無くしたものは、心の色。PDFで表示縦書き表示RDF


無くしたものは、心の色。
作:零・ZA・音


 あの日、僕は世界の色を失った。
 記憶の片隅ではなく、いつまでも鮮明に残るあの日に起きた出来事。
 涙と感情は置いてきた。
 何も感じなくなった時、世界は白と黒だけになった。

「……起きてる?」
 目の前で呆れてる顔をしている女の子は、「ふぅ」とため息を一つ。
 ただ、それだけの事なのに僕にはたまらなく嫌なものだった。僕の前から消えてよ。
 白黒の顔が、それだけで僕を苦しめるんだ。周りを見ても、全てが白黒。色があるはずのものが白黒。
「それじゃ……、次の授業、行こ」
 白黒の顔が微笑む。
 僕を一人にしてよ。お願いだから、僕に構わないで。
「先に行ってよ」
 一緒に行く気など、まったくなかった。僕は一人だ。だから、誰も友達なんていない。
 だから、僕に構わないで。お願いだから、僕の前から消えて。
「……うん、分かった。それじゃ、先に行ってるね。ちゃんと来るんだよ、智也」
 お節介だよ。
 僕の気持ちなんて分からないくせに。女の子は、僕に手を振ってから、歩いて行く。
 その途中で、数人の女の子達と話して、一緒に教室を出て行ってしまった。
 ほらね、ちゃんと友達がいるじゃないか。
 僕なんか相手してないで、友達と一緒にいればいいよ。色がある人達で、一緒に……。

 ――あの日から、僕は一人になったんだ。


 空を見上げると、雲が一つゆっくりと流れていく。
 冷たい風が吹き抜けていく屋上。
 カサカサと音をたてて、屋上を駆け回るパンの袋。転がるバスケットボール。
 そんなものが、ここにあっても僕には関係ない。風は右から吹く事もあれば、左から吹く事もある。
 それも僕には関係ない事だ。全てが白黒。その白黒が、景色を変えて動いていく。
 ――僕は一人。あの雲と一緒。
 だけど、僕には自由はない。
 あるのは閉塞的な空間に、身勝手な人達の群れ。
 僕にも自由が欲しい。この風のように、あの雲のように、大空を駆ける自由が欲しい。
 そうすれば、逢えるかな。空にいった貴女に……。

「はぁ……こんなところにいた」
 スッと影が現れて、さっきと同じ声が聞こえる。顔だけを上げて見ると、二本の足が見えた。
 それを辿っていくと、足の付け根に布地がチラリ。
 その先に、二つの双丘を見つけて更に上を見ると、少し不機嫌そうな顔があった。
「屋上でサボるなんて……。不良の始まりだよ、智也」
「見えてる」
「え? え――きゃぁあああぁ!」
 慌ててスカートを押さえるが、すでに遅い。バッチリ見てしまった訳だから、今更隠されてもしょうがない。
 それに、そんなもの見ても僕には関係ない。
「エ、エッチ! 寝転んでないで、起きなさいよっ」
「……いいだろ、別に。い、いたたっ」
 何を考えているのか、僕の耳を引っ張り持ち上げようとしている女の子。明らかに顔が怒っている。
 眉を吊り上げた顔を僕に向けて、必死に起こそうとする。どこまでもお節介な奴だよ、本当に。
「よしっ、起きた。まったく、智也は――」
「うるさいよ」
「……え?」
 何かを言いかけていたが、僕の言葉に遮られて不思議そうな顔をしていた。
 いい加減、うんざりしていたんだ。どこまでも、僕をイラつかせる。

「お前には、関係ないだろ。ほっといてくれよ、美里」

 こいつがそばに、いなければいい。そうすれば、僕はイライラしなくて済むんだ。
 睨みつけるように見つめると、驚きで見開かれた目をしていた。
 僕の苛立ちの理由も、知らないくせに現れて、僕を苦しめないでくれよ。
 お願いだから、僕を一人にしてよ。
「ご、ごめん……。わ、わたし、戻るね」
 そう言い残して屋上のドアが閉まる音がした。流れ落ちる涙を拭きもせずに、走って行った美里。
 悪い事をしたのかも知れない。だけど、あいつの顔を見ていると忘れる事が出来ない。心が痛んだ。


 ――僕の彼女だった人。
 今は空にいる。一ヶ月前に交通事故で、呆気なくこの世を去った。
 一つ年上の、とても気さくな人。笑顔の可愛い、僕の大好きな人。
『とも君』
 僕の事をいつもそう呼んで微笑んでいたあの人が大好きだった。
 何をしていても、どんな仕草をしても僕は、あの人を愛していた。
 なのに、いなくなるのは一瞬だったんだ。

