本気になった獣人の所業
ダンムールの里長ハシームが考えた作戦は、兵馬の空間転移魔法を使った一撃離脱作戦だ。
これまでサンカラーンの民が苦しめられて来た、空間転移魔法を使って、最良のタイミングで、相手が最も嫌がる場所を突くつもりだ。
そのためには、アルマルディーヌが仕掛けるタイミングを的確に知る必要がある。
兵馬は千里眼のスキルを使って、ノランジェールの様子をつぶさに観察し、地図の上に兵力などの配置を書き込んでいった。
当然、カストマールがノランジェールに到着したのも、重騎兵の準備をしているのも全てお見通しだった。
カストマールが攻撃の準備を始めた夕刻には、ダンムールでも軍議が行われていた。
「おそらく、この重装備の騎兵を突っ込ませ、その直後に、ここに潜ませている歩兵を投入して橋を確保した上で、本隊を招き入れるつもりだろう」
「ならば、この重装備の騎兵を叩くのだな?」
ハシームの説明に、ビエシエは今にも飛び出して行きそうな勢いで訊ねる。
「いや、我々の狙いは、もっと後方だ。ヒョウマ、この通りに騎馬が集められているのだな?」
「そうだ、その一本隣の通りに歩兵が集められている」
「ここから、重装備の騎兵が突っ込む、すぐ後に歩兵、更に騎兵、歩兵、そして……」
「ハシーム殿、まさか王子の首を狙うおつもりか?」
ビエシエの問いに、ハシームはニヤリと笑って頷いた。
「どうせ仕掛けるならば、一番デカイ獲物を仕留めるべきだろう。我々は、この騎兵が出た後の通りに転送してもらい、後続の歩兵の横腹に突っ込み、そのまま後方まで突き抜ける。一番後ろに控えているであろう、カストマールを仕留めたらダンムールへと帰還する」
「ぐははは、それはまた剛毅な作戦だ。良い、良いですぞ!」
そもそも、敵が存在するはずのない自分達の領地で、突然猛烈に攻め込まれるのだから、アルマルディーヌの兵士にとっては、悪夢のような光景が展開されるだろう。
遠く離れたダンムールで、そんな打ち合わせが行われているとは知らず、カストマールは着々とオミネス侵攻の準備を指示していた。
オミネスに気取られることなく、重騎兵を突っ込ませるために、余計な私語を禁じる厳命を下して準備を進めさせた。
これまでのカストマールであれば、進軍の計画を立てる一方で、いかにして撤退するかに重きを置いて作戦を立案してきたが、今回は進むことしか考慮されていない。
重騎兵が突進を開始したならば、後続の兵は粛々と止まることなく後へと続き、対岸を占拠する作戦だ。
実際に、カストマールの下した命令は、重騎兵への突進の指示のみだ。
「これより、橋を突破して対岸を制圧する、進めぇ!」
カストマールはアルマルディーヌ側の街の入口に停めた、馬車の上部に設えた物見台から下知を下した。
重騎兵が疾走を開始し、その最後尾が通り過ぎた所で歩兵が橋を目指す。
交差する通りに集められた歩兵が、全員目抜き通りへと出て進軍を始めると、その後には騎兵が続き、さらに歩兵が続く。
カストマールは、己の指揮する兵士達が、生き物のごとく動き、目抜き通りに密集して突入態勢を整えた時、勝利を確信した。
これだけの集団を押し留めるだけの力は、現状のオミネスには無い。
それは、実際に足を運んで己の目で見て確かめてある。
