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第2章 第6話 Initiate◆

 少女の願いに応え、赤井が造ろうとしている薬の特徴は、ウイルスの逆転写酵素を阻害することにある。人間は人体の設計図であるDNAからRNAを転写、つまりコピーを取ってそれをタンパク質へと翻訳する。しかし一部のウイルスはRNAからDNAを合成する。その過程を逆転写というのだ。

 人間は逆転写のできる酵素を持ってないため、阻害したところで人間に害はない。そういうメカニズムの薬なんだよ。……と、赤井は少女に説明したいところだが、理解してもらえないだろう。とういわけでかいつまむ。


『全ての薬には、その薬の効果を発揮する原理(薬理)があります。この場合、体内の異物の増殖を阻害するという方法です、ですから薬は飲み続けないといけません』


 少女はぽかんと口をあけた。


『難しいですかね』


 この一年、錆びつかせるままにしていた赤井の脳も、信頼の力で蘇った。これも経口で飲める薬だった。彼はまだ経口以外の薬には手を出したくない。この時代はあらゆる面で清潔ではなく、針刺し事故は即感染症につながる。


 B型肝炎には、インターフェロン治療も併用した方がいい。

 しかしそのインターフェロンはタンパク質だ。赤井が構築できるものが低分子ならば、タンパク質やDNAは高分子、超高分子という分類に入る。高分子領域に踏み込むには、遺伝子データベースとクローニング技術が必要だった。というわけで彼は低分子の薬ばかりのあり合わせで対応している。


『できましたよ』

「ほんと!?」


 彼女は赤井にぎゅっと抱きつく。ますます信頼を込めて。


『ふふ、くすぐったいです』


 加速構築で難なく合成を終え、あとは数量の問題。つまり処方量だ。薬は処方量を間違えると副作用で大変だ。適当ではいけない。しかし量りなどというものはない。そこでどうするかというと。


”分子量から正確に質量を弾き出すよ。ちゃんと計算すれば質量はもう細か過ぎるほど完璧に正確に出るからね”


 彼は四回分の処方量にしておいた。偶数倍というところがポイントだ。


『四回分のお薬を出しておきますね』


 もう赤井薬局だった。現実世界でも普通にありそうな名前である。


「どうやって4回分に分けるの?」

『全部水にとかして、小さな升で半分にわけます。そしてそれをさらに半分にわけます。それが一回分ですよ』


 秤や量りがなくてもいい。このグランダには升がある。赤井は役人が穀物の税を徴収していたのを見て知ってた。大、中、小の三種ある。


『升ではかって、お母さんに飲ませてあげてください。それで助かりますよ』


 両手は自由になるものの、下半身磔になって血を流しながら彼女に処方の仕方を教えた。流血しながら。


「ありがとう、……神様!」

”そうそう、私は邪神ではなくただの神だ” 


 ようやく分かってくれたかな、と赤井はほっと息をつく。


 インフォメーションボードを閉じようとすると、「入電!」という赤い文字が出現している。西園からだ。彼は受話ボタンを押し、通話状態に入る。目の前の少女には西園の声は聴こえない。


『赤井さん!! 大丈夫ですか!』

『西園さん、一年ぶりですね』


 顔をパンパンにはらし号泣しながら見てたのか、と赤井は目を丸くする。


 鼻水やら涙やらを拭いたティッシュの山がデスクの上に無数に。そうだ、……彼女の方から連絡は取れないのだ。


『見ての通り、ほうほうの体ですが』

『赤井さん……あなたという方は……何故”リタイア”を宣言しなかったんです! 私はリタイアを宣言してほしいとずっと祈りながら見守り続けていました』

『そうでしたね』


 日本国憲法下での基本的人権保護の観点において、構築士はインフォメーションボードを呼び出さなくても急に辞職したり現実空間に一時的に避難することができた。


 というのも、インフォメーションボードは長方形を描かないと呼び出せないのに、手が使えない状況が発生したら終わりだから。しかしそれには”リタイア”と天に向かって叫ばなければ成立しなかった。


 赤井は頑としてリタイアを宣言しなかった。


『リセットだけは防ぎました。負け惜しみのように聞こえるでしょうが、一応、これでも計画通りなんです』


 第一区画は解放されているが、ロイの集落はまだ無事だ。それが何より。


 ロイたちの健在は夜になるたび現れる薬花畑や力強く立ち昇る炎にあらわれている。彼らが全滅してしまっていれば赤井は失意のうちにリタイアを叫んでいたに違いない、だが彼らはけなげに頑張っている。生きているのだ、彼ら仮想世界の生命体は。

 彼らの幸せを願い彼らとの思い出を呼び起こせば、赤井はそれを心の支えに耐えることができた。


『それより、私はあなたに感謝していますよ』


チュートリアル

 その六 構築士は、リタイアを宣言した場合に限りアガルタから脱出できる。

 その七 構築士補佐官は状況に応じて構築士を解任できる


『あなたは私を助けなかった。さすがは西園担当官です。号泣しながらも、助けたり辞めさせなかった。その権限はあったのに。私が日干しになり雨ざらしになり降雪に凍え日々衰弱し、力衰え血を流し、皆の憎しみを受けながら干物のように動かなくなってゆく様子を……ぐっとこらえて傍観してくれて。ありがとうございます』


