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III 魔術師(An offering to vanity)

作者:Aya
 III:魔術師(An offering to vanity)

 I

 東京に雪が降った。
 西高東低、冬型の季節配置。
 顔なじみになった看護師にあいさつして特別病棟に足を踏み入れると、冷たい風が吹き付けてきて、思わずコートの襟に顔をうずめた。
「……さむ」
 病室には「瀬下談山せじもたんざん様」と丁寧な楷書体でかかれている。
 この男くらい有名になると、病院でさえも雅名がめいで呼ばれるようになるらしい。
 この男の肩書きくらい、統一性に欠けているものもないだろう。日本画壇の長老。孤高の推理小説家。最後の芸術家。そして、魔術師。
「よう。生きてる?」
 ノックして、返事をまたずに病室に足を踏み入れてみる。
 すると談山は、ベッドになかば上半身をもたせかけるようにして虚空をみつめていた。
「ふざけたことを言う」
 老人——談山は口もとをほころばせた。
「今日は冷えるな」
 しわがれた声は、談山の歩んできた人生を想起させる。
  けして、平坦なみちのりではなかったのだろう。その証拠であるかのように、眉間には深いしわが刻まれている。
「寒くない?」
「 ありがとう、かなえ。問題ない」
 一目見て。
 もう、長くないとわかる。
 やせこけた頬。枯れ木のようになってしまった手足。
 かんばせは土気色だ。おそらく談山本人にも、残りの人生が短いという自覚はあるのだろう。
「あんた、寒がりだから」
 この男と会話していると、どうにも昔——まだ談山がかくしゃくしていたころを思い出す。
「あの洋館さ、暖房がガスストーブしかないとか、ぜったいおかしいだろ」
「私が子どものころの竣工だ。この国ではめずらしいアールデコなんだから、それくらい我慢しなさい」
「えー」
「……懐かしいな。もう一世紀ちかくまえのことだ。
 あのころはまだ、瀬下にも活気があった。一族郎党が集えば、それこそ大広間を貸し切っても入りきらなかったくらいだ」
「いまでは、オレとあんたしかいないけどな」
「……柳下やぎしたのは、飛ぶ鳥を落とす勢いだと聞いている」
 柳下というのは、瀬下の分家筋の家だ。
 瀬下は戦後、財閥解体のあおりを食っておおきく弱体化した。だが彼らは本家と違って、上手くやったのだ。降りかかる火の粉をじょうずに払いのけ、いまではどちらが本家かわからないくらいに、隆盛をきわめている。
「あいつらは金貸しになりさがった。武士の名折れだ、誇りなんてありゃしない」
 つい感情が制御しきれず、吐き捨てるような言い方になってしまった。
「……っ。悪い」
「いや、いい。ならず者と言われている自覚は、彼らにもあるのだろう。
 だが、叶」
「なんだ?」
「金は、ありすぎるのも考えものだが、 なくても困るものだ。柳下の連中は、正しくはないかもしれない。だが、あながち間違っているわけでもない」
 厳しくはない。
 かといって、やさしいわけでもない。
 この男の語り口はいつもそうだ。和食のあしらいのように、さりげなく、そして控えめに主張をする。
 息が続かなくなったのか、談山は病室備え付けのベッドに背中を預ける。
「むりしないでくれよ」
「わかっている。すこし疲れただけだ」
「このあいだより元気そうで、安心した」
 また嘘をついた。
 そんなはずがない。
 弱々しい呼吸音。病室に満ちている濃密な死の気配。
 ——これまで数え切れないくらいに触れてきた「死」がそこにあった。
「まだ大丈夫だろ、じいさん」
「あと十年は生きたい」
 談山は弱々しくほほえんでみせる。
「決めるのはオレじゃないから、そんなこと言われても困るよ。
 なにか、やりたいことでもあるの?」 
「『四つの問題』の解決編をものしなければならない」
「小説における四つの問題だよな、それ。あたらしいの、もう出てたとおもうけど」
 いまから、ちょうど一年前。
 「小説における四つの問題:解答編」と銘打った瀬下談山の最新作が公開された。
「いや。あんなのは、俺の書きたかったものじゃない」
「解答編、だからか」
 しらず、声が固くなる。
 この男と、切ってもきれない関係にある作品。それこそが、「小説における四つの問題」なのだ。
「そうだ。あの作品に解答はありえない。
 叶。おまえなら、もうわかっているんじゃないか?」
「ああ。問題編とセットになっているのは、ふつうなら解答編だ。でもそれは、問題に対する答えが定まっている場合だけ」
「そうだ。だからあの出来損ないは、私には許せないのだよ」
「——」
 その瞬間、談山のこころに去来した感情はなんだろう。
 怒り、悲しみ、苦しみ、慈しみ。
 あるいは、そのどれでもなかったのか。
「叶。君は、いつかたどり着けるのかな。
 私が恋い焦がれてついぞたどり着くことの出来なかった、時を詠む桜の杜に」
「……」
 談山が息を引き取ったのは、翌日の早朝のことだった。
「なあ、談山」
 病室にはだれもいない。
 つい先日まで談山が横たわっていたベッドはきれいにしつらえられて、あたらしい入院患者を待っていた。
 いまはもう、永遠に失われてしまったおもかげを思い出しながら。
「オレは、瀬下叶せじもかなえを元気でやってるよ。だから……」
 ——これいじょうは、言葉にしなくていいだろう。
「さようなら。談山先生」
 やさしい風が、病室を吹き抜けていく。
 咲かない桜の杜を通過してきた透き通った風が、だれかのおもいでを運び去っていく。
 病室にはだれもいない。
 談山がずっと起臥していたベッドの枕元には、最後の訪問者がまあたらしい装幀の本を一冊置いていった。そのページをいくどか、いたずらな風がめくっていく。
 風は本に挟まれていたトランプを一枚、記念とばかりにさらっていく。古ぼけた一枚に描かれていたのは、年老いた魔術師だった。

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