遥か前方から重騎兵が突入する衝撃音が響き、粛々と進み始めた隊列を見ながら、カストマールは頭の中でカルダットの地図を広げていた。
ここから先は、速さが勝敗を左右する。
行く手を阻む障害の場所、待ち伏せされるおそれがある場所、制圧すべき集落……目前の戦場を離れたカストマールの意識は、前方に突如現れた巨大な火球によって引き戻された。
次の瞬間、行き足を止めた後方の隊列の横腹に突っ込んで来た者がいた。
「ぎゃぁぁぁ!」
「敵襲! 敵襲だぁ!」
後方に控えていた歩兵は、進軍こそ始めていたが、実際の戦闘は橋に辿り着いてからだと思い込んでいた。
そこに突然現れた敵に突っ込まれ、隊列はたちまち大混乱に陥った。
「盟友オミネスの危機に際し、サンカラーンが助太刀いたす!」
「おぉぉぉぉ!」
戦場に響き渡った口上と雄叫びに、アルマルディーヌの兵士は震え上がった。
獣人族は、離れた場所から魔法で攻撃すれば怖くない……これがアルマルディーヌの常識だが、裏を返せば懐に潜り込まれた場合には死を覚悟する恐ろしい敵だ。
攻撃魔法が使えない獣人族は、その代わりとして身体強化の魔法に卓抜した才能がある。振り回される武器は鋭利な刃物ではなく、並みの人間では持ち上げることすら叶わない重量の鈍器だ。
大剣の一撃は、斬るのではなく金属の鎧ごと相手の身体をひしゃげさせる。
戦斧の一撃は、アルマルディーヌ兵の脚を押し潰すように斬り払う。
戦槌の一撃を腹に食らった兵士は、鎧ごと内臓を圧し潰され、血反吐を吐いてのたうち回った。
「進め、進め、進めぇ! 薙ぎ払って王族の首を取れぃ!」
マーゴの里長ビエシエは、自ら前線に立って兵士を鼓舞しながらアルマルディーヌの隊列の後方に向けて突き進む。
「距離を取らせるな、寄せろ、潰せ!」
ダンムールの里長ハシームは、手勢を指揮して隊列を前方に向けて押し込んでいた。
距離を取られてしまえば、アルマルディーヌから攻撃魔法が飛んで来て、一転してサンカラーンの軍勢が不利になる。
樫村達5人は、突入した通りと目抜き通りの十字路に残り、回り込もうとする兵士を牽制する役割を担っていた。
建物の陰に身を隠しながら、攻撃してくる相手を見つけたら、こちらからも攻撃を仕掛ける。
ただし、命中精度は二の次で、とにかく派手に魔法を使っていれば、回り込もうとする敵は上空に身を潜めたヒョウマが狙い撃ちにした。
「ば、馬鹿な……一体どこから現れたんだ」
カストマールが目の前の隊列が崩壊する様を見て思考停止に陥っている頃、最前線の重騎兵たちも窮地に陥っていた。
突進力に優れる重騎兵だが、どこまでも駆け続ける訳にはいかない。
まして今回は、国境の橋を確保するのが一番の目的なのだが、後続の歩兵が一瞬にして壊滅してしまった。
見た事も無い巨大な火球が、後続の歩兵を橋ごと包み込んだのだ。
全身を金属製の鎧で固め、前方と左右には金属製の大盾を並べていても、炎に包まれてしまえば成す術が無い。
絶叫を上げ、鎧ごと火炙りにされる歩兵の姿を見て、重騎兵達は動きを止めてしまった。
その瞬間、オミネスの兵士達も呆気に取られて攻撃を止め、まるで時間が止まったようだった。
火球が消えると、橋の上にはブスブスと煙を上げる鎧が積み重なり、動く者は居なくなっていた。
ガチャ──ン!
