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HUC外伝1 Awakened intellect pt.1▼

外伝3話挟みます、このパートだけ、他者一人称になります。

本編と話が繋がっていますので、読み飛ばし非推奨です。

古代人の一人称なので若干たどたどしい表現がありますがそれはわざとですのでご了承ください。

3話後に赤井一人称に戻ります。

 俺たちは生まれてからずっと、

 生きることに必死だった。


 少しでも気を抜けば、死の足音が近づいてくる気がする。

 メグが果物を捜す道すがら、草原で見つけた赤の青年。

 彼に出会うまでは――。


 あの日、メグが白い衣を纏って帰ってきた……俺たちが見たこともない、温かくて白い衣を着て。皆、目を見張った。その日からというものメグは彼のもとに通い、必ず食糧となる果物を持って帰ってきた。俺たちはメグの果物を皆で分けて、あとは自分たちでとってきたそれぞれの果物で、空腹をこらえて食いつないでいた。

 メグが急に、彼を「あかいかみさま」だと言いだした。

 彼はもうすぐ俺たちを助けてくれると言っている、って。


 俺たちは「あかいかみさま」と早く会いたいとメグに言ったけれど、姿を見せなかった。そして結局……苦しみ抜いて死んだナズを助けてくれなかった。

 ナズが死んだ日に、彼はようやく姿を見せた。


 ……俺たちは頭にきていたから、バルは彼を何度も殴ったけど、殴っても俺たちはナズのようになって死ぬんだと分かっていた。俺も彼のことが憎かったけれど、彼と話をしなければと声をかけた。


 話を聞いたら……彼がナズの苦しみを代わりに受けていたと分かった。彼は皆の苦しみを吸収して癒してくれるんだそうだ。彼はナズが死んだ原因がはっきりと分かっていて、どうすれば俺たちが死なないかを知っていた。そして、今度は約束通り俺たちを救ってくれた。

 彼は本物の神様だった、皆がそう信じた。


 それが最初の出会いだ。


 彼と出会ってより、彼は離れず傍にいて俺たちを守ってくれている。彼は信頼の力を神通力に変え俺たちを救い、俺たちの苦痛もその身に受ける。辛い時もいつも身代わりになってくれる。


 彼は呆れるほどお人好しで、だれひとり分け隔てなく優しく、愛情深い神様だ。

 俺は彼より優しく、そして強い人間を、一人も知らない。

 そして皆は誤解してるみたいだけど、彼の本当の名前はきっとアカイ、神様が使う文字でいうと「赤井」って書くみたいだ。名前はちゃんと呼んであげなきゃな、間違っていたら気の毒だ。


 俺とメグは日々、朝から晩まで彼に学んだ。


 日々の労働と比べたら、学ぶことは楽しかった。メグは時々甘えてサボっていたけれど、俺は彼の全ての智を学ぼうとして、くらいついて学んだ。彼が俺に教えてくれることのほかに、彼が実際にやっていることも何とか覚えようとした。彼は何でも知っていて、何でもできる。彼は時々俺たちの知らない文字を書くけれど、あそこに多分、この世界の本質が書かれている。隠れて解読して俺も実際に使おうとしてたら、警戒されてしまった。神様の力の秘密を知られたくないのか。


 彼はまた、時々独り言をよく言った。

 俺たちには見えないけれど、誰かと話しているみたいだった。


 彼が皆に目を配ってあらゆることを教えてくれたおかげで、集落には家が建ち、畑ができ、大きな動物が獲れるようになり、火が使えるようになって、次々と人が流れ着き、赤子も増えてゆく。俺もメグもカイも成長して、暮らしは楽になり安全になり、そしてあまり誰も死ななくなった。


 その代わり、彼はずっと眠らず休まず働き通していた。彼は疲れないから、ずっと働いている。俺たちは少しずつ成長しても、彼は同じ姿のまま変わらない。同じ洞窟に住み、休む間もなく働いて力を蓄えて、俺たちを守ってくれている。