『それ、感謝しているの? なじっているの?』

『感謝しているんですよ。とにかく、私はまだ大丈夫です』


 空が白んできた。赤井の大好きな朝焼けがやってくる。彼は一度通信を切った。また夜にコソコソ隠れて行動するしかない。


「何をぶつぶつ言っていたの、神様?」


 少女が独り言に首をかしげている。


『そろそろ帰ってください、ここに来たと分かれば大変です』


 鶏もどきの鳴き声が聞こえる、朝だ。

 誰か人が来るかもしれない、兵士だとまずい。早く少女を帰らせないと、罰せられて酷い目に遭う。彼はもともと穿たれていた謎素材の鉄杭を懐にしまい、それによく似たレプリカをコンストラクトで二本造り上げた。


”ばれないようにすりかえとこう”


 彼は左手首を先ほどと同じようにレプリカの杭で穿ち、城壁に縫い付けた。大量の鮮血があふれ出る。


”すげー痛てーな。けど、呪力がないからタダの杭。全然いける、耐えられる”


 もう一本のレプリカを彼女に、ほいと手渡す。


『これで私の手首をそこの壁に穿ってください。血が出てもしっかり、外れないようにきちんと穿ってくださいね』


 レプリカだから、また夜になれば自分で抜けるのだ。しかし少女は左右に首を振る。


「やだ……やだやだやだ!」


 赤井は困る、こんな状態になった子供は厄介だ。


『お願いします。我慢してやってください。やらないとバレてしまいます』


 こんな小さい子に自分の手首穿たせるのは本当に酷だが、彼の手は二本しかないので、両方を縫い付けるのは無理だ。


”君がやってくれないと、すぐに見張りにバレて大変なことになるんだよ”


「神様、だってそんなことしたら痛いよ……」


 彼女はぐすんぐすんと泣き出した。赤井は急にいとおしくなって、彼女の頭を撫でる。


”でももう私的には杭の一本ぐらい今更だよ、一本増えたって全然痛みは変わらない。この状態見てよ、もう既に体に七本も刺さってるんだよ。こんなにブスブスやられてるから今更すぎるし人間ダーツ状態に近い。ブルで五十点かブルズアイの百点で高得点目指してがつんと刺してよ。無理? 無理かー”


「一緒に降りよう!? ねえ!」


 彼女は必死に訴えかける。


『降りたい気持ちはありますが、故あってもう少しここにいようと思います』


 動くにしても、もっと色々と情報を集めてからだった。夜になったら呪いの鉄杭の素材を調べて、何か行動するにしてもそれからだ。


『私を助けると思って、絶対にその杭を穿って帰ってください』


 大丈夫、大きな穴があいてるだろ。だからそこに通してくれれば力を込めなくても自然に貫けるよ、と赤井が言うと。


「やだやだ!」


 彼女は鼻水も涙もだーだー流して首をふった。


『わかりました、ではここまで自分でやります』


 杭を口にくわえて噛むと、自らで右手首に杭を通す。

 針通しのようにうまくやったので、それほど出血はない。あまり彼女に血を見せたくなかった。


『さあ、あとはその壁に押し込むだけです』


 彼女は大泣きしながら手首のレプリカを壁の穴に押し込む。彼の手首をもとのように壁に縫い付けると、彼女は最後にダメ押しのように抱きついた。


 今、彼に信頼の力をくれるのは彼女だけだ。

 たった一人ぶん。それでも本当に嬉しかった。


『よくやってくれましたね。よろしければ、あなたの名前を聞かせてください。覚えておきたいのです』

「私はナオだよ! 神様は神様なの?」

『私は赤井です』


 思い切り、少女には名詞を形容詞だと思われていた。「私は赤いです」と聞こえていた。


「確かに、赤いね。ねえ、赤い神様……絶対、絶対助けにくるから!」


『あなたはもう、二度とここに来てはなりませんよ』


 彼女が勇気を出してここに来てくれたおかげで今後は何とかなりそうだ。


”その気になりゃ杭も剛剣も抜いて降りられるし、私はもう大丈夫だ”


「絶対助けに来るから!」


 彼女は何度も約束すると、来たときと同じように、そろりそろりと梯子を下りていった。


 彼は目を細める。今日の朝焼けは特別にきれいだ。

 空が赤く燃えて、何もかもうまくいきそうな気がしていた。


 その日の夕方……磔の邪神を演じ続ける彼の体に、新たな信頼の力が流れ込んできた。


”思い当たるふしがないけどこれ、誰の分?”


 ナオ以外に、二人分ほど加わっている。


”ナオのお母さんと、お父さんのぶん? 病気のお母さんに、薬が効いたのか?”


 また少し、嬉しくなった。

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