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いつか書いてみたい架空戦記ネタ

作者: オシドリ

西暦1917年 2月7日 シンガポール 駆逐艦「松」


―――どうしてこうなった。


あまり広くない部屋の中、艦長の君塚章成はベッドに腰掛け、一人頭を抱えていた。


軍服をキッチリと着ていたが、先程まで床で転がりまわっていた所為か、皺が寄ってよれている。船乗りらしく肌は浅黒く潮焼けしているが身体つきは細い。また顔立ちが柔和なせいか、軍人らしさを感じさせない。そんな人物だった。


(何で、なんで地中海なんだ。やっぱり行かなきゃならないのか……!)。


死亡フラグが、潜水艦が、とブツブツ言っているこの男。


実はこの君塚章成、現代からの転生者である。


平凡な、そこら辺にいるような人間だったのに、或る日、目が覚めると知らない部屋で寝ていたのだ。

頭を怪我しているのか、包帯が巻かれており、時折ずきりと痛む。顔を顰めつつも辺りを見渡せば何か懐かしいような、木造の部屋だった。

どうも感じからして病室のようだが、何故ここにいるのか分らなかった。

訳が分らず混乱していると、暫くして、見舞いに来たという、余り近づきたくない、厳つい顔をした人たちに囲まれていた。

何でも、日本海海戦で負傷し、ここ海軍病院に運ばれたのだという。


何だそりゃ、と思ったが、頭の中に妙な記憶があった。


自分は君塚章成、明治16年生まれ、海軍兵学校第31期卒業生、目の前にいるは同期の仲間たち。今は明治38年、つまり西暦1905年である。


……気が付いたら別人になっていた。小説なんかではよくある話だが、まさか自分が体験するとは思わなかった。


呆然とする君塚に、仲間たちは不思議がっていたが、「記憶が未だ混乱している」と笑って誤魔化した。

仲間たちも心配そうにしていたが、一応は納得してくれた。


仲間たちが帰ったあと、君塚は平和に慣れた現代人に軍人は無理だ、直ぐに軍人を止めようと考えた。

しかし、記憶にある故郷の両親はエリートである海軍軍人になったことを誇りにしていたし、君塚は少尉になったばかりで辞める事は出来なかった。


当初は不安だらけだったが、どうもこの身体は以前よりも記憶力が良いというか、スペックが高いようだし、この身体の記憶が有るためか、何とか仕事をこなすことも出来たことが自信に繋がった。


それに、男子諸君ならば一度は思うだろう。戦艦の艦長や艦隊司令、そして連合艦隊司令長官になってみたいと、機動部隊を指揮してみたいと。


君塚はその一人で、かつては一時期大流行した架空戦記を読みながら「もし過去の日本に行くことになったら、戦艦の艦長になりたい」と考えていた。


そんな思いもあり、歴史好き(と言うよりも、近代の艦船や兵器が好きだったのだが)だったため、昔の記憶から同期との討論で兵装や艦船の防御などを提案し、議論することができた。現代のオタク情報は今の状況にはとても役に立っていた。


そのお蔭か、同期の仲間にも一目置かれ、海軍少佐にまで順調に昇進することができたのに。


(戦艦の艦長になる前に、生きて帰れるかなァ、アハハ……)。


―――二等駆逐艦「松」艦長ヘ着任ヲ命ズ。


そんな辞令が届いたのだ。


史実なら、加藤次太郎少佐が就任する筈だったのが、君塚と言う、本来はいなかった人間がいるせいか、微妙に歴史が変わったのだ。


同期の仲間も艦長就任を祝ってくれたが、表面上は笑っている君塚も史実を知っているだけに素直には喜べなかった。


史実では、第一次世界大戦中、日本帝国海軍はイギリス帝国の要請により、インド洋、地中海、南洋諸島にそれぞれ特務艦隊を派遣している。


その中で最も消耗が激しかったのが地中海に派遣された第二特務艦隊だった。


この第二特務艦隊は巡洋艦「明石」を旗艦に樺型駆逐艦8隻からなり、その後、桃型駆逐艦4隻、装甲巡洋艦2隻を増派している。

撃沈した艦はないが、1年半の派遣期間中に雷撃を受けた樺型駆逐艦「榊」乗組員をはじめ、事故、病気などで78名の死者を出している。


そして君塚の知っている史実通りに本日2月7日、巡洋艦「明石」を旗艦に、第十駆逐隊、駆逐艦「松」の所属する第十一駆逐隊をもって第二特務艦隊が編成された。


そして、「松」の僚艦となるのは上原太一少佐が艦長を務める「榊」でである。

上原は、君塚と同期であり、オーストリア海軍の潜水艦による雷撃で亡くなるのだ。また、この「松」もかなり危険な目にあっている。


「どうにかしないといかんが、樺型ではなァ……」


君塚はこの樺型ではドイツやオーストリアの潜水艦に対抗できないと考えていた。


開戦時、日本海軍は駆逐艦の数はそれなりにあったものの、外洋でも活動可能だったのは海風型2隻(一等駆逐艦)、櫻型2隻(二等駆逐艦)の4隻だけであった。


そこで急きょ、この樺型駆逐艦が建造されることとなった。

民間造船所をも巻き込み、数を揃え、建造速度を上げるために設計は前級の櫻型のものを流用し、機関をレシプロ機関とした戦時急造型。

最大速力は30ktだが、12サンチ40口径単装砲1基、8サンチ40口径単装砲4基、45サンチ連装魚雷発射管2基で心許ない。


正直、平凡な性能である。


また、この当時に日本海軍に対潜装備と言うものが無かった。

イギリスやフランスでは既に実用的なソナー、爆雷を使用していたが、日本で導入されたのが第一次世界大戦終結後であった。


つまり、潜水艦らしき物を見つけたら砲撃を打ち込む、体当たりするしかなく、撃沈したのかも分らないのだ。


「……だが、決まったもんは仕方ない。何処までできるかわからんが、やるだけやってみよう」


目の前で同期が死ぬのを見たくない、自分が死なないためにも、戦艦の艦長になるためにも。


君塚はそう決意を新たに、早速機銃や対潜兵装の配備について上申するべく、艦長室を出た。


私の文才的にこれが限界です。

たった一人の歴史を知る人間がいたらどう変わるか、いつか書きたいです。


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