 彼は集落の男の誰より背が高く、赤い髪と瞳をして身体が暗闇で見ると輝いている。誰もが見とれてしまうほどきれいだ。俺も皆も彼のことが大好きだ。一人一人に言葉をかけてくれて、声は人間のそれとは違う、頭の中にじわりと響いてくる感じ。


 誰かが傷ついたり不安になったら、抱擁して俺たちを癒してくれる。俺もメグも彼の癒しを受けると元気になる。白くなめらかな長い衣を纏い、やはり白い布を肩に巻いて、裾を引き摺って歩く。俺は一回彼を怒らせたくてよく裾を踏んだけれど、彼は結局一度も怒らなかった。

 

 神様はずっと同じ姿だったけれど、皆の信頼の力に支えられて強くなっていった。強くなった力は自分のために使わず、畑に雨を降らせたり、火災を鎮めたり、川の流れを止め、病を癒し……俺たちの為に全て還してくれた。彼はずっと、俺たちのことばかり考えてくれている。


 神様は不変にして、永遠なるもの。でも彼はどこから来て、そしてどこへ行くんだろう? 

 彼の真意を知りたくて何度も問答を重ねたけれど、彼の心を知ることはできなかった。

 そして、何の目的で俺たちを守り続けてくれるのかということも。


 彼の心など何一つわからないまま、俺とメグは大人になった。

 神様は変わらない。

 月が丸く明るくてきれいだった夜、初めて彼と出会った草原で神様と夜空を見上げた。


 空には無数の星が瞬いていて、神様は懐かしそうに星を見上げた。彼は空から来たんだと言った。空に帰りたかったのかな。

 あの星が何故輝くのか、太陽と月がどうして空にあるのか、その時彼に色々と尋ねても、どうしても教えてくれなかった。星空の果てには何があるのだろうといつも不思議だった。俺は地上のことで彼が教えてくれたことはほぼ学び終えつつあったけれども、そらのことはわからない。 

 彼は全てを知っているようだった。


 ふと不安になって、俺たちはいつか歳をとって死んでいくのかと、神様に尋ねた。彼は、「人は必ず死ぬものです」と真摯に答えた。死んだら俺たちはどこに行き、あなたはどこから来てどこへ行くのかと尋ねると、それは私にも分からないと、寂しそうに笑った。


 その代わり俺たちが死んで身体はなくなっても魂はいつか巡って、また会えるかもしれないと言っていた。死んでも終わりじゃないのか。俺たちは生まれたときから死ぬことに怯え続けていたけれど、それを聞いてあまり怖くなくなった。


 あなたはこの世界を創ったのか、と尋ねると、

 私はこれから世界を創り上げようとしているのです、と月を見ながら穏やかな口調で答えた。

 彼はそのために、ここにいるんだ。

 ようやく、彼が俺たちと一緒にいてくれる理由がわかった。


 俺はもともと身寄りがない。

 バルは俺を自分の子供のように思ってくれたみたいだけど、どうしても遠慮はある。だから俺は神様を本当の親のように思っていたし、神様もそう思っていいと言ってくれた。バルの家族と一緒に住み続けるのは悪いから、大人になると自立しようと思って自分の家を建てた。一人だから、神様と一緒に暮らせるように大きな家を建てたけど、彼はどうしてか洞窟で暮らすと断わった。あんな居心地の悪く、冷たくて暗い洞窟で暮らすって……。


 俺も孤独だけど、神様はもっと孤独だ。

 いつか彼が疲れてしまわないか。

 

 人が多くなって、彼はますます力をつけた。皆も彼のことが大好きだから彼を見境なく追いかけまわす。彼は相変わらず誰にも優しかったけど、四百人もの人全員を抱擁することに疲れているみたいだった。骨も何回か折られたみたいだ、そんなことするなんて信じられない。どうして彼を傷つけるんだ。そしてどうして彼は我慢して耐えているのかな。

