第2章 第8話 Negotiation◆
『……というか何で私、食べられないんです?』
赤井はまだ西園ともんじゃの話をしていた。もういい加減諦めろと言われても、諦められない様子だ。どれだけもんじゃ好きなのかと言われると、現実世界では週三ペースだという。三食もんじゃでも全然いけたクチなんだとしつこく西園にアピールする。
『私の胃や消化管は、日がな一日することなくて退屈してそうですよ。働いたら負けかな、どうせ食べ物こないしね……なんてなやさぐれ状態になって胃と腸とで話し合って、もう粘液出すの無駄だからやめよう、とか』
『はいはい、何が言いたいんです?』
西園は適当にあしらう。
『食欲もわかないけど、せめて食の楽しみぐらい残してほしかったってことです。何で私食べ物が食べられないようにされてるんです? 神社にお供えとかって普通だし由緒正しいリアルの日本の神様らだってお供え物召しあがってるでしょうに』
と食い下がっていると。
『神様は慈悲深くきよらかで、死の穢れを寄せ付けず、一切の殺生をしないものです』
西園はポップコーンを食しながら、しゃあしゃあと言うのだった。
『またもぐもぐしてますね西園さん!』
殺生をするなといっても限度があろうに、と赤井は不服だ。修行僧でも精進料理を食べるし、歩くだけで草や微生物を踏んで殺生するだろう。
『肉系魚系じゃなくてもベジタブルでも芋系や穀物でもいい、精進料理でも切り干し大根とかでも私にとってはごちそうです。久しぶりに咀嚼だってしたい、あなたが今やってる、モグモグとゴックンのコンボを私の顎が求めてるんです』
『なるほどーわかりますよー』
西園はごくんと喉を鳴らす。赤井も気持ちよく連続コンボ決めさせてほしかった。
『辛い気持ちはよくわかります。ですが赤井さん、いえ赤の神様。あなたは二十七管区という世界のうつしみ……構築が終了する前にあなたが去ると世界が崩壊するんです。それでも、もんじゃ焼きのために外に出たいのですか?』
『西園さん、だから私は人間なんですって』
一体何が憎くて衣食住はおろか性別性欲排泄まで生理的欲求をとりあげる。いくら西園の期待にこたえようとしても、完全な神様になんてなれやしない、と赤井は反論したい。
彼も苦労してきたのだ。
素民に地や本音をぶちまけたことなど一度もない。一年前まで少ない語彙を振り絞って、大事な局面では民心を惹きつけるよう徹夜で文章も練って素民に感動してもらえるような話をしたり、素行もきわめてよくしてきたし……せめて息抜きに食事ぐらい。
『ごめんなさいね。私がそちらに行けたら、あなたをお慰めできたのに』
あまりにゴネるからか、西園は軟化姿勢をみせた。一体どうやってお慰めしてくれるというのか。と赤井がしかめつらしていると。
『伝統的に神様を慰めるというと、舞い踊りに祈祷でしょうかね』
『そっち!?』
そういうのは彼的にはあまり嬉しくない。西園は一枚も二枚も上手だった。
『わかりましたよ……』
彼がしぶしぶ腹を括りつつあると……西園はダテメガネをはずして赤井をまじまじ見てくる。何でまだダテメガネかけてんだろ、と赤井は甚だ疑問だ。しかも西園がメガネを外す時は、赤井を懲りずに誘惑してくる。普段の五割増しで西園の色気が増すのだ。口も半びらきで唇はぽよっとして自然なエロスが漂う。神となってより煩悩はなくなった筈が、この時だけはさすがの赤井も多少なりとも西園をかわいいと思ってしまう。が、赤井は無性別なうえ、二次元世界にいた。
まったくもって無駄な誘惑である。
せめて性別だけでも戻してくれたら両想いになれるかもしれないのに……と、思わなくもない。
『……赤井さん』
しっとりと絡みつくような視線を向けてくるので、赤井もじろりと西園を見る。西園は前髪を切りすぎていた。仕事にプライベートに忙しいのは分かるが、自分で切らないで美容院に行ってほしいと赤井は思う。前髪が斜めになっているので、コケティッシュだというと聞こえはいいが、笑えてしまうのだ。前髪のことを指摘したらふて腐れるに決まっている。女性に髪型やメイクの指南は厳禁だった。
