運んで集落に帰った。皆、何に使うんだろうといって首をかしげていたけど、とにかく運んでくれと俺は運んでもらった。


 俺は集落の外に岩を集めて組み合わせ、赤茶色の金属のもとを溶かすための炉を造った。高い温度をかけて溶かさなければいけない。俺の神通力の炎の温度は、木を燃やして立ち上る炎のそれよりも高いはずだ。金属を造るときに、何故神通力の炎を使うのかと俺が尋ねると、神様はそう言っていた。神通力を使えば、とにかく高熱がかけられる。そして風を起こして新鮮な空気を送り続ければ、八番の元素を媒介として燃焼は続くはずだ。

 どうしたらいい、これは神通力の無駄遣いにならないか。

 木材を燃やした方が節約になるんじゃないか。


 俺はそうも思ったが、神様が木を燃やさず神通力で炎を起こしていたので、やっぱり最初は彼の真似をしてみることにした。それが最善の答えだと知っているから。

 皆がぞろぞろと集まってきて、何をするのかと炉のまわりを囲んだ。

 俺は神通力を込めて炎を起こし、燃え盛る炎を炉の中に入れ、鉱石をあぶる。


 もうもうと煙が上がり、そして煙は天高く立ち上ってゆく。

 メグが眩しそうに空を仰いで、あかいかみさまに届いているかなと言っていた。

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