 彼が辛いなら、俺は別に祝福をやってもらわなくてもいい。

 そう思って行かなかったら、俺が行かなくても、わざわざ俺の家に来てやってくれた。俺は嬉しかった。


 メグは神様と一番仲がよかったので、皆がやっかんでメグをいじめていた。

 俺はできるだけ腕力にものをいわせてメグを守ってあげてたけど、神様はそのことで悩んでいるみたいだった。

 

 そして今日、遂に神様は洞窟の中から出てこられなかった。夜になっても洞窟は静まりかえっている。俺は彼が洞窟に張っている結界を抜けられる。皆が心配そうに洞窟の前で待っていた。俺は皆に、もう神様を追いかけまわすのはやめてくれ、彼だって疲れるだろう! と本音をぶつけた。皆反省してしゅんとして、わかったと言った。俺が様子を見て出てくるまで、皆は洞窟の前で待ってるつもりだと言ったけど俺は無理やり皆を家に帰した。


 結界を破り、冷たい洞窟に入った。

 神様の住む洞窟は、それほど広くはない。内部には水脈があって、乾いたなめらかな大きな岩が連なっていた。中に明りはなく暗いけど、彼の体は輝いているので彼は別に火をひつようとしない。彼は寝ないし食べないから、寝床や食器、生活用品なんて洞窟の中にはなかった。彼は自分の白い衣以外には何一つ自分のものを持っていない。冷たい石の上に敷物もしかず座って、夜はいつも洞窟で皆のために仕事をしてくれている。どうして自分のことは考えず、俺たちのことばかり考えてくれるんだろう。


 俺は火を持って踏み入ってゆくと、神様はこちらに背中を見せて座っている。いつもは仕事をしているけど、今日は手を動かしていない。いつになく真剣な考えごとをしてるみたいだ。皆やメグのことで悩んでいるのかな。

 俺は持ってきた火をそこに置いて、彼を呼んだ。俺の声に気づいて立ち上がった彼はいつになく悲しそうだ。


『ロイさん、大事なお話があります』

 

 俺はその、大事な話というのがあまりよくないものだと気づいた。彼は洞窟に一日こもって何を考えたのだろう、俺は彼から色々学んだけど、どれだけ学んでも彼の頭脳には追いつかない。そして俺は彼のように強くなりたくて色々やって自分を鍛えてきたけど、やっぱり彼の強さにはかなわない。人間の俺なんかに、神様である彼の心は知れないんだ。


 俺は彼のもとに寄り膝をつく。普通に立って話を聞いてもいいんだろうし彼もそうしていいって言ってくれたこともあるけど、俺が彼をどれだけ尊敬して慕っているか分かってほしくて跪くんだ。人間が神様の話を聞くときは、同じ目線ではいけない。俺たちは出会ったときから対等ではないから。

 なぜなら彼はこの世界を創り上げようとしている神様で、俺たちはただ彼の意思によって生かされているにすぎない。彼は決して驕らないけど、本当は偉大な存在なんだ。だから尊敬している。


『私は近いうち、この場所を去ろうと思うのです』


 俺の中で、最も恐れていたことが起こった。

 そんな……ずっと一緒にいてくれるって思っていた。彼の負担は大きかったんだ。彼の身体はいくら不死身だといっても、心まで疲れないわけがない。神様は遂にこの集落を去ると決意した。