先に正気に戻ったのは、オミネスの兵士だった。
片手で持てる程度の大きさの素焼きの壺が、重騎兵に向かって降り注いだ。
壺は薄く、もろく、鎧に当たった衝撃で砕けて中身を撒き散らす。
そこへオミネス兵の火属性の魔法が撃ち込まれた。
「うがぁぁぁぁ!」
壺の中身は粘度の高い油と、揮発性の高い油の両方が注がれていて、火属性の魔法によって重騎兵達は炎に包まれた。
炎に驚いて馬が棹立ちになり、振り落とされる騎士が続出し、そこへ更に素焼きの壺が投げ付けられた。
転げ回って火を消そうとしても、こびり付いた油は燃焼を続け、騎士達の喉や気管を焼き焦がした。
重騎兵が炎に包まれ、後続の歩兵は橋の上で焼死、落ち着きを取り戻したオミネス兵はバリケードを組みなおして守りを固める。
オミネス側が落ち着きを取り戻す一方で、アルマルディーヌ側は混乱の渦に巻き込まれていた。
そもそも撤退する手順が考えられていないし、それを命じる者もいない。
巨大な火球によって前方の歩兵が殲滅され、足を止めた隊列の後では突然現れた獣人族が暴れ回っている。
救援に駆け付けようにも、両側を建物に挟まれた通りでは、隊列の向きを変えることすらままならなかった。
行くも戻るも動きが取れなくなったアルマルディーヌの隊列に、今度は暗い夜空から次々と火球が降り注いて来た。
最初に脇道を塞ぎ、その上で通りに取り残された騎士や兵士に火球が襲い掛かる。
辛うじて命を繋げた者は、水属性の魔法を全開にして己の身を包んだ者と、窓や戸を壊して建物の中へと転がり込んだ者だけだった。
「馬鹿な……馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な! こんな馬鹿な話があってたまるか!」
「カストマール様、お逃げ下さい! もうサンカラーンの手がそこまで迫っております!」
隊列の一番後ろは、カストマールが乗る馬車を近衛の騎士が取り囲み、通りを塞いでいるので、獣人族に襲われても歩兵は逃げる場所が無い。
近衛騎士は歩兵達に対して、撤退どころかカストマールを守るために突っ込めと指示し、従わない者は槍で追い立てていた。
歩兵達の目線では、何が起こっているのか見渡せないが、馬車の上の物見台に上がっているカストマールの目には、己の兵が壊滅していく様がまざまざと映し出されている。
「カストマール様、ご決断を!」
「馬鹿な……ぐぅぅぅ、馬首を回せ! サンドロワーヌへ撤退……ぐぅぁ」
「カストマール様ぁ!」
カストマールが撤退を命じようとした時、飛来した槍が鎧ごと胴体を串刺しにした。
槍の柄を握ったカストマールの身体が傾ぎ、物見台から転落した。
慌てて駆け寄ったモルドバが抱え起こしたが、転落する際に槍の柄が引っ掛かり、こじられた傷口からは鮮血が止めどなく溢れ出ていた。
「カストマール様!」
「わ、我を……運べ……ごふっ……死体を、渡すな……」
「馬車を回せ、カストマール様をサンドロワーヌへ運ぶ!」
敗北を喫し、サンカラーンの手に落ちた王族の遺体は、酷く損壊されて晒しものにされると言い伝えられている。
実際にアルマルディーヌ王族の遺体がサンカラーンの手に渡ったのは数世代前の話で、伝えられている話も誇張されている可能性が高い。
それでも王族として生まれ育ってきた者とすれば、己の死後も己の遺体が弄ばれるような事態には耐えられないのだろう。
馬車の向きを変えるために近衛騎士が一斉に動きだすと、通りを塞がれていた歩兵が我先へと逃げ出し始める。
「手を貸せ、カストマール様をお乗せする!」
近衛騎士の一人がモルドバに手を貸して、カストマールを馬車の内部へと運び入れたが、グッタリとしていて瞳からも光が失われていた。
恥も外聞もなく逃走する歩兵達は、街道をひた走る者もいれば、街の暗がりへと入り込み、鎧を脱ぎ捨てて街の住民になりすまそうと画策する者もいる。
「急いで馬車を出せ! 獣人共に追い付かれるぞ!」
追い付かれれば自分の身も危うくなると思い、御者は鞭を振るって馬車の速度を上げた。
馬車の後方では、近衛騎士達が歩兵が巻き込まれるのも考慮せず、獣人族が暴れている方向目掛けて攻撃魔術を連発していた。
アルマルディーヌの魔法攻撃に対して、ビエシエ達は倒した兵士から奪った槍を投げ付けて対抗するが、馬を全力で走らせて撤退する近衛騎士は仕留めきれなかった。
ビエシエ達の攻撃を振り切った近衛騎士は、馬車に追い付いて速度を緩めるように命じた。
「手綱を引け、もう振り切った。このままじゃ馬が潰れるぞ!」
「どぉ……どぉ……」
鞭を入れられ、死に物狂いで走っていた馬は、手綱を引かれて一気に速度を落とす。
真っ青な顔で額の汗を拭った御者に、並走した近衛騎士が何度も頷いて見せた。
視線を交わした二人が生き残った幸運を噛みしめた瞬間、兵馬が放ったレベル7のストームランスによって、馬車も、馬も、人も、跡形なく吹き飛び、アルマルディーヌ第三王子カストマールは、この世から姿を消した。