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もう、何も要りません。
作:葉月 クロエ



もう、何も要りません。2


第二話

 ユウに出会う前、私一人だけだった頃は、入り口(兼出口)の扉と、その上に貯水槽のタンクが設置された、倉庫のような建物の壁にもたれて、体育座りで目を閉じて、iPodから流れる音の中に浸っていた。
 大好きな音達の中で、一人で、静かに。
 ユウと屋上で会うようになってから、私達はそこら辺に座って話をしたり、二人で音楽を聞いたり、ただ黙って座っていたり、鉄柵にもたれて空や校舎を見たり、そんな感じで楽園の時は流れて行った。
「ねえ、どうしてユウは屋上の鍵、作ろうと思ったの?」
 ある日、ユウと一緒に鉄柵にもたれながら、そう言えばどうして彼も合鍵を作ろうと思ったんだろう、と疑問に思い、聞いてみた。
 しばらくの、沈黙。
 沈黙の間、ユウの横顔を見ていたら、何だか彼が今にも風景の中に溶けていって、そのまま消えていってしまいそうな気がした。
 彼は、そんな希薄さと透明さの中にいるんだ。
 無意識に、私は彼の制服の裾を掴んでいた。
 彼が空気の中に消えてしまわないように。
 それからユウは小さな声で、答えた。
「屋上なら、誰も来ないから一人になれるし…空を広く見れるし、下を見下ろすと何だか少し楽になるような気がして」
 ユウの髪の間を風が流れる。
 薄い茶色の髪の間を、風が。
 醜いはずの彼が美しく見える。
 いよいよ彼が儚く見える。
 そしていよいよ私は不安になって、裾を掴む手に力が入る。
「ハナは?」
 ユウが問い返す。
 ああ、いつものユウだ。希薄さも透明さもない、現実のユウ。
 大切な大切な、クッキーの半分。
 このまま消えてしまったらどうしよう、と私は本気で心配で、怖くて。
 だからひどく安堵して、大きくため息をついた。
 そして、掴んでいた彼の制服の裾を離して、私は鉄柵に頬杖をつく。
 見上げる空は曇天模様。
「私は…私は一人になりたくて。完全に誰も来ない場所を探して、屋上に辿り着いたの。ここなら鍵がないと入れないから。先生達もここは見回っていないみたいだし。ここで私は……ただ泣いたり、ぼーっとしたり、そんな感じで過ごしてた。。後はユウと殆ど同じかなあ。この一人の空間は、世界全部でもあるし」
 ここから見えるのは、第二校舎と第一グラウンド、それに空。
 上を仰げば、空。
 都会の空は薄汚く曇っていたり、時々その汚さが嘘のように、綺麗に青く晴れたり、雲は白かったり。
 空は完璧だ。
 そう言ったのは、誰の言葉だっだだろうか。
 限られた屋上のスペースで、限りない空間を私達は持つ。
「ここは静かだしね」
 ユウが言う。
「うん」
 私も同意して答える。
 校舎から聞こえる音楽の授業のピアノや、グラウンドでの体育の歓声が、とても遠くから聞こえるようだった。
 実際はそれ程遠くないのに、それがほんとに微かに聞こえて。
「ここは天国に一番近いかもしれないねえ」
 私はそう言って、頬杖をついたまま目を閉じた。
 ユウは私ののセーターの裾を掴んでいる。
「どうしたの?」
「ああ、ごめん。…なんだかハナが消えそうに見えて…怖かったんだ」
 思わず笑みが浮かぶ。
 本当に、私達は良く似ていた。