 神様の決意を、たぶん人間には止められない。

 俺は立ち上がって彼にすがりついた。絶対に離すものか、彼の力にはかなわないとわかっていても、呆れられて気が変わるまでしがみついてやる。そう思って。

 俺は無意識に、そして力任せに彼の腕をつかんでいた。俺の力が強いことを、神様は喜んでくれた。


『……ロイさん、あなたは強く逞しい青年となりましたね』


 どんなに彼に近づこうとしても、俺は彼にはかなわない。その思いを素直に彼に伝えると、彼は困ったような顔つきをして俺を抱擁してくれた。彼の抱擁は昔から温かくて心地がいい、彼の神体はよい香りがして清らかだ。肉体労働をして汗と泥にまみれた俺は汚れていて汗の臭いがするかもしれないけれど、少しも嫌がらずに抱いてくれる。どんなときでも抱きしめて俺たちの不安をぬぐい去ってくれる、それが彼の癒しの力なんだ。そして俺は直接、彼に信頼の力を返す。いつもどおりに。


 俺はいつもは祝福されると嬉しくなるけど……、嬉しいけど今日は嬉しくない。

 これが俺に与える、彼からの最後の祝福になるんだろうか。そのつもりなんだ。

 いやだ、そんなのは絶対にいやだ……。もう皆に気を遣わなくていいから、俺は一生祝福されなくても我慢するから、お願いだからここにいてほしいんだ。


 あなたがいるだけで、俺たちは生きて行ける。

 あなたがいないと、俺たちはきっと生きていけない。

 神様、どうか俺たち人間を見捨てないでくれ。


『ナズさんが亡くなった日。あなたは私を殴ろうとして、拳を振り上げたけれど……私を殴らなかった。あなたは憎き相手を前にしても、どんな極限状況でも、振り上げた拳を下ろすことができる賢き人間です』


 俺は首を横に振りながら、彼の顔を見つめる。人間のそれではない、赤い髪と瞳が至近距離で見上げるときれいだ。しかしあなたは間違っている。俺が彼を殴らなかったのは賢かったからじゃない。あなたは頬を差し出したけれど、俺は怯えてあなたを殴れなかった。


 買いかぶりすぎだ。俺はそんなに賢い人間じゃない。


『そのときと同じように』


 そして俺の全身に、かつて経験したことのない苦痛が襲いかかった。この苦痛はどこからきている。俺はすぐに、彼がこの激痛を俺の体に流し込んで与えているのだと気付いた。耐えられず、情けない悲鳴が俺の口から漏れる。

 助けてくれ、神様。

 どうしてこんなことをするんだ、俺が何かあなたの御心にそむくようなことをしたというのか。俺はずっとあなたに従ってきた、あなたの意に沿うように。

 何か理由があるならすぐに教えてくれ、理由もなしには耐えられない。

 

 一度苦痛が緩んだかと思えば、さらにたえがたい苦痛が流し込まれる。最初と比べ、段々と時間が長く大きなものになってゆく。段階的に、痛みに俺の体を慣らしているんだ、もう俺の意識はなくなりそうだ。気絶すればいいのに、彼が何かしているのか気絶することもできない。


『……痛いのは分かっています』


 彼は厳しくそう言い、なおも俺の体を離してくれない。

 何故こんなに痛いことをするんだ。何が慈悲深い神様だったあなたをそうさせている、彼の口調は感情的ではないけれど、きっともう正気ではない。色々なことがありすぎて、狂ってしまったんだ……。ああ、どうして俺たちは気づいてあげなかったんだろう。不死身だけど彼の心はもう、ボロボロだったんだ。だからこんなに狂ってしまった。俺たちのせいで。


 もがいてももがいても、人間の力では神様の腕力にはかなわない。

 ずっと忘れかけていた、死の恐怖がよみがえった。

 俺の周囲には彼の力の迸りが見える。神通力の全てが俺の中に苦痛として流れてくる。神様の力を直に受けて、人間がたえられるわけがない。俺の視界が真っ白になり意識が遠のきそうになったとき、彼は遂に手を止めた。俺の様子を、見ていたのか……。