 一緒に下校していた。とても楽しい時間。
『とも君は、私の一番大切な人だよ。あ……それだと、後もう一人いるかなぁ』
 楽しそうに聞いてくるあの人の顔は、綺麗に輝いていた。今でも思い出せる綺麗な笑顔。
 色をなくした僕にも、これだけは鮮明な色を出して思い出せる。
 黒い髪、円らなブラウンの瞳。そして健康的なピンク色をした唇に仄かに染まる赤い頬。
 それがどんな色をしていて、どれだけ綺麗だったか言葉だけでは言い表せない。
 ――なのに、その綺麗な色が一瞬にして悪夢に染まる。
 轟くブレーキ音、続いて響く声。
 反転していく世界は、真っ赤に染まる。僕は起き上がり、ただ呆然とその赤い光景を見ていた。
 あの人から流れ出てくる赤い色が、僕の思考を停止させていた。

 病院に搬送されたあの人は、即死だった。
 死に顔はとても綺麗で、まるで生きているように見えて、僕は泣く事すら出来なかった。
 だけど、その後に美里にあって気付いた。もう、あの人とは一緒には居られないって言う現実に…。
『……智也。お姉ちゃん、いなくなっちゃったよ』
 涙をボロボロと零しながら、僕にしがみ付いて来る美里を見て、僕もいつの間にか泣いていた。
 流れ落ちる涙が、あの人との大切な思い出のようで嫌だった。綺麗な色が流れ出していく。
 止めようとしても、止まらない。
 そして、涙を流している美里にも苛立ちを覚えていた。お前のせいで、僕の思い出が消えていくんだ。
『泣くなっ! あの人との思い出が無くなってしまうっ!』
 気付けば、僕は美里を突き飛ばして叫んでいた。驚きに見開かれた美里の瞳は今でも覚えている。

 最低だ。
 僕は最低だ。
 それは分かっている。
 だけど、この気持ちは誰にも分からない。
 僕の思いは、あの日に止まったまま……。


 夕暮れの教室。
 本来は赤く染まる室内は、黒と白のコントラストを変えていく。
 白は影を作り、黒は広がって全てを染めている。
 僕には色が無い。それが、全てを白と黒に変えている。誰もいない教室で、僕は一人。
 だけど、辛い事はない。もう慣れた。
 ――あの日、失った大切なもの。
 僕は身体の半身を失ったような虚脱感を、今でも持っている。本当は、何もかも忘れて生きたい。
 だけど、それはあの人まで忘れる事になる。
 そんな事は嫌だ。
 僕はあの人を愛していた。楽しかったんだ、あの人との日々は。
 僕を心から愛してくれたあの笑顔を、今でも覚えている。瞼を閉じれば、浮かんでくるあの笑顔と声。
 それは色を持って、僕の心に残っている鮮明な思い出。

「……智也」
 小さく風にかき消されそうな声が聞こえてきた。
 視線だけを動かしてみると、教室の入り口にジッと佇む人影。
「あ、あの……」
「まだ、いたの? 早く帰れよ」
 僕の声に、息を飲む音だけが聞こえる。口元を覆い、少し震えている身体が目に入ってくる。
 何をしているんだ? でも、僕には関係ない。僕は一人がいいんだ。
 そうすれば、あの人をそばに感じる事が出来るんだ。

「――か」

 風が運んでくる。
 震えた声が、僕の耳に届く。
 僕のところまで一直線に歩いてきて、目の前に立つ美里。涙をためて、僕を睨みつける瞳。
 また、その顔か。
 うっとうしいから、消えてくれないかな。僕は今は一人がいいんだよ。
「いつまで、そうしてるつもりよっ」
「なに……」
 流れ落ちる涙をそのままに、叫んでいる美里が僕に詰め寄る。
 何を言っているんだ? 僕は普通だ。