『基本的人権保護の観点において、あなたがもんじゃを食べたがっていると上に伝えておきます。アガルタに入ると生理的・心理的欲求は消えるものなので、食事がしたいとの希望があったのは初めてですが、伝えるだけは伝えておきましょう。とにかく残り九百年以上も、欲求不満のままでは精神衛生上よろしくありません』
『え? ええ? ええええ!?』
西園が光り輝く天使に見えてきたのは、赤井の錯覚だろう。しかしゴネてみるものである。
『あのーできれば、赤井構築士がもんじゃ食べたがってますって報告書に書かずにせめて労働環境の改善を求めています、ぐらいにこう、オブラートにしといてもらえないでしょうか。私の立場ないですから』
許可が出たときに備えて、もんじゃを焼く鉄板とコテを構築しなきゃ、とはしゃぐ赤井に西園はぐさりと釘をさす。というか、むしろ彼には既に釘が刺さっている。物理的に。
『そんなことを考えるより、あなたの置かれた惨状を客観的に見てください』
『あ、はいそうでした』
現実逃避しすぎたようだ。食べ物につられて、浮かれてる場合でもない。釘や剣が刺さっているので、彼の胃袋にはもんじゃを入れるスペースはない。
『そうですよね。この状態じゃもんじゃが食べられない……どうすればいいんでしょう……』
『もんじゃのことはひとまず忘れてください。では、通信切りますよ』
西園のヒントをもとに、スオウのバックには確実にほかの構築士がいると想定する。
脚に刺さったスオウ特製の呪の鉄杭を一本ずつレプリカに変え、赤井は本物を懐に忍ばせる。
剛剣はどうするべきか。これだけはレプリカに変えられない。大きすぎるわ貫通しているわ、レプリカを造っても隠しきれない。下に放り投げれば腹に刺さってるものが偽物だとバレる……。
『真っ直ぐぶん投げて目の前の湖の底に沈めときゃいいのかな?』
彼は城壁に磔になっている数百メートル先には、湖面が見える。対岸にはロイの集落がある。琵琶湖と比べてどうだろう、というぐらい巨大な湖だ。赤井は剣を湖に捨てるか、とも考えたが、何百メートルも投げられるかというと自信がなかった。
一年も磔になってた身では、コントロールが怪しすぎる。
昔の四百人分の信頼の力があればいざしらず、今は信頼の力もたった三人分しかないのだ。ナオと、ナオの父母のぶんだ。彼はそれを少ないとは思ってない。信頼されるということそのものが嬉しかった。
”だってここアウェイなんだもん。球場満員の阪神ファンの中にジャイアンツファンがたった三人でジャイアンツ応援してるようなもんだ。もう命がけの応援だ、場合によっては血を見ることになる”
彼の思考回路ではそういうことらしい。
”剣を投げるのはやめやめ。湖まで届かなくて、湖のほとりとかでデートしてるカップルの脳天に「サクッ!」なんて刺さったらもう目も当てられない。とんだデートのお邪魔でした、とか言ってる場合じゃないし”
明日には何があるか分からないので、今日中に全部レプリカにすりかえたかったのだが……。
などと考えていると。
木々の間の茂みをかきわけ、ガサゴソと複数の足音が城壁に近づいてくる。
赤井は暗闇に目を凝らす。杭をレプリカにすり替え、信頼の力もあるので夜間視力も戻っていた。更に彼は夜目もきく。
『何だあれ』
ナオを先頭に、素民の列がぞろぞろとやってきていた。ナオの後ろから、九人の大人が梯子を持ってついてきた。
『ナオの家族か親戚?』
ナオは赤井の姿をみとめると、嬉しそうに城壁の下に駆け寄ってきた。
「助けにきたよ! 神様!!」
”って、昨日あれほどもう二度と絶対来るなって言ったじゃない!! 何でわざわざ目立つように大人数でやってくるの!”
赤井が慌てていると、年配の男が前に歩み出てきた。髭をたくわえ、やせこけて頭を丸刈りにした人物だ。彼は調子が悪そうだった。瞼も腫れているし、顔も浮腫んでいる。
よく見れば、他の素民たちも少しずつ調子が悪そうだった。熱が出ていそうな素民もいた。
”まさかナオってば、ご近所の病人ばっか連れてきた? 寝かせといてあげてよしんどいんだからさ!