 永遠にも続くかと思われた苦痛は終わり……静寂が洞窟の中に戻った。

 本当に長い時間だった。随分苦しめられていた気がする。目の前が白くなって、視界が戻らなくて何も見えない。俺は彼の腕で抱きかかえられ、岩肌に横たえられる。これから何をされるのか、俺は恐怖で身を竦める。彼と二人きりで、怖いなんて思ったことがなかった。俺は過去の思い出にしがみつく。あの日、一緒に星空を見上げた、優しかった神様、あの彼はどこに行ってしまったのだろう。


『……ロイさん、聞こえますか。よく耐えてくれました』


 彼の声はよく聞こえている。

 彼はおもむろに、俺の頭を撫でてくれていた。今度は強い癒しの力を込めて……。何故、傷つけたあとに癒すんだ。あなたの心がわからない。視力が戻ってくる……目の前には神様の顔があって、彼は今まで見たことのないほど辛そうな顔をしていた。神様は俺を苦しめて、何がしたかったんだ。


『………今日をもって、彼らを』

 

 彼は……俺に何か言っているが、一体何を言っているんだ?

 理解がついていかない。すごく大事な話をしてくれてるような気がするのに、頭がそれを拒否している。


『あなたの手に委ねます』


 俺は彼の言葉を聞きながら、その言葉から逃れるように眠りへと落ちていた。


 意識が戻った。


 目を覚ますと、暗闇の中に光の筋がもれている。俺が持ってきていた火は消え……ああ、朝になってしまったんだ。はっとして起き上がろうとすると、俺の上半身には神様がいつも肩にかけて巻いている衣が、しっかりと俺の体に何重にも巻きつけられて着せられていた。俺は嫌な予感がして彼の衣を着たまま、不安で胸をいっぱいにしながら洞窟の中に彼の姿を捜した。もぬけのからだ。もともと荷物なんてひとつもなかったけど、彼はここにはいない。


 皆が呼びとめて俺の話を聞こうとしたけど、俺はそれどころじゃない。集落じゅうを駆けまわって、集落の外も畑も、全部くまなく彼を捜してまわった。どれだけ走り続けても、俺の息はあがらなかった、疲れもしなかった。身体が軽くなっている気がする。それを不思議に思う余裕すらもなかった。

 陽が高くなって昼を過ぎた頃には皆も異変を察して、ざわざわと集落の中心に集まり始めた。

 神様がいなくなったと聞いた皆は、ショックを受けてて立ち直れなかった。


 話を聞いただけで気絶してしまった人もいた。

 集落全員、大人から子供まで、四百人での大捜索を行ったが、誰も神様を見つけることはできなかった。


 刻一刻、夕暮れは近づいてくる。

 陽が落ちてしまえば、今日は月も出ないから視界が悪くなって草原で方向感覚を失って迷う。俺はもっと草原の果てまで捜したかった、追いつくとは思わないけれど、今追いかけなければ彼はどんどん遠ざかってゆく。もう陽は落ちて真っ暗になっていたけれど、メグは泣きながら走って草原に捜しに行こうとした。


 俺も一緒に行こうとして、あることに気づいてそれを止めた。


 たとえ草原の果てまで探しに行ったとしても、それは無駄だということに気付いたからだ。夜の草原には、群れを成して襲ってくる肉食の獣、エドがいる。いつもは集落と草原全体に神様の神通力が及んでいたからエドの群れは遠ざけられていたけれど、俺はエドの遠吠えをすぐ近くにきいた。それに神様は空を飛べる。人間の足で追いつくはずがないんだ。


「メグ、やめよう。エドの群れがすぐ近くにいる。それにエドがいるってことは、神様はもう近くにはいない」

「あかいかみさま、どこに行ったの……ロイ。明日にはかえってくるかな?」


 メグ、お前はそう言うけど、お前にも分かっているはずだ。

 彼は本当に、もう本当に遠くへ行ってしまわれたんだよ。

 俺たちを置いて行ってしまわれたんだ……。


「ロイ、その服、あかいかみさまの」


 俺が着ている彼の衣は、淡く白い光をたたえていた。それが心強くもあり、かえって切なくもある。メグは色んな感情がこみ上げてきたみたいで、顔をくしゃくしゃにすると、俺に抱きついてきてわんわん泣いた。