「そうやって、現実から逃げて! お姉ちゃんは死んで、もう……ここには、いないのっ」

 心が痛い。
 言葉が胸に突き刺さる。
 死んだ、死んだ、死んだ。
 いない、いない、いない。
 そんなはずはない。
 ここには、あの人がいるんだ。

「この教室には、もうお姉ちゃんの机も椅子も、何もないの! 帰ってきてよ、智也っ」

 トンっと、僕の身体に走る衝撃。
 胸の中にある美里の身体が、僕に鼓動を伝えてくる。
 ドクンドクンと脈打つ身体。動いている身体。生きている、美里は生きている。
「もう、いないの……、お姉ちゃんは、いないの。あなたがそんな姿をしていたら、お姉ちゃんが悲しむよ」
「そんな……こと……」
 悲しむ?
 僕の姿を見て、あの人が悲しむ?
 そんな馬鹿な事があるか。僕がこんなに愛しているのに、そんな事があるはずないだろ。
「……智也。忘れろとは言わないわ。私も忘れられる訳なんて、ないんだから」
「みさ、と……」
「私の大好きな、お姉ちゃん。私の大切な智也――二人がいなくなったら、私は……私は、どうしたら、いいのっ」
 何かが、壊れていた。
 僕はこの一ヶ月、ずっと悲しんでいた。僕だけが悲しいと思っていた。

 ――だけど、

 悲しいのは、僕だけじゃない。
 美里だって、悲しいんだ。仲の良い姉妹。
 その大好きな姉が、亡くなったんだ。悲しみは僕と同じ。いや、僕以上のはずだ。
 それなのにあの日以来、悲しそうな顔を見せずに、僕のそばにいてくれた。ずっと、僕に話し掛けてくれた。
 僕はそれをただ「うるさい」「うっとうしい」と言って、払い除けていた。

「もう、ひとりは、いや……なの」

 それは、美里の心。
 僕の白黒の心と同じ。美里も、ずっと一人だったんだ。
 寂しくて、辛くて、苦しくて、僕と一緒だったんだ。それなのに、僕は何も気付きもしないで、自分だけを見ていた。
 僕は馬鹿だ。
 本当に悲しく辛い人が誰なのか、分かっていなかった。

「……ごめ、ん、みさと」

 白黒の世界に亀裂が入っていく。
 色のない脆く荒んだ心は、砕け散る。白と黒の世界は、混ざって滲んでいく。
「……ともや」
「ご、めん……ぼくは、ぼくは、」
 力が抜けて膝から崩れ落ちた僕を、美里は優しく抱き締めてくれていた。
 白黒しか見えない僕に、微かに見える色のある世界。あの人を同じ美里の優しさが、色を教えてくれる。
「ううん……。もういいの――だけど、私を一人に……しないで」
 たがが外れた心は、もう止められない。動き出した時間は、加速していく。
 大切な人。
 それは決して、一人だけではない。
 その人と繋がりを持っている人も大切な人なのだ。

『とも君は、私の一番大切な人だよ。あ……、それだと、後もう一人いるかなぁ――私の妹よ』

 どうして、そんな事に、今まで気付かなかったのだろうか。
 繋がりがあれば、そこには同じ気持ちが存在する。
 失った悲しみは、僕一人だけでない。みんな一緒なんだ。
 なんで、それに気付けなかったんだろう。

「うわぁああああっ」

 涙が流れていく。
 次から次へと、流れていく。
 でも、これはあの人との思い出ではない。
 これは、僕の過ち。
 今まで僕が間違っていた贖罪の気持ち。

 ――ごめんなさい。

 ――そして、ありがとう。




 月日は流れ――
「智也、急ぐよっ」
「うん」
 思いっきり泣いた日から、僕の心には色が戻ってきていた。
 緑が落ちてきた木々に青い空。アスファルトの無機質な紺色を踏み締めて歩く。
 まだ白黒な部分があるけど、いつか元に戻るだろう。きっと、元に戻る。
「ほら、はやく! 遅刻しちゃうよっ」
 前を行く美里が、僕を急かす。その顔には、昔の笑顔が戻ってきている。
 彼女もまた、心が白黒になっていた一人。
 同じ気持ちを抱えていた僕達。なのに分かり合えなかった。
 それは、僕が心を閉ざして周りを見なかったから。

 ――だけど、今は違う。

 ちゃんと、見えている。
 美里の顔に、声。そのどれもに、色を感じる。
 温かい色を……。
 温かい絆を……。
 あの人が繋げてくれる絆を、僕は大切にしていこう。
「もうっ、置いていくよっ」
「分かってるよ」
 その笑顔には、綺麗な色が輝いて見えている……。














ケータイ表示 | 小説情報 | 小説評価/感想 | 縦書き表示 | TXTファイル | トラックバック(0) | 作者紹介ページ


小説の責任/著作権は特に記載のない場合は作者にあります。
作者の許可なく小説を無断転載することは法律で堅く禁じられています。




◆BACK
小説家になろう