私そんなにたくさん構築で薬つくってあげられない。赤井薬局じゃないんだってば……”
「邪神さま、私はこのグランダのしがない薬師です。グランダには疫病がはやり、民草は病に苦しみ命を落としております。私はなすすべなく、邪神さまのお慈悲を賜りたく伺いました」
”え……ここそんなに病気が多いんだ”
城壁に磔にされていた彼には、思いもよらない城内の事情だった。
そして彼は、何故グランダの民から強い憎しみの力が継続的に流れてきていたのかを知る。それらの疫病をもたらしていたのは、邪神の仕業だと思われていたのだ。日に日に強まっていた、グランダの素民の憎しみの理由も分かる。
”もしかしてスオウもそういう理由で私を憎んでるんだろうか? 私が全ての元凶みたいに思ってて……”
あれこれと考えていると、薬師は赤井の真下に来ていた。
「お願いします、助けてください!」
縋りつくような顔で見上げているので、赤井は声を落として口をひらく。
『薬師よ、グランダには流行り病があるのですか』
”知らなかった。気づかなくて呑気にニートっててごめんよ。こっちもいっぱいいっぱいだったから”
「はい、あなたがこのグランダにおいでになる随分前から。あなたが磔になってからでも百以上もの墓が増えています。スオウ様が日々祈祷をなされど、一向によき兆しはみえず。民草は病に喘いでおります」
『祈祷で病が治るものではありません。大規模な消毒と防疫が必要です』
祈るだけで病気が治るなら病院はいらない、と赤井は思う。感染症管理は、感染集団が大きいと難しい。予防は消毒や隔離でも限度がある。現代では防疫と言わず感染症予防というのだが、感染症そのものを説明するのも骨が折れるので、赤井は防疫という言葉を使った。防疫といえば、本来は植物防疫をさすのだが。
「ぼうえきとは……。それにあのお薬は一体……」
薬師は聞き慣れない言葉に、興味津々だった。
『防疫とは、疫病を断つための手段を事前に講じることです。疫病は人から人へ、主に排泄物や疫病にかかった人との直接の接触によって拡大をしてゆきます。その経路を完全に遮断するということです。また、早急に清潔な環境の構築も必要となります。まずは共同の飲み水を浄化し、排泄物を決められた場所に廃棄しなければなりません』
”ちょっと違うけど感染症って言葉とウイルスや細菌って概念分かってくれないだろうし根っこはそれでいいからそう覚えてくれ”
そう説明した方が、邪神パワーで治せるというより合理的で同意できると思うのだ。
”邪神だって全部が全部助けてはあげられない。自立してくれないと”
何に気をつければいいかを覚えておけば、感染症は怖いものではない。グランダの感染症がひと段落したら予防ついでに、ロイのいる集落と交易をすれば一石二鳥だと赤井は売り込みたい。
”正直うちの集落、感染症管理が行き届いていてあまり病気にならないから、メグもあの花作りすぎて処分に困ってる頃だと思うんだ。なんならLED照明の代わりにしてロマンティックイルミネーションとかやりだしてるかも。そしてYOUたちの鉱物資源と交換しようよ。物々交換だよ、お互い豊かになる”
『素晴らしい……あなたのその聡きお智慧と御力をお貸しいただけませんか』
『そのつもりでいます』
そのつもりではあるが……今はやめてほしかった。色々と真剣に考えてたところだ。主にもんじゃの事だが、もんじゃ以外の事も考えていた。よいしょ、と薬師は城壁に梯子をかける。
”ちょ、その梯子をここにかけて登ってこないでマジで。明日ぐらいにはきちんと対策打つから”
「やはりあなたは邪神ではなく神様だったのですね。ナオがあなたにお薬をいただいたと。それを飲んだ妻がけろりとよくなり、あなたの無実を確信しました」
ナオの父も一歩前に出てきて平伏するが、五体投地的な派手な礼拝は目立つので今はやめてほしかった。さらに追い打ちをかけるようにナオが大声で叫ぶ。
「神様ー! そこから降ろしてあげるから待っててね! 今いくよ! 今助けてあげるよ!」
”いや、自分で降りれるから。私高い木に登って降りれなくなってナーナー泣いてる猫とか断崖絶壁に取り残されたガケップチ犬とかじゃないから。私一応神だから気をつかってくれなくていいんだよ”
「頑張ってー! いますぐ助けるからねー!!」
『皆さん一旦、静かにしましょうね。その、夜分ですから』
その一団の騒がしさたるや、見張りの兵士が今すぐ走ってきても不思議ではないレベルだった。