 ごめんな、メグ。

 俺はこれを着ていても、お前の大好きな神様じゃない。でもこれを俺は神様に着せられたから、彼が戻ってくるまで着ていないといけない気がする。


 集落の中心に皆が集まって、火を囲んで皆がうなだれた。

 夜の導きとなるこの温かい炎も、彼が教えてくれたもの。


 あのときみたいだ。ナズが死んだ日。

 弱い人間たちばかり何もできず、ただ寄り添って。


 彼は俺たちを見捨てて行かれたんだ。泣いていた皆も泣き疲れて、徐々にざわめきは消え、木を火にくべる音ばかりが聞こえてくる。自然と俺に注目が集まった。最後に彼と会ったのは俺だって、皆知っているから。四百人分の視線を向けられ注目を浴び、皆が俺の言葉を待っていたけど、俺は何も言えなかった。


 分からなかったんだ。彼が俺にどうしてあんな苦痛を与え……何をさせたかったのか。

 彼は俺に、集落の皆のことを任せると言ったけれど、俺は皆の心をまとめられない。

 彼のようにはなれない。


「ロイ。話してくれ。一体、神様に何があったんだ。最後に何を話したんだ」


 バルがそう言ったときだった……


「え、エドの大群だああああ!!! こっちに来るぞ――――!」

「エイラとカヤが襲われたぞ―――!!」


 集落の見張りをしてくれていたヤスの悲鳴が聞こえた。

 ああ……なんということだ。

 神様の守りがなくなったから、普段から俺たちのことを狙っていたエドが大挙してやってきたんだ。


 神様。


 どうしてあなたはいなくなってしまったんですか。あなたの民が今、エドの大群の前になすすべもなく命を散らそうとしている。どうして俺たちを見捨てたんですか。


「うわあ――ん!」


 子供たちの泣き声が俺の胸を引き裂きそうだ。皆は恐れおののき、われ先にと逃げて家々に入り固く扉を閉ざす。そんなことをしてもダメだ……四足の巨大肉食獣、エドは鋭い牙と丈夫な顎を持ち、木を登り力が強い。木造の家ごと破壊され、小さな子供から食い尽くされる。


 誰が彼らを守れるんだ。

 この集落の中に、エドと戦ったものは一人もいない。狩りの名人のヤスも、エドを狩るのは避けている。エドは群れで行動し、一頭を殺すと集団で報復にくる賢い獣だ。

 俺は走って家に戻り、銛を取った。本当は恐ろしくて、逃げ出したくて腕が震えている……それでも、戦うしかない。集落の安全を預かった俺が、絶対に一人でも多く、皆を守るしかないんだ。


 俺は夜の草原に雄叫びをあげながら銛を持って飛び出していった。


 エドの大群の中に真正面から突っ込む。

 まず確実に一頭だ、頭部を的確に狙う。この銛は重く刃も短い、肉を切ることに向いていない。少しでもその構造を長くもたせるには急所一点を突くしかない。つまり頭部だ。ヤスも俺が突撃したので突っ込んてきて、俺の援護をしてくれている、集落から何人か銛を手に、男たちが出てきて走ってきた。でもヤスはここのところ、投げるタイプの軽量化した刃物を使っていた。エドの皮膚は厚く、軽い刃物は通らない。それに近接戦の距離感がつかめず、エドに銛をはじかれて無防備になった。


「ヤス!」


 エドの群れは数十頭。俺は傷だらけになりながら、そのうち頭部、目、喉を突いて三頭を殺した。丸腰になったヤスを援護しようとしたところで、後ろから襲い掛かってきたエドに倒され脇腹に噛みつかれた。