 風が少しだけ吹いていて、冷気が冬を感じさせるある日。
「ねえ、ユウがこの世で一番好きな音楽って何?」
 汚い屋上の床に制服が汚れるのも構わず寝転がりながら、私はユウに聞いた。
「私はねえ…クラシックなんだ。パッヘルベルのカノン」
「僕は…どうだろう、ベートーベンの第九かな」
 彼も隣に寝転がったまま答えた。
「あ、私も好き。聞いたのはアニメの挿入歌でだけどさ。でも、確か結構残酷な詩だったよね?この世に友人と呼べる者がいない者は、泣きながら天国の門を去るがいい、って」
「じゃあ僕たちはいつでも天国に行けるねえ」
 まっすぐ空を見つめながらユウが静かに言う。
「…うん、行けるよね。私達」
 空は高く、青く、寒く、冷たく、優しく。
「ねえ」
 空はとても綺麗で、私は馬鹿だから、思わず聞いてしまった。
「自殺しようとした事ってある?」
 私は、ほぼ毎日、そう思っている。
 でも出来なくて、死ぬのはやっぱり怖くて、明日は死のう、明日は死のう、そう思いながら情けなくも毎日生きている。
 ユウはどうなんだろう。
 彼の顔を見るのが何となく出来なくて、私は空を見つめたまま。
 そして、彼も空を見つめながら答えた。
「何度も、何度もある。…でも、なかなか踏み切れないんだよね。死を無意味に美化する気はないけど…、僕は、死は、優しいと思う」
 死は、優しい。
 優しい。
 その表現は、ひどくぴったりな気がする。
 死は怖い、そう思っていたけれど。
 ああ、死は優しいかもしれない。
 だって、私はそれによって、永遠に生きる苦痛を失うのだから。
 優しい、死。
 そう教えてくれたユウを、また少し身近に感じた。
「うん、私もそう思う」
 短く答えて、そのまま二人とも無言で寝転がっていた。
 焼却炉からの煙が高く高く登って行くのが見えた。
 

 ある日、二人で食事兼軽く飲みに行った。
 勿論、今度はちゃんとしたお店で、私服で。
 その帰り、駅までの道にある川沿いを二人で歩いた。
 酔ってほてった頬を、冷たい風が撫で、通り過ぎて行く。
 駅までは20分くらいだろうか。
 駅までの道には小さな川があり、その川はいつも生臭い臭いがしていた。
 川である以上、いつかは海へと着くのに。
 磯の匂いなんてなくて、ただ、生臭かった。
 二人とも少し酔っていたのかもしれない。全く酔っていなかったのかもしれない。
「私、ウリやってるんだ」
 所謂、援助交際だ。
 身体に過剰な価値があるのは高校生のうちだけ。
 自分でも何故突然こんな事を打ち明けたのか分からない。
 余りにも川が生臭かったからかもしれない。
 私がウリをやってるという事は、今まで誰にも言った事がなかった。
 別に誰かに言う必要もなかったし。
「そうなんだ」
 そう言って一瞬の沈黙の後、彼は言った。
「僕もやってるんだ」
 私は彼の言葉の意味が分からず、バカ面をしていたと思う。
 その後彼は続けて言った。
「僕、ゲイなんだ」
「そうなんだ」
 内心かなり驚いていたけど、私は出来るだけ平静を装って言った。
 ゲイって事は所謂ホモ、って事か。
「クルージングって分かるかな、ウリする男の子がいっぱい待機してる店で、ウリ専とも言うんだけど。で、そこにオッサンとかが買いに来るの」
「そうなんだ」
 私はまた同じ言葉を繰り返した。
 クルージング。初めて聞く単語。
 そこで、ユウもウリをしているんだ。
 ウリ。
 体を、売る。
 私達。 
 川を通り過ぎ、商店街に近づく。酔った大学生らしき集団が道ばたに座り込んでいた。その脇を私達は無言で通り過ぎる。彼らの騒がしさが私達と対照的で面白かった。
「私ね」
 最初に口を開いたのは私だった。
「ウリやってるとね、嫌な目にいっぱいいっぱい遭うんだ。オッサンとか気持ち悪いし。クソみたいな説教されたり、クズみたいに扱われたり。でもね、やめられないの」
 そこでユウが私の言葉を継ぐように言った。
「僕も、今までいろんな目に遭った。男同士だし、ほんとに命の危険を感じるような事もあったよ。でも、僕もやめられない。ハナと同じに」
 それきりまた二人とも黙って駅まで歩き続けた。
 私達は本当にクッキーの欠片同士のように気が合ったのだ。



第三話に続く。












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