飛ぼうと思った。
飛ばなければと思った。
だってほら。
君は、あんなに遠く、高く、ずっと先にいる。
僕も、行かなければ。
追いついて、君の隣に行きたいんだ――。
振り返れば、階段がある。
今も、多くの人が上っては、ここから飛び立っていく。
大きさ、色、形。
みんなバラバラだけど、持っているつばさ。
僕も持っているつばさ。
それを使って、飛び去っていく。
飛ばなきゃ。
これ以上、君が離れていく前に。
足を踏み出そうとした瞬間。
君に止められた。
後ろから抱きかかえられて。
行くな、と。
「行くなよ」
どうして?みんな、飛んでいくのに。
「俺がいるだろ」
君は、あんなに遠くに居るじゃないか。
「行ってほしくないんだ。ここにいろよ、お願いだ」
お願い?そうして僕をここに引き留めて、僕だけ置いていくのか?
振り返って、君を見る。
近く感じるぬくもり。
すぐ近くにいる君。それなのに。
前に向き直る。
目線のずうっと、ずうっと先には、君がいる。
もうかすれて見えないほど遠くに、君はいる。
果てしなく、遠く。
そうかと思えばこんなに近くにいて。
飛ぶように戻ってきて。
また、あっという間に飛び去っていく。
「行くな……!」
まだ言ってるの?
振り返って、君に抱きついた。
君は泣いていて、きっと僕もそう。
君の唇に、僕の唇を押しつける。
ぬくもりがほしくて。
ぬくもりが愛しくて。
「――っ…ふっ……アァッ」
暗闇の中、君の身体だけが熱くて、離したくなくて、跡がつくほど君の身体にしがみついた。
「ずっと此処にいろよ。俺のそばにいろ。俺を、置いていくな」
君を置いて行く?
なにを言っているんだ。
いつも、離れていくのは君のほうじゃないか。
いつも、僕だけが置いてけぼり。
いつも、僕が君を追いかける。
「俺が、そばにいるから」
ぬくもりは近い。
肌が触れ合って、伝わるほどに。
でも、君は遠い。
これほど近くにいても、君は僕の、ずっと先にいるんだ。
そばになんて、いないじゃないか。
僕は、ここから見てるだけ。
階段のてっぺんで、君が遠くに行くのを見てるだけ。
「紘也……っ」
君が僕の名前を呼んだ。
その声は、遠く遠く去ってゆく。
やっぱり、君は遠い。
飛ぼうと思った。
飛ばなければと思った。
君に近づくために。
君から離れないために。
みんなと同じように、僕にもつばさがあったから。
君に近づけると思った。
今から飛べば、間に合うと。
だから、飛ばなきゃ。
だから、飛べると思った。
僕にもつばさはあったから。
僕には、羽ばたくためのチカラなんてなかったのだけれど。
カーテンの隙間から差し込む光に目が覚めた彼は、白を見た。
いつの間にか隣のぬくもりは消えていて、そこにあるのは白。
シーツの色。
「紘也……?」
彼は立ちあがって、カーテンを開ける。
次に見たのは、赫。
彼のずっと下にある、愛しい者の赫。
「……どうしてだよ」
彼はカーテンにしがみつく。
目から涙を流して、狂ったように泣き続けた。
彼は飛んでいた。
みんなと同じように。
大人という名の空を、ただ一人で飛んでいた。
周りにたくさん人はいるけれど、彼はいつも一人だった。
それはとても心細かったけれど、それでも彼は飛んでいた。
振り返ればいつだって、あいつがいたから。
ただ一人で頂上に座り込んで、淋しそうにほほ笑んで、それでもずっとこっちを見ていたから。
あいつがいたから、彼はずっと飛んでいた。
あいつがいたから、彼はずっと飛べていた。
そしてあいつがいなくなった。
彼は傷を抱え、落ちてしまいそうになった。
それでも彼は飛び続ける。
傷ついた心を抱えて。
折れたつばさで。
最期まで、飛び続ける。
「………どうして置いて行った」
つぶやきを残して、彼は眼を閉じた。
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