 激痛が俺の体に迸る。

 だめだ、このまま意識が落ちてもう死ぬかもしれない……せめてもう一匹、振り上げた。脇腹から勢いよく、血が流れはじめる。傷は深い。


「ロイ――! ヤス―――!」


 若い男たちが決死の覚悟で武器を手に走ってきたが、彼らは普段は農耕や釣り、建築など戦いには無縁の労働をしていて、体を鍛えていた俺や狩りをしていたヤス以上に戦い慣れていない。俺たちと同じ運命をたどるかもしれない。ダメだ、戻れ! ここに来てはいけない。

 でも……集落はどうなる。

 何もない場所にせっかく俺たちが長い時間をかけて作り上げてきた、俺の大好きな集落。そして大好きな皆の運命はこれからどうなるんだ。

 

 神様。


 助けてくれ、やっぱりだめだ。

 俺たちにはあなたがいないとダメなんだ。どうしてあなたは俺に苦しみだけを残して、遠くへ行ってしまわれたんだ。これまであなたの行動に、理由のないことなど一つもなかった。エドの動きが、やけにゆっくりに見える。ああ、もうこれはいよいよ死ぬかもしれない。ほんの僅かな間に何ができるか、俺は必死に神様の言葉を思い出す。何か、彼は教えてくれなかったか。大事なことを……。


 俺を傷つけたあと、彼は俺を岩肌に寝かせ、何か言っていた。俺は聞こえていたけれど、あのときは彼の心が分からなくて、傷つけられたことが信じられなくて、にわかには理解できなかった。

 もう一度思い出す。彼の言葉を。


『大変な苦痛とともに、あなたに私の力を授けました。


 あなたは私の神通力の一部が使えるようになるでしょう』


 消えようとしていた記憶が……蘇ってきた。


『大切な四百三名の私の民……彼らを守るための力です』


 俺の体のどこに、そんな力が秘められているんだろう。

 彼は苦痛と引き換えに、神通力を授けてくれたとは言わなかったか。


 全身の力を振り絞り、もう一度立ち上がろうと試みる。彼は拳をふりかざしてはいけないと言ったのに、俺は見境なくエドを殺していた。俺が間違っていたんだ。

 これを手放すと無防備だ、でも俺は勇気を出して銛を手ばなし、無防備になって瞳を閉じ強く願う。そう、彼がたった一つも武器を持たなかったように。彼の力を受け継いだというのなら、絶対に誰かを傷つけてはいけないんだ。


 エド、これ以上俺たちを傷つけないでくれ。集落を襲わないでくれ。

 守りたいんだ、皆を。その代り、お前たちも絶対に傷つけない。


 今にも襲い掛かろうとするエドの群れの前に、ゆっくりと右の手をかざす。放たれた強い願いは雨雲を呼び、雷鳴を轟かせる。局所的に轟轟と渦巻く嵐が発生し、天と地を結ぶ雷の壁が一直線に人と獣との境界線を分かつ。

 雷を嫌うエドたちの群れはそれを見るや、ギャンギャンと怯えた声で鳴きながら、一頭残らず、尻尾をまるめて逃げていった。


 長い時間が経っていた。


 降りしきる雨に打たれ、傷ついたものも、銛を手放して腰を抜かしたものも、そこにいる男たち全員が無言だった。俺は天を仰ぎ恵みの雨を全身に浴びながら、この空が、彼の去った場所に必ず繋がっていると信じた。

 俺の涙と流した血は冷たい雨と混ざって、大地にかえってゆく。


「ロイ……その衣は……神様の」


 ヤスが気づいた。


「……大丈夫だ、皆。神様はまだ俺たちを見捨てていない」


 そう答えるので、もう精いっぱいだった。

 彼の代わりに、彼から与えられた力で俺が皆を守るべきなんだ。

 俺はようやく理解した。

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